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第二話 高圧蒸気滅菌器《オートクレーブ》開発プロジェクト(前編)

   

 翌日。

 宿屋で朝食の後、ラドミラが向かった先は、徒歩数分の距離にある民家。屋根だけは赤く、他は全体的に真っ白に塗られた、こじんまりとした家だった。

「邪魔するわよ。魔法士協会から派遣されてきた、ラドミラってもんだけど……」

 そう言いながらドアを開けると、

「おお、よく来たな。さあ、入ってくれ!」

 出迎えたのは、頭の禿げ上がった中年男。だが禿頭とくとうよりも先に目を引くのは、でっぷりと太った腹だろう。見た瞬間、ラドミラの脳裏に浮かんできたのは、昨日のビールの味と『ビールっ腹』という単語だった。

 なるほど、酒場の主人の言う通り、『先生』ことアダチはビール好きらしい。軽く笑みを浮かべながら、彼に続くラドミラ。

 案内された部屋は、思ったよりも広い部屋だった。魔法士協会の小会議室と同じくらいだ。

 中央には丸テーブルがあり、数人の来客が座っている。

「あら……」

 ラドミラの口から、小さな声が漏れた。呼ばれたのは自分だけではなかった、と今さら気づいたのだ。

 服装を見た感じ、魔法士らしき者もいれば、鍛冶屋らしき者もいる。鍜治屋は少し小柄なので、ドワーフ――優秀な職人が多いといわれる種族――の血を引いているのかもしれない。

 ほとんどは見知らぬ者たちばかりだが、魔法士の中に一人、見覚えのある顔もあった。清楚な白ローブに包まれた、端正な顔立ちの女性。名前はペトラといって、ラドミラとは異なる流派――ネオ・シャドウ流――を師事する、高名な魔法士だ。ネオ・シャドウ流は、攻撃魔法ではなく補助魔法を重視する派閥であり、確かペトラの得意魔法は『鉄壁防御パーフェクト・プロテクション』だったはず……。

 ラドミラが記憶の中から情報を引っ張り出していると、目が合ったペトラが、軽く会釈してきた。どうやらペトラの方でも、ラドミラのことを覚えていたらしい。ラドミラも、小さく頭を下げる。

「さあ、これで全員そろった! ようやく、話を始められるぞ! ……ラドミラさん、あんたも座ってくれ」

 嬉しそうなアダチの声。

 ラドミラは、別に遅れて来たつもりはないのだが……。いくつかの刺すような視線――「お前のせいで我々は待たされていたのだ」と言わんばかりの――を浴びながら、空いている席に座った。


「さて。ここにいる面々は、職人ギルドや魔法士協会を通して、集まってくれたわけだが……。俺の目的は、ギルドや協会から聞かされてるよな?」

 アダチの開口一番に対して、髭面ひげづらの職人と、黒ローブの魔法士が反応する。

「ああ、聞いておるぞ。新しい器具を作ろう、という話なのだろう? おぬしの世界にあった器具を、この世界に持ち込もう、というわけだ」

「転生者の生前の知識を活かして、というお話なのでしょう? ワクワクしますわ」

 他の者たちも、言葉には出さずとも、ウンウンと頷いたり、表情で同意したりしている。ラドミラも小さく一つ、首を縦に振った。

「よし、わかってくれてるなら話が早い。それで、その『器具』なんだが……。元の世界で俺が、医療系の研究職だった時に使っていた機械。その名もオートクレーブだ」

 ここでラドミラは、酒場の主人から聞いた話を思い出す。前世のアダチは医学に関する仕事をしており、でも医者ではなかった、と。

 一方、アダチの言葉に、全く違う反応を見せる者もいた。白ローブのペトラが、眉間にしわを寄せたのだ。整った顔つきを歪めない程度に。

「オートクレー()? クレー()じゃなくて?」

 いやいや、それでは食べ物になってしまう! 『器具』だと言っているではないか!

 心の中で顔をしかめて、ツッコミを入れるラドミラ。

 ペトラの人柄までは知らなかったが、甘い物好きのスイーツ女子なのだろうか。あるいは、微妙に勘違いの多い天然系女子なのだろうか。

 そんなことを思うラドミラとは異なり、

「ああ、これは俺がすまなかった。オートクレーブって言っても、この世界の人々にはわからんよなあ。高圧蒸気滅菌器、そう言えば最初から伝わったかな?」

 アダチは笑顔を浮かべて、穏やかな対応をしていた。

 これもペトラが美人なせいであって、そうでなければアダチだってツッコミを入れていたかもしれない。そう思うラドミラだが、口では真面目な言葉を発する。

「『高圧蒸気滅菌器』ということは……。高い圧力の蒸気で滅菌、つまりバイ菌を殺すのね?」

「ああ、そうだ。理解が早くて助かる」

 ラドミラの方を向いて、嬉しそうに頷くアダチ。

「一応説明しておくと、高圧蒸気滅菌器オートクレーブという器具は……」

 彼の説明が始まった。


 患者の治療に携わる医療施設だけでなく、医学系の研究機関においても、滅菌処理は重要だ。実験中、雑菌が混入したら研究実験は成り立たないし、終了後は終了後で、用いた病原性微生物は正しく処理しておかないと、周囲を汚染することに繋がるからだ。

