第六夜.花の都の魔女 後編
少女は『魔女』と呼ばれている。
いや、実際に彼女がそう呼び掛けられることはほとんどないのだけれど、ここへ連れてこられる前に「あなたが次の魔女だ」と言われたから、そう呼ばれているんだなぁと思っている。
魔女は、この温室を生かすために必要な存在らしい。体に花咲く人の間に、時々生まれる魔力を持った子供。彼女と、彼女の妹のような、お母さんとお父さんと違って体のどこにもお花の咲かない人間のことだ。
花咲く人は体が弱くて、温室にいないとすぐに死んでしまうらしい。三十歳まで生きれば花が勝手に体から離れて、外で暮らせる健康体になると教わった。だから、お母さんとお父さんは、自分が魔女に選ばれた頃にはもう温室を出ていた。
魔女は、温室を生かすための存在。花も咲いていないから、きっと三十歳になっても外へは出られない。
お母さんとお父さんにはもう会えない。その事実だけがただ、寂しかった。
でも妹は、可愛いあの子は。
花は咲いていないけれど、きっと三十歳になれば外へ出られる。だからそれまでは必ず温室を守るのだ。
だってわたしはお姉ちゃんだから、と少女は決意している。それは、幼い彼女を強くしてくれる魔法の言葉だった。お母さんが教えてくれた大切な言葉だった。
微睡みの中、真っ暗闇の向こう、微かに妹の命の気配を感じる。今日も脈打っているそれを守るのだ。
だから、どんなに体が痛くたって全然平気なのだ。どんなに苦しくたって、少しも嫌じゃないのだ。
だって――わたしはお姉ちゃんだから。
――――――
ふ、と彼女が目を開ける。新雪のような白のまつ毛に縁取られた目蓋の下から、ハッとするほど鮮やかな紫水晶の瞳が姿を現すその瞬間を見るのは二回目だけれど、とても美しいなと、そう思った。
「――……ふふ、いた」
微睡みから浮上した睡蓮のような曖昧さで幾度か瞬いた後、彼女は傍らに座る彼を見つけてそう笑った。
「……やぁ、おはよう」
彼は小さく笑ってそう答えたが、その表情はすぐに曇ってしまう。それを、彼女は不思議そうに小首を傾げて眺めた。
「どうしたの?」
「……別に、大丈夫だよ」
「うそ。わたし、そういうのわかるのよ」
「……君に隠し事はできないね」
「ふふ、そうなのよ」
「ふ、そっか」
くすくす、と笑い合ってみて、それから彼は悲しそうな顔で「ねぇ」と口を開いた。
「君の妹は、花を持っていないんだね」
「……うん、そうなの」
「花を持たない人は魔女で、一代に一人なんじゃなかったの」
「そのはずなのだけど……ふしぎね」
「……君の妹は、」
地上にはいなかった――それに続く惨い事実が、彼にはどうしても口にできなかった。
「わたしね、あの子のためにがんばるの。わたしが倒れたら、次の『魔女』はあの子かもしれない、だからわたし、がんばらなきゃいけないの」
だってわたしお姉ちゃんだもの、と少女は少し誇らしげに笑った。
「――……そっか」
その微笑みが眩しくて、尊くて、そしてそれを曇らせるであろう事実があまりにも痛く苦しくて、彼は形ばかりの笑みを浮かべてそっと彼女から顔をそらす。
――彼女の妹は、地下にいた。
姉である『魔女』と同じように頸椎に繋がれた多種多様なコードとケーブル。『魔女』と違うのは、その幼い全身に埋め込まれた魔導術式回路の存在。
幸か不幸か、意識はなかった。
その小部屋は厳重な魔導セキュリティでロックされており、研究員の中でも限られた人間しか入ることができないらしい。彼は影に紛れてそこに踏み込み、彼女の妹を見つけたのだ。
魔導科学の粋たる電子機器に弱い彼なりに研究資料を漁ったところ、そこで行われているのは『魔女』を人工的に作り出す実験だと分かってしまった。
花持つ人々に伝えられている『魔女は一代に一人限り』という言葉は、部分的には真実であり部分的には嘘だった。
花を持たない人間が同時に複数存在することは稀にある。その中で魔女の適性を持つ者が一代に一人限りなのだという。その適性を持った者が魔女に選ばれ、それ以外は秘密裏に処分されてきた――今までは。
今代の魔女は魔力量が非常に多く、また精神力が強いが故に長持ちすると予想されている。
そして、その妹もまた魔力量に優れており歴代の魔女と比べても劣らぬほど。その事実に、研究員たちは考えたらしい――魔女のストックを作れないものか?――と。
