世界を愛する会
「世界を愛する会」を立ち上げた。会員は僕一人だけ。規約も制度も特になし。世界全部が活動拠点で、活動内容はただ一つ。“世界を愛する”為に努力をする事。それだけ。
これを読んで僕の事を、幸せな奴なんだろうな、なんて思っている人は、きっと勘違いをしている。世界を愛する為に努力をするという事は、今は世界を愛せていないという事になるからだ。僕は世界を愛せないから、なんとか愛する為に、そんな会を立ち上げたのだ。
では、なぜ、愛せないのか?
原因と疑わしき事柄はたくさんある。
今行われている国の経済政策の先行きも不安だし、自分の仕事に将来性をそれほど見出せない事もある。それに、最近になって家族に不運な事が起きてしまって、場合によっては僕にも負担がかかりそうな気配があるということも怪しい。
ただ、僕が世界を愛せない原因は、そういった諸々の表象の事情ではないようにも僕は感じていた。
きっと。
そういう諸々の事情は、型に過ぎないのだろう。僕のこの“世界を愛せない”というもやもやとした想いは、そういった型に流れ込み、それなりに説得力があるような形を僕に与える事はする。でも、その型が消えたところで、このもやもやは消えはしない。別の型を探し求めて、そしてそこで別の形を取るだけなのだろう。
じゃあ、このもやもやの原因は何なのか?
それは或いは、生活改善を怠けている事によって起こった僕の自律神経の不調に原因があるのかもしれない。規則正しい生活と、適度な食事と運動、それと充分な睡眠時間さえ確保できれば、それで解決してしまうものなのかもしれない。
だけど、それを実践するにしても、効果が出るのは今直ぐにじゃないだろう。そしてこの問題は当に今ここで起きているのだ。だから僕としては、なんとかしてこの問題を今直ぐにでも解決したかったのだった。
うねり上がるように伸びる木々。命を持つ粘性のある液体が、空を目指してそこでそのまま固まってしまったかのように思える。
蝉の声。
濃い緑は、僕に黒を連想させ、そのおぞましさは僕を少し癒してくれているようでもあった。
木々の冠にある薄い緑は光を浴びて、まるで世界の全てに祝福されているように思えるけど、その緑達がその場にいられるのは、濃い緑の影が彼らを支えているお蔭なんだ。その世界の成り立ちが、僕には心地良かった。
お前らは綺麗なんかじゃないと、僕に教えてくれているようで……。
こういうのは、あれだ。つまりは、ルサンチマンとかいうやつなのかもしれない。
まぁ、いいか。
どうでも。
休日。
「世界を愛する会」への入会希望者が現れた。これはどう考えてもおかしかった。そもそも僕は「世界を愛する会」を立ち上げた事を何処にも公開していない。いや、それどころか、誰にも告げていないのだ。しかも、その入会希望者は人間ではなかった。ラッコだった。
少なくとも、本人が言うのを信じればラッコだ。
ラッコ。
突然にラッコは僕の家を訪れ、そして入会を希望する旨を僕に告げたのだった。
僕は彼が訪ねて来た時、彼をラッコではなくてカワウソだろうと考えた。いや、だって、ラッコは海生哺乳類でここは陸地な訳だし、そもそも日本にラッコはいないだろうし。
「いやいや、何を言っているんですか? お兄さん」
ところがラッコは、僕の言葉を聞くなり、そう呆れた声を上げるのだった。
「ニホンカワウソは、とうの昔に滅びているじゃありませんか。それに、日本にラッコは生息していますよ」
そう言うとラッコはノートパソコンを取り出して検索をかけ、僕にラッコの生息域を示して来た。確かにラッコは日本にも生息しているようだった。北海道の北の方だ。僕はそれを見せられて何も返せなかった。
本当に便利な世の中になったものだ。情報社会万歳だ。
「でもそれは北海道の話じゃないか。ここは本州な上に、内陸だよ。どうであるにせよ、ラッコはいない」
すると、ラッコは首を横に振ると、また同じセリフを言った。
「いやいや、何を言っているんですか? お兄さん」
口調までまるで同じで、いかにも呆れたといった感じだった。
「どうであるにせよ、アタシがここに存在しているという事実には変わりがないじゃありませんか。現実を認めましょうよ」
