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第十一夜.解呪の乙女 前編


 久々に地上に降り立って体感した本物の重力と空気は何だか新鮮だった。くぅっ、と伸びをして深呼吸をする。


「首席射手殿、ようこそ総司令部へ」

「ご機嫌よう。短い間になるかもしれないけれどよろしく頼むわ」

「ふっ、浮遊天文台の開発チームの優秀さは地上にも聞こえるほど轟いておりますよ」

「ええ、そうなの。史上最速で完成させると息巻いていたわ」


 案内人に連れられて昇降機を離れる。次にこれに乗るのはいつになるだろうか。

 重力に囚われない『浮遊天文台』は特殊な垂直飛行、降下を可能とする魔導式の昇降機を出入の手段としている。次に乗るのは天文台に帰るときだ。


 案内人と共に総司令部施設の中へ入り、靴音を鳴らしながら武骨な廊下を行く。


「そうだ、首席射手殿。事前に申請をいただいていた件なのですが」

「そうね、如何かしら。私手ずから育てた射手がいるから当分地上部隊の出番はないと考えているの。その間だけでも調査に出たくて」

「こちらでも予測は同じですので、許可を出させていただくことに決定いたしました。ご安心ください」

「ありがとう、助かるわ」


 彼女は地上へ降りるに当たって、とある調査の申請を国際協働軍総司令部に出していた。


「しかし――古代史に謳われた魔物の捜索、ですか……」


 案内人が不思議そうに首を傾げるのへ、彼女は何も言わずに微笑んだ。


 五十年前の人類が“魔物”と呼び、戦った相手に現代の己が古代の“魔物”をぶつける。それが彼女の考えだった。


 五十年前、『青月の聖女』と呼ばれた女が残した記録にある「柘榴の君」は書かれている内容からしてその“古代史に謳われた魔物”で間違いない。そして、その「柘榴の君」が易々と“魔物”と呼称された異形を屠っていたこと。その二つを合わせて、彼女は考えたのだ――この星に古代から息づく魔物は星外から来る人類の敵に優位をとれる。戦力に迎えられれば万が一の地上戦の際に心強い味方となるのでは、と。


 古代魔法史を遡れば、古き時代、この星には数多の魔物が存在したことが分かる。それらは時に人に利する存在であり、時に人を害する存在であった。

 その多くは人に仇をなした末に当時の魔導士によって滅ぼされたり、封じられたりしたと言う。結果、現代まで戒めもなく残っている魔物は極々少数だ。


「魔物と言えば、白霧の国の『アビー・ラバーの香炉持ち』は現役ですね」

「ええ。でも未だ封印もされていない魔物は、人類にほとんど害をなさない。裏を返せば戦力には期待できないのよね、赤陽の国の『黒馬のエルへ』もそう」

「確かに……」


 彼女は「だから“捜索”なの」と苦笑してみせた。封じられたものを探し出し、封じを緩める対価に人類に味方するよう契約を取り付けるのだ。幸い、魔物を従えるのに必要であろう魔力量には自信がある。


 なるほど、と頷いた案内人と共に施設の中を行く。私室として通された部屋にはすでに荷物が運び込まれており、地上部隊に関する会議は明日からだと言うので今日はありがたく休むことにした。





――――――





 ――悲痛なすすり泣きが聞こえる。


 重たい湿気の垂れ込めた石造りの牢獄、髪を撫で下ろすようなその湿度に、はっと目を開けた。そしてまた気づく――あの夢だ。


(ここはどこなのかしら。実在の遺跡なのか、精神世界なのか……)


 夢の中の視点とは別に、明瞭な“現在”の彼女の意識が辺りを観察する。ぬめった石材と立ち並ぶ鉄格子から得られる情報は少ない。だが。


(壁の所々に、紋様が見える。詳細が分かれば国や時代が特定できるのに……)


 如何せんここは暗すぎる。緞帳のような闇がすぐ隣に控えているような重苦しさ。しっとりと立ち込める白い霧。揺らぐ青白い明かりだけでは濡れた壁に刻まれた消えかけの紋様など判別できようもない。


(私は、多分ここを知っている)


 このところ、この夢を見る頻度が増えている気がする。それはもしかしたら、自分の中に沈むブラックボックスが開きかけていると言うことなのかもしれない。


(ならばきっと、私が“これ”に近づきつつあると言うこと)


 夢の中の彼女はゆっくりと、そこを歩いていた。すすり泣きの声の正体を探している、と言うよりは声の主のこともその居場所も、分かっていて近づいている、と言う印象だ。


 この場所には、囁き声のような、風の音のような、雨音のような……何の音なのかどこから聞こえるのか、判別し難い微かな音がひっそりと、しかし存在感をもって響いている。


(……何の気配かしら、これは)


 そしてまた、あの一際黒い闇に沈んだ牢に辿り着く。白い繊手が冷たい鉄格子に触れる。


「――何を泣いているの?」


(!!)


