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第十五話 『コンマ一秒待ってやる』

 非望町は、その名前に反して随分と明るい街だった。

 未だに町の中心に商店街があって、森や林などの自然も多く、夏なんかにはほぼ週一のペースで縁日が開かれるくらいだった。

 明るく活気のある町。

 そんな場所で俺は生まれた。

 あまりに元気すぎる町で、俺はその空気に馴染めていなかったような気がする。

 そういえば一度、語部と一緒に来たことがあった。

 確かその時も俺は親に顔も見せずに帰って、語部に怒られたのだった。

 二人で縁日を回ったのも、その時のこと。

「まあ、だからと言って、鬼瞳と回るつもりは微塵もなかったんだけどな?」

「何よ、急に。ビックリするじゃない」

「ああ、悪い悪い。ちょっと考え事しててさ」

「愛の告白なら、また後にしてよね……」

「してねえよ!」

 お前はいい加減耳鼻科に行け。

「出来ればお風呂場がいいわね」

「どんな趣味だよ……」

「片付けがしやすいじゃない?」

「怖いわ!」

 告白すんのも命がけじゃねえか!

 鬼瞳にウッカリ惚れた奴とか、本当に可哀想だ。

 容姿だけは無駄に良いから。いそうだよな、そういう奴。

 可愛くても殺人は許されたもんじゃないけどさ。

 現在、俺と鬼瞳は町のお祭りに来ていた。

 縁日である。

 一年ぶりの。

 去年、語部と来て以来だった。

 非望町の祭りは毎週毎週場所を変えて行うのだが、今回は町の中央あたりに位置する大きな公園での開催になったようだ。

 公園は大きな円状になっていて、必然的に屋台もそれを囲むような形に配置されていた。

「まあ、端的に言えば仕方ないじゃない。あなたの友人のアクマさんとやら、いなかったのでしょ?」

「いや、別にアクマって名前の人じゃねえよ」

「いいのよ? あたしの前でなら嘘を吐かなくても。もうあなたの兼愛する語部さんもいないわけだし、気兼ねなく気軽にいきましょうよ」

「いやだから嘘じゃねえって。たまにいなくなるんだよ、アイツ」

 昼間、日の高いうちにと、さっそく友人の悪魔に会いに行った。

 実家の近くの大きな森。

 そこがアイツのお気に入りで、普段は大体あそこにいるので言ってみたのだが、不在だったのだ。

 多分今日は祭りだから、それを見ににでも行ったのだろう。

 気まぐれな奴だし。

 キマグレンよりも気まぐれな奴だし。

 いや、キマグレンが気まぐれかどうかは置いといて。

「そもそもおかしいなとは思ったのよ。だって、世界中で発見された悪魔は国連の施設に全て保管されているもの。こんなところにいるはずないじゃない?」

「いるんだよ、それが。それも世界で一番最初に発見された悪魔がさ。アイツらはどこにでもいてどこにもいなく、それでいながら目の前にある存在なんだから」

「つまり、国連の施設にいながらもこの町にもいるってわけ?」

「そゆこと」

「馬鹿らしいわ。そんなの有り得ないじゃない」

「だから悪魔なんだろ?」

 顔をしかめる鬼瞳。

 まあ確かに、嫌なことを言った。

 『悪魔なら何でもアリ』みたいな。

 そんな定義を持ち出したのだから。

 当然の反応だった。

「そもそも、その悪魔とあなたがどうして関係しているの?」

 どんな関係なのよ?

 と鬼瞳は言う。

「どんな関係ねえ……。まあ、一言で表せば『共犯』。詳しく表すなら『デスノートよりもリュ―クに興味を持っちゃった夜神くんがそのままリュークとのBL関係になる』って感じかな」