確かにそれはラッコの言う通りだった。彼はそこにそのように存在し、そして自らラッコと名乗るからにはラッコなのだろう。いや、例え違っていたとしても、それを否定する事は僕にとって何の意味もなかった。
「まぁ、いいよ。君がラッコということで」
だから僕はそう言ったのだ。それを聞くとラッコは嬉しそうに頷いた。
「ラッコですとも」
と、そしてそう言う。それからラッコは続けた。
「ところで、“世界を愛する会”への入会を認めてもらえるのでしょうか? アタシとしては、是非とも入会したいのですが」
僕はそれを受けて少し困った。
「いや、入会と言っても、何をどうしたもんなのか」
僕の反応にラッコは首を傾げると、こう問いかけて来た。
「もしかして、何かしら入会手続きが必要なのでしょうか? 思いっきり煩雑な類のやつが。いえ、それとも入会金がいるとか」
僕はそのラッコの言葉にまた困った。頭を数度掻くと、こう返す。
「いやいや、そんなもんは必要ないよ。そもそもこの会は規約も何もないのだし、だから入会金だって必要ない。活動内容は、“世界を愛する為に努力する”だけだし」
その僕の回答に、ラッコはホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ。それなら、何の問題もないじゃありませんか…… 不安にさせないでくださいよ」
僕はそのラッコの様子に、入会を認めないとも言えず、“まぁ、仕方ないか”と思って、結局、入会を許してしまった。ラッコはとてもご機嫌な様子で、それだけで“世界を愛する会”の活動内容を満たしているように思えた。
「ところで、会の活動ですが、これから何をするのでしょう?」
ラッコはそれからそう尋ねて来た。活動内容なんて、具体的には何も決めていない。だから僕は誤魔化すつもりでこう言った。
「その前に、聞いておきたい。どうして君はこの会の事を知っているのだろう? 僕にはそれがとても不思議なのだけど」
するとラッコは、目を不思議そうにパチクリとさせ、淡々とこう述べた。
「お兄さん。そんなのは簡単ですよ。この高度情報化時代を舐めないでください。インターネットで調べたに決まっているじゃないですか」
僕はそれを聞いて少しばかり驚いた。いかに高度情報化時代とはいえ、個人的に勝手に心の中で作っただけの会が、世間の知るところになるとは……。いやはや情報社会とは恐ろしいものだ。
そして、それを聞いて僕は不安になったのだった。
ラッコがインターネットで調べてここに来たという事は、他にも同じ様に会の事を知って入会しようとやって来る何かがいるかもしれない。そうなると、少しばっかり厄介な事になるかもしれない。
その日は、「まだ、入会したばかりだから」と言って僕はラッコを追い返した。時間稼ぎがしたかったのだ。次にラッコが訪ねて来るまでの間で、何か具体的な活動内容を考えておかなくちゃいけない。
僕はラッコを追い返してから、自室に戻って、「どうしたもんかな?」と、ぼんやり考えながら、ベランダを眺めていた。するとハエが三匹ほど柵にとまったのが見えた。
しかも、かなり巨大なハエだ。だけど、不思議な事に少しもグロテクスには感じられない。むしろ、可愛い。そしてそのハエ達は、しきりに僕の部屋の中を気にしているようだった。
僕は予感を覚え、ガラス戸を開けるとそのハエ達に向けてこう訊いた。
「えっと… もしかしたら、僕に何か用かな?」
三匹のハエ達は、それを聞くと一斉に頷いた。そして、こう言う。
「ハエ。実はあなたの“世界を愛する会”に入会させていただきたいのです」
やっぱりだ。
因みに、“ハエ”の部分だけ、三匹が同時に言って、後は一匹だけが言った。
断る理由もないので、僕はそれを認めてしまった。もちろん、ハエ達がとても可愛いらしいという事もあったのだけど。
ただ。
これで、いよいよ本当に具体的な活動内容を考えないといけなくなった。彼らを誤魔化せるようには思えない。
“心の内だけとはいえ、軽々しくこんな会を立ち上げるもんじゃないな”
僕はそう反省した。
今のところの会員は、僕とラッコとハエ三匹。
まだ増えたらどうしよう?
