第12話「それいけ!パンゴーレム──美味しいパンを作ろう」
【前回までのあらすじ】
ホットドッグを食べさせた盗賊が光となって消えた。一件落着。
「この度は随分とお世話になりました」
昼下がり。馬車を整備する男に、邪無が何度目かのお礼を言いに来た。
──結局、ウォーという諸悪の根源が消えてしまったことで、邪無のパン工場で起きていた事件は幕を閉じた。
嬉しいやら困惑するやら神妙な顔をした邪無とマーガレットと共にパン工場へと戻った男は、なんだかとても申し訳ないような、気まずいような気持ちで胸がいっぱいになった。何しろ、不可抗力とは言え二人の仇を何の関係もない自分が討ってしまったのだ。
例えるならば、チートアイテムを手に入れた村人Dが調子に乗って、因縁の魔王と勇者の戦いに突如乱入して、そのまま魔王を倒してしまった感じ。結果としては良いんだろうけども変な空気になっちゃう奴。男は子供の頃からそんなきまずい空気が大の苦手だった。
傍から見ればちっぽけな後悔で眠れぬ夜を過ごした男。しかし、朝になって会った邪無は嫌な顔をするどころか、憑き物が取れたような爽やかな笑顔で、男に感謝の言葉を口にした。そこに居たのは、昨日の不遜で傲岸な大魔道士の彼とは全く違う、穏やかに微笑む中年男性だった。ただ、口調すら変わっていたのは不気味だったが。
「家に帰ってきた後、マーガレットと話し合いました。そこで、過程はどうあれウォーが私達の前から姿を消したという事実を今は喜ぶべきだと決めたのです」
(自分がウォーを消したことは気にしないでいてくれるようだ)その言葉を聞いて男は胸をなでおろす。だが、続けざまに邪無が言った言葉に彼は耳を疑った。それは、彼にとってまさに僥倖だった──
さて、馬具を取り付けていた男は、その手を止めると深々と頭を下げた。「いえ。私こそお世話になりました。しかし、まさか邪無殿のレシピを譲って頂けるとは……本当によろしいんですか?」
なんと、邪無は事件解決のお礼としてパンのレシピを譲ると申し出てきたのだ。それは男にとって願ってもいない提案。なにしろ、男はこの状況でどうやってレシピを手に入れようか思考を巡らせていたところだ。
結局二つ返事でパンのレシピを譲り受けた男だったが、もちろん疑問もあった。レシピとは料理人や職人にとっては、命の同等に大切なもの。何故、邪無はそれを突然譲ろうと言う気になったのだろう。男は訊ねたが、彼は微笑んだまま「それは、私達にはもう必要の無いモノですので」と答え、それ以上は何も語らなかった。
邪無の態度は少し気になったものの、男はレシピを手に入れられるのならば、自ら語ろうとしない彼に追及する気は無かった。何度も言う通り、男の狙いは邪無のパンのレシピであり、彼の過去やらこれからの人生やらに関わる気など皆無だからだ。むしろ、追求した結果、彼の気に障ってレシピを譲り受けるという約束が無効にされてしまう方が怖ろしい。そう考えた男は話題を変えることにした。
「結局、あの盗賊はなんで消えたんでしょうね」
「本当のところは分かりません。魔法には未知の領域が多いですからね。しかし……これは私の希望的観測に過ぎないのですが」邪無はそう言うと男の馬の顔を撫でながら、つらつらと語り始めた。
「ウォーが光となって消えたのは、奴がやっと満たされたからだと思うのです。ウォーは生粋の盗賊、人からモノを奪うだけの存在です。当然、人々から疎まれていたことは想像に難くありませんし、誰からも何も与えられずに生きてきたのでしょう」邪無はそう言うと、懐からパンを取り出して馬に食べさせた。「きっと、奴はずっと腹を空かせていたのでしょう。人から奪ったパンでは、決して腹は満たされないと知らなかったのです」
「じゃあ……盗賊が消えたのは、腹がいっぱいになったから?それだけ?」男は信じられないと言った顔で邪無に訊ねる。しかし、邪無は申し訳なさそうに男を一瞥すると、俯くように頷いた。
「きっと……これは私が、ウォーにパンの一つでも与えていれば、それだけで解決した問題だったのでしょう」
パンを貰った馬が、嬉しそうに邪無の顔を舐めた。邪無は少し困ったような、嬉しいような顔で、馬をもう一度優しく撫ぜた。
「敵にパンを送るというのは、難しいことですね。大魔道士など名ばかり、私もまだまだ修行が足らなかったということです」
◇
さて、男と邪無が馬小屋で話している丁度その時、パン工場の近くでは、穏やかな日差しの下、マーガレットがプリン、ショタと一緒に犬の散歩をしていた。
「え?マーガレットが工場長になるの!?」
その道中でマーガレットが語った打ち明け話に、ショタは声を大にして驚いた。彼女は嬉しそうに微笑むと、ゆっくり首を振った。
「工場長なんて、そんな大層なものじゃ無いわ。昔はね、この家は小さなパン工房だったの、母が切り盛りしていてね……私、ずっと母みたいなパン職人になるのが夢だった」
彼女は、まだ家族が幸せに溢れていた頃の温かなパン工房を復活させたいと二人に語った。邪無のパン工場では、たしかに母のレシピを忠実に再現した美味しいパンが量産できる。しかし、彼女は本心ではそれを望んでいなかった。
