キス治癒術士(ヒーラー)
「ん……。はぁ……」
迷宮に息継ぎと唾液の音が響く。
あれから5年。
男とキスをするのも慣れた。最初は嫌だったが、今では、男も良いなと思い始めている。
「な、何をしているんですか~! 破廉恥な~!」
突如、邪魔するように女の叫び声が鼓膜を打った。
舌を止め離れると、回復魔法が途切れた。
「邪魔をするな。小娘」
「小娘?!」
小娘と呼んでやると、成人したばかりであろう15・6歳の女は熱り立った。
「貴方……。さては、噂の『淫魔』ですね?! キスと引き換えに回復魔法を使う……。人の弱みに付け込んで! 最低です! 卑怯です!」
「ちょっと! ルイ! 初対面の人に言い過ぎ!」
ルイと言う名前らしい女のパーティーメンバーの一人が窘める。
「本当の事じゃない! ほら! 今も怒られているのに知らんぷりしてキスして!」
お前に付き合っていたら、こいつが死ぬんだよ。
「でも、嫌がってないし、合意の上なんじゃ……」
「生きる為に仕方なくって言うのは、合意の上って言わない!」
ルイはそう怒鳴ると、此方に来た。
「退いて! 私が治すから!」
「引込んで居ろ。ヘボ」
わざわざ中断して相手してやると、ルイは激高した。
「誰がヘボよ! 何も知らないくせに! 私はこの年で中級回復魔法が使えるんだから!」
ルイはそう怒鳴ると、重傷者――レンと言う名の剣士だ――を抱いている為に両手が塞がっている俺を杖で殴った。
正確に言うと、目標を逸れてレンに当たりそうになった杖に俺からぶつかって彼を守った。
「何やってんだよ、ルイ!」
彼女のパーティーメンバーが非難の声を上げる。
しかし、ルイはそれを無視してレンに微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ! 私が治してあげますから! ヒール!」
癒しの力がレンを包み、傷が癒え・血色が良くなる。……とルイは思っていただろう。
「え? 何で?」
レンの顔色は相変わらず血の気が失せたままで、ぐったりとして動かない。
「診断魔法も使えないのか! 藪が!」
俺は急いで口付け、解毒魔法を行使した。
俺の回復魔法は、一命を取り留めるまでは早いが、そこから完治まで時間がかかるのが難点だ。
「診断魔法?」
初耳なのか、ルイの困惑した声が聞こえた。
中級回復魔法が使えても、診断魔法や解毒魔法が使えないなら、一人前の治癒術士とは言えない。
「幾ら治癒術士として凄くても、やってる事が最低なら、誰も感謝も尊敬もしませんよ! 聞いているんですか!」
数日後、ギルドでランと言う名の剣士を治していると、またもや女が現れた。……何て名前だったかな?
「も~! ルイ! 止めてってば~!」
ああ。そんな名前だった。
「ん……もっとぉ」
何か言い返そうとランから口を離すと、焦点が合わない目を向けて強請って来る。
「私に任せてください!」
近付いて来たルイが、俺の顔を押し退けランにそう言った。
ランはぼんやりとルイを見詰めたが、直ぐに青い顔で口を押さえた。
「気持ち悪い……」
「もう診断魔法使えるようになりましたから! 魔力枯渇ですよね!」
魔力枯渇とは、体内の魔力量が一割未満の状態を指す。
この状態になると、目眩や息切れ・吐き気等の症状が現れる。そして、魔力の自然回復が通常より遅くなるのだ。
「チャージ!」
ルイの魔力がランに注ぎ込まれて行く。
たちまちランの魔力が一割以上に回復する。……とルイは思っているだろう。
「はぁ……はぁ……。な、何で……」
自分の魔力が一割を切るギリギリでチャージを止めたルイが、息も絶え絶えに疑問の声を上げる。
「剣士だからって、お前より魔力が少ないとは限らないんだよ」
俺はそう言うと、ランへの魔力の充填を再開した。
「私が貴方を更生させて上げます! 私のパーティーに入りなさい!」
数日後。ギルドへ行くと例の女が俺に指を突き付けた。
取り敢えず、その指を叩き落す。
この女のパーティーメンバーが見当たらないが、解散でもしたのだろうか?
