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もしもし教皇だけど。今日から馬に乗るの禁止ね。

作者: ねくろん

短編なので1万字ほどで終わります。

評価感想のほど、よろしくお願いします!

 騎士とは、中世ヨーロッパの社会において、戦士としての名誉を持つ存在であった。彼らは勇敢であり、誇り高き者たちだった。しかし、時代が進むにつれて、騎士たちの力が増し、次第に教会や王権との間に軋轢が生まれていった。


 時は13世紀、教皇インノケンティウス2世は騎士たちの勢力を抑えるために、ナント公会議において一つの禁忌を発令した。それは、騎士が馬に乗ることを禁止するというものであった。馬は騎士の象徴であり、彼らの力を誇示する道具でもあった。騎士たちから馬を奪うことで騎士の力を削ぎ、教会や王権の影響力を強化する狙いがあったのだ。


「あ、もしもし? 教皇だけど。今日から馬使うの禁止ね。よろしく」


「え、はい? もう一度お願いしてもよろしいですか? 猊下(げいか)?」


「だーからー、馬使うの禁止。何か野蛮じゃん。馬って賢くて可愛いじゃん? 最近動物愛護団体も、戦争のとき、馬使うの良くないっていうしさ。うちのコンプライアンス的にもマズイんだよね」


「え、じゃあ馬の代わりはどうすれば……」


「それはそっちで考えてよ。役目でしょ」


 ガチャ。ツーツーツー。


「……え、これ殺していいやつ? そうだよね?」



 教皇は各国の王にこのように電話した。王、そして王を支える誇り高き騎士たちに衝撃が走った。だが騎士は教会を守護する聖戦士でもある。あまりにも理不尽なお触であっても法皇の意志にさからうことはできなかった。騎士たちは馬の代わりを探すために頭をひねることとなった。


「父上、お聞きになられましたか」


 若き騎士ガラハドは、父ランスロットに膝をついて尋ねる。

 銀色の輝く甲冑に身を包んだ壮年の騎士、ランスロットは年の離れた息子に慈しむような目を向け、顎を撫でながら喉の奥で忌々しげにうめいた。


「うむ。猊下はトチ狂い遊ばせたようだ。まさか馬を禁止するとは。ガラハド。我が厩舎の馬も、全て野に放つよう強いられた」


「バカなんじゃないですか?」


「正直ないわーと思ったが、逆らえん物は逆らえん。

 我ら騎士は教会を守護するお役目があるからな。しかし……」


「動物愛護だかなんだか知りませんが、異教徒は待ってくれません。すぐに馬の代わりになるものを探さなくては!」


「そのとおりだ。行くぞ倅よ」


 騎士ランスロットとガラハドは馬の代わりとなる〝聖杯〟を求める旅に出た。

 まず彼らが目をつけたのは「ロバ」だった。


 ロバは丈夫で力強い動物である。自分の体重の倍もある荷物を運び、粗食に耐え、頑固だ。馬の代わりの乗騎とするには申し分ないように思えた。


 しかし、いざロバにまたがってみると、騎士としての役目を果たすには不十分であることに気付いた。ロバはのんびりと歩き、迅速な移動には不向きであった。またやたらに頑固であり、一度へそを曲げるといくら手綱をふろうと言うことを聞かない。槍を構えての突撃など、出来ようはずもなかった。


「ロバは叩いても馬にはならぬ、とはよく言ったものだな」


 彫像のようになったロバの上で、ランスロット卿は嘆息した。

 ガラハドも同意し、ロバの案は却下された。


 次に彼らが目をつけたのは次に試みたのはトナカイであった。意外かもしれないが、トナカイは北方スカンジナビアの先住民サーミたちが乗騎として使っており、このことはキリスト教世界にもよく知られていた。


 また、トナカイは勇壮な角をもつ動物であり、騎士たちの象徴にふさわしいかもしれないとランスロット卿は考えたのだ。しかし、ロバとは逆にトナカイはおとなしすぎた。荒々しさが美徳とされる戦場での使用に適していないのは明らかだった。