「父のパンも、決して悪いものじゃ無いわ。けれど、例え物質的には同じ味なのかもしれないけれど……やっぱり、母の作ってくれた焼き立てのパンの方が、ずっとずっと美味しかったと思う。だから、私は手作りのパン工房を開くって決めたの。父も賛成してくれたわ」
「邪無っていうお父さんも一緒にその工房で働くんスか?」
「ええ、もちろん。それと、ゴーレム達も一緒よ」そう言うと、マーガレットは思い出したように二人に礼を言った。「あ、そうそう。『一号』のこと、ありがとうね。貴方達が助けてくれたんでしょう?あの子、随分可愛い顔に変わっちゃって」
「殆どこの子がやった事スけどね」
プリンはショタの肩を優しく叩いた。昨日の夜、パンを焼いてパンゴーレムを復活させたのは、マーガレットのレシピを完全に記憶していたショタだった。しかし、プリンも何もしていなかったわけでは無い。彼女は初めて見るショタの料理人としての才能に驚きながらも、パン作りに集中する彼を精一杯にサポートしていた。
照れくさそうに顔を赤らめるショタを見て、彼女はもう一度丁寧に礼を告げる。だが、その顔はどこか申し訳無さそうというか、悲しみを帯びていた。
「どうかしたんスか?」
「いえ……たった昨日出会ったばかりの人たちに、本当に迷惑をかけてしまったことが、申し訳なくて……本来なら、私達家族が解決するべきだったのに……」
マーガレットは、昨夜の自分を思い返すと目に涙をためた。やはり、ウォーとの因縁に自分たちの手で決着をつけられなかったことが心残りでもあるようだ。
「私、あの場に居ながら何も出来なくて……」
「そんな事ないっス!」しかし、プリンはマーガレットの言葉を遮ると、彼女の前にずいっと回り込み、彼女の胸に一本のホットドッグを押し付けた。「店長からお昼ごはん用に貰ってた『ホッドッ』ス。昨日、店長が盗賊に食べさせっていうのと同じ奴スよ。食べてみて!」
ホットドッグを受け取ったマーガレットは突然のことに戸惑いつつ、言われるがままにそれを口へ運んだ。
「これは……?どうやって?」
彼女は目を丸くした。なぜなら、そのホットドッグのパンはマーガレットのレシピで作ったものに酷似していたからだ。
プリンはパン工場の方角に目をやると、小さくため息を吐いた。「店長の得意技っス。昨日、店長もマガちゃんのパン食べたから……まぁでも、そんな事、今はどうでもいいっスけどね」
彼女は懐からもう一本ホットドッグを取り出すと、今度は自分でそれを食べた。ケチャップを頬に付けながら、彼女は口を開いた。
「きっと、盗賊はマガちゃんのレシピで作ったパンが美味し過ぎて昇天しちまったんスよ!だから、事件を解決したのはマガちゃんの力!」
「プリンさん……」その主張は半ばこじつけに近い論調だった。しかし、それが彼女の不器用なりの優しさであるとすぐに分かってしまったマーガレットは、結局ホロホロと涙をこぼしてしまった。「ありがとうございます……」
「え?ちょっと、なんで泣くんスか!?」
◇
「おーい、お前ら。そろそろ出発するぞ」
「「はーい」」
散歩から帰ってくると、プリンとショタの二人は早速男に呼ばれた。既に男は御者台に座っており、出発の準備は整っているようだ。
「目的地が決まったぞ。“宗聖寺”っつーお寺だと」馬車の近くまで寄った二人に、男は次の目的地を伝える。だが、寺というものが何か分からず、プリンは頭を傾げた。
「寺……って何スか?」
「東方起源の宗教施設だよ。なんでも、その寺には秘伝のソーセージのレシピがあるらしい」
「私は昔その寺で修行していてな、私からの紹介と伝えれば悪いようにはされないだろう。この『邪無』という名も宗聖寺で授かったもので、元々は『ジャン』というありふれた名前だった……思えば妻と出会ったのもあの時……」
邪無はしみじみと昔話を語りつつ、男に紹介状を手渡した。男は適当に相槌をうちながら、切のいいところで礼を言って話を終わらせると、プリンとショタに声をかけた。「それじゃ、お前ら乗り込め!その寺は遠いらしいからな!一日でも早く到着しねぇと無駄に旅費がかかっちまう!」
二人が馬車に乗ったことを確認すると、男は軽く会釈をして手綱を引いた。ゆっくりと動きだす馬車の幌の隙間から、プリンとショタが頭を出して、邪無達に手を振った。
「邪無さん、マガちゃん、ありがとうまたね!パン工房頑張って!」
「ええ、ありがとう!プリンちゃんもね!」
馬車がスピードを上げてゆく。二人はパン工場が見えなくなるまで手を降り続けた。
◇
「行ってしまいましたね」
「そうだな……不思議な方々だった」
「さて、お父様。それじゃあ早速パン作り、始めましょうか」
「パンを手作りするのは久しぶりだな。しかし、どうしてそこまで手作りにこだわるんだ?」
「お母様が教えてくれたの。『パンは美味しくなるよう愛情を込めて捏ねなさい』って」それは彼女が母親から受け継いだ、美味しいパンを作る秘訣だった。もちろん、男にだって伝えてはいない。「それが一番大事なんですって」彼女は微笑むと、パン作りの準備を始める為に家の中へ入っていった。
それを聞いた邪無は自嘲気味に笑うと、娘の後に続いた。
「なるほど。私に足りなかったのはそれか」
──とある里山に、新しいパン工房が出来た。父と娘、そしてパンゴーレム3体で営まれているその工房は、手作りパンが美味しいと地元で評判のパン屋になった。今日も、パン工房の煙突からは元気に煙が昇っている。