顔も知らない文通相手が王子様!? ~匿名の手紙を高位令嬢に奪われた私の物語~
麗らかな朝日が差しこむ書斎。
アレシウス城の一室は、静謐な雰囲気に満ちていた。
1人の青年が、窓辺で本を読んでいる。その光景が1枚の絵になりそうな、美しい青年だった。
銀髪碧眼。均整の取れた肢体と、完璧な配置をした目鼻立ち。
理知的な瞳は、熱心に本へと向けられている。
ふと、開いた窓から風が吹きこんだ。彼の耳は、柔らかな羽音を捉えていた。
青年は顔を上げ、そちらを向く。
ふわふわ、ゆらゆら。
真っ白の小鳥が窓辺に留まっていた。丸くて小さなシルエットをした鳥だ。全身がもふもふの毛に覆われていて、綿毛のようにも見える。
くちばしには、巻かれた紙をくわえている。
青年はほほ笑んで、手を伸ばし、
「ポポ。いつもありがとう」
紙を受けとった。
そして、机に乗っていた器から木の実をとり出す。
「お礼の木の実だよ。そろそろ君が来る頃だと思ってね。用意していたんだ」
小鳥のポポは、「わー!」といった様子で、瞳をキラキラに輝かせた。ふわふわの体を揺らしながら、近寄ってくる。
青年は楽しそうに笑って、木の実を机の上に転がせた。
ポポが木の実をつついている間、彼は紙を広げる。
そこには、繊細な筆跡で文字が綴られていた。
『レオン様へ。今日はビッグニュースです。ポポにお友達ができました! 驚かないで聞いてくださいよ。なんと、その相手は小鳥ではなく、ワンちゃんなんです』
「……ふふっ」
思わずといった様子で、青年・レオンは吹き出した。
温かな眼差しで手紙に目を通していく。
最後まで読み終えると、また初めから読み直した。何度も何度も。この手紙を書いた人物の言葉を噛み締めるように。
手紙は後で、机の引き出しに大切にしまわれることになる。今までの分と合わせれば、そろそろ本が作れそうなほどの分厚さになるだろう。
いつも手紙でやりとりをしている相手――その顔を、彼女の名前を、レオンは知らない。
何度か尋ねてみたことがあるのだが、彼女はよほどの恥ずかしがり屋らしい。名前を教えてはもらえなかった。
だけど、彼女の人柄は手紙の文面から伝わってくる。
心優しく素直。
動物が大好き。
甘い物が好きで、すっぱい物は苦手。
受けとった手紙の数だけ、彼女の新たな一面を知ることができる。その度にレオンは胸を高鳴らせていた。
(いつか……君に会いたいな)
そう思いながら、レオンは便箋と羽根ペンをとり出す。
ポポが休憩している間に、返事を書かなくては。
――今日は、どんな言葉を彼女に届けようか。
そう考えるのも楽しくて、レオンにとっては大切な時間であった。
◇
子爵令嬢とは名ばかりだ。
エリシアの朝は、いつも忙しい。子爵家に仕える使用人は1人だけ。それも高齢の女性なので、無理をさせるわけにもいかない。
だから、エリシアは自主的に家の手伝いをするようになった。
大変だけれど苦はない。
両親は優しく、家族仲は良好だ。2人がお人好しすぎるせいで、お金がたまらず、貧乏ばかりだけれど。
学校の登校時間になるまで、エリシアは洗濯をするのが日課になっている。
その日も早朝から洗濯をしていた。
エリシアがシーツを庭に干していた、その時だ。
ふわふわ。
そんな様子で、綿毛のようなものが舞い降りてきた。
真っ白で、柔らかな羽毛。小鳥のポポだ。
エリシアはそちらを向いて、パッと顔を輝かせた。
「ポポ! おかえり!」
彼女が手を伸ばすと、ポポはパタパタと羽を羽ばたかせながら降りてくる。エリシアの手に留まり、ふぅーっと羽毛を膨らませた。
ポポのクチバシには、巻かれた紙がくわえられている。
エリシアはポポの頭を撫でてから、その紙を受けとった。
「いつもありがとう。レオン様は、元気そうだった?」
ポポは、くいっと首を傾げる。考えるように間を空けてから、今度は反対側に、くいっと傾けた。