「トナカイもまた、我々の期待には応えられないか」


 父の言葉にガラハドもうなずき、トナカイの案も諦めざるを得なかった。


 ランスロットが最後に試みたのは猫であった。猫は柔軟で素早く動ける動物であり、密偵のように敵の動きを探ることができるかもしれないと考えた。しかし、猫にまたがろうとすると、猫はまったく協力せず、自由気ままに動き回った。ふたりは猫の気まぐれさに手を焼き、戦場での使用は不可能であると悟った。


「猫もまた、我々の期待を裏切った」


「どうしていけるとおもったんです?」


「だが、こんなことで挫けてはいられん。明日は犬を試そう」


 馬の代わりとなる動物は見つかりそうになかった。しかし忍耐力に定評のあるランスロット卿の眼光たるや衰えを知らない。猫に使おうとして結局無駄になった馬具をしまいに倉庫に入った卿。その時、彼の目にあるものが入り込んだ。


「これは……! そうだガラハド!! コレが使えるのではないか?」


「今度はなんですか父上……あ、これかぁ~……いけるかなぁ?」


 中世ヨーロッパ、その時代は騎士道と信仰が交錯する華やかな時代であった。人々は未知なる世界に夢と憧れを抱き、日常の中で異国の風説が語られることも多かった。そんな中、ひとつの奇妙な伝来があった。


 中国から伝わった「馬馬車里(ママチャリ)」という乗り物である。


 話は遡ること千年前、中国の皇帝は新たな技術を開発するため、全国の工匠たちに「みたこともないもの」を作るように命じた。そして、ある日一人の名もなき工匠が、不思議な乗り物を発明した。これが後に「馬馬車里(ママチャリ)」と呼ばれることとなる自転車であった。


 皇帝はこの乗り物を見て、その奇妙な形状と機能に驚嘆し馬馬車里と名付けた。

 意味は馬の2倍の速さを持つ車里である。馬は文字通りの意味であり、車里は中国語で車の中にいる、転じて乗ると言う意味である。


 馬馬車里(ママチャリ)は、シルクロードを通じてゆっくりと西へと運ばれていった。商人たちの手を経て、多くの国々を渡り歩き、ついに西ヨーロッパへと到達していた。


馬馬車里(ママチャリ)なら馬の代わりになるやも知れぬ」


「もう父上の好きにしたらいいんじゃないですかね」


「それっ!」


 馬馬車里(ママチャリ)に飛び乗ったランスロットはその銀の車輪で館の練習場を走った。その速度は馬と比べても遜色ないものだ。ママチャリは腹の下にあるペダルをこぎ、その力をチェインという(はらわた)を通して車輪につなげることで疾走する。飼い葉も水も必要なく、騎士の体力一つで動き続ける驚きの乗騎であった。


「これは……ガラハド、これなら行けるぞ。槍をもて!」


 (いぶか)しがる息子をよそにランスロットは槍を求める。長さ2Mにもなる長大なランスを渡すと、父は槍を水平に構えてペダルに全力を込めた。

 

「ぬぅうううううううう!!!!」


 裂帛の気合をこめ、立ちこぎをするランスロット。が、槍を構えるにはハンドルを片手で持たないといけない。槍の重さがバランスを崩すのもあってどうにもうまくいかない。ママチャリの上で槍を使うのは無理があるように思えた。


「やはり、こんな奇怪なものでは馬の代わりになりませぬよ」


「うぅむ……いや待て。コレは何だ?」


 息を切らしたランスロットは馬馬車里(ママチャリ)の後ろをみる。そこには水平に固定された金属製の板があった。そのとき、ランスロットに天啓がおりた。


「ひょっとして、これは座席ではないのか? そうか! ガラハド、槍を持ってここに座れ。ええい! いいから座らんか!」


 嫌がる息子を無理やり座らせ、ランスロットは再度べダルに力を込めた。するとどうしたことだろう。先ほどとはうってかわって馬馬車里(ママチャリ)の走行が安定する。これはと成功を直感したランスロットは、両手でしっかりとハンドルを握り、立ち漕ぎの姿勢に入った。


