転生が“偶然ではなかった”という真実 ――クラリッサの存在理由が書き換わる瞬間
読み終えた瞬間、クラリッサの思考は途切れた。
薄い朝光が王城の研究塔に差し込んでいる。いつもなら淡く香りの粒子がそこかしこに漂い、揮発波形のホログラムが柔らかく反射して空間に彩りを添える――はずだった。
だがいまの彼女には、その美しい“いつも通り”が、まるで遠い別世界の光景のようにぼやけて見えていた。
掌の中の紙片は、無香。
この世界のどんな物質とも異なる、徹底した“空白”。
クラリッサは机に腰を下ろしたまま、視線を宙にさまよわせた。
折りたたんだ紙をデータファイルのあいだに慎重に挟む手つきだけは、日常の所作を崩さないよう、必死に制御されている。
だが――内心では均衡が瓦解していた。
揮発波形のモニターが、規則正しい呼吸のように脈動している。
だがその脈動が、まるで自分の不整脈を可視化しているように感じて、胸の奥がざわつく。
窓の外から、衛兵たちの香が不安定な揺らぎを帯びて流れ込んできた。昨夜の王子暗殺未遂の余波だ。
しかしクラリッサの感覚では、その揺らぎすら遠い霧の向こう側で起きている“他人事”のようだ。
身体の中心だけが、別の温度を持っていた。
(……私の転生は、偶然じゃなかった)
その思考が浮かび、心臓が跳ねた。
(ここに来たのは、誰かに“選ばれた”からじゃない。
“必要だから”連れてこられた――それだけ)
言葉にした瞬間、背骨にひやりとしたものが這い上がる。
まるでこの部屋のどこかに、外世界の視線が潜んでいるかのように。
彼女は気づいてしまった。
この世界は観測されている。
自分も、アレスレッドも、揮発の社会そのものも。
そして――王子の掲げる“永続”の思想は、外世界にとって脅威だ。
矛盾だらけだった命令が、一つの像を結ぶ。
・改革を阻止せよ
・世界の揮発構造を守れ
・観測不能領域(永続領域)を作らせるな
・しかし、王子は死なせるな(世界が壊れるから)
(……全部、繋がってしまった)
クラリッサは両手を膝に置き、静かに息を吐いた。
その一息が、いつもの研究室ではあり得ないほど重く、冷たく感じられた。
世界の光景は同じなのに。
香も、波形も、城の朝も、何一つ変わっていないのに。
理解してしまった瞬間、彼女の世界だけが別の相を持って揺らぎはじめていた。
――外世界の意思によって“送り込まれたエージェント”
手紙を閉じた指先が、わずかに震えていた。
署名《C.I.A.X》。
それはただのコードではない。
彼女が“死んだ瞬間”、意識が闇に沈む刹那、どこかの誰かが、見えない手で彼女を押し出した――その痕跡。
(私は……召喚されたんじゃない。
投入されたんだ……)
胸の奥で思考が重く沈み込む。
転生――そんな甘い言葉で呼べるものではなかった。
これは選抜ではない。
選ばれたのではなく、
“必要な駒だったから配置された”。
外世界はこの世界の揮発構造を観測していた。
そしてある時点で――
王子アレスレッドの存在に、致命的な“異変”を検知した。
その歪みを修正するために、
彼らはクラリッサを送り込んだ。
彼女がこの世界に持ち込んだ特殊な能力――
揮発波形を読む感覚、解析できる思考構造。
それは転生後に偶然芽生えたものではなかった。
最初から“搭載されていた”。
(……つまり、私の能力はこの世界のものじゃない。
外世界がこの世界に干渉するための、
最低限必要なツールとして設定されていた……)
理解した瞬間、
彼女の呼吸から体温が抜け落ちたように感じた。
転生は奇跡ではなかった。
運命でもなかった。
クラリッサという存在そのものが、
外世界の“観測と制御”のための仕掛け。
その事実は、手紙よりも冷たく、
彼女の胸を深く抉った。
――外世界は、この世界を「異常発生領域」と見なしている
クラリッサは、机上に浮かぶ揮発波形のホログラムを見つめた。
青と金が重なる揺らぎ――この世界の“常識”そのもの。
だが、手紙に記されていた《揮発構造》という単語。
それは彼女が前の世界で耳にした、
現象解析の専門用語そのものだった。
(……つまり、これは……私たちにとって当たり前の“香”じゃない。
外世界から見れば、解析可能な“物理現象”……)
思考が軋む。
王国の階級制度を決める“香階”。
人の死を予兆する“揮発の濁り”。
事件の真相を暴く“波形解析”。
それらはこの世界の根幹だ。
人々の生死を左右し、政治を揺るがし、
王子アレスレッドが改革しようとしている対象でもある。
だが外世界から見れば――
ただの数値。
ただのサンプル。
ただの観測データ。
「……この世界は、異常発生領域……」
口にした瞬間、全身の血が冷える。
外世界の研究者にとって、ここは巨大な試験場にすぎないのだ。
(私が救った命も……
泣きながら抱きしめた子供の香も……
全部、“観測情報”の一部……?)