「それは……人間の発想じゃないわね――」

 まあな。

 それ考えたの悪魔だし。

「いやまあ……アイツお祭り好きだからさ、こうしてればそのうち会えると思うぜ?」

「お祭り好きの悪魔ってどうなのよ……?」

「自分で自分のことを変わった悪魔だって言ってたからな……」

「そもそも、悪魔がいてここの住人は驚かないわけ? というかどんな格好してるのよ?」

「あー」

 悪魔にはこれと言って決まった姿はないのだ。

 ただ自分の好きな姿でいる。

 自由自在な変身能力により、そこら辺の石ころから海にまでなれる。

 勿論、人間にも。

「見分けは……まあ、無理だな」

「無理なんじゃない」

「むこうが気付けば話し掛けてくれるさ、きっと。とりあえず、それまで遊ばねえか?」

「…………まあ、別にいいけれど」

 鬼瞳はそう言って渋々納得してくれた。

 本当にしぶしぶ。

 目が笑っていない。

 仕方ねえなあ……。

 鬼瞳の機嫌をとるために、祭りの端の方で営業している着物の貸し出し店へ入る。

 店の人に鬼瞳を任せ、俺は外で待っていた。

 非望町にはこの祭りのための観光客も多いため、こういうサービスを積極的に提供しているのだった。

 そういえば、語部と来たのもこの店か……?

「…………?」

 いや、つうかそもそもなんで俺は鬼瞳の機嫌なんてとってんだ?

 そもそも俺は、アイツが付いてくること自体反対だった。

 アイツは殺人鬼で、警察にも追われる身であれば借金取りから逃げている身でもある。

 ただ、アイツが付いてきたいと言うから連れてきてしまった。

 本当なら、俺の部屋で待機させておくのが正解のはずなのに……。

 何をしているんだろう、俺は。

 その上、鬼瞳のご機嫌までとって……。

 語部の……代わりのつもり、なのだろうか――。

 果たして、そんなこと誰かに出来ることなのか?

 というよりも、俺は代わりが必要なほどに語部に依存していたのか?

 自分のことなのに。

 その考えは、ようとして知れない。

 いや、多分俺は――。

 自分のことが世界で一番分かってない。

 それだけは理解していた。

「その前に、殺しても良いかしら?」

「駄目と言ったら?」

「殺すわ」

「良いと言ったら?」

「殺すわよ」

「いつか本当殺されそうだな」

 考え事をしながら待っていると、いつの間にそんなに時間が経ったのか、鬼瞳が店から出てきた。

 赤い髪によく似合う、黒い生地に赤色の菊があしらってあるデザインの浴衣。

 ただでさえ病的に白い肌が一層白く見える。

 紅色のパンプスは、黒い漆塗りの草履に変わっていた。

「なるほど、殺人鬼にも浴衣とはよく言ったものだぜ」

「褒めてもいないし、貶すにしても微妙ね、それ」

 ダメ出しを食らってしまった。

 とりあえず、鬼瞳を引っ張っていくらか屋台を回った。

 さっきの考え事など、どこかへ行ってしまったかのようにただ純粋に。

 俺は祭りを楽しんでしまった。

 いやもしかしたら、ただの空回りだったのかもしれないが。

「鬼瞳はさ、アイツら悪魔がなんで悪魔って呼ばれてるか知ってる?」

「? ……悪魔だからじゃないの?」

 しばらくして。

 鬼瞳が歩き疲れたと言ったので、祭りの喧騒から少し離れた神社に歩を進めた。

 仮にも地元だ。十六年間この町で過ごしていたのだから、土地勘はあった。

 あたりはもうすっかり暗くなっていて、神社にも俺たちの他に人影は見えない。

 近くのベンチに腰掛け、さっき屋台で買ってきたたこ焼きを頬張る。

 鬼瞳はリンゴ飴を買って、ペロペロとその小さな舌で少しずつ舐めていた。

 昨日から思っていたが、彼女かなりの甘党らしく。今日すでにわた飴、あんず飴、クレープ、ベビーカステラ、チョコバナナにスイカ、締めにカキ氷を全種食べてからのリンゴ飴だった。

 お金の面に関しては彼女が自分で払っている。

 どうやら逃亡する前に父親から多少の額は貰っているらしい。

 ならホテルにでも泊まれよと。

 まあ、俺が今一番気になるのは、一体女子はどうやってリンゴ飴を食べるのだろうというそれだけなので、どうでも良かった。

 そういえば、祭りでちらほらとだが昔の顔馴染みとすれ違った。

 小学校時代の友達だった奴とか。

 中学でのクラスメイトだとか。

 一緒の塾の人とか。

 昔やっていた少年野球の仲間とか。

 みんな俺の顔を見ては目を背けたけれど。

 まあ、しゃーなしだ。

「だからさ、なんで悪魔って認識されるようになったか知ってるか?」

「いえ、そういえば不思議ね。どこにでもある存在、多彩な変身能力、魔法と呼ばれる超常現象を操る――なんて言っても、それを悪魔だと特定できる要素ってそういえばないわね」