「並足から襲歩(ギャロップ)に移る。ガラハド、槍を水平に!」


「はっ、はい!」


 ガッシャガッシャと年甲斐もなくこぐランスロットの力により、次第に加速していくママチャリ。後ろの座席に座ったガラハッドは必死に姿勢を保ちながら槍を水平に保つ。そして槍の穂先を練習場にある木偶人形に向けた。


< ズカンッ!! >


 木と鋼が激しくぶつかる音が練習場に響く。槍の穂先は木偶人形の脇腹を大きくえぐり、麻布の体をひきちぎって中身のワラを地面にばらまいた。


「「おぉッ!」」


 親子は揃って歓声をあげる。なんという皮肉だろう。馬のかわりに成りうべき存在が最初から彼らの倉庫にあったとは。


「父上、これなら教皇に馬を禁止されたとしても、軍役に困りませぬな」


「うむ!! これぞまさに新時代の騎士の姿であるな。さっそく親戚にも文を送って馬馬車里のことを知らしめようではないか」


 馬馬車里は馬を失った騎士たちにすぐさま受け入れられた。ランスロットの車里戦術(チャリタク)は燎原の火のごとく広がり、国全土を巻き込む軍事革命となったのである。


 当初はただの奇異なものとされていたが、その特性が次第に明らかになると、騎士たちは驚くべき発見をすることになる。


 それは馬馬車里(ママチャリ)は乗り手が増えるほど力を増す、ということだ。馬は乗り手が増えると重くなり、遅くなる。しかし馬馬車里(ママチャリ)はちがう。乗り手が増えるということはペダルの漕ぎ手が増えるということ。漕ぎ手が2人になれば2倍の力を得て突進が可能となる。従来の馬を使った戦法と異なり、規模の拡大によるスケールメリットが存在するのだ。


 こうして馬馬車里(ママチャリ)の改良型、三人乗りの馬馬馬車里マママチャリが生まれた。


 3人乗りのマママチャリは普段は3人で漕ぎ、戦闘時には中央の2人目の騎士が槍を構える。これにより通常のマママチャリは通常の騎兵の2倍のエネルギーゲインを持つ。さらに白兵戦においては、騎手の人数が3人なので3倍になる。従来の馬を使った騎兵に比べると、その軍事的優位性は火を見るよりも明らかであった。


 次第に、馬馬車利の乗員は増えていった。最初は2人乗りであったが、その後3人、4人と増え、ついには一度に50人の騎士がペダルを漕ぐ巨大馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬車里が生まれた。


 この巨大な馬馬車利は25人の騎士が乗った馬馬車利を2つ並べ、その間に丸太をそのまま一本使った破城ランスが固定されている。ランスの先には巨大な穂先がついており、ぶつかったもの全てをことごとくなぎ倒す威力があった。


 まさに古代ギリシャのガレー船もかくやという威風である。もちろん、見た目だけでなく実力も確かであった。50人の騎士たちがママチャリで一丸となって突撃してくれば、これを止められるものは存在しなかった。


 50人乗りの馬(中略)馬車里がその初陣を飾ったのは、1280年。フランス王国とシチリア王国の国境紛争に端を発したコルナゴの戦いである。この戦いは、両国の間で激しい対立が続く中、決定的な一戦となるべく注目を集めていた。


 両軍はコルナゴの広大な平原に集結し、戦いの火ぶたが切られようとしていた。フランス王国の騎士ランスロットとガウェイン卿は、50人乗りの馬馬車利(ママチャリ)を駆って戦場に立っていた。一方、シチリア王国の騎士たちは馬を奪われ、すべての騎士が下馬しており、徒武者(かちむしゃ)となっていた。