 驚いた。夢の中の彼女の声は、今まで彼女自身に聞き取れたことがなかったのに。


 闇の中のものが身動ぎする。黒の狭間に見え隠れする柘榴色。それが()の瞳の色だと、彼女はようやく気づいた(思い出した)


「――……あと一度だけで、いいんだ」


 夢の中の彼女の手の向こうに、冷たい鉄格子を挟んで白い手がひたり、と重ねられた。関節と筋のくっきりした男の手だった。


 不思議なことに、格子の隙間にガラスでもあるかのようにその手は微かに震える指の先すらもこちら側へ出てこなかった。あと少しで触れられるのに、と漠然とした不満が夢の中の彼女に渦巻く。


「君に……会いたいよ……」


 どうして顔すら見えないのだろう、と夢の中の彼女に渦巻く不満が強くなっていく。手に力がこもった。刺すように冷たい鉄格子をきりきりと握り締める。


「――分かったわ」


 その一言が紡がれた直後、場に満ちていた微かな音がふっと静まり返った。


「――だから泣くのはおよし」


 鉄格子の向こうで息を呑む音がする。蠢いていた闇が動きを止めて、ひっそりとこちらの出方を窺うような気配を見せた。柘榴色の瞳が、怯えを滲ませて闇の狭間から彼女を見る。


 白い手を震わせた彼が何か言おうとした気配のその直後、くらりと視界が眩む。いつもの感覚、覚醒の気配。


(あぁ、目が覚める――)


 まだ彼の答えを聞いていないのに――そう惜しむ気持ちは果たして、“かつて”の彼女のものなのか“今”の彼女のものなのか――


 ぶれた視界の中に、ふと濡れた石畳の床が映る。


 じっとりと濡れた石の表面に、意味ありげな凹凸を見つけた――その正体を掴んだ直後に、彼女の意識は現在へと引き戻された。





 ――雨が窓ガラスを叩く音がする。


 ふっ、と意識が浮上、幾度か瞬きを繰り返して視界をクリアに。薄暗く、生活感のない室内の景色が明瞭になった。調査のため訪れた金穂の国の首都にあるホテルの一室――自分の現在地を正しく認識する。


 ゆっくりと身を起こし、肩に腕にと絡む長い黒髪を払う。薄暗い常夜灯はそのまま、サイドボードのメモ帳を引き寄せて備え付けのボールペンでさらさらと記憶に刻まれたそれを書き付けた。


(……見た覚えがある。確か、学院で)


 金の瞳がじっとそれを眺める。夢の中の記憶と寸分違わぬ紋様。起き抜けの頭でゆっくりと記憶を手繰り、優秀な脳に整然と詰められている知識の本棚を端から確認していく。見たはずなのだ、今回(・・)の自分の目で。


 石に刻むには優美な曲線、流麗なそれは嵐を表していて、そこに祀られた存在そのものを意味している。その彫刻技術を保有していた古代文明は千年前にたった一つ。一夜にして滅びた霧の奥の国、その所在は――



「――……白霧の国」



 彼女はふっと顔を上げ、窓を見た。ぶつかった雨粒が連なって滴るガラスの向こう、曇った空の果てを見透かすような目で。白い霧に包まれた島国は現在地から西へ。海を隔てたその先だ。




――――――




 白霧の国。この星の上でもっとも大きな大陸の西に位置する島国である。気候は穏やかでやや寒冷、晴れの日が少なく、曇天の下で霧の立ち込める日が多い。


「――海と牧草の香りね」


 渡島の手段は専ら海路である。船に揺られて降り立ったその島は、海から吹く風と一面に広がる牧草地帯の香りの入り交じる穏やかな場所だった。


 他の乗客と一緒に船を降りた彼女は、辺りを見渡して手にした端末に表示された地図を見下ろす。とにかく一時の拠点となるホテルに荷物を置きに行かなければ。その後向かうのはこの島の北部に位置する禁足の樹海だ。そこに、あの夢の中で見た紋様を特徴とする滅びた文明の遺跡がある。