「だろ? じゃあなんで悪魔って呼ばれているかっていうとさ。アイツら、自称悪魔なんだよ」

「自称?」

「うん、自分たちで自分たちのこと『悪魔でーす』って言ってんの。聞いた話じゃ、世界政府もそれで容認せざるおえなかったらしいぜ。なにせ圧倒的な、地雷もミサイルも核さえ通じないそんな圧倒的な力が相手じゃあ、黙って頷くしかなかっただろうしな。ほんと可哀想だ」

「え、じゃあ何? 悪魔って要するに、本物の悪魔じゃないの?」

 地獄からやってきたとか。

 人間に危害を及ぼすとか。

 そういうのじゃないの?

「いや、だからアイツらはそう言ってんだよ? 自分達は本当の悪魔で、何の間違いか人間に見えるようになっちまったから取引しねえ? ってさ」

「取引って?」

「世界のお偉いさん方と契約したんだとさ。俺たち悪魔は人間に危害を加えないから、お前ら人間も、俺たちに手出しするなってな。要するに、不可侵条約を結んだんだ」

「悪魔が? 何のために?」

「何のためねえ……。言っていいのか分からないけど――まあいいか。……俺たち人間を悪魔が超越しているようにさ、悪魔を超越している存在もまた人間なんだよ」

「どういうこと?」

「つまり、悪魔の弱点は人間なんだよ」

 人間は、古来より悪魔に対する研究を重ねてきた。

 かなりの確立でそれは的外れな結果を生むだけだったが、そのいくつかは本当に悪魔に効くものもあったらしい。

 つまり悪魔は、人間が怖いのだ。

 地雷もミサイルも、核さえも効かない存在が、人間が怖いというのだから笑ってしまう。

 それを悪魔たち自身、ちゃんと知っていたから。

 知っていたからでこそ、不可侵条約を結んだ。

 自分達の安全を確保するために、人間と共存する道を選んだ。

「なんだか、それを聞くと悪魔ってあんまり怖くなさそうね」

「賢いのさ。いや、ズル賢いのかな? 世界政府のお偉い方にそのことは話してないみたいだし。とにかく、そんなわけで悪魔たちのほとんどは無信教者の多いこの日本に滞在してるってわけ」

 退治されないように。

 払われないように。

 日本でこっそりと祭りを楽しんでいる。

 そんな悪魔もいるくらいだしな。

「じゃあ、あなたの友人だっていうその悪魔も日本に来て、そこであなたと会ったってわけね?」

「あ、いや、アイツはそれよりも前から……――」

 と、瞬間。

 まさに瞬間と言ってもいいと思う、そんな速さで、その言葉は俺の耳を貫いた。

 後ろから。

「鬼瞳家のお嬢様ですね?」

 そんな言葉が聞こえた。

 思わず振り向いた。

 ベンチの後ろから聞こえたその声は低い男のもので、何と言うのだろう――そう。

 殺気を放っていた。

 だから思わず振り向き、確認した。その存在が敵かどうか判断するために。

 しかし。

 しかし、鬼瞳の反応はさらに速かった。

 何せ、俺が後ろを振り向いたその時には、すでに男の首は――宙を舞っていたのだから。

 男の首あったはずの場所にはすでに何もなく。ただの空間とか空気とかがあって、血が溢れるというよりもまるで滝のように押し寄せていた。

 鬼瞳の手には大口の文化包丁。

 俺の部屋を出るときにこっそり持ってきたらしい。

 今まで着物の中にでも隠していたのか……?

 転んだらどうするんだと言いたくなる。

 いや、それよりも――。

「お前……殺しちゃダメだろ――」

「殺人鬼を舐めないで欲しいわ……まったく」

 何がまったくなのか、鬼瞳は返り血によって見事に赤色に染まってしまった着物の袖を捲くりながらそう言った。

 改めて死体を見ると、その胴体部分は黒服のガタイの良い男で、頭部部分はいかつい顔にサングラスを掛けていた。

 見ていても、気持ち悪くなったりはしない。

 自分が壊れていることを再確認した。

「あたしを捕まえに来た回収業者でしょうね」

 静かに言う鬼瞳。

 目どころか、口も笑ってはいない。

 ただ静かに。

 それは殺人鬼の目だった。

「警察? 借金? どっちの?」

「警察なら刑事さんが捕まえに来るから、借金のほうでしょうね」

 まあ、あの死体が刑事だというのなら話は別だけれど。

 いや……その確認をするためにも殺しちゃいけなかったと思うんだがな?

