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第18話「TENZO」

【前回までのあらすじ】

仙人から授かった力でローション百人組み手を無事クリアした男。しかし、彼は怕無から出された問題に答えられなければ『秘伝のレシピ』を貰えないということをすっかり忘れていたのだった。

「あー……分かんねぇな。なんだよ『真のホッドッ』って。そんなもん分かったらこんなアホみたいな旅してねぇよ」



 仙人に力を授かってから十日、お堂の縁側を独りぶらぶら歩きながら男は独りごちた。百人組み手をクリアし、修行の成果を認められた男ではあったが、肝心の怕無からの問題には未だ答えを出せず、鬱憤が溜まっているようだ。



 「真のホッドッとは何か?」それが、怕無が男に課した問題。なんと曖昧な問題だろうと訝しみながらも、男は試しに色々な答えを怕無にぶつけた。「誰もが美味しいと思うホッドッ」「品のあるホッドッ」「俺のホッドッ」「ホッドッはホッドッ。それ以上でもそれ以下でもない」「逆にホッドッって何?」。しかし、怕無はそれらの答えにはただ首を横に振り、「私はそう思わぬ」と返すのみ。



(あのハゲ、ホントに正解させる気あんのかよ)怕無のぶっきらぼうな態度に辟易していたものの、『秘伝のレシピ』を手に入れるという目的達成のため、なんとか彼を納得させるような答えを出そうと、男は日々無い知恵を絞る。



 さて、苦い顔をした男が本堂の廊下の角に差し掛かった丁度その時、彼は一人の僧侶と鉢合わせた。その僧侶は男の姿を見ると、「おや、君は確か、法洞(ホドウ)か」と見張った。



「珍しいな、修行僧がこんな真っ昼間に本堂に居るとは」



典座(てんぞ)印奈(いんな)さんじゃあ無いですか。こんなところで何してんですか?」



「これから夕飯の仕込みをしようと思ってたところだ。それより君、修行はどうした?」



「いやぁ。怕無老師から『真のホッドッとは何か?』っつー、よく分からない問題を出されましてね。それに答えられるまで座禅を組めと言われてたんですけど、座禅してたら睡魔に襲われて……そこでちょっと休憩をと思いましてね」



 その僧侶は印奈という典座、つまりは宗聖寺で修行に励む僧侶の食事の面倒を見る料理長であった。見た目は他の僧侶と変わらぬ坊主姿の筋肉質な僧侶だが、作務衣の上に袈裟型のエプロンを身につけているので見分けはつきやすい。

 

 

 彼が得意とするのは質素な精進料理。しかし、決して薄味になりすぎることはなく、むしろ素材本来の旨味が存分に引き立っており、その味は無類。彼の料理は僧侶たちにとって厳しい修行生活における数少ない楽しみの一つになっている。また、彼自身の柔和で飄々とした性格もあり、修行僧からの支持率が高い僧侶である。



 そして、彼こそが『宗聖寺伝のソーセージ』を作れる唯一の僧侶。当然、印奈も男がソーセージのレシピを得る為に修行生活を送っていることは承知しており、法洞としての彼の顔も把握していた。だが、二人きりで会話するのは初めてであった。



「なるほど、公案(こうあん)。あの人も好きだね、そう言うの」



 さて、印奈は堂々と修行をサボッているとのたまう男には注意せず、むしろ怕無が男に出した問題に関心を抱いて頷いた。



「公案?」



「悟りを開くため、老師が修行僧に出す課題のことだ。怕無さんは都寺(つうす)を任される前は都維那(ついな)……僧の修行を監督する役職に着いてたからな、修行をするのもさせるのも大好きなんだよ」



「なるほど、そういうこと」男は彼の話を聞いて、宗聖寺に来てからの出来事に合点がいった。怕無は修行好きなので自分に修行生活を課した。そして邪無はそんな彼の性格を知っていたからこそ怕無に自分を紹介したのだ。ちくしょう。男は心の内で毒づくと、当て付けの様に「俺は修行なんて嫌いですけどね」と口にした。



 男の皮肉な態度に、印奈は一瞬だけ瞼を引き上げる。だが、すぐに元の温和な顔に戻ると、「いやぁ。君は正直だね」軽く笑った。「私は好きだよ、そういう考えも。面倒だよね、疲れるし」



「え?」しかし、男は彼の予想外の返答に眉を顰めた。「印奈さんがそんなこと言っても良いんですか?『修業することで教えが身に着くのだ』とか老師は言ってたけど」



 そう疑問を呈する男に対し、印奈はしばらく沈黙していたが、やがて思いついたように手を叩くと、揚揚とした表情で言った。



「なるほど、それじゃ今から怕無さんの代わりに、私が君に一つ説法してやろう。こんなところで鉢合わせたのも何かの縁だ」



「……いや、自分まだ座禅があるんで」



「怕無さんから出された問題のヒントになるかもしれないぞ?」



「お願いしゃす!」



 男が素早く掌を返したところで、二人は縁側に腰を下ろす。印奈は修行場から聞こえてくる修行僧の掛け声を聞くように晴れた空に顔を上げると、そのまま語り始めた。



「厳しい修行というのは、あくまで悟りを得る為の手段の一つに過ぎない。『漸悟(ぜんご)』というんだけど、幾多の修行をこなし、順を追って悟りに近づこうという考えだ。『修業で教えが身に着く』っていう怕無さんの考えはこれだね。それに対して、修行を経ずに悟りに至ろうとする『頓悟(とんご)』という手段もある……私は君らの様に座禅や鍛錬には参加していないだろう?」確認するように印奈が振り向いたので男は頷いた。印奈は続けて訊ねた。「君の目には、私が悟りを諦めているように見えるかい?」



