【春が消えた日】
浮かない顔で教室に入ると、朝のホームルームは終わっていた。あの後、急いで来れば間に合ったかもしれないが、トボトボと歩いてきたために翔也は遅刻になってしまった。
翔也が席に着くと、それを見かけた少年がかけてきた。そして、翔也の机を思い切り叩いて、話を切り出す。
「翔也! 聞いてくれよ!」
「なんだよ、朝から……」
「はぁ! お前が俺に頼んだことじゃねーか!」
「なんかわかったのか?」
「お前の幼馴染、俺の姉ちゃんと同じクラスだったみたいで、噂だから確証はないんだけど、来ない理由がわかったぞ!」
「ほんとか! それで原因はなんだったんだ! 悠馬」
悠馬は、翔也の予想だにしない反応に少し困惑すると、また話し始めた。
「典型的な話だったけどよぉ、どうやらイジメにあってるみたいだったぞ?」
「イジメ?」
「なんか、あの先輩って髪の毛は色素薄くて、細くて、お人形さんみたいだろ? だから、イケイケな連中に目を付けられて、酷い時は体育倉庫付近に呼び出して、無理やり男の先輩とヤらされたとかなんとか……。あくまで噂だけどな」
その噂が本当なら、詩衣羅が親に言えないことも合点がいく。誰だって言えるわけがないのだ。大切に思う人がいるのなら打ち明けにくいことなのは間違いなかった。
「それが本当なら、詩衣羅は……」
彼女の受けた辛い思い、誰にも言えずに抱え込んで孤独に耐えていた日々。かなりの負担になっただろうと翔也は胸を痛めた。学校が終わったら、すぐにでも詩衣羅の家を訪ねて話をしよう、噂の真実を確かめて、もう大丈夫だと言ってあげよう。翔也は学校にいる間ずっと詩衣羅のことを考えながら過ごしていった。
・・・
やっと放課後になり、翔也を抑えていたなにかが一気に壊れた。教室を飛び出し、走って彼女のもとへ向かう。自分を止めさせる赤信号をこんなに恨めしく思ったことはなかった。
すると、翔也の目の前を「緊急車両が通ります! 開けてください!」と一台の救急車が走り去った。その時、なにか嫌な予感がした。
「あの救急車……」
青信号になると、翔也はまた走り去った。朝からつけているマスクも煩わしくなって外した。
早く詩衣羅に会いたかった。詩衣羅の家の付近で救急車を見かけたがその時はもう停止して、病人を運んでいる最中だった。彼女の家の近くだっただけで、もしかしたら違う家の人になにかあったんだろうと、暫く行くと、彼女の家の前ではなにやら人だかりができていた。寄ってみると、聞こえてくるのは一番聞きたくなかった会話だった。
「自殺ですって」
「まぁ……まだ若いのに……」
「奥様が第一発見者だったそうよ」
「お気の毒にねぇ……」
「助かればいいけどなぁ……」
「もうありゃあ無理だろう……肌もだいぶ白くなっていたし……」
翔也は黙ってはいられなかった。手当たり次第に詩衣羅のことを、なにがあったのかを訪ねて回った。
「詩衣羅は……なにが……」
「この近くの病院に運ばれるそうだ……知り合いなら行ってやりな」
おじさんに病院の住所を聞くと、翔也はその方向に走り出した。すると翔也の前に一台の車が止まる。見覚えのある車だった。高級車の一つで、黒く光っている。昔はいつかこんな車に乗ってみたいと目を輝かせていたのを覚えている。そう、この車は彼女の父親が乗っている車だ。
「翔也くん! 今妻から連絡があってね、病院に行くんだが、君もだろう?」
「よろしければ、乗せてください!」
「もちろんだ! 早く乗りなさい!」
翔也は車に乗り込むと急いで病院へ向かった。
詩衣羅のいる病室に入ると、彼女の母親が泣いていた。詩衣羅の父親は震えるその肩に手を置いて、詩衣羅を見つめていた。
「どう……して……」
翔也もその光景を目にして膝から崩れ落ちた。もう酸素マスクも点滴もされていなくて、心電図も動いていない。彼女の顔には一枚の白い布が被せられているだけだった。
翔也は春という季節が嫌いだった。けれど彼女が好きだと笑っていたから自分も好きになれると思っていた。その彼女が自分の嫌いな季節にいなくなってしまった。翔也がこの季節を好きになることはもうなかった。