呑気な仕草を見て、エリシアはくすくすと笑う。ポポを自分の肩に移してから、さっそく手紙を読み始めた。
『ポポの飼い主様へ。今日はポポに木の実をあげてみたんだ。ポポは5つも食べていた。そして、食べすぎたせいで、しばらく飛べなかったんだ。ポポの帰りが遅くなり、心配させてしまったかな? 大丈夫、ポポの身には何も起きてないよ――少し、お腹が昨日よりは大きくなっているかもしれないけれど。ポポの友達のワンちゃんも、昨日はポポが戻らなかったことで、寂しがったりしなかっただろうか?』
「ふ……ふふふっ」
エリシアは手紙を読みながら笑った。
「レオン様は、とても気さくな方なのね」
彼との手紙のやりとりが始まってから、すでに3ヶ月が経過している。
彼がどんな姿をしているのか、どんな立場の人なのか、エリシアは知らない。
知っているのは、『レオン』という名前。
エリシアと同じで、動物が好きということ。
酸っぱいものは平気だけど、辛いものが苦手。
甘いものは大好き。
そして、彼の優しく気さくな人柄は、文面からも伝わってくる。
エリシアはその手紙に最後まで目を通すと、顔を曇らせた。
『君も甘いものが好きだと言っていたね。美味しいパンケーキのお店を知っているんだ。よければ、今度、一緒に行かないか?』
エリシアは眉を垂らして、その手紙をじっと眺める。ポポが心配そうに顔を覗きこんでくる。ぽよんぽよんと体をエリシアにぶつけてきた。
「うん……そうね、私も本当は、レオン様に会ってみたいけど……」
彼との文通は今や、エリシアにとって心の拠り所になっていた。
彼からの返事が来れば、胸が高鳴る。『次は手紙に何を書こうか?』他のことをしていても、そのことばかり考えてしまう。
丁寧に書かれた文字と、綴られた文面でしか、互いを知らない。
それでも、彼の人柄にエリシアは日に日に惹かれていた。
――会ってみたい。その気持ちは本物だ。
でも、実際に会った時、彼に幻滅されたらどうしよう。
そう考えると、怖かった。
(レオン様は、高貴な身分の方なのかな? いつも言葉遣いが丁寧だし……。教養もあるみたい)
彼の身分は、平民ではないのかもしれない。
ということは、エリシアより確実に身分が上だ。
エリシアは子爵令嬢であるものの、貧乏だ。家の手伝いばかりに奔走しているので、暮らしぶりは平民とそう変わらない。
(レオン様に、私が本当はこんなに貧乏で、みすぼらしい女だって知られたら……)
エリシアの容姿は地味な方だ。暗めの茶髪に、同色の瞳。「素朴な容姿で可愛い」と友達はお世辞を言ってくれるけど、高貴の人の隣に並べるとはとても思えない。
出かけるための服だって、高価なものは持っていないのだ。
だから、エリシアは未だに自分の名前も明かすことができずにいる。
エリシアが固まっていると、ポポは飽きたのか、パタパタと飛んで行った。
わんわん! 最近できたばかりの友達、犬のジョンのところに遊びに行ったみたいだ。
ポポがジョンと戯れている間も、エリシアは悩み続けていた。
レオンとの文通は楽しい。このままの関係がずっと続けばいいと思う。それと同時に、レオンがどんな人なのか、もっと知りたいと思う。
(このお手紙……なんてお返事をしたらいいのかな……)
――誘いを断れば、レオンはがっかりするだろうか。
そう悩みながら、エリシアは屋敷の中へと戻るのだった。
レオンとの文通が始まったきっかけは、些細なものだった。
ある日、ポポの行方がわからなくなった。外に遊びに行ったまま、家に戻ってこなくなったのだ。
エリシアは心配のあまり、そこら中を探し回った。ポポがいなくなってから数日間、食事も喉を通らないほどだった。
そして、1週間が過ぎた頃――ポポはひょっこりと戻ってきた。元気そうに羽をパタパタと動かしながら。
その時、ポポはクチバシに小さな紙をくわえていた。
紙には優しい筆跡で、こう書かれていた。
