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第五夜.花の都の魔女 前編

 とっぷりと重たく満たされた闇の中で、彼は静かに目を閉じていた。


 浅い眠りの中ではいつも、いつかの記憶が温かく輝き、束の間の平穏を彼にもたらす。

 この牢獄がまだ彼を封じるものではなく、彼を祀るものだった頃の夢。


――「ねぇ、貴方。今日は起きていて?」――


――「先日はどうも。お陰で助かったわ」――


――「あら怒った? ふふ、可愛いこと」――


 一欠片だって忘れない、忘れられない。彼女の、甘くて柔らかな声の色。

 悪戯っぽく笑み、優しく微笑んだ顔。そしてこの手からこぼれ落ちた、温かな命。


(……会いたいよ)


 ふっ、と闇の中から浮かび上がるように目を覚ます。いつだって夢の終わりは寂しい。


 彼女のいないここは、寒くて仕方なかった。





――――――





 陽光を反射してきらきらと煌めくガラスドーム。その内側に張り巡らされた金属製の魔力伝達回路は都の地下から延びている。


 その都は、巨大な温室であった。どこの国にも属さぬ花の都。肉体に花を持つ人々を生かすための中立の保護区である。


 温室の動力源は地下に座す魔女。花持つ人の間から生まれながら花を持たず、代わりに魔力を持って生まれた、選ばれし少女。

 魔女は一代に一人限り、決して同時に二人以上は存在しない。そしてその少女がたった一人で花の都を支えている。


 魔女は、花の都にとって特別な存在なのだ。




 しかし温室に暮らす人々は誰一人として、魔女がどこでどんな風に温室を支えているかを知らない。そして、知らされることもない。


 魔女を『管理』しているのは保護区の管理者たち。温室に出資している各国から派遣された魔導士や科学者である。

 花の都は、地上の楽園のような顔をしているがその実、最先端の魔導科学によって管理されている文字通りの保護区。人の手の入っていないところがない、完璧な人工楽園なのだ。


 その動力源が魔女と呼ばれる少女。正確に言えば、その少女が持つ魔力である。


 花の都の地下には、華やかな地上と全く趣の違う景色が広がっている。床も、天井も壁も分厚い金属製。白色灯の冷淡な明かりがその無機質さをいっそう引き立てていた。


 黒鉄色の廊下を進むと、その各所に開閉に認証が必要な扉があり、様々な部屋に繋がっていることが分かるだろう。それらは研究室であったり、観測室であったりする。

 それらを、通り過ぎ、更に奥へ歩を進めていくと、次第に足下に様々な管やケーブルが血管の様に這い始めるのでそれを追いかけるようにしていくと今度は突然、開けた場所に出る。


 足下には豊かな萌黄の芝生。周辺には四季の花が季節を忘れて狂い咲き、どこからか鳥の声やせせらぎの音まで聞こえてくる。


 魔導式蓄光器によって地上から運ばれてきた太陽光が暖かく穏やかに降り注ぐそこは、研究施設の中にポツンと作られた箱庭であり、花の都の心臓部。


 その中心に、魔女がいる。


 少女の姿をしたそれは、じっと目を閉じてそこに座っている。魔女の呼び名にはあまり似合わない純白のワンピースを着て、まるで眠っているかのようにじっと動かない。


 やや俯いたその細い首筋、頸椎から脊椎にかけて、薄い皮膚の下にある骨を覆うかのような形で金属の機器が取り付けられている。そこに幾つかの管とケーブルが差し込まれ、長い白髪に紛れて背後に延びているのだ。


 それは、魔女の持つ魔力を余すことなく温室の動力に回すための魔力放出回路、別で用意された生命維持魔法の注入装置、バイタルデータ採取用の電極等々、魔女の『利用』と『維持』のための機器であった。


 これが、魔導科学製の人工楽園の心臓、花の都の魔女の実態である。





――――――





「――今回は、いつも以上に大変だね」


 暖かな箱庭の中で、そこに似合わぬ黒衣を纏った青年が、瞑目している少女の隣に座ってそんなふうに語りかけた。

 白磁の指の背が、間違っても少女の肌を傷つけないよう柔くその頬を撫でる。髪もまつ毛も輝くような純白をした少女は、何の反応も見せず、ただじっと、目を閉じていた。

 そんな彼女を、柘榴の色をした目が蕩けるほどに優しく見つめている。


「“僕”はいつも一歩遅いな……“君”が大事なものや使命で雁字搦めになってからやっと辿り着くんだから……」


 今回の“彼”は、いつものように作り出されて旅立ち、僅かな魂の繋がりを頼りに今回の“彼女”を探してこの花の都へやってきた。厳重な警備を掻い潜り、温室の中に入り込んで、この温室を動かしているのが彼女だと悟り地下へ降りてきたのだった。


