第一章『誘拐-5』
とりあえず、僕はぴーちゃんもとい薔薇の髪飾りを装備して、トイレを出た。よくわからないが、他人のアイデアを採用しなければいいということだろう。つまり友久が言っていたトイレに落書きという策も使えない、と。せっかくのチャンスだったのに惜しいことだ。
「……お? 終わったのか。ずいぶんと長かったな」
もうだいぶ落ち着いたらしく、友久は席で呑気にカルピスソーダをちびちびと飲んでいた。この調子なら、うまく受け入れてくれそうだ。
「ごめんよ、ちょいとしぶといブツがあってね。踏ん張っていた」
「しげっち、もう少し品のある言葉遣いをした方が……ってなんだその頭についてるやつは」
「ん? まあちょっとした飾りだよ。似合っているかい?」
「お、おう、そうだな、似合ってるよ」
何かそこはかとなく桃色な空気が流れているような気がするが、気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
『……しげる様、一つ言い忘れておりました。唐薙友久に与えた力に制限を与えてください。追加のプログラムを施せば可能なはずです』
「……条件?」
「ん、どうしたしげっち」
「あ、いや、何でもないよ、ちょっとね」
訝しげに眉をしかめる友久から逃れるように、僕は再び席に着いてあんみつの残りをつつき始めた。そういえば、さっきも契約が云々言っていたな。
『はい。私の能力を行使して準契約者を作る場合、その力に倫理的な制限を加える必要があります。追加プログラムを設定し、再び摂取させてください』
どうにも契約だの決まりだのは僕の主義に合わないのだが、ここはぴーちゃんに従っておいた方がよさそうだ。体の中から何かされてはたまったものじゃない。一度経験したのだから二度も三度も同じことだ。
僕は再構成したプログラムをナノマシンに搭載し、唾液に含ませた。後はもう一度友久の口に……。
「どうしたしげっち。俺の顔に何かついているのか?」
「……い、いいいいや何でもない! あー喉が渇いたなあ。それをもらうぞ!」
僕は素早く友久からカルピスソーダを奪い、ストローを通して唾液を注入させた。別に唾液を摂取させるのにキスをする必要はない。これは決してびびったからではないぞ。断じて違う。
『誰に言い訳をしているのでしょうか。まあいいでしょう。正義のために力を行使せよ、ですか。あなたらしい契約内容です。彼もまた、いい実験材料となりそうですね』
まあ友久に何かしたら、例えぴーちゃんと言えど容赦はしないけどね。
友久は不審な顔をしながらも、カルピスソーダの残りを飲み乾した。これでおそらく契約違反とやらは解消できただろう。
「……ところで、例の話はどうするんだ。とりあえず、しげっちが苦手そうな悪い事って方から考えてみるか?」
「ああ、そのことなら、僕に一つアイデアがある」
「あれ、カツアゲ以外にもましなやつがあったのか」
「うん、まあ……」
こう見えて、僕は普段から友久や妹に対して数々のイタズラや嫌がらせを行っているという、サディスティックな面がある。ゆえにこの手のことに関しては、ちょっとした専門家と言ってもいいくらいであり、特に友久が嫌がることならいくらでも思い付く自信がある。
「言ってみろよ。何でもいいから、とりあえず片っ端から試してみようぜ」
「うん、わかった。じゃあ早速だけど、友久のバイクを見せてくれないかな?」
にっこりと、それこそ後光が差すくらいに柔らかな笑顔を浮かべる僕を見て、友久の表情が凍りついた。
「……あー、一応確認しておくけれど、俺のバイクを見て何をするつもりなんだ?」
「え? 何って……ちょっと触らせて貰いたいなー、なんて」
僕はここで舌の先を突きだして、かわいらしく微笑んでみたが、友久は一層顔を険しくするだけで、僕が思っていたような効果は得られなかった。どうやらこの数分の間に、友久の性癖は著しく変化してしまったようだ(棒読み)。
「本当に触れるだけか? 坂道の上から転がして壁に激突させたり、タイヤに釘を刺してパンクさせたり、マフラーに石ころつめたり、サイドミラーを逆向きに取り付けたりは絶対にしないってことだな?」
「何を言っているんだ、友久。僕が君の命より大切なバイクに、そんなひどいことをするはずがないだろう?」
まったく、極めて心外だ。僕が同じ手を二度も使うなんて真似、するはずがない。時代は常に進歩しているのだ。まあ今回は、そのさらに先を行く異星人の力を借りるつもりなのだけれど。
僕の発した誠心誠意の言葉を聞いても、友久はまだどこか疑っている様子だったが、午前零時まで後八時間くらいしかないことを主張して泣きつくと、不承不承ながらも了承してくれた。やはりいざという時には泣き落としが一番である。女に生まれたからには、最大の武器は生かさなくては。
僕は渋い顔をする友久を引き連れて、ランチプレートとあんみつの代金を支払うためにレジへと向かった。