魔女の適性。それは循環の性質を持つ魔力傾向のことを指す。全世界に魔力を持つ人間はそれなりの数存在するが、この循環の魔力傾向を持つ人間はこの温室、つまり花持つ人々の間にしか生まれない。
魔女の交代はいつも突然だ。魔女が力尽きると同時に花の都の中にいる花持たぬ幼子の誰かしらが魔女の適性に覚醒する。
だから温室の管理者たちは産院を通して花持たぬ子供の所在を必ず把握している。温室が活動停止する前に“次”を見つけなければならないからだ。
しかし彼らは常に不安を覚えてもいる。本当に問題なく“次”が覚醒するだろうか、と。そして考えるのだ。不安にならなくていいストックがあれば、と。
そうして当代の魔女の血縁が優秀な魔力量の持ち主であったことを機に、ストック作成の実験に踏み切った。
実験の内容は、循環の魔力傾向を人工的に作り出すこと。その結果が、あの幼い身体に埋め込まれた大量の魔導術式回路だ。
温室の動力源たる『魔女』に意志や思考は不要である。だから研究員たちは幼い少女に対して何の容赦もしなかったようだ。ただただ死ななければいい、と最初に行われたのは頸椎への生命維持魔法注入装置の取り付けであったらしい。
彼女が『魔女』になってから数年、その間繰り返され続けた実験により、彼女の妹は魔女のようなものへと作り替えられた。その結果として、一時的に魔力の傾向を循環の力へと切り換えられるようだが、常時の発動はまだ叶わないらしい。
今後も実験を続ける――と締め括られた実験記録を読み終えて、彼は深く溜め息を吐いた。恐らくもう、彼女の妹が意識を取り戻すことはない。肉体も精神も魔力も弄られ過ぎて、その魂は壊れてしまっている。だから、生きているのに縁の糸があんなに儚く、切れそうだったのだろう。生命維持の魔導装置から引き離せば瞬きの間に死んでしまうはずだ。
どうすれば、と彼は苦悩した。
この事実は彼女に伝えるには惨すぎる。だが妹のことが解決しなければ彼女はきっと彼に頷いてくれない。
妹を殺してしまおうにも、話を聞くに彼女は温室の魔力循環機構を通じて妹の生存を感じ取っているようなので死の秘匿はできそうにない上、妹の存在を精神の支柱にしているらしい彼女にどんな影響があるか分からない。
彼は、暖かな光の中で淡く微笑み、次第に再びの微睡みに沈んでいく彼女を痛ましげな目で見つめていた。
――――――
丁度彼女の意識が覚醒しかけていた時。起きていますか、と声をかけられて目を開ける。今はいつだろう。ここは常に昼光が注いでいるので時間が何も分からない。
目の前に立っていたのは白衣の女。魔女と温室を繋ぐ機構の管理をしている何人かの内の一人だ。保護区の管理官なのだという。
近頃ここへ現れる黒衣の青年のように隣に座ってくれればいいのに。白衣の人たちはなるべく彼女に近づかないようにするのだ。観察するような目で見下ろされるのは、あまり好きじゃない。
かさついた喉で「なに」と問う。視線が左右へ彷徨い、やがて決意したようにこちらへ戻ってくる。
「温室の外郭に、空から降ってきたものがぶつかって損傷が。修復のために抽出する魔力量を数日の間増やします」
よろしいですか、と締め括られるが彼女の意志など関係ない。ただの「覚悟を決めろ」という通達だ。静かに頷けば、白衣の女は首肯を返して身を翻した。それを見送って目を閉じ、しばらく待つ。
(……きた)
頸椎に刺された抽出装置に、くっと負荷がかかって魔力が勢いよく吸い出され始める。背骨と神経がぎしりと軋んだ。その痛みを、下唇をきゅっと噛んで耐える。ここに生きる妹のために温室を守らなきゃ、だって――
(――わたしは、お姉ちゃんだから)
温室のガラスに穴が空くと、花持つ人にとって毒になる外気が流れ込んでしまう。ガラスは特別製で、構造フレームに重ねられた魔力伝達回路から滲む魔女の魔力によって中程度の損傷までなら自動修復が可能だ。
妹は花を持たないけれど、明るくて良い子なあの子のことだからきっと友達もたくさんいるはず。妹が健やかに過ごす環境を、守らなければならない。
だから大丈夫。早く眠ってしまわなきゃ、と目を固く瞑った。数日の間、背骨と神経を軋ませて蝕むこの痛みが続く。意識さえ手放せば幾分か楽だ。
(……あのひと、くるかしら)
物憂げな陰を纏ったあの青年。静かに隣にいて話をしてくれる不思議なひと。彼に、こんなところを見せたくないな、と少し思う。きっと辛そうな顔をするから。
(でも……すこしだけ……)
