第三節 侍女の登場と文化的摩擦
扉の外から、淡い香が滲み込んできた。
花蜜の甘さに、微かに鉄の匂い。
従属と警戒。──その二つが、一滴の香に混ざり合っていた。
クラリッサは即座に嗅ぎ分ける。
訓練された嗅覚が、空気のわずかな振動を解析する。
「来客。女。接近速度、一定。香の層、三段構成。」
扉が音もなく開いた。
そこに現れたのは、一人の侍女だった。
淡い灰青の衣服に、金糸の刺繍。
肌には乳香と蜂蜜を混ぜた香油が薄く塗られ、動くたびに空気が震える。
その震えが、言葉になっていた。
「──お嬢様。お目覚めでいらっしゃいますか?」
声の代わりに、香の波。
花蜜が“敬意”を、鉄が“報告”を意味する。
嗅覚の中で、言葉が咲いては消えていく。
クラリッサは瞬きもせず、観察を開始した。
歩幅──均一。
訓練された身のこなし。
指の動き──慎重。
礼儀に潜む、警戒のリズム。
衣服の繊維──香布。
この国では、布そのものが香を記録し、地位を示す媒体。
部屋を一瞥。
窓際に配置された小瓶。
空気の流れを読むと、換気時に“毒の香”を拡散できる構造。
彼女の結論は冷ややかだった。
「この部屋は安全だが、“検査中”だ。」
呼吸を浅くする。
香の流れが鈍り、空気が止まる。
侍女の瞳が一瞬だけ、青灰に濁った。
「私の反応を観察している。なるほど、これは歓迎の儀式ね。」
クラリッサはゆっくりと息を吐いた。
薔薇と毒の香が、空気に溶ける。
それは“返答”の意でもあった。
侍女の目が、わずかに見開かれる。
香の密度が変わり、空気が柔らかく揺れた。
──理解と、服従。
沈黙の中、二人の間を流れるのは、ただ香だけ。
クラリッサは微かに笑う。
その笑みには、諜報員としての冷静な分析と、異文化への興味が同時に宿っていた。
「異なる言語系。異なる礼儀体系。……交渉には、悪くない素材。」
彼女は視線をセリーヌへと向け、
初めて、自らの意志で香を放った。
青薔薇と煙の香。
──それは“支配”と“対話”を同時に意味する香だった。
空気が、静かに形を変える。
二人の間で、目に見えない外交が始まった。