 戦笛(ホルン)の音が響き渡り、戦闘が始まった。50人の騎士たちがペダルを漕ぐ巨大な馬馬車利が、まるで地上を征く船のように突撃を始めた。50人の騎がペダルをこぐ姿は壮絶であり、巨大な槍が敵陣を貫かんとばかりに突進する様子はまさに圧巻であった。


 敵軍は矢を放って馬馬車利を攻撃してきたが、フランス軍の騎士たちは巨大な盾を高く掲げ、連携して防御態勢を築いた。馬と異なり血の流れていない馬馬車利が相手では、将を射止める前に馬を射よ、と言うわけにはいかない。馬馬車利の騎士たちは巧みに矢をいなしつつ、敵軍の陣形を崩しにかかった。


 シチリア王国の騎士と兵卒たちは、馬馬車利の前に壁となって立ちはだかり、パイクを3段にならべて槍衾(やりぶすま)を作った。槍の壁に飛び込むのは、騎馬であれば自殺行為となる。だが、馬馬車利であれば話は別だ。


 馬馬車利が備えている超巨大ランスの長さは30メートルにもわたる。他方、槍兵が使うパイクは長くても4メートル。平均的な長さは2.5メートルだった。


 戦場においてその者の持つ武器の長さは、その者の命の長さと同じだ。


 シチリア王国の戦列の槍が馬馬車利に届くことはなく、真っ向から巨大ランスの突進を受けてしまった。激しく衝突し、悲鳴とともに鋼鉄がぶつかり合う音が響き渡った。フランスの騎士たちは戦列を貫いてなお、力強くペダルをこぎだす。一つの戦列を大槍で破壊し、また別の戦列を側面から襲う。こうしてシチリア王国の兵士と騎士たちはさんざに打ち破られた。馬馬車利という鋼の獣による一方的な蹂躙である。


 ナント馬禁止条約が定められてからというもの、戦場では馬の代わりに馬馬車利(ママチャリ)が猛威を振るうこととなった。がっしゃがっしゃというペダルを漕ぐ音が馬のいななきの代わりとなり、巨大な一本の槍が敵軍を一気に蹴散らす光景が繰り広げられた。


 彼らの連携と統率力は、まさに新しい時代の騎士道を象徴していた。


 しかし、このことを喜ばない者がいた。騎士たちに馬を使用することを禁じた張本人。教皇インノケンティウス2世その人である。教皇は、騎士たちの力が再び増大することを恐れた。彼は騎士たちの団結と新たな武器である馬馬車利(ママチャリ)が、教会の権威を脅かす可能性を感じ取っていた。


 内心の不安を隠しつつも教皇は対策を講じることを決意した。この新たな乗り物はキリスト教世界の秩序を乱すものだ。何としてもその力を抑えなければならない。教皇は子飼いの枢機卿たちと密かに対策を練り、騎士たちの影響力を抑え込むための策を講じ始めたのである……


「十字軍、ですと?!」


「うむ。」


 コルナゴでの戦いを終えたばかりのランスロット親子にある一報がはいった。それは教皇インノケンティウスの名のもとに発せられた「十字軍」の号令であった。


 13世紀の半ば、教皇インノケンティウス2世は個人的な思惑から十字軍を組織することを決意した。前年、教皇は騎士たちが使う馬を禁止し、結果として騎士たちは「馬馬車里(ママチャリ)」という自転車を代用することになった。


 騎士たちの力を削ぐ目論見があった「ナント馬禁止令」はこの馬馬車里(ママチャリ)によって有名無実化してしまった。ゆえに教皇は十字軍を呼びかけ、戦の消耗によって騎士たちの力を削ぎ、教会の権威を一層強化しようとしたのだった。


「ですが、父上! ここに書かれているこれは……」


「うむ。そうよな」


「ラピエールは同じキリスト教徒が住む街です。なぜ十字軍などと! それにラピエールは我々が駆る馬馬車里(ママチャリ)を作っている重要拠点です!」


「だからだ。だから猊下は十字軍の号令を発したのだ」


「なっ……!」


 問題は十字軍の目標とされた都市にあった。十字軍の呼びかけは、なんと同じキリスト教徒であるフランスの都市、ラピエールに対して発されたのであった。その攻撃は教皇の望む方向性、すなわち教会の権威を高めようとする意志と明らかに矛盾していた。それはなぜか。


