第39話「酒場のマスターの朝は遅い」
【前回までのあらすじ】
ついに本当のホッドッに必要なレシピを集め終えた男。味王へのリベンジに燃える彼は、エルフから託された『气湧花の粉』を携え、馬車を走らせた。そして、街に帰ってきた男が真っ先に向かった先は……。
酒場のマスターの朝は遅い。大抵は日が完全に南に昇ってから、のそのそと活動を開始する。タキシードに着替え、下階の酒場に降りたマスターが真っ先にすること……それは、じっくりと茶葉を蒸らした紅茶にたっぷりと蜂蜜を入れ、大通りの活発な風景を、カウンターからゆっくりと眺める、優雅な一時を過ごすことだ。
開店準備?そんなものは空が白んできた頃に、店の前に「OPEN」の文字が書かれた看板を出すだけだ。ここは酒場。客は酒を飲む為にここに来るのであって、手の込んだ料理を食べに来る訳ではない。酒の肴など、干し肉かナッツの類で十分。故に料理の仕込みなどは一切しない。
それでも、客がたまに「マスターの料理が食べたい」などと酔っ払ったようなこと言ってくる時がある。大抵は断るのだが、猿のように連呼してくると、相手にするのも面倒なので、食料棚の中から干し肉と塩を取り出して適当に煮たものを施してやる。塩気がきつくて旨味が少ないまずいと評判のメニューだが、何も問題ない。美味しかったら頼む客が増え、自分の手間も増える。そんなことはしたくない。
しかし、一人だけ、そんなまずいスープを何度も頼む物好きの男が居た。だが、その男は今……。
男「おーい、マスター。塩スープ作ってくれよ」
紅茶の香りを堪能していると、突然、店の扉が勢いよく開いて、物好きの男がずかずかと準備中の店内に入ってきた。
マスター「おや、視野の狭い方。準備中の看板が目に入らなかったのですか?」
男「準備してねぇじゃん。まったりお茶飲んでるだけじゃん」
マスター「メンタルコンディショニングです。アナタのような酒飲み相手は神経をすり減らしますからね。こうしてゆっくりとお茶を味わうことも準備なんですよ」
男「へぇ、酒場経営ってのも大変なんだな」
マスター「分かって貰えたら今すぐ回れ右して出ていってもらえます?」
男「えー?じゃあ店が開いたらまた来るから、塩スープ用意しといてもらってもいいか?」
マスター「嫌ですよ面倒くさい」
男「準備しろよ」
マスター「注文は開店してからお申し付けください」
男「ったく。マスターは昔っから愛想無ぇな。もう少し客に優しくした方が店も繁盛するんじゃねぇのか?」
マスター「いまさら性格は変えられませんよ。それに、酒飲みは優しくするとつけあがると師匠が言ってましたので、このままでいいんです」
マスター「そんなことより、旅はどうしたんですか?本当のホッドッ探しをするとか言っておいて、まだ半年も経ってませんけど、諦めたんですか?あきらめない心とチャレンジ精神は?」
男「短いっつっても、別に旅自体が目的じゃねぇからな。旨いホッドッのレシピはちゃんと手に入れてきた」
男「俺は、これでもう一度味王に挑戦する!」
マスター「……宮廷料理人選考会はまだ先ですが、どうやって味王様に謁するんですか?」
男「旅先で一つ仕事を頼まれてな。それでこれから味王に会いに行くことになってんだ。ま、その前にマスターに挨拶でもってな。何故か店やってなかったけど」
マスター「元々、昼間っから私の店に入り浸る輩は、アナタくらいしか居ませんでしたし。丁度いいから止めたんですよ」
男「じゃ、また明日から昼営業再開だな」
マスター「嫌です。なんの為に馬と馬車を貸して厄介払いをしたと思っているんですか?やっと手に入れた優雅な一時、手放すつもりはありません」
男「……残念だな」
男「それじゃ、プリンちゃん達待たせてるし、俺そろそろ行くわ」
マスター「はい。今度はちゃんと営業時間内にご来店ください」
男「はいはい。んじゃ、塩スープ頼んだぞ」
そう言って、身勝手にも男は店から出ていった。平穏な昼下がりに、まるで小さな竜巻のような男だ。
マスター「……全く、昔っから困った人ですね。もう少し落ち着いたらよいのに……」
マスターは深いため息を吐く。そして、食料棚から干し肉と塩を取り出すと、それらを水と一緒に小鍋に入れ、小さなコンロに火を点けた。
マスター「……ふむ。少し塩味が強いですかね?」