痛みを無視して目を瞑るうちに、魔力を吸われることによる眩暈がやってくる。朦朧とし始め、また真っ暗闇の微睡みに落ちる。
(――……会いたい)
また目覚めることができるだろうか。このまま微睡みに沈んで今度こそ目覚めず死ぬのではないか。眠りにつくその瞬間いつも、少女はそう思うのだった。
――――――
彼女の妹をどうにか救い出せないか、或いは彼女に悟られずに殺すことができないか、その方法を見つけ出すべく彼は日夜鋼色の地下の影に潜って過ごした。
彼がそうしている間に、地上では温室のガラスに損傷が出たらしく『魔女』から吸い出される魔力の量が増えていた。一度、様子を見に行ったら眠っている彼女は少し苦しそうだった。
空から何かが降ってきたと、研究員や管理官たちはその正体を探っているようだが未だ判明していないらしい。
何でも、その降ってきたものは、温室にぶつかったあと飛び去ったとか。
影の中で柘榴の瞳を右へ左へゆっくりと動かしながら考える。それは、また降ってくるのだろうか。これ以上、彼女に負担をかけないでほしいのだが。
彼に聞かれているとも知らず、研究員たちは白衣の裾を翻し、管理官たちは険しい顔をして地下施設の中を行ったり来たりしている。
「残っている映像からして生き物だろう」
「いや、だがあれは……」
「あのガラスに中程度損傷を与えるほどの高所から降ってきてすぐに動けるか?」
「自律兵器と言うことか?」
「……どこかの国が、“協定”を破った?」
「…………」
「滅多なことを言うな」
「しかし」
(……“協定”?)
「次の“収穫”は白霧の国の番。けれど、確か金穂の国の王女の病状が芳しくない……待てなくなったのでは?」
「……金穂の国は、確かに魔導自律兵器の開発が盛んだが、それは」
「それを言ったら赤陽の国もよ。大公の具合はかなり悪いらしい……なぁ?」
「っ、俺の祖国が“協定”を守れない国だと言いたいのか?!」
「客観的事実を述べたまでだ。何せ赤陽の国は後継者がいない。人間なんてものは、追い詰められたら何をするか分からないだろう?」
「このッ……!!」
「やめないか! ここで争っても仕方ない。次の“収穫”は予定通り二日後に行う。飛来物の調査は続行。いいか、決して結論の出るまではどこかの国を思い込みで責めるな」
「……承知した」
「チッ……分かったよ」
各自持ち場に戻っていく人々を観察し、彼ははてと首を傾げる。
(“収穫”とは、何のことだろうか)
二日後に行われるというそれは話を聞く限りこの花の都の存在理由に深く関わっていそうな雰囲気がある。
この温室が纏う不穏な違和感の正体を探り出せば『魔女』である彼女をここから連れ出す方法の見当がつくかもしれない。
(二日後、ね)
先程揉め事を仲裁していた壮年の男はこの中でも有する権限が少し上位であるようだ。この男についていればその“収穫”とやらにも立ち会えるだろう。彼はそう判断し、その男の影の中へするり、と潜り込んだ。
――二日後、彼らの言う予定通りにその日はやって来た。
管理官たちの手元にあるのは二つのリストである。一つは間もなく三十歳を迎える温室の住人のリストで、もう一つは警戒リストと名が付けられた花の都に懐疑的な住人のリストであった。
「これで丁度百人。確認したか?」
「ああ、百だ」
「間違いない」
「……よし。予定通り“収穫”を開始する」
壮年の男がそう言って頷くと、温室内の映像を映すモニターの前に立っていた白衣の女が頷きを返してモニターに向き直った。その手が、モニター前の操作盤に取り付けられた赤いボタンの覆いを上げる。
「それでは、ガスの注入を開始します」
ボタンが押された、その直後。温室内の機構がゴォン……と低音を唸らせて動き出す。その場の全員が、実験対象を観察する淡々とした目でモニターを見つめていた。彼もまた、影の中からその映像を見つめる。
変化は、すぐに訪れた。人造の常春の街を行く花持つ人々が次々と意識を失って倒れ始めたのだ。
大型モニターは、小国とほぼ同じ面積を持つ温室の内部を様々な画角から余すことなく映している。そこに動くものが見えなくなった頃、白衣の女は静かな声で「作業部隊の投入」と通信機へ告げた。
すると、温室の各所にある警備隊の詰所からガスマスクを装備した兵士たちがわらわらと湧き出てきて街中へと歩を進めていく。彼らの手にはリストと大きな袋、背中には大きな黒い箱。倒れている人の顔を確かめ、該当者を探す。
(何が行われているんだ……?)
