第1話「あきらめない心とチャレンジ精神」
ここは異世界のとある街。さらに言えば、その街の人気食堂『サンサーラ』の事務所。
革の椅子に腰掛けるおっぱいの大きい女の眼下では、ウェイター服の男が深々と土下座していた。
「何故ですかオーナーッ!?何故、俺が解雇されなきゃならないんですかッ!?」
どうやら、女は食堂のオーナーのようだ。目を潤わせながら異議を申し立てる男を見下して、彼女は淡々と述べた。
「お前を雇って数年間。注文の間違いが5百回。皿を割ったのが6千回。食材のつまみ食いが7千回……解雇されないと思った理由の方をお聞かせ願いたいね」
「あきらめない心とチャレンジ精神です!」
「この場で、そんな言葉が吐けるチャレンジ精神だけは評価しよう」
「よっしゃあッ!!それってアレですよね!?契約続っ……」
「解雇」
「なんでだよぉぉぉッ!!?」
男の悲痛な叫びが事務所にこだまする。哀れ、男はこの日、数年を過ごした職場からオーナーの一言によって追放されたのだった。
雨の降る店外に蹴り出された男は曇天を仰ぎ、叫んだ。「今に見てろ!俺は諦めないぞ!」顔こそ泥と恥辱に塗れていたようとも、心は違う。彼の心は、逆境に対する奮起と、女性に尻を蹴られた事に対する興奮で燃え上がっていた。男は些かMであった。
それから数日が経った。あの日の情熱はどこへやら、男は『サンサーラ』の向かいにある酒場で飲んだくれていた。
「ちくしょうナメやがって。なんで俺が辞めなきゃいけないんだよ……靴の裏まで舐めたのによ……」
「お客さん、そんなに飲んだらお体に障りますよ」実際には客の健康など一昨日の天気ほども興味ないが、酒場の店主は建前としてそう言って、男を宥める。
「大丈夫だよ、この店の酒、薄いし」
「あ?」
「マスター、なんで俺は解雇されてしまったんですかね?」
「靴の裏を舐めるような人間だからですかね」マスターは吐き捨てるように言うと、男の前にグラスを置いた。数時間前から男には水しか提供していないが、一向に気づく気配は無い。「解雇されたことなんて引きずってないで、さっさと新しい働き口見つけたらどうでしょう?」
「そりゃあ、俺だって探してるよ。良い仕事が見つからないだけさ」
「趣味とか仕事にしてみたらどうですか?好きなことを仕事にすると、長く続くかもしれませんよ。好きこそものの上手なれって言葉もありますし」
「趣味かぁ……最近は博打を打つか、ここで飲んでるだけ……あ」
ふと、男はマスターと目が合う。そして、ある考えが頭に浮かんだ。マスターとも長い付き合いだ。こんな場末の酒場でも働いてみると案外楽しいかもしれない……そんな他愛のない考えだ。
「私は絶対雇いませんよ」
マスターは真顔だった。
「いや、俺まだ何も言ってないんだけど」
「私は絶対雇いませんよ」繰り返される拒絶。マスターの意思は固い。
「いや、もう分かったって……でも、趣味って言うのは良い観点だマスター。俺があの店で働いていたのも、好きで働いてたところあるし」
「へぇ、料理が趣味だったり?その面にしちゃ上等じゃないですか」
「いや」男は悔しそうに唇を噛む。「あのオーナー……おっぱいが大きかったんだよッ!!」
「は?」
「俺は、オーナーのおっぱいを拝む為にあの店で働いていたと言っても過言じゃない!!俺はおっぱいが好きだから!!」声高にそう宣言すると、男は勢いに任せてグラスをぐいっと傾ける。「お、今度の酒はなかなか良い濃さじゃないかマスター!!」
「……アナタを雇ったことは、彼女の人生の汚点といっても過言ではありませんね」
マスターは呆れ顔で、店外の通りに目をやった。向かいに構える大衆食堂『サンサーラ』は、この頃景気が良い。男を解雇したことで店は良い空気が入ったようだ。逆に、男が酒場に入り浸るようになってから、自分の酒場はどうも客が少ない。
この男、まさか貧乏神のたぐいじゃないだろうな。訝しんだマスターが視線をカウンターに戻すと、いつのまにか長髭の老人が男の隣に座っていることに気がついた。玄関口のベルは一度も鳴っていなかったが、いつのまに入ってきたのだろう。マスターは少し引っかかりを覚えるが、構わず老人の前にグラスを置いた。ここは魔法が存在する世界、多少の違和感をいちいち気にしていたら商売は出来ない。さて、その老人は柔らかい笑みを浮かべ、男に話しかけた。
「ほっほっほ……若い人、何やらお困りですかな?儂でよければ話聞きますぞ?」
「誰ですか?お金ならありませんけど」
男は老人をちらと横目に見ると、面倒くさそうに返す。バーで男に話しかけてくる人間など、基本的に相手の財布しか眼中にないセールスか乞食だと、男はよく知っている。大方、相談と称してカードか水晶を弄び、人の喜びそうな未来をでってあげ、”相談料”をせしめる占い師のたぐいだろう。白く長い髭と紫一色に染まったローブが、いかにも胡散臭い雰囲気を醸し出している。