森の中で、怪我をしたこの子を見つけたこと。怪我の手当てをしたこと。足にレッグバンドが巻かれていたので、誰かに飼われているのだろうと考えたこと。
『この子が戻ってこないことで、心配をかけたのなら申し訳ない』
丁寧に綴られた文章を、エリシアは何度も読み返した。
ポポが無事でよかった、こんなに親切な人に助けてもらえてよかった、と心から思った。
エリシアはその人にお礼の手紙を書いた。
そうして、レオンとの文通が始まったのだ。
◇
エリシアはレオンへの手紙に、なんと返事をするか頭を悩ませていた。
『――よければ、今度、一緒に行かないか?』
その一文に何度も目を通す。
誘われたことは、純粋に嬉しい。彼に会ってみたい気持ちもある。でも、その勇気がなかなか出なかった。
返事を書いては、消して……。
そして、結局はイエスの返事を書いた。
その文字を書く時、少し手が震えた。
――明日、この手紙をポポに届けてもらおう。
そう決意すると、時刻は登校時間になっていた。エリシアは慌てて身支度を整え、学園へと向かった。
王立アレシウス学園。
王侯貴族の子息令嬢が通う学校だ。エリシアはそこに通う1年生であった。
朝の学園には、生徒たちの元気な声が響いていた。
校舎まで石畳の道を歩いていく。その時、エリシアは周囲のざわめきがいつもより騒がしいことに気付いた。
女生徒たちが集まって、中庭の方をこっそりと覗いている。きゃーきゃーと黄色い声を上げていた。
彼女たちの視線の先にいるのは、この学園の有名人だ。
「レオンハルト殿下……! 今日も素敵……」
彼女たちのささやきが耳に入る。
レオンハルト・ノクタリス――この国の第二王子だ。
陽光を受けた銀髪が風に揺れている。その立ち姿は、絵画のように美麗だった。
彼はエリシアの一学年上に在籍している。接点はない。学年も立場もちがうし、エリシアからすれば雲の上のような人だった。
レオンハルトは高貴な身分でありながら、それを鼻にかけることはせず、誰にでも分け隔てなくほほ笑みかける。
エリシアもたまに学園内ですれちがった時に、挨拶をされたことがある。そのほほ笑みに思わず見とれたし、気さくな人柄には尊敬の念を抱いた。
でも……それだけの関係だ。レオンハルトはエリシアの名前すら知らないだろう。
エリシアには、他の令嬢たちのようにレオンハルトをこっそりと観察する趣味はない。しかし、道は令嬢たちに塞がれていて、このままでは通れない。
困って立ちすくんでいると、令嬢の1人がこちらに気付いた。
「ちょっと、何?」
彼女の顔は知っている。レオンハルトほどではないが、彼女もまた、この学園の有名人だった。
侯爵令嬢のヴィオレット。エリシアとは同じクラスだ。つんと済ました顔立ちは、きつく見えるが美しい。
クラスの中心人物的な存在で、常に取り巻きを引きつれている。ヴィオレットはレオンハルトの大ファンで、いつもこうして彼の姿を遠目から眺めていた。
「ヴィオレット様……おはようございます」
エリシアが丁寧に声をかけると、彼女は興味なさそうに顔を逸らした。
ヴィオレットたちが未だに道をふさいでいるので、エリシアは遠慮がちに声をかける。
「すみませんが、通していただけますか?」
「あらやだ……ごめんなさいね」
彼女はそういって、道の端へと移動する。しかし、エリシアが横を通り抜けようとすると、わざとらしく顔をしかめた。
「まあ……! ちょっと、獣臭くない?」
周囲の取り巻きがくすくすと笑って、鼻をつまむ仕草をする。
「もしかして今朝も動物と一緒に寝てたの? いやだわ、不潔……」
ポポを馬鹿にされたことに、エリシアの胃のあたりは熱くなる。
学園にポポを連れてきたことはない。しかし、ポポの話を友人にしていた時、彼女たちに聞かれてしまったことがあり、それから、こうしてからかわれるようになった。
しかし、身分も、学園での立ち位置も、彼女の方が上だ。ここで感情に任せて怒ることはできない。エリシアはヴィオレットの顔を見て、静かに言った。