僕はちょっとばかり不安になった。
結局、僕は“世界を愛する会”の具体的な活動として、カラオケに行く事した。
いや、どう考えても良い案が浮かばなかったから“取り敢えず遊んでしまえ”とそう思ったんだ。カラオケには、ここ最近行っていないし。実はカラオケは大好きなんだ。楽しめれば、それが“世界を愛する”努力に通じそうな気もする。
「お兄さん。皆で歌うことが“世界を愛する会”の活動になるのでしょうか?」
僕がカラオケに行くと言うと、ラッコがそう尋ねて来た。確かに、これじゃ“カラオケ同好会”か何かだろう。ただ、僕は困る事なくその問いに即座に答えられた。ラッコがなんとなくそんな反応をしそうな気はしていたから、予め言い訳を用意しておいたんだ。
「なるかどうかは分からないよ。まずは色々と試してみようと思っているんだ。この会はまだ始まったばかりだし、活動内容は皆で決めていけばいいと思ってさ」
ラッコはそれにあまり納得していないようだったが、それでも渋々カラオケに行く事に賛成してくれた。三匹のハエ達は不思議そうな顔をして、何も言わずに飛び回っていた。きっと状況をよく分かっていないのだろう。そもそもハエに何か歌えるのか分からないし。
カラオケ屋に行く。ラッコとハエを果たして人数としてカウントするべきかどうか悩んだけど、店員が自然と対応をしたので、僕は彼らを含めた人数を店員に告げた。「一人」と言って、狭い部屋に通されても困るし。
カラオケに行く事を渋っていたくせに、ラッコは嬉しそうに歌を歌っていた。しかも、ちょっとマニアックで聞いた事がないような妙な曲ばかりをチョイスしている。
「…ンド人に、なーりーたくーてぇ」
……どこで、知ったんだ、一体?
僕はロックとかアップテンポな曲を中心に入れていった。ハエ達がやっぱり何も歌わなかったので、できる限り聴いているだけでも楽しめそうな曲を選んだんだ。それで彼らが楽しめるか不安だったけど、ハエ達は僕の予想に反してとても楽しそうにしていた。曲に合わせて彼らは踊りを踊ったりなんかして、ニコニコしていたのだ。そしてそうして、あっという間に二時間が過ぎてしまった。
なんだかんだでカラオケに行ったのは正解のように思えた。それなりに楽しめたような気がする。でも僕にとって思わぬアクシデントが一つだけ。
「○○千円になります」
なんと、カラオケ代は全て僕がもつ事になってしまったのだ。ハエ達はまだ仕方ないにしても、ラッコくらいはお金を持っているだろうと思っていたのだが、訊いてみたら「お兄さん。ラッコがお金を持っているはずがないでしょう? 貝ならいくらかありますが」と、そう言われてしまった。
僕は泣く泣く予定外の出費を強いられてしまったのだ。
心底、彼らを人数としてカウントした事を僕は後悔した。これじゃ、とてもじゃないが、世界を愛せそうにない。
しかし、そんな僕に反して、彼ら… 特にハエ達は大変にご機嫌で、会の成功を喜び合っていたのだった。
数日後、異変が起こった。
ハエ達が、新たな仲間を連れて僕の許にやって来たのだ。しかも、その仲間はハダカデバネズミだった。
ハダカデバネズミは、地中に棲む真社会性の哺乳類で、だから通常は群れで生活をしている。ところが、ハエ達が連れて来たのは、たった一匹のハダカデバネズミだった。どうやって地中で生活するハダカデバネズミと空中を飛び回るハエ達が知り合ったのかも気になったけど、僕にはその事の方が気になった。
「実はやつがれは、はぐれちまったんですよ。つまりは、ハグレ・ハダカデバネズミという訳です。長いので、“ハグレ”とお呼びください」
それで僕がその訳を尋ねてみると、ハグレ・ハダカデバネズミの“ハグレ”は、そう答えて来たのだった。
「ハグレ?」
はぐれメタ○スライ○みたいなもんだろうか?
