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短編集

少年による少女殺害の話

作者: 名草よもぎ

(1)少女・病院


少女は四角く切り取られた空を見上げていた。

毎日見ていた青い空は、今日は白く霞んだモヤによって遮られている。それはガラスの向こうでゆっくりと流れ、時も流れていることを教える。嫌でもそんな事実を突きつけられる。


「戻れない。進めない。留まることも出来ない」


少女は薄暗くヒヤリとした病室で、そんな言葉を口にしてみた。誰も助けてはくれない。いいや、助けることが出来ないんだ。お医者さんだって、家族だって、私を助けることなんてーー長生きできる術を知らない。


「なんだか悲しくなってきたよ。泣いてもいい?」


誰もノックしない扉を見つめながら、少女は寂しそうに笑った。




(7)少年


少年は四角く切り取られた空を見上げていた。

風が吹く度にカタカタと小刻みに震える窓の向こうーー学校の塀の上に真っ黒の猫がいた。ぎらついた目でこちらを睨んでいる事は、授業が始まる前から分かっている。


「だるい。失せろ」


少年は黒猫に向かってそう言ったが、勿論向こうには聞こえていない。猫はぎらついて今にも落ちそうな目玉をさらに大きく見開いて、口元を動かした。


「じゃあ、殺してよ」


少年は聴こえるはずのない猫の声を聴いた。




(3)少年と少女


少年と少女は同い年だった。同じ中学校にも通うはずだった。楽しい日々を送るはずだった。

でも現実は違った。

得体の知れない悪魔が、生まれたばかりの少女の体を蝕んでいることを知ったのは入学式の前日だった。

少女の体が周囲に比べてひ弱な事を少年は何となく感じていたが、それほど気にすることでも無かった。だからこそ、真っ白な病室で更に蒼白くなって眠っている少女を見て、もっと早くに気付くべきだったと少年は後悔の念に駆られた。


少女が目覚めたとき、少年は傍にいた。


「……」


少女は痩せこけていた。それもそうだろう、今の今まで何も食べていないからだ。点滴という栄養補給手段は何の役にも立っていないように思えた。

最早そこに、少年が知っている少女はいなかった。

これは、誰だ。

少年は狂いそうになった。

しかし、細い細い今にも折れそうな腕を少女が持ち上げたとき、少年は目の前に存在する事実を否が応でも受け入れることとなった。


すらりと伸びた指先で空に円を描いた。

少年と少女の間で『大丈夫』のサインだった。

二人だけの秘密のサイン。

出会った頃から使っている自分達の暗号。

目の前の少女は、少女だった。


「……嘘だ」


少年は唇を強く噛んだ。赤いものが滴り、白く濁った氷のようなベッドに染みを作った。

少女はそんな少年を見て眉をひそめ、もう一度空中に円を描いた。さっきのものより一回り大きな円だ。だが少年の様子は変わらなかった。


「……お前、誰だ」


低く、くぐもった声に、少女は震えた。落ち窪んだ目を大きく見開いて少年を見た。その目玉から滴が垂れた。




(0)大丈夫


その時、少女は指先をくるりと円を描くように動かした。最初、少年は何をしているのか分からなかった。

少女が苦笑いをするとき、大抵円を描く仕草をする。苦笑いをする前は決まって自分が他人に迷惑をかけたときだ。そこから推測して、次第にそのサインは『大丈夫』とか、そういう意味を含んでいると解釈した。


「二人だけの秘密。私、こういう遊び結構好きなの」


そう言って少女は少年との間でしか通じないサインをいくつも作った。しかし少年はすべてを正しく理解することはできず、ほとんどのサインは使われなくなった。正しく伝わらないので言葉を使った方が早かった。

その中でずっと使われてきた『大丈夫』のサインは、少年と少女、二人がお互いに使うようになっていった。




(2)空白の日


まるでなにもない日々。白紙の毎日。少女の目から生気が失われていった。もう、残り少ない命だということは誰に聞かなくても分かっている。

それほどまで延命治療は施されてはいなかった。それは自然死させてくれるのか、貧乏な両親だからこうなったのか定かではない。少女にとって延命治療というものは望んだものではない。


外の風が薄いガラスの窓をカタカタと鳴らす。時折、枯れ葉が飛んできて窓に当たって落ちていく。冬が一歩一歩近づいてきている。

少女は見ることをやめた。すると余計に耳が澄まされ、外界の音が響いてくる。


足音が聴こえる。お医者さんじゃない。

その足音の主は少女の病室のドアをゆっくりと開け、微かな足音を連れて少女のいるベッドの近くに座った。




(4)自殺志願


……分からないんだ。

君は、もう私の事を理解してくれなくなっちゃった?

君の中で、私は私じゃなくなった?