困惑した彼の目の前で、丁度ある兵士がリストの該当者を発見したようだ。それは、若い女だった。黒い手袋に被われた手が、慎重な手付きで女の服の胸元を開く。そこに咲いた華やかな一輪のダリアを、兵士はそっと摘み取った。
直後、若い女の身体はシュゥゥ……と萎んでいき、兵士の手に軽く叩かれるとさらさらと粉になってしまった。
(これは、まさか……!!)
兵士は摘み取ったダリアを背負った大型の箱の中へ慎重に納め、残された衣服を提げた袋に入れて立ち上がると再びリストの該当者を探し始めた。見れば、他の場所でも同様の“作業”が行われている。
(これが“収穫”……!)
保護区などとよく言ったものだ、と彼は驚きを隠せなかった。これは、この温室は、家畜の囲いとそう変わらない。何のために花を摘むのかはまだ分からないが、花持つ人々は刈られるために温室に集められているのだ――何も知らないままに。
(飛来物について議論していたとき、彼らはここに出資している大国の……恐らく“協定”に参加している国の権力者たちについて病状だの何だのと言っていた……なら、もしかして……)
手元にある情報を組み合わせる。導き出された推論は――
(花持つ人々の花は、薬になる。それも、凄まじい効能の……)
だから「通常の環境では死んでしまう花持つ人々を保護する」なんていう何の利益もないような“慈善事業”に大国が挙って金を出すわけだ。出資国は“協定”を結び、その薬を獲得する権利を順番で回している。
「あぁ……これで王太子殿下が助かる……」
ぽつり、と呟いたのは管理官の一人。金の髪に碧眼、白霧の国の民によく見られる外見的特徴だ。
彼らが文字通り薬草の収穫を眺めるような無感動な顔で見つめるモニターの中“収穫”は淡々と続けられている。
(これで作業が終わったら「一時的に外気が侵入した」とでも言って済ませるんだろうな)
無知なまま、己の死ぬ時すら知らず、隣人の死んだわけすら知らず、人造の常春にふわふわと浮かされて生きている人々は、一体家畜と何が違うのだろうか。
(納得が行った)
道理で『魔女』の確保に心血を注ぐわけである。花の都の温室を家畜を閉じ込める檻として機能させるのに必須の動力源なのだから。
今この時間も、彼女の妹は別室で実験を続けられている。人工の『魔女』の製造体制が整えば、花持たぬ子供の覚醒頼りの現状を不安に思う必要もないわけだ。
反吐が出る、とモニターから目を反らした彼はするりと影を抜け出して箱庭へ向かった。魔のものたる彼は人間の命を別に何とも思いはしないが、人間の業や悍ましさを見るとどうしても“彼女”が恋しくなるのだった。
――――――
限界まで張りつめた糸がふっつりと切れるように、その日は突然やってきた。
鋼色の冷たい地下、厳重に秘匿された小さな実験室。不意に訪れた静寂の中、乾いてひび割れた唇が「おねえちゃん」と掠れた声を紡いだ。
ぱき、と何かが割れる音がする。直後、試験的に循環させていた魔力が逆流。幼い肉体の皮下に埋め込まれた魔導術式回路が崩壊する。白い皮膚がそれに沿って裂けていく。
まずい、と誰かが叫んだがすでに手遅れだった。
姉の覚醒後、その資質を見込まれてしまい、たった五歳でこの実験室に閉じ込められた幼い少女は、繰り返された実験の果てに、ついに負荷に耐えきれなくなってしまった。
最後に、ほ、と微かな吐息を漏らして、少女はそっとその息を止めた。
失敗だ、と沈痛な面持ちをした研究員たちの中の一人が不意に「……まずいぞ急げ!」と身を翻して実験室を飛び出す。その意味が分からず首を傾げながらその研究員を追いかけた者たちは、彼がどこへ向かうのか悟って何がまずいのかを理解した。
最奥の扉を押し開く。鋼色の地下に不似合いな薄黄金の太陽光と柔らかな萌黄の草花。温室の動力源たる『魔女』の座す箱庭。
そこには、紫水晶の目を見開いてはらはらと涙する純白の少女と見知らぬ黒衣の青年が立っていた。