「はい。ハグレになっている所為で、すっかり世界を愛せなくなっております。そこで、折り入ってお願いがあるのですが、どうかやつがれも“世界を愛する会”に入れていただきたいのです」
来た。いや、ハエ達が連れて来た時点で、そう来るとは思っていたのだけど。これでメンバーは四人目だ。いや、“人”ではないか。とにかく、増えてしまった。
「ボクらからもお願いします。彼も一緒に踊ったりしたいのです」
ハエ達もそう僕にお願いして来た。目を潤ませている。健気な表情。断れるはずもなかった。
「分かったよ。つまりは、またカラオケに行きたいという事だよね?」
僕がそう尋ねると、ハエ達は「ハエ」と声を揃えてそう答えた。
「実はやつがれが無理を言いまして。ハエさん達の話を聞いていて、是非とも行ってみたいと。もし、ご迷惑でしたら、遠慮なく言ってください」
ハグレがそう言った。ラッコと違って、非常に謙虚な性格をしているようだ。姿形はあれだけど……。
正直、カラオケに行く出費は痛い。だって彼らがお金なんか持っているはずもないのだから。でも、僕には彼らの“お願いオーラ”を跳ね除けることはできなかった……。
「まぁ、いいよ。行こうか」
それで、そう応えてしまう。
そうして僕らはまた“世界を愛する会”の活動として、カラオケに行ったのだった。なんとかハエ達を子共だという事にしてもらえて料金は少しは安く済んだのだけど、それでもその出費は痛かった。それほど稼いでいる訳でもないもので。
因みに、何故かハグレはアニソンを中心に歌っていた。どうして、ハダカデバネズミがアニソンを知っているのかとか、そういうのは気にしない事にした。
「聞きましたよ。酷いじゃないですか。アタシを除け者にして、皆でカラオケに行くだなんて」
その次の休日に、ラッコが訪ねて来て僕にそう文句を言った。実を言うのなら、ハエ達とカラオケに行く事になって、ラッコも誘おうかと思いもしたのだけど、どうせ僕が奢る事になるから、出費を低く抑える為に忘れた振りをしたのだ。
「まぁ、いいです。過ぎた事は、振り替えられない事にしましょう。実は今日は入会希望者を連れて来ていまして……」
そうラッコが言い終えるなり、家の影からペンギンらしきものが二匹顔を出した。
「ペンギン?」
僕がそう呟くと、ラッコは大きく頷いた。
「ええ。ペンギンですとも」
しかし、そのペンギン達は僕が知るペンギンの姿とは微妙に違っていた。それで僕は部屋に戻るとパソコンで検索をかけてみたのだ。もしかしたら、珍しい種類のペンギンなのかもと思ったのだ。
すると。
「オオウミガラス?」
そんな名前が飛び込んで来た。写真はない。ただ、絵が描かれてあって、それは目の前にいるペンギン達にそっくりだった。僕の言葉を聞いて、ラッコは大きく頷いた。
「はいな。オオウミガラスとも呼ばれていますね」
僕はそれを受けて、もう少しその“オオウミガラス”についての記事を読んでみた。なんと、既に絶滅した事になっている。生息域は北半球。ペンギンは南半球に棲むから、これはペンギンじゃない。僕がそう言うとペンギン… というか、オオウミガラスの一匹がこう返した。
「いえいえ、本来はオレらが“ペンギン”なんですよ。オリジナルはこっち。南半球の連中は、オレらに似ているから、ペンギンって呼ばれるようになっただけで」
それを聞き流すと、僕はラッコに向かって「なんで、絶滅したはずのオオウミガラスがここにいるんだよ?」と、そう訊いた。
ラッコはしれっとこう返す。
「まぁ、絶滅してなかったから、でしょうね」
「だって前に、ニホンカワウソは絶滅したって」
「ニホンカワウソは絶滅したでしょうよ。いないのだから。お兄さん、オオウミガラスが絶滅してなかったら、ニホンカワウソが絶滅していないなんて理屈はありませんよ」
確かにそれはその通りだった。ただ、それでも僕は納得がいかなかったのだけど。それからラッコが言った。
「取り敢えず、カラオケに行きましょうか」
どうも、カラオケに行く事は決定事項であるらしかった。初めはカラオケに行く事を渋っていたくせにラッコはノリノリだ。
それからどうにも断り切れず、またまたカラオケに行く事になってしまった。ラッコもオオウミガラス達も大いに歌を歌ったけど、カラオケ代を出してはくれなかった。
終わった後で、流石に、そろそろ対策を執らなくちゃいけないかもしれないと僕はそう思い始めていた。この調子で、カラオケに行き続けたら、僕は破産する。しかも、会のメンバーはどんどん増えるようだし。
