第三節(続) 毒の挨拶
セリーヌが静かに一礼し、銀の盆を差し出した。
盆の上には、白磁のティーカップ。
湯気が細く立ちのぼり、その中に花の香が絡みついている。
クラリッサは無言で受け取る。
湯気を吸い込み、瞬時に分解。
──ジャスミン、ローズ、そして……何か、違う。
香の層の奥、甘さの中に微かな“異質”があった。
舌の奥に触れた瞬間、わずかに金属の苦味。
「……毒、ね。」
心拍数、一定。
瞳孔、収縮なし。
訓練された身体が、危険を告げても、反応は表に出ない。
舌の裏でその苦味を転がしながら、彼女は香の意味を解く。
花──礼儀。
茶──日常。
毒──信頼。
「花の香りに毒が混ざっている。……意図的だ。試されている。」
この国では、毒を与えることが挨拶。
相手の反応こそが、礼節の完成。
“死なない程度の毒”──それが、この社会の信頼の単位。
クラリッサはカップを持ち上げ、ためらいなく一口で飲み干した。
喉の奥を滑る液体が、微かに冷たい。
香が肺に届き、呼吸の奥で淡く燃える。
感覚の縁で、かすかに幻覚のような光が瞬いた。
それでも彼女は、笑わない。
瞳だけで、侍女の表情を測る。
セリーヌは一瞬、呼吸を止め──
そして、わずかに香を緩めた。
それはこの国での**「受け入れた」**という合図だった。
沈黙の中で、二人の間を流れる香の密度が変わる。
敵意が礼儀に変わり、毒が挨拶に転化する。
クラリッサは、紅茶の残り香を嗅ぎながら、低く呟いた。
「興味深い社会的構造ね。
毒が交わされることで、人はようやく“人”になる。」
そして、微かに唇を吊り上げる。
「……悪くない文化だわ。」
青薔薇の香が彼女の周囲に広がり、
それがこの国の言葉で“冷笑と受容”を意味する。
セリーヌは深く頭を下げた。
その仕草に漂う香は──敬意。
この瞬間、
“転生者クラリッサ・ヴェイル”は、
“悪役令嬢クラリッサ・ヴァーレント”として、
正式にこの国の礼儀体系の中に受け入れられたのだった。