「とりあえずは、逃げる必要がありそうね?」

 鬼瞳はそう言って、神社のお社のほうを睨み付けた。

 するとゾロゾロと。

 まるで地を這う虫のように黒い服の男たちは現れた。

 十数人。

 黒い印象からゴキブリを連想するが、マトリックスの見すぎなのか俺にはエージェントにしか見えない。

 もしくは逃走中。

 いや、それこそリアルに逃走中なのだから笑えたものではなかった。

「俺は関係ないんだから説明したら見逃してもらえないかね?」

「無理よ。ここまで付いてきたってことは、昨日からあたしたちの事を見張っていたのでしょうから。あなたがあたしの愛人ということはとっくにバレてるわ」

「愛人じゃねえよ……」

「何にしても多分、相当愉快な×××をされていることでしょうね。とにかく――!」

 言いながらリンゴ飴を持っていた左手を後ろに大きく振る鬼瞳。

 何をやってるんだと思えば、リンゴ飴が黒服の男の頭部にジャストミートした。

 砕け散るリンゴ飴。

 昏倒する黒服の男。

 おそらく俺たちが話している間に、こっそりと後ろから近付こうとしたのだろう。

 儚くもその目論みはリンゴ飴によって粉砕されたわけだが……。

 リンゴ飴もまた粉々になった。

 知ってたか、リンゴ飴って鈍器にもなるんだぜ?

「食べ物は大事にしろよ?」

「大事にしたのよ。人間だって食べ物だもの、あたしはあたしという食べ物が大事だわ」

「ぬかしおる」

 ったく、そのせいでまた俺は女子がリンゴ飴をどう食うのか分からなかったじゃねえか。

 迷惑千万だぜ。

 そんなことをしている間に、じわじわと距離を詰めてくるエージェント。

 鳥居の方にも三人ほど配置されていて、強行突破は無理そうだった。

「とにかく逃げないとね。九回一点差ツーアウトよ?」

「ピンチということは伝わった」

 仕方ない。

「こっちだぜ、殺人鬼?」

「何よ、変人鬼」

「いいから付いてこい」

 なんだよ変人鬼って……。

 鬼瞳の手を引き、境内の林へ入っていく。

 エージェントも追いかけてくるが、彼らは林の中にある細い道を知らないせいか、草木に道を阻まれていた

「ちょっと、こっちは行き止まりでしょ?」

「そうでもない」

 こういう田舎には行き止まりなんてそうそうないんだよ。

 地球は丸いんだから。

 行き止まりなんてないだろ?

 林を進むと、やがて境内と民家を隔てる塀にぶつかった。

 しかし、古い家なんかは未だに塀に勝手口があって、田舎なものだから誰一人として鍵をかけていないのだった。

 そんな誰とも知らない人の家の勝手口を開け、彼らが入ってこられないようにしてから庭を通ってアスファルトの道に出た。

「逃げ切れたか?」

「いえ、そうでもないわね」

 道の先を見ると、黒い点がこっちに向かって走ってくる。

 無駄に土地が広いので、境内から出るのも一苦労だったはずだ。

 大変だなあ。

 勤労感謝の日には、ちゃんと彼らのことも称えてあげようと思った。

 まあ、逃げるけど。

 彼らと逆方向に鬼瞳と走り出す。

「祭りの会場に戻るか? あそこなら人も多いし、手出しできないだろ?」

「ええ、得策だけれど、問題はあたしたちの格好かしら?」

 見ると、鬼瞳は頭から足にかけてまで血みどろで、多少黒い浴衣のおかげで隠れているとはいえ人目を引く。

 一方の俺も、Tシャツが百一匹ワンちゃん顔負けの水玉模様だった。

 赤い水玉。

 確かにこの格好で祭りの会場に行けば、騒ぎになることは間違いなかった。

 つうかそう思うなら、せめてその手の包丁は仕舞おうぜ?

「まあ……大丈夫だよ。これだけ騒いだんだ。アイツが気付かないわけがない」

「困った時の悪魔頼み?」

「そういうことだ」

「あなた……。ずっと思っていたけれど言わせて貰うわ」

「何だ?」

「あなた、変よ」

「知ってるさ」

 そのくらいは理解してる。

 何度も言ってんだろ?