胸の奥に、冷たくて細い糸が締まっていく。
痛いほど静かに、しかし確実に。
人の運命が揮発として流れ、
苦しみさえデータとして保存される世界。
彼女は、初めて理解した。
――自分たちが生きている場所は、
外世界の“観測の檻”に過ぎないのだと。
――世界改変能力を持つ「観測不可能化」の兆候
クラリッサは、手紙の二行を思い返した。
《王政改革阻止》
《揮発構造の修正を妨害せよ》
どちらも、この世界の政治文書には存在しない語彙だ。
だが外世界の技術文書――特に、世界構造研究部門の警告文でのみ見られる表現だった。
(……“修正”って、そんな規模じゃない。
これはもう、“世界法則を書き換える”レベル……)
昨夜、王子アレスレッドが見せた奇妙な“永続波形”。
あれはただの異常波形ではなかった。
この世界で本来不可能な――揮発しない香の持続。
それはつまり、
揮発性世界の根幹に、彼が触れつつあるという証拠。
外世界がそれを恐れる理由は、ひとつしかない。
彼の思想が実現すれば、
この世界は外世界から“観測不可能”になる。
観測不可能――
外世界の観測装置も干渉装置も届かず、
情報が永遠に閉じる“ブラックボックス”。
どんな国家であれ、
どれほど遠く異世界であれ、
それはもっとも忌避される事態だ。
(だから、アレスレッド殿下は“危険因子”……
でも、それだけじゃない。外世界は――
殿下が死んでも危険だと判断してる……)
クラリッサは思考を辿る。
・王子が揮発構造を書き換えれば、世界が崩壊する
・だが王子が死ねば、循環そのものが乱れ、別の崩壊が起こる
・どちらも、観測不能領域の暴走に繋がる
つまり外世界が求める条件は、矛盾しているようで矛盾していない。
王子の改革は絶対に止めろ。
しかし王子そのものは絶対に死なせるな。
クラリッサは目を閉じる。
(……私が守らなきゃいけない。
彼を、世界を、そして観測そのものを。)
胸の奥で、静かに、決意が沈殿していった。
手紙を閉じた瞬間、
クラリッサの胸の奥で、ひどく冷たいものがゆっくりと沈み込んだ。
そしてその冷たさは、刃のような鋭さへと形を変える。
(やっぱり……。)
声にならない声が、意識の底で震える。
「私がここに来たのは“選ばれたから”じゃない。
必要だから連れてこられたんだ……。」
その言葉を思考の中で形にした途端、
クラリッサの中の何かが静かに“覚醒”した。
異世界転生――そんな甘い概念は、最初から存在しなかったのだ。
自分は導かれたのでも、祝福されたのでもない。
ただ任務の延長線上に、別の世界が接続されただけ。
(私は……異世界の住人じゃない。
ただの、外世界の装置――。)
視界が変わる。
王城の壁も、揮発波形の光も、すべてが別の意味を帯びて見えはじめる。
そして――
もっとも大きく変わったのは、“彼”に対する認識だった。
王子アレスレッド。
昨夜、あれほど強烈に人としての魅力を感じた存在。
輝きすぎて危うく、手を伸ばせば切れそうで、
それでも目を離すことができなかった男。
だが今――
その感情は全て、冷徹な枠へと収斂していく。
彼は感情の対象ではない。
彼は救うべき対象でもない。
クラリッサの呼吸が静かに、深くなる。
彼は――監視し、制御し、
この世界の崩壊を防ぐために
手放してはならない“観測対象”。
その認識が、カチリと音を立ててクラリッサの中に固定された。
刹那、彼女の揮発波形が微細に変質する。
“暗殺者”でも“部外者”でもない、
第三の立場――世界の境界から送り込まれた監視者へと。