 流れるものの圧で微かに震えているケーブルを指先でなぞり、彼は深刻そうな顔をする。遥か昔から追いかけ続ける内に、いつの間にか人類は随分と進化したものだ。こんな完璧な飼い殺しの装置、よく思いつくものである。


 体に花を咲かす人々を生かすための楽園。魔力で保護された温室にいなければ死んでしまう脆弱な人種のために、一人を犠牲にし、大金をかけてわざわざこんなものを作る理由は何だろうか。


「君は、目覚めないのかな。君に求めてもらわなきゃ、僕は君を連れ出せないのに」


 隣に座る彼の声に少しの反応も返さない少女の頭に頬を寄せ、小さく溜め息をついて目を閉じる。この華奢な体から吸い上げられた魔力がコードやケーブルを伝って流れていくのが感じられて、何だか無性に切なかった。






 それからと言うもの、彼は魔導式蓄光器が降らす陽光が箱庭に作り出す影に潜んで彼女のそばに侍り続けた。時折やってくる研究員らしき者以外に人は現れない。


 研究員のような者たちは彼女の脊椎に繋がれたケーブル等のメンテナンスや、定期的に体の清拭や着替えをするのみである。恐らく、バイタルデータのチェックなどは別室で計器が動いているのだろう。

 本当に彼女は『動力源』でしかないのだと思い知らされる日々だった。それでも、誰もいない時間にその隣に座って、くっついたまま他愛もない言葉をぽつぽつと紡いでいく時間は穏やかだった。


 変化は、彼が箱庭にやってきてから十五日後に起こった。


 外にある魔導式集光器が溜め込んだ太陽光は昼夜を問わず箱庭を照らす。時間の感覚を失わせる淡い金色の光の中で、不意に、水晶を白糸に紡いで束ねたかのようなまつ毛がふるり、と震えた。


 ゆっくりと、花の開くような速度で、白い少女は目を開ける。白皙の、ビスクドールの美貌の中に出現した瞳は、鮮やかすぎる紫。


 箱庭の中に突如出現した色彩は、きょろ、きょろ、と夢遊病患者のような様子でぼんやりと辺りを見渡した。焦点が合わないのか、長い白いまつ毛がはたはたと瞬きを繰り返す。

 それを幾度か続けて、ようやく自分の隣に見知らぬ男がいることを認識したらしく、少女はその目をきょとん、と丸く見開いた。

 彼はその顔があんまりにも可愛かったので柔く目を細めて、彼女を驚かせないような囁き声で「はじめまして、久しぶり」と告げる。血のような赤い瞳が柘榴の粒の暖かみを帯びた。


 少女はそんな彼を不思議そうな顔で眺め、おずおずと口を開いた。


「……はじめ、まして?」

「うん。君にとっては」

「ひさし、ぶり?」

「うん。僕にとってはね」

「……ふしぎなひと。あなたはだぁれ?」


 普段使わない喉からこぼれる声は小さく、掠れている。やや舌足らずで幼い声に、彼は一つ一つ穏やかに答えていった。


「僕は君を迎えに来たんだ」

「……むかえに?」

「うん。僕と一緒に来てくれる?」


 彼に比べるとずっと小さな手を握り、不思議そうにするばかりの顔を覗き込むようにしながら問い掛ける。保護区の動力源にされているこの現状、使命や宿命に囚われ、彼のこの言葉に決して頷くことのなかった今までの彼女たちと違って、きっと頷いてくれる、そう思った。


 純白の少女は、またはたはたと瞬きを繰り返して、ゆっくりと俯いた。細い肩に掛かった長い白髪がその動作を追いかけるようにさらさらと流れる。極上の紫水晶アメジストの瞳が箱庭に敷かれた芝をじっと見下ろした。