「……ポポは私の大切な家族です」
「ふーん。家族、ねぇ?」
ヴィオレットはエリシアを一瞥し、顎を持ち上げた。
「ということは、あなたも動物と立場が同じなのかしら?」
取り巻きたちが一斉に笑う。
エリシアの胸はちくりと痛んだ。しかし、馬鹿にされるのはいつものことだ。
気にしないようにしながら、彼女たちの横を通り過ぎる。
その時、レオンハルトの声が風に乗って聞こえてくる。彼はこんなことを友人と話していた。
「顔も名前も知らないのに、なぜこんなにも惹かれてしまうのだろう」
「名前すらも知らないって……どういうことだよ?」
「手紙で尋ねたけど、教えてもらえないんだ」
「え、それって直接は会ったことがないってことか?」
「ああ。彼女とは文通でやりとりをしている」
エリシアは足を止める。
「きゃー! レオンハルト殿下が恋……!?」
後ろからは、ヴィオレットたちのはしゃいでいる声が聞こえてきた。
「え……? レオンハルト殿下も、文通を……?」
思わず、声に出てしまった。
エリシアはハッとして、口を押さえる。
いや、そんな。まさか。
――自分の文通相手が、第二王子だなんてありえるわけがない。
エリシアはそう思い直して、歩を進めた。
だから、ヴィオレットが目を光らせて、エリシアを見ていたことには気付かなかった。
◇
――放課後の中庭。
噴水の音と鳥のさえずりが響いていた。
エリシアはベンチに腰掛け、鞄から手紙をとり出す。今朝書いたばかりのレオンへの返事だ。
何度も読み返したその手紙には、彼女の決意がこめられていた。
(これをポポに渡せば、レオン様に届く……)
レオンに会うというのは、エリシアにとって一大決心だった。
しかし、気にかかっていることもある。
今朝、偶然耳に入ってしまった会話だ。
それが今日ずっと、エリシアの頭の中でぐるぐるとしていた。
第二王子レオンハルトにも、文通相手がいる――。
その話題はその日の間に、学園中で噂になっていた。生徒たちは熱心に王子の文通相手が誰なのか、議論を交わした。レオンハルトのファンの女生徒の中には、ショックを受け、泣き出す人もいたらしい。
文通相手の『レオン』……これは、きっと愛称にちがいない。彼の本名をエリシアは尋ねたことがなかった。
彼の知性や高貴さは、手紙の文面からも伝わってくる。
――レオンの正体がもし、第二王子のレオンハルト殿下だったら……?
そう思うと、手が震える。
いや、ありえない――何度も脳内で打ち消してきた。
(そんな偶然ない……。きっと別人……よね……)
そう考えながらも、胸の奥がざわつく。
その時だった。
「何してるの、こんなところで」
不意にかけられた声に、エリシアは目を見開く。
振り返ると、ヴィオレットがいた。珍しく、今は取り巻きを引き連れていない。
高慢そうな表情で笑いながら、エリシアを見下ろしていた。
「ヴィオレット様……」
「……その手に持ってるの、何かしら?」
ヴィオレットは目ざとくエリシアの手元に気付いた。エリシアは咄嗟に隠そうとしたが、その時、強い風が吹く。
「……あっ!」
エリシアの手から手紙が舞い上がる。
白い便箋が空に踊り――そのまま、ヴィオレットの足元に落ちた。
ヴィオレットはしゃがんで、それを拾い上げる。
「待って、それは――!」
止めようとするエリシアの言葉を無視して、ヴィオレットは手紙を広げる。
内容を一読して、目を見開いた。
「……“レオン様”?」
その名を、ヴィオレットは口の中で転がすように呼んだ。
ふっと笑みを浮かべると、
「ふぅん……いい趣味してるのね、あなた」
「返してください……!」
エリシアが手を伸ばすが、ヴィオレットは一歩、後ろへと下がる。
「どうしようかしら。これ、『レオン様』に届けてあげた方がいいのかしらね?」
面白そうに言われて、エリシアの顔が赤く染まる。
(ヴィオレット様……『レオン様』が、レオンハルト殿下だと思っている……?)
