甘すぎる秘密交際と、放課後デートの特別なルール
恋人同士になってから、初めて迎える月曜日。
私立桜ヶ丘高校の教室は、相変わらず朝の慌ただしい空気に包まれていた。
俺——佐藤蓮は、自分の席で教科書を整理しながら、心臓の鼓動が少し速くなっているのを感じていた。
ガラリ、と教室の前門が開く。
走ってきたのは、相変わらず全校生徒の憧れの標的である『高嶺の花』——姫宮星奈だった。
整った容姿、透き通るような黑髪、そして周囲を寄せ付けない冷徹な雰囲気。一見すると、先週までとなんの変哲もない彼女の姿だ。
しかし、彼女が自分の席へ向かって歩く途中、俺の席の横を通り過ぎた瞬間——。
(トントン)
消しゴムを落としたフリをして屈んだ彼女が、誰にも見えない机の陰で、俺の制服のズボンの裾を小指でちょんと引っ張った。
そして、ほんのわずかに顔を傾け、他の一切の生徒には見せない、甘く溶けそうな笑みを浮かべて口パクで囁いたのだ。
(――れんくん、おはよう♡)
「〜〜〜〜っ!?」
俺は思わず息を呑み、必死で顔の筋肉が緩むのを抑えた。
周りの男子生徒たちは「今日の姫宮さんも美しくて神々しいな……」などと溜息をついているが、彼らは知らないのだ。あの高嶺の花が、今俺にだけ世界一甘い朝の挨拶をしてくれたということを。
◇
放課後。
俺たちはいつものように時間差で教室を出て、図書室の奥にある資料室で合流した。
「蓮くんっ……!」
ドアが閉まった瞬間、星奈ちゃんは待ちきれないといった様子で俺の胸に飛び込んできた。
ふわリと漂ういちごの甘い香り。細い腕が俺の腰に回され、愛おしそうに額を胸に擦り寄せてくる。
「星奈ちゃん……!? 誰かに見られたら……」
「大丈夫だよ、鍵はちゃんと閉めたもん……。それにね、一日中『佐藤くん』って呼ぶのを我慢して、蓮くんに触れないでいるの、すごく大変だったんだからね……?」
上目遣いで俺を見つめる彼女の瞳は、潤んでいて完全に恋する少女のそれだった。
「学校では『高嶺の花』と『普通の男子生徒』。でも、二人きりになったら『夢咲あいり』と『蓮くん』……ううん、『星奈』と『蓮くん』の恋人同士。……これが、私たちの秘密のルールだよね……?」
「ああ。……すごく心臓に悪いけど、最高のルールだよ」
俺が彼女の頭を優しく撫でると、星奈ちゃんはうっとりと目を細め、猫耳が生えているかのように嬉しそうに体を預けてきた。
「ねえ、蓮くん。今日はね……配信の準備だけじゃなくて、蓮くんに食べてほしいものがあるの」
「食べてほしいもの?」
「うん! 実はね……昨日の夜、蓮くんのためにクッキーを焼いたの。あいりちゃんの配信でよく言ってる『手作りお菓子』……本当はね、蓮くんにあげるために練習してたんだよ?」
彼女はカバンから、可愛らしいピンクのリボンでラッピングされた小さな袋を取り出した。
中には、猫の形をした焼き色の綺麗なクッキーが並んでいる。
「これ……星奈ちゃんが自分で……?」
「うん。焦げてないか、味はおかしくないか、何度も試作したんだから……。ほら、口開けて? あーん、してあげる♡」
星奈ちゃんは一枚の猫型クッキーを手に取り、恥ずかしそうに頬を染めながら、俺の口元へと運んできた。
「え、あーん……!?」
「もうっ、早く食べないと……私が恥ずかしすぎて爆発しちゃうよ……っ!」
俺は覚悟を決め、彼女の細い指先から直接クッキーを口に含んだ。
サクッとした心地よい食感と、バターの豊かな香りが口いっぱいに広がる。
「……おいしい。すごくおいしいよ、星奈ちゃん」
「本当……!? よかったぁ……っ!」
彼女は心底安心したように笑顔を弾けさせ、それから自分の指先を見つめて、顔を真っ赤にした。
「あ……今、蓮くんの唇が……指に触れた……っ」
「あ、ごめん……っ!」
「ううん、嫌じゃないの……! むしろ……もっと、蓮くんの特別な存在になりたいなって……思っちゃっただけ……♡」
彼女は照れ隠しのように俺の胸に再び顔を埋め、指先をぎゅっと握りしめた。
画面の向こうで三十万人のファンを魅了する大人気VTuber。
けれど、俺の腕の中にいるのは、手作りクッキーひとつで顔を赤くし、俺の反応に一喜一憂してくれる、世界で一番愛おしい俺の彼女だった。
「蓮くん……明日も放課後、ここで……一緒にいてくれる……?」
「もちろん。毎日、ずっと一緒にいるよ」
放課後の静かな資料室で、俺たちはまたひとつ、甘い甘い約束を重ねたのだった。