「そもそも、なんであのエージェントはお前のことを追ってくるんだ? 借金を作ってるのはお前の父親で、お前自体もそこまでセレブってるわけでもねえだろ?」

「今、鬼瞳家の人間で日本にいるのはあたしだけだもの。多分捕まえて、父への人質にでもするつもりなんじゃないかしら?」

「……なるほどね」

 そんな風に話しているうちに会場に戻ってきていた。

 なるべく、人ごみの奥の方へと進む。

 鬼瞳も包丁をしまい、みんな祭りの席のせいか俺たちのことなんか気にもなっていないようで、すぐに騒ぎになる事はなかった。

 しかし。

 しかしふと、人ごみの中にそれは見えた。

 黒く長い髪をポニーテールにして、青色の生地に紫のアジサイ模様の浴衣。

 ――――語部?

「ちょっと、何をやってるの?」

「ん、ああゴメン」

 鬼瞳の言葉に自分が足を止めていたことに気付く。

 我に返って、もう一度人ごみの中を探すが、やはりそんな姿の人はいなかった。

 語部……なわけないよな。

 あいつはもう死んだのだ。

 いるはずがないのだ。

 代わりに見えてきたのは、人ごみに阻まれながらも少しずつだが距離を詰めてくるエージェントたちの姿だった。

「ヤッベ」

「ほら、速くしまし――きゃっ!」

 珍しく鬼瞳が黄色い声を出したなと振り向くと――すっ転んでいた。

 そりゃもう思いっきり。

 顔面から見事なイチローや赤星も顔負けのスライディングを決めていた。

 まさに顔負け、である。

「草履の鼻緒が切れたのか……」

 そういえばお前、ずっと草履だったんだな。

 走るの速いから気付かなかったわ。

「不幸ね。そろそろ潮時ということかしら?」

「縁起でもないこと言うなよ。鼻緒が切れたって、それは科学的にも魔法的にも自身の不幸とは関係ない。不幸っていうのは、自分がそう思ってるから不幸なんだよ」

「意味深ね……。でも、実際もう追つかれているわけだけれど」

「な――――」

 鬼瞳の言葉に後ろを確認しようと振り向こうとする。

 しかしその行為は目の前から飛んできた鉄の棒によって遮られてしまった。

「ぐ、あっ……!」

 朦朧とする精神の中で、必死に頭を活動させる。

 三段棒のような鉄の棒を持った男が目の前にいる。

 どうやらアレで殴られたようだ。

 体の姿勢が保てず、無残にも土の上で寝てしまう。

 寝てる場合じゃないんだ――。

 鬼瞳が――。

 やっとできた理解者が――。

 久しぶりに仲良くできそうな奴が――。

 危ないんだよ。

 ピンチなんだ。

 でもどうして――。

 なんで俺は――。

 鬼瞳を助けたいなんて思ってるんだ?


「それはね、語部さんを助けられなかったからよ」


 超能力でも持っているのか。それとも本当は悪魔なのか。

 鬼瞳はまるで俺の心を読むようにしてそう言った。

「あなたとは波長が合うからかしら? 何となく考えてることが分かるのよ。まあ、それは置いておいても良いのだけれど……。要するに、あなたは語部さんの代役をあたしにさせようとしていたのよ」

 鬼瞳は低い声で言った。

「あなた自身は気付いていなかったのでしょうけど。でも、あたしが気付かないなんてことはないわよね。なんと言ったって、もう一人のあなたなんですから。まあそれは冗談として」

 冗談なのかよ。

「デートの最中に他の女のことを考えているのなんて、女子からすればバレバレなのよ? 例えそれが自分すら気付かないようなことでも、女の子は全てお見通し。女のカンって怖いわね?」

 お前が言うなと言いたいが、残念なことに体が痙攣して動かない。

 鬼瞳を代わりにしていた……?

 俺が?

 無意識に?

 それは一体、誰の話だ?