「いや。寺で生活してるんだから、そんなことは無いんじゃないんすか?」



「その通り。私は皆のように修行に暮れてはいない。お経ぐらいは読むが、実際は僧の飯を作る専属の料理人みたいなものだ。しかし、こういった修行とは関係のない日常にこそ、悟りに至るきっかけがあると私は考えている。つまり、『頓悟』によって悟りを得ようとしているという訳だ」



「へぇ~」限りなくINT値が0に近い男は、慣れない真面目な話を前に阿呆面を晒す。その目は輝いていた。「そうなんスか」



「例えば、直歳(しっすい)慧真(けいしん)を知っているだろう?」



「あぁ、いつも工具箱を携えて境内をうろついてるドワーフの」



「そうそう。寺内(じない)の整備を任されている彼も『頓悟』に寄っている。私とは少々考えは異なるけどね。たしか……日々の作務に打ち込むことで頓悟する、だったかな。まぁ、そんな私の考えを支持してくれる僧もちらほら居るんだ。ほら、一人じゃ大量の料理も作れないし、屋根の修理も出来ないだろ?」



「あ、そうか。てっきり業者だと思ってたが……」



 男は寺での生活を思い返した。厨房では印奈の他に十数人の僧侶が作業しているし、境内では毎日至るところで整備や掃除が行われている。彼らは印奈や慧真と同じ様に、頓悟によって悟りを得ようと考え、二人に師事している僧侶だったのだ。



「分かった!」男は、印奈が自分に何を伝えんとしているか思い付き、膝を叩いた。「俺は修行でゼンゴするより、トンゴの方が向いてるって事だな!?」



「さぁ?どうだろうね」だが、印奈はやんわりと否定するとケラケラ笑った。「私だって、怕無さんには『食材の用意から調理・配膳に至るまで、どれ一つとっても修行である。日々修行に励むように』なんて言われているけどね」



 男は訝しんだ。「ん……?印奈さんは修行していないんだよな?」



「少なくとも私は料理が修行だなんて思ってないね、楽しいし」



「だが、老師は料理も修行だと言ってる」



「そうそう、不思議だねぇ」



「不思議すなぁ」



「……」



「……」



「……分かった?」



「いや、全然?」



 一点の曇りもない瞳で首を横に振る男に、印奈はガクリと肩を落とした。



「つまりだ。一つの事物をとってみても、人によって見方が異なるということだよ。悟りに対して漸悟と頓悟という見方があるように。料理に対して日常と修行という見方があるように。事物は絶対的では無く相対的。人が二人居れば、二通りの考えがあるってこと」彼は困り気味に笑いながら話をまとめると、気を取り直して「では本題に立ち返ってみよう」と指を立てた。



「法洞君、『真のホッドッ』とは何だろうか?」



「ん?いや、それが分からないんだけど……どういうこと?」



 まさか怕無と同じ質問をされるとは思ってもいなかった男は目をパチクリさせる。そんな狼狽する男に微笑むと、印奈は「日常の何気ない会話から閃く。これが『頓悟』だよ」と立ち上がった。

 

 

「それじゃ説法は終わり。私は仕込みがあるんでね、後は地力で頑張ってくれ」



 厨房に向かおうとする彼を、男は慌てて引き止めた。



「あ、ちょっと!」



「これ以上ヒントは出せないよ。怕無さんに怒られるからね」



 そう言って断る印奈だが、男が聞きたいのは公案についてではなかった。



「いや、印奈さんが『秘伝のソーセージのレシピ』を知ってんだよな?ソーセージは本当にこの寺にあんのか?」



 それは、男にとって公案より遥かに重要で、気掛かりなことだった。男たちは『秘伝のソーセージのレシピ』の存在を信じて、それを手に入れる為に宗聖寺までやって来た。そして、宗聖寺の僧侶も『秘伝のソーセージ』の存在を認めている。



 だが、この寺に来てから一度も男は『秘伝のソーセージ』を見ていないのだ。さらには、怕無を始めどの僧侶に聞いても、ソーセージはあると答えるが、その見た目も、味も、匂いも教えてはくれない。そうして、男は段々とソーセージの存在を疑い始めていたのだ。



 疑いの目で自分を見つめる男に、印奈はニコリと笑った。「もちろん。でも君は時期が悪かったね。アレは年始めの儀式で奉納するもので、それ以外には使わないから」



「ん?……奉納ってことは、食べないのか?」



「供物だから、修行僧は食べないね。私も毎年作るけど食べたことは無いよ」



「それって本当に美味いのか?」



「重要な供物だし、美味しいんじゃないかな?」



「『美味しいんじゃないかな?』って……」



 男にとって、秘伝のソーセージが美味しいかどうかは非常に重要な要素だ。秘伝だからといって美味しいとは限らない。だからこそ、それを食べているであろう僧侶の感想を聞きたかったのだが、まさか誰も、レシピを知る本人でさえ口にしたことが無いとは……。男は頭を抱えた。




「法洞君」すると、今度は印奈の方から男を呼んだ。顔を上げた男の瞳の奥を見据え、彼は最後に一つ質問した。



「君は『真理』があると思うかな?」



「『真理』?僧侶ってのはそれを目指しているんだろ?そんなら、あるんじゃないのか?」



「そうか。いや、そうだろうな」その答えに印奈は一笑すると、縁側を後にした。



 男はと言うと、しばらくその場に立ち尽くしたまま、秘伝のソーセージが本当に美味しいのかどうか、考えを巡らせていた。

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