「……いけない」


 やがて、魔女と呼ばれる彼女は、首を振って小さくそう答えた。


「え……?」

「ごめんなさい、わたし、いけない」

「な、何故? だって君は、こんな……」

「……いもうとが、いるの。だいじな、いもうと」


 焦りを浮かべた彼に、彼女は俯いたままそう言った。妹、と彼が繰り返すと、少女は切り揃えられた白い前髪を揺らしてこくりと頷く。


「もう、ずっと、会えていないけれど……だいすきなの、だいじなの」

「……そう、なんだ」

「『魔女』がここをはなれたら、温室はしんでしまうの、そしたら、いもうとも……」

「…………」


 魔女は温室の動力源。そして、魔女は一代に一人限り。彼女が、温室を生かしながらここを離れるすべはない。それを悟った彼は思わず言葉を失った。

 そして、ややあってからその白皙に慈愛と呆れを混ぜ合わせた苦笑が浮かぶ。冷たい手が、少女の小さな手を握った。


「……やっぱり君も、“君”だね」

「……?」

「いいんだ、君の言い分は分かったから」


 大切な妹。歴代の“彼女”が抱えていた「捨てられない守るべきもの」たちよりもよっぽど対処しようがある。探し出して、一緒に連れていこうと提案すれば……


「君は、たまにこうして目覚めるの?」

「うん、ときどきね」

「分かった」


 彼女の血縁であれば、探し出すのはそう難しいことではない。彼はそう結論付け、今後の方針を決めた。微睡みがやってきたのか、うとうとと緩慢な瞬きを始めた彼女を見守る。


「……ねぇ、また、ここにいてくれる?」

「勿論、僕は君のそばにいるよ」

「……そう……なら、よかった」


 ほんの少しだけ微笑んで、純白の少女は再び目を閉じた。鮮やかな紫水晶アメジストが閉ざされ、その美貌がまた白一色になる。それを見届け、彼は「おやすみ」と囁きかけてから立ち上がった。




――――――




 花の都は、常に四季の花が狂い咲き、甘く爽やかな香りに満ち溢れている。

 春を思わせる暖かさの中で冬の花が咲いていられるのは、地面の下に敷かれた魔力伝達回路から発せられる『魔女』の魔力のお陰だ。


 そんな人造の常春の中を、彼は影に紛れて歩き回っていた。


 花の都は花持つ人類のための保護区であるが故に外部の人間の進入を認めていない。そのため住人の全ては互いに顔見知りであり、見慣れない者は非常に目立つ。花が生えていれば「新入りか」と歓迎してもらえるがそれ以外は通報の対象。出資国から派遣された人間で構成されている警備隊が、都のどこだろうと三分以内に駆けつける。


(随分と変なものだな……)


 影の中を移動しながら花の都を見て回っていた彼はそう思った。この温室は、肌の裏に引っ掛かるような、極々微かな違和感に満ち溢れている。


(花持つ人間は、寿命が短いのか?)


 行き交う人々に共通するのは、その肌のどこかに必ず各々の花を咲かせていることと、ある一定の年齢以下であることの二点。独り身、夫婦、子供。男女それぞれ存在するが、誰も彼も若い。三十歳程度までの人間しかいないように見えた。


 ある大陸にのみ生まれるという花持つ人類に関する研究はあまり進んでいないらしい。

 その存在理由故、現代社会の知識に乏しい彼が知っていることは尚更少ないと言えるだろう。


 何故、他に転用すればもっと有用であるはずの『魔女』を単なる動力源として消費し、各国が決して少なくない資金を出し合い、こんな温室を作り上げてまで彼らを保護しているのだろうか。


 彼女の妹は花持つ人であるはず。この温室で暮らしているということはそういうことだ。

 彼女が魔女である以上、彼女もその妹もこの温室で生まれた子供であるのだろう。両親の話が出なかったと言うことはやはり、花持つ人々は短命、という彼の予想は正しいのかもしれない。

 そこまで考えて、彼はふるふると首を横に振った。こんなことを考えていても意味がない。早く、血縁の繋がりを辿って彼女の妹を探し出さなければ。


(今度こそ)


 遥か遠く、縛められたその地から動くことのできぬままの“彼”と同じように、彼もまた「今度こそ」といつだって強く思うのだった。






 ――おかしい。


 数刻、花の都の影を駆け回った彼はやっと動きを止めてそう訝しんだ。


 “彼女”の血縁を探し出すことは、彼にとってそう難しいことではない。彼は“そういう”ものだからだ。それ故に、特に悩むこともなく彼女の妹を探し出そうと決めることができたのである。


 だが、いくら探しても、この温室の中の地上に、魔女と呼ばれる彼女の血縁の存在は見つけられなかった。


 ――そう、地上に、は。


 一本の、今にも途切れてしまいそうな幽かな繋がりの糸。彼の柘榴の瞳にだけ見える薄黄金うすこがねのそれは、吹けば消えてしまいそうに儚いのに、確かに繋がりを示しているのだ――地下の方へと。


 地下に、花持つ人々は、いない。


 入ることを許されていないどころか、どうやら彼らはこの温室の心臓たる地下の存在すら知らないらしかった。


 どう考えても、おかしい。


 花持つ人であるはずの彼女の妹は、花持つ人がいるはずのない温室の地下に、その存在を示しているのだった。


 指先を通り抜けるような、儚く細いえにしの糸。魔導科学の集合体、動力源たる『魔女』を中心部に据えた秘密の地下。どこかおかしいこの都の、隠された心臓。


 彼は、その事実を影の中で混乱と共に受け止めてしばし逡巡したのち、ゆっくりと、再び地下へと足を進めた。


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