……それならそれでもいいや。


……でも、嫌だな。

唯一君の中で生きてこられた私は、死んじゃった。

君の中で生きられないのなら…………。


「じゃあ、殺してよ」


このまま生きていても仕方がないから。

昔から、何となく感じていたんだ。

どうして私は生きているのだろうって。


ほら、点滴を外してよ。

首を絞めてよ。

ナイフで刺してよ。

椅子で殴ってよ。


もう、二度と目覚めないように。

もう、二度と君の顔を見られないように。

私の中の君が壊れないうちに。


「早く、殺してよ」




(5)記憶・病院


今も思い出す、少女の言葉。先程その言葉を呟いた猫は、塀の向こうに消えていった。何も居なくなった窓の向こう。枯れ葉が一枚、風に舞っている。

嗚呼、その頃の病室と同じだ。


少女は言っていた。

病室の窓から外を眺めながら、独り言のように呟いたんだ。


「ここから見える細い木は、私」


少女の命が幾ばくもないことを少年は知っている。そして、少女が望んでいることも。

死をも受け入れている少女が目の前にいることを。

生に対して無欲な少女が居ることを。

全部全部、少年は知っている。


「……あの茶色い葉っぱ、もうすぐ落ちるよ」


力なく少女は言う。その言葉は聞き取り辛い。

少年は、昔少女と聞いたある話を思い出した。


病室の女の子が窓の外にある一枚の枯れ葉を見つめていて、それが散ると女の子は死んでしまうというものだ。


少女は、その女の子と今の自分を重ねているのか。

自分はもうすぐ死ぬと、言っているのか。


「……君は、変わってしまったのか」


少年は残念そうに眉を潜めたが、少女はこちら側を見向きもしなかった。


「……ほら、落ちていく」




(6)決意の殺害


「殺す。僕が殺す。この手で、あの子を」


急ごう。時間がない。

少女が死んでしまってからでは遅い。この決意は無駄になってしまう。

少年はいつの間にか急ぎ足になっていた。


少年は病室のドアの前で息を整える。

急いだからか、それとも緊張しているのか、心臓がバクバクと音を立てていてうるさい。

平然を装わなければ変に思われて、計画は失敗に終わってしまう。慎重に。慎重に。


少女は目を閉じていた。眠っているように見えた。微かな吐息が確認できたので、まだ生きているということが分かった。


少年は、少女が入院してからずっと思っていたことがある。『この少女は自分の知っている少女ではない』と。

今までのーー自分の知っている少女は、もっと明るく振る舞い生きる希望を持って進んでいた。

それなのに、今目の前にいる少女は死しか見ていないのだ。


「……お前、誰だ。僕の知ってる君はそんな風に暗い顔をしていない。いつも微笑みかけてくれた。今の君のように死ぬことを望んでいなかった。むしろ、生きたいと願っていたのに!」


少年は押さえきれない衝動と共に、少女の首へと手を伸ばした。

少女は目を見開いた。

最後の葉っぱが落ちた。

何の音も聞こえなくなった。




(8)殺害報告書


放課後の学校。教室の自分の席で少年は一人過去を振り返っていた。

少女殺害。これは成功に終わった。病院で見た、あの少女はもう二度と現れないだろう。この世に存在しなくなった。


「さよなら」


少年は過去に呟きかけた。もう、これきりだと思ったのに何度も思い出してしまう。

何故だろう。


「……待ってたの?」


後ろから声をかけられた。振り替えると君がいた。

僕と同じ学校の制服を着た君。

今でも、夢を見ているみたいだ。


「ありがとう。じゃあ、帰ろっか」


少女は鞄を肩に掛けて微笑んだ。病室にいた頃の少女じゃあなくなった。

あの、死しか見ていない少女はもうここにはいない。僕が殺したから。代わりに、生きる希望を見つけた少女が生まれた。入院する前の明るい少女がそこにいる。


少年は少女に笑かけ、手を取り合った。




(9)回想・学校


何もなかった病院にいた私に、あのとき響いた確かな声。彼の力強い声。冷たくなった私の心を打ち砕いてくれた、彼の温かな告白(キス)。今もはっきりと覚えている。

彼は陰気で弱くなっていた私を殺してくれた。それまでの私を愛していたと伝えてくれた。


だから、生きてほしい、と。


生きてほしいと言ってくれた。


その瞬間、私は光を見たような気がした。

生きる希望を見つけられた。


あの日の少年は、真剣な眼差しで私を見つめて約束してくれた。

『これからは、何があっても支える。だから安心して。僕を頼って』


私は涙を流してしまった。嬉し涙だったのだろうか。今でも涙が出てしまうのは、きっと私は涙もろいんだ。

「ありがとう。本当に…………大好き」


握られた手を握り返した。


『大丈夫』

少年は空に指で円を描いた。

とても大きくて、綺麗な円だった。

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