 タクシーを捕まえてホテル名を告げ、動き出した車の中で再度個人端末を起動。白霧の国の禁足地『ヴァーメイユ樹海』に関する史料を開いて読み始める。


(……魔物によって一夜にして滅びた文明の中心地)


 如何せん禁足地に指定されているので研究者もあまり立ち入ることができず分かっていることは少ない。何せ保有魔力量の少ない人間が入ると途端に発狂する、と言われている呪われた樹海だ。


 最北に位置する巨大神殿は外から見た建築様式からして元々は監獄であったと考えられているそうだ。現在はそこに、国を滅ぼした魔物が封じられている。その神殿にかつて何が祀られていたのかは不明。また、何故魔物が一夜にしてその国を文明もろとも滅ぼしたのかも分かっていないという。


 何せ災厄の一夜によってありとあらゆる物が破壊され、燃え、消失したのだ。

 確かなのは、災厄の夜が約千年前のことであるということと、その一夜の後で別の国からやって来た大魔導士が魔物を神殿に封じたということ、そしてその魔物が天に瞬く星を一つ落としたので『星落の禍神』と名付けられ、記録された事実だけ。

 かの魔物があまりに強くて浄滅することが叶わず、苦肉の策として封印することになったらしい。


 ヴァーメイユ樹海の呪いは、封じられて尚強い力を持つ魔物から滲み出す魔力の影響であろうと推測されている。知的好奇心の塊たる魔法史学者も魔力学者も長時間の調査を断念するほどの危険があるのだ。


(……天文台の射手の名があって良かった。お陰で禁足地調査の許可が下りた)


 彼女はふと視線を上げて車窓の外を流れる景色を眺める。街の中にはしっとりとした霧が満ちていた。今日の霧はこれでも薄い方なのだという。酷い日は車の運転が禁止されるらしい。


――『霧が酷いから、君が来ないんじゃないかと思ってた。来てくれて嬉しい』――


 そんな声が聞こえた気がして目を閉じる。漠然と、掴みきれない記憶。指先が無意識に胸元に吊るした石に触れた。柘榴色の一粒、自分がこれを握り締めて生まれた理由もいずれ分かるのだろうか。





 ホテルに荷物を置いてまたタクシーに乗った彼女は個人端末で白霧の国の古代魔法史を読み返していた。


 人間が切り拓くまで、この島は面積の九割を森に覆われていたという。現代に至っても七割が森林、驚くべきことだ。それ故に、精霊とも魔物とも区別をつけ難い神秘の存在が他国に比べて多くいる。そのほとんどは悪戯好きで、精々物がなくなる程度の害しかない。白霧の国の民はそんな“隣人”と共存して現代を生きている。


(逆に力の強いものばかりの中で何故か上手に繁栄しているのが極東の稲穂の国よね。不思議なことだわ……)


「……お客さん、ヴァーメイユになんて何しに行くんで? あんなとこ、観光する場所もねぇ薄気味悪い場所ですよ」


 ヴァーメイユ樹海へ、と言われたときから苦い顔をして緊張を滲ませていたタクシー運転手が不意にそう口を開いた。バックミラー越しに怯えた顔と目が合う。小首を傾げた彼女は金の瞳を細め、思案するように緩く曲げた指先を唇に当てた。


「目的は調査よ。心配をどうもありがとう」

「調査、って言うと学者さんか何かで?」

「ふふ、それは秘密」


 そう答えたきり彼女が視線を端末へ向けたので運転手からの詮索は途切れた。ただ、自殺志願者を乗せているわけではないと分かってかバックミラーに映る表情はほんの少しだけ和らいでいる。


 そのまま街を離れ、一面に広がる長閑な牧草地帯を一時間ほど走り(呪われた禁足地故にバスなどの公共交通機関ではダイレクトにアクセスできなかったので仕方ない)次第に民家などの人工物が見えなくなってきた頃、代わりとばかりに前方に鬱蒼とした景色が姿を現した。


 白い霧をヴェールのように纏う深緑の針葉樹林。島の北端一帯を埋め尽くす広大な樹海。


「……つきやしたぜ、お客さん」


 ここがヴァーメイユの入口でさぁ、と運転手の陰鬱な声と共に車が止まった。


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