青年は扉の開いた音に振り返り、血のような深紅の目で研究員たちを見る。その冷淡さに研究員たちは気圧され、しかし怯えてはいられないと「誰だ!!」と叫んだ。
彼は、それに答えずしばらく研究員たちを眺め、それから突如としてすとん、と沈むように姿を消す。
「なっ……?!」
「ど、どこへ消えた?!」
「魔導士か?!」
「――煩いな」
混乱して騒いだ研究員たちの背後に、ふっと氷のように冷たい気配が顕現する。その言葉の意味が彼らの優秀な脳に届く前に、爪を尖らせた白い手が三人の首を切り飛ばした。
高く上がった血柱の赤。頭から同僚の生温かい血を浴びた残りの二人が現状を理解しきれないまま「ヒッ!!」と悲鳴を上げる。
「あと少しだったのに」
「ぁ、お、お前はいったい――」
「今度こそ……そう思ったのに」
白蝋のような血の通わぬ手が研究員の痩せた胸を貫く。後ろから押された肋骨が胸の皮膚を乱雑に破る。いやだ、と言おうと開いた口からは血が溢れるばかりだった。
引き抜いた手で最後の一人を刺し貫き、彼はビスクドールのような虚ろな表情で細く息を吐いて少女を振り返る。
純白の少女ははらはらと涙を溢しながら彼を見上げた。潤んだ紫水晶が場違いなほど美しく澄んでいる。彼は、ふらり、と覚束ない足取りで彼女の隣にやって来ると静かに腰を下ろした。
「……いもうと、が」
「うん……」
「ずっと、あの子のいのちを、か、かんじていたのに……なのに……!」
「……うん」
「っ、きえて、しまった……」
「…………」
「ど、どうして、どうしてあの子が……?」
「そうだね……」
「……あなたは、なにか、知っていた?」
「…………うん」
ごめんね、と囁く彼を、彼女はひどく哀しげな顔で見てゆるゆると首を振った。彼女の細い体は震えており、呼吸音もおかしい。妹の存在を柱に耐えてきた精神が崩れ、元々限界を訴えていた肉体が壊れようとしているのだ。
「あの子は……」
「……病気だったみたいなんだ」
「病、気」
彼は、彼女の頭に頬を擦り寄せながらそんな嘘をついた。この箱庭の外で起きたことを何も知らない彼女に、唯一彼女自身で知ることができてしまった妹の死以上の真実を与える必要なんてないのだから。
「それでも、昨日まで、楽しそうに暮らしていたよ」
「……そう」
「時々、君に会いたいって言っていたみたい」
「……っ、そう」
「きっと、幸せだったよ」
「っ……!」
彼女はそこでようやく声を震わせて泣き始めた。命の限界を告げるように軋む手で彼の胸に縋りついて、やっと年相応の顔で悲しみを訴えた。
「ひぐ、う、あぁぁっ……!」
「…………」
「わたしも、っ、ひっく、わたしも、もう一度あいたかった……!」
「……うん」
宥めるように華奢な背を撫で、彼は胸の中で泣きじゃくる彼女の言葉をただただ受け止め続けた。嗚咽する声が小さくなり、呼吸がいよいよ弱っていくまで。
「……ねぇ、あなた」
「なに」
「……わたし、またあなたに会える?」
「うん、必ず会いに行くよ」
「…………」
「必ず見つけ出すから」
「……そう、なら、よかった」
「うん」
少女は小さく安堵したように笑って、彼の胸にすり、と頭を擦りつけた。
「……きっとよ」
「……うん、きっと」
やくそくよ、と囁いて。少女の唇が最期の息を吐き出す。彼はその細い体が冷たくなるまでずっと抱きしめていた。
「……あぁ、約束だ」
地上で温室の機構が悲鳴を上げているのを感じる。何人もの足音がここを目指して慌ただしく近づいてくるのが聞こえた。
名残惜しさを覚えつつも、痛み始めた偽物の魂の限界を感じ、彼は少女の亡骸をそっと柔らかな草の上に横たえる。
「……またね」
きっと“次”は僕ではないだろうけど。
そう告げて、彼は研究員たちの死体を跨ぎ越し、箱庭の扉を開けた。外へ出て、蝶番を壊してしまう。誰も、ここへ入れないように。
そしてやって来た人間たちを、血涙を流し始めた柘榴の瞳で見やり、爪を尖らせた彼は滑るように一歩を踏み出した。
次章『青月の聖女』来週土曜、前編投稿です。