 通常、微生物は100度のお湯で煮沸すれば死んでしまう。しかし中には、耐久性の高い細胞構造を含む細菌もいるので、これでは『雑菌』の排除には不十分。

「乾熱滅菌といって、180度で2時間も加熱してやりゃあ、完全に殺せるんだが……。この『乾熱滅菌』は、液体とか、熱に弱い容器には使えないという欠点がある」

 アダチの話を聞いてラドミラは、調理器具のオーブンを思い浮かべた。なるほど、オーブンにスープを2時間入れっぱなしにしたら干上がってしまうだろうし、また、そもそもオーブンに突っ込んではいけない皿やコップも存在している。

「だから、そういう場合に使うのが、高圧蒸気滅菌器オートクレーブだ。100度を超える高熱でも水っ気のあるサンプルを入れられるように、乾燥状態ではなく、内部は水蒸気で満たすようにする」

 一瞬ラドミラは「おや?」と思った。水は100度で沸騰してしまうから、『オートクレーブ』の中を水蒸気で満たした段階で、もう『100度を超える高熱』ではなく、ほぼ『100度』なのではないだろうか?

 しかし、その疑問はすぐに消えた。そういえば『蒸気滅菌器』ではなく『蒸気滅菌器』なのだから……。そこにラドミラが思い至ったのと時を同じくして、ちょうどアダチの説明も、その点に触れていた。

「で、水蒸気の温度を100度オーバーにするために、圧を加えるわけだ。2気圧120度、この条件にすることで滅菌時間も短縮されて、20分で済むようになる。湿潤状態だと早く滅菌される理屈に関しては、何か化学的な説明があったはずだが、今そこは聞かないでくれ。俺は化学系ではなく、生物系だったからな。うまく説明する自信がない」

 アダチは少し、はにかむような表情を見せた。中年おやじには似合わないな、とラドミラは思う。もっと若い美人、例えばペトラあたりが同じ態度を示したら、おそらくチャーミングに見えるだろうに。

「なるほど、わかった。細かい理屈は抜きにして、とにかく温度と圧力、それを正確に制御できる加熱器具を、わしらに作らせたいわけだな?」

 腕組みしていた小柄な鍛冶屋が、確認の意味で発言する。ウンウンと頷きながら。

 それに対して、アダチも同じく頷いてみせた。

「まあ、そんなところだ。それと、中は水蒸気で満たされるので、錆びないような金属を使ってもらわないと困る。というより、化学薬品とかも滅菌するせいで、腐食しやすいってのもあるだろうから、いっそう頑丈にしてもらう必要がある」

 ここで、チラッとペトラに目を向けるアダチ。

 それを見て、ラドミラは理解した。だから『鉄壁防御パーフェクト・プロテクション』の使い手も呼ばれたのか、と。

 そもそも一般家庭で使われる鍋や釜でさえ、高級な物ならば「錆びにくいように」と魔法で処理がしてある。ましてや、今回の高圧蒸気滅菌器オートクレーブは医療系機器だ。調理器具とは違って「そろそろ駄目になってきたから買い換えよう」というわけにはいかない。それに、複雑な機構の内部部品なんて、完成してしまえば外から見えないのだから、もしも腐食したってわからないのだ。だから、よりいっそうの注意で保護魔法をかけておく必要があるのだろう。

「ちなみに、俺の世界では、高圧蒸気滅菌器オートクレーブは電気式だったが……。こっちには『電気』って概念がなくて、何でも『魔力』で動かしてるんだろ? だから加熱も水蒸気を出すのも、魔法を組み込むことで、何とかしてもらいたい」

 今度はラドミラの方を向くアダチ。

 その視線を真っ向から受け止めて、ラドミラは自信たっぷりに頷いた。

 かなり最初に『加熱』の話が出た時点では、炎魔法の出番だと思っていた。もちろんラドミラも炎魔法は得意だが、それだけならば、別に彼女ではなくてもいい。だが話に『水蒸気』が出てきたところで、気づいたのだ。これは火と水、両方とも得意な魔法士の出番だ、と。つまり、ラドミラだ。

   

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