第二話 『ぐちゃぐちゃ』
「なんか……さっきは悪かった」
「は?」
昼休み。
食堂。
カレーライス(大盛り)を注文。
目の前にはカレーうどん(大盛り)。
食堂のおばちゃんが間違えたのだ。
まあ、値段もいっしょだし、量もさほど変わらないので、何も言わずそのまま食べることにした。
ちなみに、俺の前の席に座っている語部さんはカツ丼(デストロイハザード盛り)。
デストロイハザード盛りが何かは想像に任せるとして。
女子にしては破格の量だった。
「さっきは言い過ぎた。済まなかったと思っている、と言っているんだ」
「さっき?」
「覚えてないのか!?」
ちまちまと小さいスプーンで、デストロイハザード盛りを食べる語部。
果たして、そんなスピードで昼休み終了前に食べ終わるのだろうか。
「さっき話しただろう? 君が完成された人間だとか、その……間違っているとか」
「ああ、そんな話ししたな、昨日」
「今日だよ!」
ありゃ?
「スマン、忘れっぽいんだよ、俺」
「そんなレベルじゃないだろ……」
語部は、二時間前の話だぞ……。と、ため息を吐いた。
忘れたものは仕方ないだろーよ。
「まあ、気にしてないなら、それで良いんだ。私の自己満足のためだけに、君に許しを請おうとも思わないしな」
「まあ気にはしてるけど……」
「ご、ごめん!」
「いやいや、別に謝られるようなことじゃねえよ。それに、そういったアレコレはもう終わったことだしな」
「終わったこと?」
「うん、終わったこと。二年くらい前かね? まあ色々あって、それまで俺が生きてきた価値観みたいなものが、全部アタカタもなくブッ壊れちまったのさ。潰れて擦れて擦り切れて、何にもなくなっちまった」
「そっか……悪かったな、変なこと言って。なんだか急に変な気分になってさ、言わなくちゃいけないような、正さなきゃいけないような、そんな衝動に駆られたんだ」
「それに至っては、気にすることねえよ。俺の近くにある程度長くいた人たちは、みんな同じこと言ってたしな」
両親には、病気だと。
小、中学校の担任には、気持ち悪いと。
友達には、化け物と言われた。
一年程度で。
大概の奴らは発狂した。
「むしろお前はスゲエんだよ。今年で二年間同じクラスだっていうのに、まだ俺とこうしてメシ食ってるんだから」
「そうか……ありがとう」
「うん?」
「私を慰めてくれてるんだろ?」
「ど、どういたしまして……」
恥ずかしいことを言うやつだと思った。
だが、俺も十分に恥ずかしいことを言っていたので、相殺。
相乗か?
「そういえば、二年前といえば……」
語部がスプーンを置き、普通の世間話に移行する。
すでにデストロイハザード盛りは、その大半の牙城を食い尽くされていた。
こいつ、いつ食ってたんだよ……。
手元のカレーうどんは一向に減る様子がない。
白いカッターシャツで、カレーうどんを食おうというのが、そもそもの間違いだった。
跳ねる跳ねる。
「悪魔が発見されたのが、そのへんか?」
「…………ああ」
「いやあ、あの時はビックリしたなあ。まさに天変地異だったね。世界がひっくり返った。今でも、新種が発見されているそうじゃないか。ゾンビやら、吸血鬼やら」
「まあ、日本には妖怪なんかもいるしな。まだまだ出てくんだろ」
「楽しい世界になった」
語部は笑ってそう言った。
冷たい笑いで。
楽しくなったと、そう言った。
《冷笑趣戯》の語部了子。
人は彼女をそう呼ばない。
言うと、恐いから。
「……そうだな」
俺は静かに彼女の言葉に答える。
悟られないように。
勘ぐられないように。
「なのに、こんな時勢だというのに、まだ殺人鬼なんかが現れるんだから、人間というのは不思議だね」
「ん? それは初耳だな。なに? 殺人とかあったの?」
「ああ、うん」