エリシアは焦った。
一歩踏み出して、ヴィオレットへと手を伸ばす。
「お願いします……返してください」
ヴィオレットは意地悪そうに目を細めた。
「あら、もしかして誰に渡せばいいのかわからないの? ふふ、それなら私に心当たりがあるの。せっかくだから、渡してきてあげるわ」
「え? ヴィオレット様……!」
驚きと不安に声を震わせる。エリシアが唖然としていると、ヴィオレットはくるりと踵を返す。そのまま走り去った。
エリシアはハッとして、その後を追った。
中庭を抜けた先は、校舎をつなぐ渡り廊下がある。そちらに視線を向けて、エリシアは顔を青くした。ちょうどレオンハルトが歩いてくるところだった。
ヴィオレットは自信満々に彼へと歩み寄る。
「レオンハルト様。ちょうど、あなたにお渡ししたいものがあって」
彼女は手紙を胸に抱きしめるようにして、レオンハルトの前に立った。
恥じらうように、そっと手紙を差し出す。
「お恥ずかしいのですが……このお手紙、私が書いたものです。ずっと、匿名で文通させていただいておりました。ですが、本日、思い切ってお渡しすることにしました」
レオンハルトは目を丸くした。
手紙を受けとり、じっくりと眺めている。エリシアはそれを遠目から見ながら、言葉を失っていた。
いつもエリシアが使っている便せんだ。
もし、レオンハルトが文通相手の『レオン様』なら……それを見間違えるはずがない。
レオンハルトは顔を上げて、ヴィオレットを見る。
嬉しそうに頬を緩めた。
「では、君が……ポポの飼い主?」
エリシアの鼓動が激しくなる。
喉が詰まって、声が出せなかった。
(ポポの飼い主……!? まさか……! 私の文通相手は……レオンハルト殿下だったの……!?)
心臓が絞られるように痛くなる。胸元を押さえながら、エリシアはショックのあまりへたりこみそうになっていた。
一方、ヴィオレットは自信に満ちた笑みを浮かべる。勝利を確信した表情だった。
「ええ、そうです。私がレオンハルト様の文通相手ですの」
その瞬間、エリシアの胸にあった小さな希望は、静かに砕け散った。
頭が真っ白になる。
何も考えられなくなって、エリシアはその場から走り去った。
◇
学園を飛び出したのはいいものの、家に帰ろうという気にはなれなかった。
エリシアが逃げこんだのは、家の近くにある森だ。たまにポポと散歩するために訪れる。エリシアにとっては自分の庭のように、馴染みの深い場所だった。
大きな木の根元に、エリシアは座りこんでいた。
その場所はお決まりの散歩コースで、彼女の一番のお気に入りだった。周囲には小さな草花が咲いている。鳥のさえずりが遠くで聞こえる。いつもはポポが辺りを飛び回ったり、枝の上で他の小鳥たちとさえずったりしている。その様子を見ていると、エリシアの心はほっと癒されるのだった。
ぐちゃぐちゃになった心を少しでも落ちつけたくて、この場所までやって来たけれど……。1人でそこに座りこんでいると、癒されるどころか、心はどんどんと沈んでいく。
ざわざわとした葉っぱの音に、冷たい風。それらがエリシアの心を、更に追い立ててくるかのようだった。
(どうして、あの時、手紙をとり返せなかったんだろう……)
そう考えると、心臓がぎゅうと苦しくなる。
彼女の目には涙がにじんでいた。
(どうして、もっと早く……レオン様に『会いたい』って言えなかったんだろう……)
レオンとの文通は、日々の癒しであり、心の支えだった。
その相手が、まさか第二王子レオンハルトだったなんて……。
同じ学園に通っていても、彼とは挨拶くらいしか交わしたことがない。話すことはおろか、同じ空間に立つことすら憚れる。
エリシアにとって、レオンハルトはそれくらい遠い場所にいる人だ。自分なんかが、彼と並んで立てるはずがない。
そう思うと、胸が苦しくてたまらない。エリシアの目尻からは、一筋の涙が流れた。
「……ようやく君を見つけられた」
不意に声が聞こえた。
驚いて顔を上げると、木々の間から人影が現れる。
――レオンハルトが、そこに立っていた。
まるで迷子を見つけたかのような優しさで、エリシアを見つめていた。
「で、殿下……!? なぜ……ここに……?」
「僕には、とても優秀で可愛い友人がいてね。その子が、ここまで案内してくれたよ」
そう言って、レオンハルトが手を差し出す。
ポポがふわりと降りてきて、その指に留まった。大きな仕事をやりとげたように、ふぅ~、と羽毛を膨らませている。
「ポポ……!」
エリシアがその名を呼ぶと、ポポはレオンハルトの指から飛び立った。エリシアの肩に留まって、ふわふわの体を寄せてくる。
その様子をレオンハルトが、優しげな眼差しで見つめていた。
「やっぱり、そうだったんだね。君が本当の『ポポの飼い主』だ」
エリシアはハッとして、レオンハルトの顔を見る。でも、正面から見つめるのは恥ずかしくて、頬を染め、目を逸らした。
「でも、その……ヴィオレット様は……?」
「僕の文通相手は、動物が大好きで、心優しくて……とても可愛らしい人なんだ」
(か……可愛いって……!)