 ラピエールは馬馬車里(ママチャリ)の一大生産拠点であったからだ。

 都市が喪われれば、馬馬車里(ママチャリ)もまた喪われる。


 十字軍に参加した騎士が勝てばそれでよし。馬馬車里(ママチャリ)の喪失によって、騎士たちの弱体化は成る。負けたとしても、それはそれで世俗領主の力を弱めるという目的は果たせる。


 教皇が打った一手は、騎士たちにとって許しがたくも効果的な一手であった。


「どうするのです父上。ラピエールには、先のコルナゴの戦で共に馬馬車里(ママチャリ)に跨ったガウェイン卿がおります。かつての戦友に剣を向けるなどと……」


「わかっておる。わかっておるわ」


 ランスロットは喉の奥で(うめ)く。

 戦友と教会の間で心を揺らす父の姿は、ガラハドの目に痛ましく写った。


能地足(のうじた)れり。為すべきことは為した。馬を捨てろと言われれば捨ててみせ、それでこの仕打ちとは……インノケンティウスめ」


 ランスロットは天を仰ぐ。

 すると彼は何かを決心したような澄んだ瞳で息子に向き直った。


「ガラハド、私は決めた。ラピエールに入るぞ」


「父上!」


「だが、ラピエールの敵としてではない。共にペダルを漕ぐ仲間としてだ」


「……ッ!!」


 1281年の夏。ラピエールの城門の前にランスロットの一門衆が並び立った。

 城内の市民や兵士たちは一触即発の緊張感に包まれた。しかし、街の前面に立った軍勢は、矢玉を放ってくる気配はない。静けさの中、時間だけがたっていく


 その時、一騎の馬馬車里(ママチャリ)が軍勢から進み出た。


 その異様な光景に、群衆は驚きと好奇心を隠しきれなかった。馬馬車里(ママチャリ)の全面には、荷駄用のカゴが取り付けられており、その中には一本の剣と一つのパンが収められていた。


 これはガリア以来、古式に(のっと)った交渉の形式であった。

 剣を取れば戦いを望み、パンを取れば友誼を約束するという意味を持っている。


 カシャカシャと音を立てて進む馬馬車里(ママチャリ)は、ラピエール街の門前でキキーっとブレーキをかけて止まる。


 すると地響きをたてて街の門が開き、壁の内側から一人の男が進み出る。

 堂々としてあたりを払うその姿は、まるで古の英雄を思わせるものだった。


 ガウェイン卿だ。


 卿は静かに馬馬車里(ママチャリ)に歩み寄り、その手を伸ばして剣とパンを見つめた。彼の瞳には深い思索の色が宿っていた。


「我々は血を流すことを望まない。

 しかし、誇りを守るためには、時に剣を取ることもやむを得まい」


 誰もが息を飲み、選択の行方を見守った。歴史の流れがこの一瞬に凝縮され、戦か友誼か、その答えが出るのを待つばかりだった。


 ガウェイン卿の篭手をはめた手が馬馬車里(ママチャリ)のカゴに伸ばされる。

 彼がその手にとったものは――パンだ。


 ガウェイン卿はパンを手に取り、天高く掲げた。その瞬間、市民と兵士たちの間に歓声が広がり、人々の顔に笑顔が浮かんだ。ランスロットの一門衆もまた、戦闘を避けることができたことに安堵し、微笑みを浮かべた。


 ガウェイン卿はパンを半分に割り、それをランスロットに手渡す。

 パンを受け取った彼は、深々と礼をする。キリストの聖体であるパンを分け合うということは、共に神の国で生きること。つまり同盟を意味した。


「見よ、友誼が選ばれたのだ!」


 ガウェイン卿の声が静かに響き渡り、その言葉に城内の全ての者が深くうなずいた。パンを掲げたその手は、混迷と極める戦乱の時代においても、人々の心に平和を求める心が存在することを知らしめた。


