第二節 鏡台の象徴
鏡の下、白い大理石の鏡台があった。
その上には、いくつもの香水瓶が整然と並んでいる。
円筒、涙形、螺旋、宝石のような封蝋。
光ではなく、香が色を放っていた。
一つを開ければ、青い薔薇の甘気。
別の瓶は、冷たい金属の香を立ち上らせる。
さらにもう一つは、淡い煙草の残り香に似た苦味。
クラリッサはその配列を見ただけで理解する。
これは装飾ではない。コードだ。
「高貴、服従、冷笑、誘惑……それぞれの社会階層が香で分類されている。」
香りは身分であり、身分は香りである。
その秩序は絶対らしく、瓶の並び方さえ厳密な文法に従っている。
指先で一つの瓶を撫でると、微かな電流のような感覚が走った。
香が、皮膚に情報を伝えてくる。
“これはあなたの香ではない”と。
「ふむ……個人識別のインターフェースでもあるわけね。」
彼女の分析的思考が自然に作動していく。
どんな文化でも、情報を管理する仕組みはある。
この国〈アザレア〉では、それが嗅覚の体系として構築されているのだ。
ふと、瓶の列の端に、細い金属の髪飾りが置かれていた。
陽の光にきらめく細工は、まるで繊細な針。
装飾というにはあまりに鋭く、
装備というにはあまりに美しい。
指でつまみ上げる。
その感触に、彼女は即座に気づく。
「……毒針。」
装飾に偽装された、暗殺具。
しかし不思議なことに、そこには恐怖の匂いがない。
むしろ、礼儀の香が混ざっている。
毒がこの国では、“社交”の一部として認識されている。
おそらく、毒を扱うことは敵意の表明ではなく、知性と階級の証明なのだ。
クラリッサは小さく笑った。
「悪役令嬢? なるほど、役職の一種か。」
彼女はその言葉を、まるで報告書に記すように静かに呟く。
「この国では、罪を演じることも礼儀のうちなのね。」
──“悪役”とは、均衡を保つための装置。
毒を持ち、毒を理解し、毒を交わす者。
社会の腐敗を防ぐための、必要悪。
クラリッサは鏡に映る自分をもう一度見つめる。
青白い微笑み。その裏に潜む冷静な視線。
この役職は、彼女にとって見慣れた仮面だった。
CIA諜報員〈クラリッサ・ヴェイル〉としての過去と、
王国の悪役令嬢〈クラリッサ・ヴァーレント〉としての現在。
二つの名が、ここで静かに重なる。
「職務再開、ね。」
彼女は毒針を髪に差し込み、香水瓶の前に立つ。
空気がわずかに甘く、そして鋭く変わった。
世界が、彼女を“役職”として受け入れた瞬間だった。