「何するんですか!」
「攻撃魔法を使う動作と思われるから人を指差すなと、教わらなかったか?」
「う……」
教わった覚えがあるのだろう。女は、口籠った。
「パーティーに入れと言うが、お前レベルは幾つだ?」
問題無く挑める迷宮の階層がレベルとなる。
「Lv4です!」
女は胸を張って答えた。
確かに、冒険者になって1・2年で地下4階まで行けるのは強い方だ。恐らくパーティーレベルで、こいつ個人のレベルじゃないだろうが。
「話にならんな。足手纏いだ。Lv20の俺が、何のメリットがあって浅い階層で子守りをしなきゃならない?」
「だ、だから、貴方の更生を」
「それはお前の都合だろう? 俺にはお前と組む理由が無い」
「でも! このままなら、貴方は、報復されたり捕まったりするんじゃないですか!?」
「それでお前に何の不都合がある?」
「あ! 居た!」
そこへ、女のパーティーメンバー達が駆け着けた。
「また絡んでたの?!」
「済みません! ほら、ルイも謝って!」
「何で私が悪いって決め付けるのよ!」
「貴女最近おかしいわ! この人ばかり目の敵にして!」
「だって、女の敵じゃない!」
ルイは叫ぶ。
「うるせえぞ! テメエ等! 静かにしやがれ!」
怒声がギルドに響き渡った。
数分後。俺達はギルド長に連行され、応接室に通された。
ギルド長がソファにどっかりと座ると、ルイもソファに座った。
「誰が座って良いっつった~?!」
「ヒッ!?」
ギルド長に怒鳴られ、ルイは慌てて立ち上がると仲間の後ろに隠れた。
他所はどうだか知らないが、この街のギルド長はレベルが低い者に厳しい。
「おう。淫魔。お前は座れ」
「その呼び方、止めてくれませんかね」
俺は、座りながらそう頼む。
「わりいな。名前ド忘れしちまってよ」
「全く。俺の名前は」
「不公平です!」
ギルド長に名前を教えようとしたら、ルイが遮るように不満を口にした。
「どうして、怪我人にキスを強要するような人を優遇するんですか!」
「それがどうした? タダで治してやるようなお人好しは、そうそういねえよ。良いじゃねえか。キスだけで済むなら懐は痛まねえ」
「そう言う問題じゃありません! お金は生活する為に必要ですけど、キスなんてしなくても生きて行けるじゃないですか!」
「こいつに限っては必要なんだよ」
俺は今はソロだが、駆け出しの頃はパーティーを組んでいた。
パーティーメンバーは4人。男2人・女2人のパーティーだった。
俺達は上手くやっていた。順調だった。女の1人が俺に惚れるまでは。
ある日告白されたが、俺はそいつと付き合う気にはなれなかったから振った。ちょっと性格に難有りだったんでな。
だが、ちょっとどころでは無かった。
そいつは魔法使いだったんだが、自分を振った俺に呪いをかけた。
『キスをしないと回復魔法が発動しない』呪い。
『回復完了するまで時間がかかる』呪い。
『1日1回キスをしないと死ぬ』呪い。
それを知らされたのは、回復魔法が発動せずに仲間が1人死んだ後だった。
死んだのは女の方だったから、あいつは俺が死を回避する為に自分にキスすると思っていただろう。
しかし、俺はキスしてやらなかった。
見せ付けるように男の方とキスをした。
思い通りにならなくて激怒した奴は、俺達を殺そうとした。
逃げる俺達を追いかけて、あの女は迷宮の罠にかかって死んだ。
「そう言う訳で、俺が回復魔法を使うにはキスするしかない」
「上級回復魔法の使い手は少ねえからな。しかも、高い。高レベル冒険者でもなければ、治療を受けられねえ。それをキスだけで治してんだ。それが気に入らねえってんなら、おめえが上級回復魔法を覚えてタダで治してくれや」
「そんな話、嘘臭いです!」
「診断魔法が使えるのに、呪われているのが判らないのか? お前以外は皆、判ったぞ?」
こいつ以外は、ベテランばかりだがな。
「……呪われているのは確かみたいですけど、呪われた経緯が本当かは判らないですよね! 貴方が酷い事して呪われたんじゃないですか!」
「おめえ等も同意見か?」
ギルド長がルイのパーティーメンバーに尋ねる。
「いいえ。私は、信じます」
彼等は全員、同意見では無いと否定した。
「何でよ! こんな淫乱男を信じるなんて!」
「ギルド長に睨まれたいなら独りでやって。私達を巻き込まないでよ」
仲間が自分より権力者を選んだ事がショックだったのか、ルイはそれっきり黙り込んだ。
数日後。
迷宮地下4階にて、例の女が足に大怪我を負って倒れているのを見付けた。
こいつのパーティーは解散したとギルド長から聞いている。
無謀にもソロで此処まで来たのか。
「た、助け……」
「お前は、キスされたくないんだったな。悪いが、回復アイテムは使い切ったんだよ」
俺はそう言うと、その場を立ち去ろうとした。
「待って! キスして良いから」
「錯乱しているな。助かった後に傷付いて後悔するだろう。死んだ方がマシだったと」
俺はそう言うと、引き留める声を無視してその場を後にした。
『好き』とか言われた気もするが、俺を誰かと見間違ったか・幻覚でも見たかしたのだろう。