第一章 記録の終端 第一節 任務ログ:コード47-B
[中央情報局・任務報告ファイル/機密指定A-3]
記録番号:47-B
任務対象:神経情報兵器〈NEURO-M-01〉奪還
作戦地:未承認研究区画(北緯43°18’)
潜入要員:クラリッサ・ヴェイル(コードネーム:C-7)
状況:通信ノイズ発生。脳波異常。音声途絶直前に単語 “blue” を発話。
——
一行ずつが冷たい。
言葉の温度がない。
しかし、その無機質な羅列の奥で、かすかな揮発音が記録されていた。
誰も聞き取れないほどの、微かな「香」のノイズ。
ノイズ──[香]──データ揮発。
記録継続不能。感覚情報のみ保存。
報告書の末尾に、異常な単語が混ざる。
“香”。
電子記録のどこにも存在しない語。
分析AIはそれを「未知の文字列」として処理し、無視した。
だが、データ監査官のひとりがコメントを残している。
※補記:嗅覚情報が? 映像記録に混入。エラーではなく痕跡のよう。
——
冷たい記録の外縁で、彼女の呼吸だけがまだ残っている。
微弱な、揮発性の呼吸。
呼吸音:安定。
心拍:微増。
匂い:検出不能。
“匂い”という語が、ここでも異物のように浮かんでいる。
報告書の文章に、それは似合わない。
それでも、彼女の存在はそこにあった。
コード47-B、クラリッサ・ヴェイル。
潜入要員。
観察と記録のために生まれ、感情を排除する訓練を受けた女。
記録装置としての人間。
彼女の任務は、感情を化学的に保存する兵器の奪還だった。
人の心を匂いに変える装置──〈NEURO-M-01〉。
「情報とは揮発物である。」
訓練中に教官がそう言った。
「人の思考は温度と湿度に弱い。記録されない限り、やがて消える。」
クラリッサは、記録を愛した。
感情よりも、証拠の方を信じていた。
そして今、彼女自身が「記録の対象」となっていく。
——
記録映像の最後に、ひとつの音声データが残る。
歪んだ声。
女の囁き。
“Information... evaporates...”
“Memory... scents...”
そして音声は崩れ、データは溶けた。
ファイルの最後に、ただ一語。
“blue.”
青の記録。
香の始まり。