今のところの会員は、僕とラッコとハエ三匹とハダカデバネズミとオオウミガラスが二匹。合計八名。
そろそろ大所帯になって来た。それに多分、まだ増えるような気もする。
なんて思っていたら、平日の夜中、仕事から帰ると家に入会希望者がやって来ていた。ハダカデバネズミが連れて来たらしい。
……これは、あれだ。会員が入会者を連れて来て、ネズミ算的に入会希望者が増えていくってパターンのやつじゃないだろうか? 正のフィードバックで、瞬く間に増えていく…。
もし、その流れに突入していたら危険だ。どうにかして防がないと。
「ミミズトカゲさん達です」
因みに、ハダカデバネズミが連れて来た入会希望者はミミズトカゲだった。しかも、十匹ほど。マイナーな動物だから知らない人も多いだろうけど、爬虫類で、ヘビではない。独立した分類に属している。ヘビは蛇行するけど、こいつは本当にミミズのように体の伸ばしたり縮めたりして進むのだ。
「どうか、入会を許していただきたい」
ミミズトカゲ達は、器用にも身体で文字を作って、僕にそう訴えて来た。それほど多くない個体数で、流れるように文字を表現するのはかなりの技術だ。それに感心したからって訳でもないのだけど、僕は彼らの入会を認めてしまった。拒否するだけの良い理由が思い浮かばなかったのだ。
「それでは、また次の休日にカラオケに行きましょう」
僕が認めると、ハダカデバネズミはそう言った。僕は青い顔になる。しかし、まぁ、流石にミミズトカゲをカラオケの人数に加える事はないだろう。昼間の安い時間帯を狙っていけば、それほどの出費にはならないはずだ。
と、思っていたのだけど。
「やぁ、聞きましたよ。また、カラオケに行くそうじゃないですか」
休日になるとラッコ達が勢ぞろいしていたのだった。ハエ達も含めて、“世界を愛する会”のメンバーが全員いたのだ。
「皆さん、一緒の方が良いかと思いまして、呼んでおきました」
ハダカデバネズミがそう言った。
“余計な事をしてくれる”
と思ったけど、もちろん、文句は言えない。しかも最悪な事に、ラッコは更にメンバーを増やしていたのだ。
「ペンギンです」
と、ラッコは言った。そこには、ペンギンが三匹ほどいた。
「オオウミガラスさん達を連れて来た時に、やや不服そうだったので、今度は本当のペンギンを連れて来ましたよ」
ラッコはそう説明する。
“更に余計な事をしてくれた”
僕は苦悩した。そこにオオウミガラス達が言葉を重ねてきた。
「チョット。“本当のペンギン”ってのは、聞き捨てならないですね。ペンギンは元はオレらの事だったんですよ。オレらがオリジナルなんだから、そいつらの事は、“南極ペンギン”とでも呼ぶべきですよ」
どうでも良いとも思ったけど、うざかったのでその通りにした。南極ペンギン達はその件について別にどうとも思っていないらしく、平気な顔をして黙っている。因みに、南極ペンギン達の入会は、僕に許可を取るまでもなく、既に決まっているらしかった。
これで会員は、僕とラッコとハエ三匹とハダカデバネズミとオオウミガラスが二匹とミミズトカゲが十匹と南極ペンギンが三匹。訳が分からない混沌とした集団が出来上がってしまっている。百鬼夜行を名乗りたいくらいだ。
「とにかく、カラオケに行きましょう」
と、それから嬉しそうにラッコが言う。
「ハエ」
と、それにハエ達がそう応える。そうして“世界を愛する会”の謎の集団は、当に歩き出そうとしていたのだけど、そこで僕はストップをかけた。
「まぁ、待ってよ」
僕の言葉で皆は止まる。一斉に振り返る。僕に視線が集中する。その状況に、僕は軽く緊張をした。
一体、どうしてこんな事になったのだろう?
考えてみれば、僕はこういったしがらみこそを最も疎んじていたんだ。なのに、それなのに、その僕がこんな目に遭うだなんて。
「金がないんだよ」
そう言いたかったけど、僕には言えなかった。彼らにその責任を追及しているようでもあったから。
この気の小ささも、世界を愛せないでいる理由の一つなのかもしれない。いや、“世界を愛せない”とかなんとか、かっこつけて言ってはいるけど、本当を言えば、それはつまりは単に僕がつまらない人間だって事を示しているに過ぎないのかもしれない。
「カラオケの店も、これだけの大人数で行ったら流石に迷惑だと思うんだ」
なんとか僕がそう言い訳をすると、ラッコが応えた。
「大部屋くらいあるでしょう」
僕はそれを聞いて、こう思う。
……ラッコよ。どうして、お前はカラオケ店についてそんなに詳しいんだ?