「このランスロットが車里(チャリ)で来たぞ!」


人々はガウェイン卿とランスロット卿の友情に感動し、このことを記録する多数の芸術品を残した。ラピエールの郷土博物館には、当時のことを偲べるタペストリーが残っている。


 そこには手を突き出す姿勢でランスロット卿とガウェイン卿が立ち並び、下部にはラテン語で「factum est in rota」すなわち「車里(チャリ)で来た」と記されている。


 この構図は後代においても度々パロディやモチーフの題材となっている。インターネットで「チャリで来た」と検索すると、ランスロット卿とガウェイン卿のポーズを真似した少年たちの写真を見ることができる。1000年の時を超え、彼らの友誼はいまもなお、友情の象徴となって人々に伝えられているのだ。


 しかし、このことを喜ばないものがただ一人だけいた。

 教皇インノケンティウス2世である。


 教皇は十字軍のために大金を費やしてイタリア各地から傭兵を募兵した。

 彼らもまたキリスト教戦士であることから馬を失っていた。だがミラノとジェノバの傭兵、通称コンドッティエーレと呼ばれる金銭的に裕福な傭兵たちであり、最新兵器である馬馬車里(ママチャリ)を多数擁していた。


 当時のイタリアは甲冑の生産地であり、優れた金属加工技術を持っていた。そのため馬馬車里(ママチャリ)の生産に不足はなく、多種多様な馬馬車里(ママチャリ)が作成されていたのだ。なかにはランスのみならず、巨大なバリスタを搭載した馬馬車里(ママチャリ)もあった。


 馬馬車里(ママチャリ)に跨った傭兵たちはラピエールに殺到する。

 かくして1281年の夏。世界初となる、馬馬車里(ママチャリ)同士の戦いが勃発した。


 1281年8月21日早朝。5騎の巨大馬馬車里(ママチャリ)を装備したミラノ、ジェノバ連合部隊の騎兵隊は、ラピエールに向けて東10キロの本陣から前進した。幅約2キロの戦闘正面で発起された歩兵部隊の攻勢の先鋒となる進出であった。


 5騎のうち2騎はジェノバで作成された重弩ママチャリであった。重弩ママチャリは25人の傭兵が跨乗する2つの巨大ママチャリの間に同時に20本の矢を発射できるバリスタという大型クロスボウが装備されていた。


 ラピエール城外には槍兵と弓兵からなる防衛線が2重にわたって構築されていた。しかし傭兵部隊は難なく戦線に突破口を開き、歩兵をけちらしつつ前進を続けた。


 重弩バリスタから発射される矢は長さ1メートルほどあり、先端は民兵が使うソケット状の生産性に優れた穂先を使用している。実質的に投げ槍であった。


 歩兵の盾にバリスタの矢が刺さると、盾が重くなりとても掲げてはいられなくなる。盾を失った彼らのもとに、3騎の総勢150名の傭兵が跨ったママチャリ部隊が襲いかかる。ママチャリに対して手立てを持たないラピエールの防衛隊は、持ち場を離れて逃げだすほかなかった。


 降り注ぐ矢から逃れようと、ラピエールの街を目指して走る歩兵たち。そこで彼らは丘の稜線を越えてくる「それ」をみた。銀色に輝く甲冑を着た騎士たちが、天を衝くばかりの巨大なランスを抱き、こちらに迫ってくる。


 ラピエールの旗印を掲げた、3騎の巨大馬馬車里(ママチャリ)であった。


 ラピエールの近くにはボア・ド・アカンヌという森がある。ランスロット卿とガウェイン卿はその森の近くで、反撃任務のために警戒待機していたのだ。


 戦線突破の急を聞いたランスロットは、反撃にむけて部隊を森から進めた。彼らの前方には2騎の重弩ママチャリがいた。傭兵隊はラピエールの兵を与し易しとみて、歩兵の護衛なしに前方に突出させていたのだ。


