第17話「仙人は湖にいる②」
釣りをしてたら仙人が釣れた。
何を馬鹿なこと言っているんだこのエルフはと思われるかも知れないが、本当のことだ。そりゃあ私だってびっくりしたさ、魚だと思って釣り上げたら人間なんだもの。
普通、そんな予想なんてしないじゃん。「あー、これだけ糸が引っ張られるってことは、もしかしたらこりゃあ人間かもしれんぞ」とはならないわけじゃん。普通に大きな魚だと思うじゃん。だから、仮に人間を釣り上げたとしたら、それを見る視線はとても冷たくなるよ。例えば、それは街の物陰で裸体を露出させてきた人間に向けるような。
「なんじゃお主、そんな不審者を見るような目をして」
「不審者を見る目だけど」
「失礼な。儂は水の中でお主らが来るのを待っていただけじゃ」
「それを不審者っつってんだよ」
「不審者とはなんと酷い言い草。儂は仙人じゃぞ?」
『儂は仙人じゃぞ?』と言われても、実際に目の前に居るのはずぶ濡れのハゲ爺。どうせ水の中から現れるなら、不審者みたいな仙人ではなく女神様が出てきてほしかった。「アナタが垂らしたのは、金の糸ですか?銀の糸ですか?」みたいな……いや、でも金の糸と銀の糸を貰っても大した金にはならないな。やっぱり斧サイズの重量がないと。
まぁ、そんな妄想を膨らませていても仕方がない。湖面に現れたのが白髭ハゲ仙人であることは覆らないのだ。「とりあえず、水から上がったら?」私は彼を船に乗せてあげようと手を伸ばす。しかし、その手は彼の代わりに虚空を掴んだ。
「え?」
それはもう気持ちいいくらいにスカッと空振った。確かに仙人の姿はそこにあるのに、仙人の背後を見ることは出来ないのに、その身体に触れることだけできなかった。魔法だろうか、分身とか幻影の類の。いや、魔法なら多少なり違和感を覚えるハズ。私も伊達に長くことエルフをやっていない。
面食らった私を見て、仙人が「ほっほっほ」と笑った。癪に障る笑い方だ。
「言ったじゃろ、儂は仙人・道聖寧。即ち神に近き存在。儂が望めばお主達に姿は見える、声も聞こえる。だが、互いに干渉はできん。そういう道理じゃ」
仙人はそう言うと、身体をひらりと宙に浮かべ、胡座をかいた。有翼種でも無いのに浮遊するなど、そんな魔法は聞いたことも見たことも無い。それに、いつの間にか濡れていた着物もすっかり乾いている。
背筋に悪寒が走る。目を細めて笑う眼前の仙人は、明らかに人知を超えた力を持った存在。神に近い存在という自称も、強ち間違ってはいないのだろう。そう思うと身体が萎縮してしまった。何故か。神とかそこら辺の奴らは何をしでかすか分からないからだ。
「……で、仙人が何の用スか?」私は恐る恐る仙人に訊ねた。
すると、仙人は長い顎髭を弄びながら「なに、心配せんでも良い」と微笑んだ。「お主らを悪いようにはせんよ。もし人間に手を出せば儂は仙人としての力を失ってしまうからな」彼はそう前置きをすると、私とショタそれぞれの目を見据えた。「うむ。単刀直入に言うと、儂はお主らにお礼がしたいのじゃ。儂が湖外に姿を現すと、この辺りの人間を驚かせてしまうからな。お主らが二人だけが湖に来るのを待っていたという訳じゃ」
「礼?いや、アンタとは今始めて会ったばかりでスけど」私は訝しんだ。こんな変なおっさんなど忘れようが無い。しかし、以前にどこかで出会った記憶が全く無い。ショタに視線を送るが、彼も知らないようだ。「他の誰かと勘違いしてるんじゃないでスか?」
「いいや、間違いない。儂はお主らのことをずっと千里眼で覗いておったんじゃからな」
「今なんつったハゲおい」
「安心せい。部屋の中までは覗いておらん。流石にプライベート空間を覗くのは仙人的にアウトじゃからな」
「関係なくアウトだ変態。え、なんでよりによって私達?」
「儂はな。おねショタが大好物なんじゃ」
「は?なにそれ?」
「おっと、これは未だこの世界には無い概念じゃったか?まぁ、おねショタとは、つまり大人のお姉さんと未熟な男の子の組み合わせのことじゃ。儂はそんな二人を傍から見るのが大好きなんじゃ!!」
あっけにとられる私達のことなどお構いなしに、興奮を抑えきれない仙人はまくしたてる。
「いやぁーーー!仙人になって数百年。仙境を離れるわけにもいかぬし、こんな山奥の辺境じゃ、なかなか生のおねショタを鑑賞できる機会なんて無くてのぉ、儂は大満足じゃ!」
「……」