エリシアの頬がますます赤く染まる。
これでは顔を上げられない。
「ヴィオレット嬢は、動物が嫌いだろう? それに彼女は、ポポを犬だと勘違いしていたよ」
エリシアは息を呑んで、口元に手を当てた。
――そうだった。
手紙にポポの友達として、犬のジョンのことを書いた。
それで、ヴィオレットはポポのことまで犬だと思ってしまったのだ。
俯くエリシアの視線に、足元が映る。気が付くと、レオンハルトが目の前に立っていた。
心臓が止まったかと思うくらいに、きゅっと高鳴った。
恐る恐る顔を上げる。レオンハルトの美しい顔が間近にあった。
「君からの手紙が、いつも待ち遠しかった。綴られた文章に、不思議なほど心惹かれて……何度も読み返したよ」
「でも……でも、私……」
自分と王子では、釣り合うはずがない。
手紙でのやりとりでは誤魔化せても、こうして会ってしまえば、失望されるにちがいない――。
そのことがエリシアは怖かった。
「実際の私を見たら……がっかりされたんじゃないですか……?」
そう言った声は、震えていた。
レオンハルトは優しくほほ笑みながら、そっとエリシアの手を握った。
「まさか。思い描いていた通りの人だったよ」
その言葉が胸に染み渡っていく。エリシアは何も言えなくなった。
「改めて、誘わせてもらおう。今度の休日、僕と一緒に出かけてくれないか?」
「殿下……」
その言葉が、嬉しくて、嬉しくて――。
胸がいっぱいになって、涙がにじみそうになる。
レオンハルトはほほ笑みながら、懐から紙をとり出した。エリシアの書いた手紙だ。
「もっとも……返事は、すでにもらっているのだけどね」
「ふ……ふふっ」
思わず笑ってしまう。
茶目っ気のある言葉は、何度も手紙でやりとりした『レオン』そのものだった。
「改めて、君の口からも聞かせてほしいな」
「はい……。私もずっと……レオン様にお会いしたいと思っていました」
エリシアはそっと彼の手を握り返した。
木漏れ日が優しく降り注ぐ中、エリシアの肩からポポが飛び立つ。祝福するように、2人の頭上をぐるぐると飛んだ。
白い羽根が風に乗って、ふわりと舞い落ちる。
「そうだ、君の名前を教えてくれるかい? 次に書く手紙には、ちゃんとした宛名を書きたいからね」
――レオンハルト様……これからも私に、手紙を書いてくれるつもりなんだ。
エリシアは頷くと、ほほ笑んだ。
そして、大切な文通相手に向かって、自分の名前を告げるべく口を開いた。
嘘をついた令嬢ですが、本物の手紙を持っていたので、王子は一瞬信じかけたみたいです。
でも、話してみたら、文通内容の話題が通じないし、ポポを犬だと思っているし、すぐに嘘がバレました。
王子からは冷たい目で見られ、周りに他の生徒もいたので、その後、噂が学園全体に広まります。卒業まで「嘘つき令嬢」と白い目で見られることになったみたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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