「あなたの話よ。誰でもないあなた自身の話。あなたはね、自分が思っている以上に語部さんに依存していたのよ。そして、語部さんを助けられなかった自分を嫌悪していた」

「――――が!」

「何を言いたいか分からないし、知りたくもないけど。あなたはね、語部さんを助けられなかった自分を嫌悪して、嫌いで嫌いで、だからやり直そうとしたのよ。今思っているその感情も、だからただの思い違い。×××。幻影。幻。夢。夢想。あたしを助けたいのも、それは語部さんを助けられなかった自分を許すための儀式だわ」

「ちが――れは――!」

「だからね、無理しないで」

 静かな声で、優しい口調でそう言う鬼瞳。

 その足はもう立つことをやめている。

 諦めている。

 ああ、確かにお前は俺にそっくりだ。

 諦めが早い。

 切り替えが速い。

 どうせ人生が終わっても、その先に『何か』があると思ってんだろ?

 だから死なんて通過点で。

 だから死なんて怖くない。

 今の人生でどうなろうが。

 そんなのは知ったこっちゃないのだ。

『あたしは死だけしか区別できないの』

 ――――ありゃ?

 なんだよ、それ。

 そうだった、鬼瞳は『死』なら区別できるのだった。

 ならそうか、『死』に関してだけなら少なくとも普通の価値観を持っているはずだ。

 つまり『死』は終着点で。

 人生にその先はなくて。

 だから『死』は怖いはずだ。

 なのに――。

 どうしてコイツは諦めてるんだ?

 死ぬのは怖いだろう。

 殺されるのは嫌だろう。

 いくら人を殺してきたからと言って、殺人鬼が死を怖れないことはない。

 死に一番近いのだから、むしろ恐怖の対象と言っていい。

 なのに何で立たない?

 なのに何で足掻かない?

 見っともなくも見苦しく、どうして逃げ出さない?

 なんでって――。

 なんでってそんなのは――。

 俺のために決まってるじゃないか。

 自分では確認できないが、おそらく俺は今、頭から血を流し、無様に地面に倒れ伏しているだろう。

 それを見て、鬼瞳はどう思う?

 考えてみろ。

『ざまー』

 いやいや、そういうネガティブじゃなくて。

『巻き込みたくない』

 と思うんじゃないか?

 自分の事情に巻き込まれて怪我を負った人間を見て、そう思わないのは俺くらいだ。

 なるほど。

 だから、あんなこと言って俺に諦めさせようとしたのか……。

 鬼瞳を助けようとするのを諦めさせようとした。

 あいつは……俺を助けるために自分の命を諦めたのだ。

 自分の命を投げ出して。

 俺を助けようとした。

 ――――んだよ、それ。

 意味が、分からねえ!

「あっ、が――あっ!!!!!!!!!!!!!!!!があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 叫ぶ。

 叫んで足掻いてもがいて。

 必死に動かない手足を地面に叩き付ける。

 右腕を動かそうと思うと、左足が動く。左足を動かそうとすれば右足が。右足は右腕に。左腕に関してはすでに感覚がない。

 だが叫ぶ。

 それでも叫ぶ。

 悪魔じゃなくていい。

 普通の人でいい。

 誰でも良いから助けてくれ。

 気付け――!

「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 ついに頭がおかしくなったとでも思ったのか、鬼瞳が目を丸くしながらこちらを見る。

 黒服の男たちも俺のその狂気とも呼べる行動に戸惑っているようだった。

 俺は叫び続ける。

 叫んで、叫んで、叫んで。

 必死にSOSを送る。

 しかし。

 そんな叫びも空しく空へ消えて行った。

 気付かないのだ。

 誰も。

 これだけ人がいるのに……。

 祭りのド真ん中にいるのに……。

 誰一人として異変に気付かない。

 何で……?

 ――――いや。

 一体いつから、俺たちは気付かれていなかったんだろうな?


「ハッ」


 そう思った瞬間。

 その何かが、その声が、俺たちの前に飛来したことは言うまでもない。

 こいつはこういう奴なのだ。

 もったいぶって、もったい付けて。

 いつだって自分の登場シーンの妄想を続けてる。

 そんな奴なのだ。

 そして常に登場はカッコ良く。

 ピンチを助けるヒーローのように。

 それは現れた。


「コンマ一秒待ってやる。ワシの友達から手を退けろ、人間」


 そいつは悪魔的に笑いながらそう言った。

 長い黒髪を頭の後ろでまとめたポニーテール。

 青の生地に紫のアジサイ模様の浴衣。

 語部。

 《冷笑趣戯(シズシニカル)》の語部了子。


「先に言っておくが――



 ――悪魔に殺された奴は地獄にすら逝けんぞ。



 よーく覚えておくことじゃ」


 彼女はそう言って。

 

 ――悪魔的に笑った。




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