そう言って、またスプーンをテーブルに置く語部。
そもそも、いつ手に取った……。
さらに言うなら、デストロイハザード盛りが完全に消えていた。
どんぶりしか残ってない。
お前、本当は食ってねえんじゃねえの? という疑問に駆られるが、彼女の口元に付いている米粒が無言のオーラを放っていたのでスルーした。
ゴゴゴゴゴ。
「この近くでね、もう四人ほど被害が出ているらしいよ」
全員、バラバラのグチャグチャに。
死っちゃか滅っちゃか。
語部の話しでは、そういうことらしかった。
ここ一週間で四人。
すでに巷では、殺人犯から殺人鬼にクラスチェンジしたらしい。
もちろん、降格という意味で。
「メシの時に聞くんじゃなかったな……」
「あっ、悪い。気が回らなかった」
「いや、いいよ。もう食べ終わったし」
手元の器はすでに空になっていた。
制服もすでにダルメシアン。
いい歳のおばさんに狩られないように気を付けなければ。
「殺人鬼ねえ……。果たして、本当に人間がやってるのか、今じゃ怪しいとこだけどな」
本物の鬼かもしれない。
「それはないと思うけどねえ」
「なんで?」
「私は霊は信じても、悪霊は信じないんだ。ただそれだけさ」
「鬼が現れるなら、赤鬼さんだと?」
「そゆこと」
言ってから盆を持ち、立ち上がる語部。
俺も後に続く。
「なあ、愛川」
「ん?」
「私はね、人間が怖いよ」
悪魔よりも、妖怪よりも、鬼よりも。
私は人間が怖い。
彼女はそう言って、笑わなかった。
「だからたまに、君が羨ましくなるんだろうな。人間も、悪魔も、鬼でさえ。君の前なら等しく平等だ。ほんの些細な違いさえあれど、そんなものは簡単に均されてしまう。なあ、愛川。君には怖いものがあるのかな?」
「…………」
そう言われると、ないことに気付く。
怖いものなんてない。
虚言じゃなく。
嘘偽りなく。
等しく平等に。
でも一つ。
しいて言うのなら、ただ一つ。
「俺は、愛が怖いよ」
愛されるのが怖いとか。
愛すのが怖いとかじゃなくて。
俺が唯一、知らない単語。世界で唯一知らない言葉。
未知はいちいち怖いのだ。
愛って一体、何語なんだろう。
「…………そうか」
俺の答えに納得したのか、そのまま食器類を返却口に返しに歩き出す語部。
後に続く。
「私は死ぬのが怖いなあ」
ぽつりと、彼女はそう言った。誰にも聞こえないような声で、笑いながら。
冷たく笑いながら。
「死ぬのも生きるのも同じことだよ。そう思ってれば、大概の事は乗り切れる」
「…………君は、愛を知らないんだな」
「ああ?」
答えると、語部はフフッとイタズラっぽく笑った。
それは多分、冷たい笑みではなかったと思う。
暖かい笑みだったと思う。
「君、間違ってるぞ」
「知ってるよ」
今度は迷いなく、そう答えた。
俺は間違えてる。
そんなことは知っている。
そんなことは分かってる。
でもだからといって、それが何だって言うんだ?
そんなことは、間違えていようが正解だろうが同じことだろ?
人なんて、誰だって間違ってるんだから……。
その後、昼休みが終わり、放課後になり、文芸部の語部は部活に、帰宅部の愛川さんは下校した。
あいつと最後に交わした挨拶は、そっけないものだったように思う。
「じゃあな」
「ああ、また明日、愛川。ん? うん、そうなんだ。それで……」
そんなテキトーな。クラスの女子と話しながらの挨拶だった。
どうでもいいけれど。
俺が語部の顔を見たのは、その日が最後だった。
学校の誰しもが知る優等生《冷笑趣戯》の語部了子。
彼女の死体が発見されたのは、次の日の朝。
そんじょそこらの道端で。
ぐちゃぐちゃに、なっていた。
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