「でも、予約も何もしていないしさ。ほら、これだけ大人数になるなて、聞いていなかったから」
ラッコは僕の訴えを聞いて、顔をしかめた。そこで僕の困っていそうな様子を察してか、ハダカデバネズミが口を開く。
「なるほど。確かに、それはその通りかもしれませんね。別に会の活動はカラオケだけと決まった訳でもありませんし、他の何かをやりましょうよ」
“……ハダカデバネズミ。お前は、本当に良い奴だ”
僕はそれを聞いて思わず涙を流しそうになった。彼は僕を助けてくれている。
「しかし、それでは何をやりましょうか?」
その後でラッコがそう問題を提起した。ハエ達は残念そうに地面に降り、ミミズトカゲ達は地の奥に潜ってしまった。その他の連中は困ったように僕を見ている。
なんとかしなければ。
そう思う。
そこで、僕はその状況から抜け出す為に、思わずこんな事を言ってしまったのだった。
「そうだ。別にカラオケ店に行かなくても、歌くらい歌えるじゃないか。CDラジカセを持って来るから、その辺りの空き地で歌ったり踊ったりすれば良い」
正直、反対意見が出ると思っていた。人間の仲間内でこんな事を言ったら、絶対に猛反対されるだろう。しかしこいつらは、人間ではなかったのだった。動物なのだ。いや、日本語の“動物”には、人間も含まれてるから、“アニマル”と言い直すべきか。
とにかくだ。彼らに人間社会の常識は通用しないのだ。
「いいですね。やりましょう!」
ラッコがそう言った。ハダカデバネズミも同意する。
「なるほど。良いアイデアです。やつがれも賛成です」
ハエ達は嬉しそうに辺りを飛び回り、ミミズトカゲ達は地面の上を大喜びで這って「YEAH!」という文字を作っていた。皆、浮かれている。
そんな中、僕だけが一人焦っていた。そんな恥ずかしい事なんてしたくなかったから。でも、もう逃げられそうにもなかった。
そしてそれから“世界を愛する会”の一団は、空き地で歌って踊り始めたのだ。
“こんな会なんて立ち上げるんじゃなかった”
心底後悔しながらも、僕は歌って踊った。これはつまらない人間である僕に与えられた罰であるのかもしれない。世界なんて、愛せなくてもそれで充分だったはずだ。それなのに、無理矢理に愛そうとするから、こんなとても嫌いな“しがらみ”に縛られて、恥ずかしい思いをしながら歌って踊る事になる。
しかし、踊り続ける内に、僕の中で何かが変わり始めた。少しずつ、恥ずかしさを感じなくなっていって、憂いが晴れていく。
なんだろう?
よく分からなかったけど、何かが正しい方向に転がり始めたような気がした。或いは、それは気の所為だったのかもしれない。でも、それでも、少なくとも歌って踊っている間はその気分は本当だった。
“世界を愛する会!”
僕は声を出さずにそう叫んだ。
それから、休日になる度に、いや、時には平日にだって僕らは集まって歌い踊った。会員もどんどんと増えていき、“むぐらもち”や“スベスベマンジュウガニ”や“ニホンカモシカ”や“キノボリカンガルー”や“ワオキツネザル”なんかが新たに参加して来た。まだまだいるけど、もう書き切れない。場所も空き地だけじゃなく、街中の広場やダンスホールなどでもやるようになった。
その頃になると、マスコミやネット上でも僕らは話題になるようになっていた。ある日、一体、何をしているのかとインタビュアに尋ねられて、僕はこう返した。
「“世界を愛している”んですよ。何しろ、これは“世界を愛する会”ですからね!」
インタビュアは不思議そうな顔をしていたけど、それに構わず僕の答えに合わせて“世界を愛する会”のメンバー達は一斉に「YEAH!」と大声を上げた。
「世界を愛する会!」
「世界を愛する会!」
僕らはそう叫んでいた。
どうだろう? 君もできれば参加してみないか? この“世界を愛する会”に。多分、恥も憂いも全て晴れ去って、世界が存在する事すらどうでも良くなって、愛するとか愛せないとか、つまらない人間だとかそうじゃないとか、生きる意味とか死ぬ意味とか、きっと何もかもがどうでも良くなって、ただ歌って踊るだけの存在になれるから。
「世界を愛する会!」
「世界を愛する会!」
会の存在意義?
どうでも良いんだよ、そんな事は。本当に。本当にね。