脳が拒んでいるのか、途中から彼の言葉は全く理解出来なかった。しかし、かなり気持ち悪いことを宣っているということは肌で感じ取れた……鳥肌が立ってきた。というより、やっぱりコイツ不審者じゃねぇか。私の目に狂いは無かった。
こみ上げる吐き気と悪寒をショタの可愛さで中和しようと、私はショタに目を向ける。小首をかしげる彼の目は澄んでいた。かわいい。どうやら、眼前の仙人の不審者イズムは感じ取れていないよう。そのままの君で居て。
すると、仙人は空気を読まずに私とショタの間に入ってきた。
「いやはや、こんな素晴らしいものを見せて貰ったのならば、何かお礼をしなければと思っての!」
礼よりもまず謝罪をしろ。後日菓子折りを持って礼服で謝罪に来い。私は羊羹なるものが食べたい。
「そこで、お礼として私の方術で何か一つ、願いを叶えてやろうと!」
「……え!?マジっスか!?」
「いい笑顔じゃ!公共良俗と儂の性癖に反しないものであれば何でもいいぞ!」
その言葉で鳥肌がスッと消えた。私の身体も現金なものである。どの口で公共良俗などという言葉を吐けるのか良識を問いたいところであるが、まぁ、好きな願いが叶うのなら私のプライベートなどいくらでも切り売りしてやろう。
しかし、何でも願い叶えると実際言われると迷う。真っ先に思いついたのは「私の前から失せろ」であったが、恐らく仙人の性癖に反するのでこの願いはNGだろう。それに、貴重な願い事をそんな下らないことに使いたくない。ここは無難に金銀宝石の類でも願おうか。周りの人間には糸に引っかかって海底の金が釣れたとか言っておけば怪しまれることもないだろう。
私が頭を捻っていると、ショタが勢いよく手を挙げた。
「秘伝のレシピ!宗聖寺のソーセージのレシピが欲しい!僕たち、それを手に入れる為にここまで来たんだ!」
それはダメ!私は思わず声を上げそうになった。確かに、この旅の目的は世界を巡って『ホッドッ』の食材のレシピを集めて『本当のホッドッ』を完成させること。だが、それは店長の夢である。私はこの生活を崩したくはなかった。
もしもソーセージのレシピが手に入ったら、私達の優雅なリゾートホテル暮らしが終わってしまう。毎食ホッドッを食らい、固い安宿のベッドで寝る生活に逆戻りだ。しかし、あの店長が修行続ける限り、ふかふかベッドと多種多様な高級料理という夢の生活が続くのだ。
「え、えっと……そしたらここでの暮らしが……」私はやんわりとショタの肩を叩くが、彼の澄んだ瞳を見るとすぐに言葉を切った。それは高い志を持つ者特有の瞳、つまり彼は私とは違い、本気で『本当のホッドッ』の完成を夢見ているのだ。幼い彼にとって、その夢に比べたら、QOLなど些末なものなのだろう。
『一生遊んで暮らしたい』私は唇を噛んでその言葉をこらえた。店長の夢などどうでもいいが、ショタの夢を私如きが止める訳にはいかない!
「で、でもぉ、そんな簡単に手に入れたら、修行の意味がないんじゃないかなぁ?それは怕無さん達にも悪い気がするよねぇ?」
しかし、ショタがこのままの暮らしを望むのならやぶさかでない。私は、ほんのり彼を誘導する。
「そうは言っても店長が修行をちゃんとやるとは思えないし。とりあえずレシピを手に入れてから後のことは考えればいいじゃない」
「ア、はい。じゃあその願いで……」
流石、ショタくんは賢くて強かだった。そんなところも可愛いのでOKです。
「……すまんが、その願いを叶えるのは無理じゃ」
だが、私達の願いを聞いた仙人は苦い顔をして、ため息まじりに言った。
「なんで?」
「宗聖寺には強い結界が張ってある。儂のような異物は侵入ることができぬし、方術すらも弾かれる……つまり、儂では秘伝のレシピを知ることは無理だということじゃ」
「でも仙人なんでしょ?神に近い力持ってるんでしょ?」
「無理言わんでくれ……本物には敵わんて。他の願いにしておくれ」
なんでも願いを叶えると言った割にはしょぼいな。舌打ちをする私を横に「それじゃあ……」とショタは次のように提案した。
「店長の修行を手伝ってあげてよ!」
「修行?」
ピンと来ていない仙人に、私達はことのあらまし説明した。秘伝のレシピを手に入れるには、宗聖寺で修行に励み、その成果を認められた上で高僧の出題する『問い』に答える必要があるということ。
それを聞いた仙人はふんふんと頷き、「なるほど。要は、その法洞とかいう男を熟練僧並のレベルにすればいいのか?」と願い事をまとめる。ショタも頷き、それに同意した。
