第二十一話 『幸せに』
警察署から出ると、鬼瞳が外で待っていた。
「…………」
「何よ、死人みたいな顔して」
こいつは……自分が犯罪者だという自覚がないのだろうか?
「堂々としていれば案外大丈夫なのよ、こういうのって。それよりも……何があったの? あなた、今にも自殺しそうよ?」
「……ああ」
死にたい気分ではあるよ。
とりあえず、警察署から離れる意味でも俺はどこに向かうでもなく歩き出した。
どこにも辿り着けないのは、知っていたから。
鬼瞳もそんな俺の後ろを付いてきた。
「……語部がさ、死んだんだ」
「知ってるわ」
「俺の中で、死んだんだ」
さっきまで、そこにいたはずなのに。
いつの間にか、語部の亡霊は俺の中から消えていた。
消えてしまっていた。
「俺はさ……語部のことが、好きだったんだよ」
「……それも――知ってたわ」
「あいつといると、嬉しくて、楽しくて、ずっと一緒にいたくてさ。けど、死んじまった」
いなくなっちまった。
俺の前から。
この世界から。
いなくなっちまった。
「気付かなかったんだよ。あんなに一緒に居たのに。あんなに笑いあったのに。あんなに色んなことを共有したのに……気付けなかったんだ」
「あなた、鈍感肌だものね」
鬼瞳がボケてくれたが、つっこむ力すら残っていなかった。
心なしか、自分の足取りが頼りないのを感じる。
「もう――手遅れだったんだよ」
何もかも遅くて。
全部が終わったあとだった。
彼女はもう、帰ってこない。
「俺は愛を知った。けど、愛そのものをもう、とっくのとうに失ってたんだ。気付いたときには、消えて失くなってたんだ」
「…………」
「なあ、鬼瞳」
道の真ん中で立ち止まり、鬼瞳と向き合う。
いったい今、俺はどんな顔をしているのだろう。
相当酷い顔をしていると思う。
それこそ死人のような――。
自殺志願者のような――。
「――殺してくれ」
「…………」
もう、生きてても仕方ないんだ。
愛を知れないのならば……いや――。
愛を知ったからこそ。
それを持たない俺は、生きている意味なんてないんだよ。
生きてる価値なんてないんだ。
意義なんてないんだ。
意思なんてないんだ。
だから、殺してくれ。
多分、お前が一番、俺のことを綺麗に解体してくれると思う。
せめて死体でくらいは。
綺麗で居させてくれ。
こんな醜いままで、生きたくないんだ。
だから、さあ。
――殺してくれ。
「…………分かったわ。殺してあげる」
そう言って鬼瞳は、懐から例の文化包丁を取り出す。
さあ、殺ってくれ、殺してくれ。
ものの見事にバラバラにして、綺麗にグチャグチャにしてくれ。
そして、語部のところへ……。
俺がそう思い、その鋭い切っ先を受け入れようとした。
――その瞬間。
「ぎゅっ」
「……………………あの」
鬼瞳は、包丁を持ったまま俺に抱きついた。
まるで始めて会ったときのように、何の前触れもなく、何の境界もなく、突然抱きついてきた。
ただ今回は前回と違い、乱暴さはなかったけれど――。
優しい抱擁だったけれど――。
「あの――鬼瞳さん?」
「なに?」
「一体これは……?」
「あら、ここまでやっても気が付かないの? フフッ、鈍感肌なのね……」
言って、俺の顔に自分の顔を近づけてくる。
鼻先三寸。
比喩ではなく、本当にそうだった。
そして――。
「ん」
彼女は、俺の唇に優しく口付けた。
それは、出会った時とは全く違う、優しい口付けで。
心臓がドキンと大きく脈打つのが分かった。
その心臓が果たして俺のだったのか、彼女のだったのかは定かではなかったけど。
それでも――。
「はい、殺した」
唇を離し、彼女は無邪気に言った。
「今、あたしはあなたを萌え殺したわ」
「ハハッ、そんなんアリですか?」
「アリよ。実際、あなたはあたしにメロメロだもの。それに――」
――さっきまでのあなたは、死んだじゃない?
鬼瞳は笑って。
冷たくもなく、苦しくもなく、悪魔的でもなく。
ただ照れくさそうに笑って。
そう言った。
「…………ありがとう」
「あら? 殺した相手からお礼を言われるなんて、なんか変な感じね? でもまあ、分かってくれたのなら何よりだわ」
「ああ」
彼女に教えられてしまった。
人間の温かさを。
目の前にいる彼女という存在を、教え込まれてしまった。
心臓の鼓動は、今でも速いままだ。
「あなたには、あたしがいるわ」
「うん」
「語部さんはいなくなってしまったかも知れないけど、でも、あたしがいるわ。あたしは、あなたの前から決していなくならない。決して一人にしない。あたしも一人なんですもの。お互い、支えあって生きるのが得策だと思うわ」
「ああ」
「だからその……えっと――ちょっと、これ以上女の子に言わせる気なの?」
「いや」
俺は一言そう答えて、少しだけ息を吸った。
胸が締め付けられる感覚。
鼓動が速くなる感覚。
考えがまとまらない。
とてもじゃないが、冷静でなんていられない。
そうか――これが。
これが、愛なのか。
「俺と愛し合ってくれ、鬼瞳」
「――――はい」
彼女はそう答えて、俺の横に並び立った。
そして歩く。
歩いて歩いて、辿り着いた先は――
――俺の家だった。
当たり前だけれど。
二階建ての小さなワンルームアパート。
――――なんだ。
ちゃんと、辿り着けるんじゃないか。
二人でなら。
もう少しまともに、生きられるんじゃないか――。
生きよう。
鬼瞳と生きていこう。
お互いの欠点を補いながら。
お互いを支えあって。
良きパートナーとして。
一緒に生きて行こう。
きっと、辛いことも悲しいことも苦しいことも、これから沢山あるけれど。
生きて行けば、あるけれど。
こいつとなら、きっと――――。
なあ、語部。
俺は……俺たちは――
――――幸せに、なったよ。
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