 両軍はほぼ同時に敵の姿を認めたが、折の悪いことに重弩ママチャリのバリスタは装填中だった。あわてて矢を込めようとするジェノヴァの傭兵だったが、20本の矢をこめるのは容易な作業ではない。


「突撃!」


 ランスロットの号令一下、3騎の巨大馬馬車里(ママチャリ)はまるで天雷の如く重弩ママチャリに突進した。銀の甲冑に身を固めた騎士たちのランスは、朝靄を切り裂き、敵の動揺を一瞬にして飲み込んだ。重弩ママチャリの傭兵たちは、装填の混乱から抜け出せぬまま、もはや戦う術を失っていた。バリスタの巨矢を込める手は震え、座席を捨てて逃げ出す者まで現れる始末である。そこへ、ランスロット麾下のママチャリが土煙を巻き上げて突入した。


 一騎が重弩ママチャリの側面を突き破り、バリスタの架台を木っ端微塵に打ち砕いた。もう一騎は傭兵の群れを蹴散らし、大盾(パビス)を構えた敵兵をランスの穂先で串刺しにした。3騎目は敵の退路を塞ぎ、混乱の極みにあったジェノヴァ部隊を殲滅した。戦場は血と鉄の臭いに満ち、逃げ惑う傭兵たちの叫びが風に溶けた。


 これに対し、ミラノ側も黙ってはいなかった。ロマーニャの傭兵隊長アルベリコ・ダ・バルビアーノは、敗色濃厚な戦況を見据えつつも、3騎のママチャリを率いて反攻に打って出た。


「やつらを自分の血で溺れさせてやれ!」


 歴戦のコンドッティエーレたる彼の手勢は、逃げ惑う味方を蹴散らし、がなりながら突進した。だが、ランスロットの統率は揺るがなかった。片側の騎士たちにママチャリを漕がせ、信地旋回をして巨大なランスを敵に向けると、アルベリコの突撃を正面から受け止めた。


 巨大なランス同士が正面衝突すると、天雷が落ちたかのような轟音が丘を駆け抜けた。激突の衝撃によってママチャリの結合部が弾け飛び、くるくる回る銀輪とともに人が天に打ち上がる。最初の激突でランスロット側は2騎。アルベリコ側も2騎の巨大馬馬車里(ママチャリ)を喪失した。


 残ったのはランスロットとアルベリコの乗騎だけ。

 指揮官同士の一騎打ちとなった。


 ママチャリ同士の戦いは、先に槍を当てた方の勝利となる。後ろを取ろうと丘の上でぐるぐると回る両軍のママチャリ。尻尾を追いかける犬のケンカのように、2騎のママチャリは幾重にも螺旋を描いていた。


「む、マズイ!」「ゲゲっ!」


 追いかけっこに夢中になっていたランスロットとアルベリコは、丘を外れて急な斜面にでてしまった。重力に引っ張られ、ママチャリは坂を降ろうとする。


「ブレーキだ!」「ペダルを逆に!」


 しかし、甲冑を着た騎士が50人も乗って、30メートルの長さの巨大ランスを備えた巨大馬馬車里(ママチャリ)が人の力で止められるわけがない。ママチャリは勢いよく坂を下って凄まじいスピードで爆走し始めた。


「「「「ぬおおおおおおお!!!!」」」」


 坂の先にはラピエールをとりかこむ石の壁がある。両軍のママチャリはそのまま壁めがけて坂を落ちていった。


「ズゴォォォォォン!!!」


 火薬樽が爆発したかのような轟音の後、土煙がもうもうとたちのぼる。煙幕が晴れた後、その場にあったものは壁に激突してバラバラになった両軍のママチャリと、壁に深々と突き刺さった巨大ランスだった。