「ならば、その男は浜辺に居るようだし、今の内にレベル上げしておくか。寺に帰られては手出しできんのでな」仙人は脚の下に小さな綿雲を出現させると、それに乗った。仙人が移動するときは雲を使うらしい。「ただ、肉体は鍛えられても、儂にはその『問い』とやらの答えは教えられんぞ」彼は付け加えるように言った。
「さっきから無理ばっかスね」
つい本音が出てしまった私に、仙人は困り顔で口をとがらせた。
「仕方のない話じゃ。此方は『道』、彼方は『空』、そもそもの道理が異なるんじゃからな。宗聖寺の教えなど知らんわい」
「はぁ」
「お主らだっておねショタが何なのか知らなかったじゃろ?それと同じじゃよ」
「知らんけど」
私が言うと、仙人は「まぁよい。ほっほっほ」と笑って飛び去った。まったく……神とかそこら辺の奴らは行動が不条理だから困る。
──その夜。例のごとくリゾートホテルの私達の部屋に訪ねてきた男の姿に、私達は目を疑った。
その身体は昨日までとは違い、歴戦の戦士の如く鍛え上げられていた。作務衣がパツンパツンになるほど膨れ上がった三角筋と大胸筋。ハムストリングが大きすぎるせいで七分丈のズボンは短パンに様変わりしている。その肉体はある意味ダイナマイト・ボディ。堅い岩盤もパンチ一つで打ち砕いてしまうだろう。
彼は樹齢千年の杉を思わせる首をポリポリかきながら、男は嬉しそうに声を張った。
「いやぁーーー!なんか今日修行してたらいきなり変なハゲが現れてさ、『──力が、欲しいか』なんて言ってきたのよ!」
「はぁ、そっスか」
「最初はガチ不審者だと思って、金が無ェからっつって断ったんだけどさ、何か無理やり力を注入されちゃって……」
「へぇ。それで?修行は上手くいった?」
「そりゃあもう!昨日までは誰一人倒せなかった百人組み手も、今日はあと一歩のところまで行けたしな!こりゃ、秘伝のレシピを手に入れるのももう少しだな!」
「……ところで、怕無さんの『問題』は解けそうッスか?」
「へっ?『問題』?」
どうやら店長、修行に意識がいき過ぎて、その先にある『問題』のことなどすっかり頭から抜け落ちていたようだ。
「……あ゛゛゛゛ッ!」
全身の筋肥大に伴い矮小化した脳みそで考えこむこと数十秒、彼は地鳴りのような悲鳴を上げた。
「レシピが手に入るのは、まだまだ先になりそっスね……」
やれやれとため息を吐きながら、もう少しこの暮らしを続けられることが確定した私は、心の中でガッツポーズをした。ショタはがっかりして肩を落としているが、それもこれも不甲斐ない店長が悪いのだ。仕方が無いから今日はお姉さんが慰めてやろう。
「……?」
その時、私は背後に謎の視線を感じた。もしかして、あのクソ仙人が千里眼で覗いているのか?いや、確か部屋は覗いていないと言っていたはず……。私は少し頭を捻るが、結局あの仙人以外に考えられないので放っておくことにした。今度こそ金の斧でも強請ってやる。
──場所は変わり、ここは宗聖寺の本堂。一人の僧が水晶玉を前に手を合わせていた。その水晶玉に映っているのは、ショタとプリンが宿泊する部屋。もちろん、そこにはムキムキになった男も居た。
「なんか身体おかしくない?ホントにコレ法洞?」
その僧が神妙な顔で訊ねると、口をへの字に曲げた怕無が彼の後ろから答えた。
「はい。本日、滅絶磨磊武の行を終えた時には、そのような体つきになっておりました」
「あぁ、あのスライム達も随分経験値溜まってたからの。一度に何十体も倒せば、こういうこともある……のか?」
「いえ、それが」怕無は顔を険しくした。「法洞の身体からは方術の気が感じられます」
その言葉に水晶玉を繰る僧の指がピクリと動く。「方術……というと、聖寧か?」
怕無は頷くと語気を強めた。「恐らくは。しかしこれでは修行の意味がありません。理由を付けて法洞を追い出しましょうか?」
しかし、僧は首を横に振ると静かに彼に振り返る。その顔はまるで仏のように穏やかに微笑んでいる。
「ほっほっほ。いやいや、これも因と縁。彼が仙人と縁があっただけのこと。それに大切なのは肉体の強さよりも心の在り方であろう。仙人にそれは教えられんよ」僧は合掌すると、声色を変えて怕無に命じた。「修行は継続せよ。邪無の知人を無碍に扱う訳にもいかぬ」
「……承知しました。それでは失礼します、宗聖様」
一礼して怕無が本堂を後にすると、宗聖寺の主たる宗聖は白い髭を撫でてため息をついた。
「全く……兄者にも困ったものだ」