「そんなお主に良いモノをやろう」
「金無ェっつってんだろ、話聞けや」
「大丈夫、すぐ終わるから。天井の染みでも数えておれ」
そう言うと、老人は皺だらけの手で男の手をぎゅっと握る。
「えッ!?ちょ、何?」
突然のスキンシップに男はぎょっと目を見開く。なんだか妙に掌が湿っている。だが、老人の魔の手から逃れることは出来なかった。無理やり引き離そうとしても、小枝のような腕のどこにそんな力が隠されているのか、老人の手は万力よろしく男の手を離さない。
「マ、マスター!ちょ、この人ヤバいですって!なんかもう全身が不審者!」
カウンター越しにマスターに訴える男。だが、マスターはグラスを拭きながら素知らぬ顔で答えた。
「お客様同士のトラブルには干渉しない主義ですので」
「そんなんだから、閑古鳥鳴いてんだよこの店はよォォォッ!!」
焦りと怒りの入り混じった男の叫びが酒場に響く。
「さぁ、若人よ。得るがいい。世界を変えるほどの──"異能"を」
老人の不気味な言葉とともに、酒場の中は白い光に包まれ──そして、約10秒後、白光は思ったより早く落ち着いた。急に発光した老人に驚いた男だったが、その後、周囲や自分の体になんら変わった様子が無いことを悟ると、神妙な顔で老人に訊ねた。
「なにこれ……なにこれ?」
「お主に授けた異能は、『掌から"Hotdog"を生み出す』能力……」
「は?ホッドッ?なに?何つった?つーか今なんで光ったの?おっさん白熱灯なの?」
「じきにお主の頭に浮かんでくるだろう……"Hotdog"が何たるかが」
「なに言ってんだおま……お゛ッ?」老人を問いただそうとする男だが、彼の身体は濁流に飲まれる寸前の人間のように、意志と無関係に動きを止めた。「頭……ッ?頭になんかクる……ッ!?」
「どうしました?頭、大丈夫ですか?」
興味なさげに訊ねるマスター。しかし、その言葉は男の耳には届いていなかった。彼の頭は、別のことで既にいっぱいだったからだ。
「……細長いパン……ひき肉の腸詰め、刻んだ酢漬け野菜……トマトスケチャップ、マスタドスソース……これは、食べ物?」
男の脳に流れ込んできたのは、ホットドッグの鮮明なイメージ。今までに見たこと無いその食べ物の姿が、匂いが、味が、男の脳を瞬く間に支配する。
「それが"Hotdog"……異世界の食べ物じゃ。ほれ、頭に浮かんだイメージを強く念じてみろ」
老獪な笑みを浮かべた老人は、異能を使うよう示す。何がなんだか分からなくなった男は、老人に言われるがまま脳いっぱいに詰め込まれた”ホッドッ”とかいう食べ物に意識を集中させる。
すると次の瞬間、男の掌の上にホットドッグが生成された。そのホットドッグは、蒸したソーセージとピクルスを挟んだバンズに、たっぷりとケチャップとマスタードのかかった、まさにホットドッグ以外の何物とも形容できない、完璧なホットドッグであった。
「うわッ!なんだコレ!?」
「食べてみろ」
老人に勧められた男は、急に現れた今までに見たこともない食べ物に最初こそ戸惑ったが、やがて覚悟を決めて、ホットドッグにかぶりついた。
パリッ──ソーセージをパンごと噛み切ると、軽快な音とともに、口の中に肉汁が広がってゆく。だが、その肉汁はすぐに塩味と甘味と辛味の洪水──大量のトマトスケチャップとマスタドス──に飲み込まれ、混じり合い、強烈な“旨味”となって口内を蹂躙する。それは、今までに食べたことがないほど刺激的な食べ物だった。
「えっ?なにこれ旨ッ!?」
男は、すぐにホットドッグまるごと一本を食べきってしまった。すると、それを横から見ていたマスターが、喉を鳴らしながら男に話しかけた。どうやら、ホットドッグから漂ういい匂いに興味を惹かれたようだ。
「それ、そんな旨いんですか?」
「うん。この店のどの食べ物より旨いわ」
「あ?」
男の言い分に顔をしかめるマスターだが、差し出されたホットドッグを一口食べると、涙を流して膝から崩れ落ちた。それは、酒場一番の人気料理「塩スープ」をはるかに凌ぐ美味しさだった……マスターの完敗である。
「さて、この能力をどう使うかはお主次第じゃ。儂はこれで失礼させてもらおう」
しばらくホットドッグにかぶりつく二人の姿を眺めていた老人は、やがてそう言うと彼らに背を向けて歩き出した。
「え、ちょっと待って!純粋になんでいきなりこんな事したの!?帰る前にそれだけ教えて!?」我に返った男がそう言うと、老人は立ち止まり、少し振り向くと、ぽつりと口を開いた。
「困っている人間に、意味不明な異能を授けて慌てふためく姿を見るのが、儂の趣味じゃから……」
「趣味悪ッ!」
Tips1:ホットドッグを生み出すのに制限は無い。
Tips2:塩スープの材料は肉と塩のみ。ストレートに不味いと地元で評判。
Tips3:何がとは言わんが女オーナーはF。