「ぐ……!」


 ランスロットは全身をしたたかに打ちつけながらも立ち上がる。するとそこに兜に孔雀の羽を飾った黒騎士が現れた。ランスロットは長剣を抜き放ち、切っ先を黒騎士に向ける。だが彼は満身創痍。息も絶え絶えでその場で膝をついてしまった。


 アルベリコは兜の面を上げると、不敵に笑う。

 彼もまた腰の剣を抜いたが、構えはとらなかった。


「まだ戦う気か。傭兵(セルソード)


「いや、俺が教皇から受けた仕事はラピエールの壁を崩すこと。

 つまり……俺の仕事は終わった」


 アルベリコがかぶりをふって城壁を顎で指した。坂を下り落ちたランスによってラピエールの壁は突き崩されている。穴の向こうからは何事かと不安そうな面持ちでこちらを見る町の人々の姿が見えた。


「……かたじけない」


「礼をされるいわれはない。こんなバカなことで命を失ってたまるか」


 アルベリコは剣を収めると、戦場を去った。


 こうして、ラピエール近郊の戦いは終結した。史上初のママチャリ同士の戦いは、ランスロットとガウェイン卿の友情とともに歴史に刻まれたのである。だが、この戦いがもたらした波紋は、戦場を遥かに超えて広がることとなる。


 この戦いの直接の原因は、1280年に法皇インノケンティウス2世が発した「ナント馬禁止令」にあるのは明らかであった。戦争に馬を使うのはコンプライアンス違反である難癖をつけた法皇は、軍馬の使用を禁じた。


 だが、この法令は、馬を誇りとする貴族と諸王の逆鱗に触れた。

 怒り心頭に発した王たちはラピエールの戦いの後、法皇庁に詰め寄ったのだ。


 フランス王フィリップ4世は法皇の愚策が我が騎士団を辱めたと、公然と非難し、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世は教会の干渉は許しがたいと、使者を送った。


 1281年9月、法皇インノケンティウス2世はローマに召集された諸王の会合で糾弾され、罵声と嘲笑の中で退位を余儀なくされた。歴史家はある書にこう記している。〝法皇は自らの法令に溺れ、王らの拳に沈んだ〟と。


 新たに選ばれた法皇ケレスティヌス2世は、前任者の失態を収拾すべく動き出した。彼は即位後わずか3日で特赦を発し、「ナント馬禁止令」を撤回した。さらに、〝ママチャリは戦場にあらず、民の暮らしにこそ用いられるべき〟と宣言し、その軍事的利用を禁じた。これにより、馬は再び戦場に返り咲き、ママチャリは農村や都市の道を走る日常の道具となった。


 余談だが、現代でも行われる自転車レース「ツール・ド・フランス」は、戦場で使われなくなったママチャリを農村各地に販売する際、ママチャリを回送する速さを業者同士で競ったのが始まりである。


 ランスロット卿は戦功を称えられ、ラピエールの守護として名を馳せた。

 だが戦いの後、二度と巨大馬馬車里(ママチャリ)に跨ることはなかった。


 領地を馬に乗って巡察するランスロット。

 その子ガラハドはふと、当時のことを思いだし、父に尋ねてみた。


「父上。一体あの戦いは何だったんでしょう。教皇は地位を失い、ママチャリも戦いの主役を降りました。勝者は無く、ただ振り出しに戻っただけです」


「戦いとはそういうものだ。」


「はぁ。」


「だが一つ間違っているぞ。勝利者がいないわけではない」


「え?」


 ランスロットは指を伸ばして領地を指さす。彼の指が指す先には、自転車に乗り、麦を運ぶ領民の姿があった。ママチャリは戦いの主役を降りたが、その命脈はたしかに人々の足として残っていた。この戦いの勝利者は、教皇でもなく、騎士でもなく、戦いとは何の関わり合いもない民草であった。


 かくして、ママチャリを巡る騒動は終わりを迎えた。1281年の夏、ラピエールの戦場で轟いた車輪の音は、やがて歴史の片隅に静かに埋もれていったのである。



 ーおしまいー

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