第3話 聖女と追われる少年
――私、聖女ヴェルメリア・ゲルレムと侍女二人の一行は目的地のモンティア領へ続く街道を歩いていた。領の関所があるけど平和そのものなので殆ど止められるような旅人は居ない。いつものように歩きながら私は侍女二人から行脚に出向く先の情報を伝えて貰っている。
「帝国北部・モンティア領。帝都から徒歩で五日ほどの距離の小さな地方領です。領主は若くして病弱で伏せりがちなので、この領担当の慈愛の女神教会の司祭長が領主の治療などを行うこともあって、発言権が強くなっているようです」
黒髪で背の高い冷静沈着な侍女「セッテ」はその地方の政情などを教えてくれる。
「穀物、主に小麦の質がいいので帝都からわざわざ取り寄せる貴族もいますねぇ。街道が交わる交通の要所でもあるのでぇ、旅人が多いのです。そういう旅人を目当てにしたお店が……ほら、あれですよあれ!」
淡い栗毛で背が低く朗らかな侍女「ユイ」はその地方の暮らしや街のことを教えてくれる。あと、食べ物の事をね……。ユイは話の途中で街道の脇にあるカフェを見つけて駆けだして行ってしまった。
「おいこら、ユイ。まったく仕方のない奴だ……すみませんヴェル様、連れ戻して参ります」
「まあいいですわ。私もちょっと休憩したくなりました、行きましょう」
そう言うと私はセッテと一緒にユイが向かったカフェに行く。店の前には椅子とテーブルが置かれていて既にユイが席を取っていて給仕に注文までしていた。
「お前、早すぎるだろうまったく……」
「ヴェル様ぁ、このモンティアに来たら是非食べて頂きたかったものがありましてぇ……」
もう注文を終えていたので何を頼んだのか分からなかった。まあユイのオススメなら大丈夫だと思うけど。
「自分が食べたかったんじゃないの?」
そういうとユイは「えへへへぇ」と照れ笑いする。こういうの憎めないっていうのね、でもユイは確か私より年上なんだけど。
しばらく待ってると給仕が注文の品を運んできた。白くて丸いひと口大のものが何個か皿に並んでいた。焼き目がついてなにやら何かのソースのようなものが塗られていて甘く香ばしい匂いがする。
「シンプルだけどとてもいい匂いね、なんていうの?」
「これはモンティア領の名物″ダンプル″と言ってぇ、小麦粉を練って丸めた生地を湯がいたものなんです。これを焼いたりして、色んな味のソースやジャムに合うのでお菓子に料理にと凄く種類も多いんですけど、私のオススメはこの香ばしくて甘辛い味の″スイソース″というのを絡めたやつです!」
(モチモチとした食感と小麦の甘味、それに甘じょっぱいタレが合わさって口の中で美味しさが増すわ……)
「これは美味しいわね、流石食べ物の事はユイに任せておけば間違いないですね」
「たえもものころわまかふぇふぇふらふぁい」
ユイは頬張りながら自信ありげに何かを言っている。
「おい、行儀が悪いぞユイ」
セッテは呆れ顔でダンプルをひと口食べ、「なるほど」という様な表情で頷きながら食べています……気に入ったのね。
「んぐ!?」
口いっぱいにダンプルを頬張っていたユイが突然固まって目を見開きプルプル震えている。
「ひょっとして、喉に詰まったのですか?」
私がそう訊ねると涙目でうなづいていた。セッテが呆れ顔でダンプルと一緒に運ばれてきたお茶をユイに差し出した。ユイはひったくる様に受け取り、胸のあたりを拳でトントン叩きながらお茶を流し込んだ。
「ぷはぁーっ! 死ぬかと思いましたぁ……」
私はユイの目まぐるしい変化を見て我慢できずに吹き出して笑ってしまった。
「あっはははは! もう、何をやっているのですか……」
セッテは「やれやれ」という様な表情でマイペースにダンプルを食べている。様子を見ていた給仕の若い娘が心配そうに声を掛けてきた。
「……大丈夫ですか?」
「すみませんお騒がせしまして……お茶のおかわりをお願いします」
給仕にティーポットからお茶を注いでもらう時に少し話をしてみる。
「このお店のダンプルというお菓子はとても美味しいですね、初めて頂きましたわ」
「お客さんは旅の方ですよね、どちらからですか?」
「帝都から来ました。しがない商家の末娘なのですが、親からは世間知らずのまま嫁に行かぬように旅をして世間を知る様に言われていまして……」
というのが私のお忍びの時の常套句なのよね。
「最初に入ったお店がこんなに美味しいなんて幸運でしたわ」
「ありがとうございます。でもまあ、流行り病で旅人も減ってしまって……」
「流行り病ですか?」
給仕の娘の話ではここ半年ほど前からモンティア領では流行り病が広がってきているらしい。おかげで旅人も避けて通るようになり、小麦もあまり買い手がつかず景気が悪いそうだ。
「この領には聖女様が居られると聞いたのですが……聖女様はどうされているのですか?」
セッテの質問に給仕の娘は困り顔をした。
「ええ、そうなんですよ。でも……それなりのご寄付が要るみたいで、私たち庶民にはそう気軽にお慈悲を授かる事が――」
帝国公認である聖女は寄付などを無心することは無い。私たち聖女に関する費用は国から出されていて、その代わりに無償で人々に施すというわけ。でもお礼や寄付を受けるのは自由だけど、それはあくまで聖女の行為を受ける側の「お気持ち」なのよね。逆にこちらから請求することはしてはいけないんだけど――
(これはニセ聖女でっち上げてお金を巻き上げる感じかしら?)
そういう世間話をしていると何やら怒声が聞こえてきた。少年がいかにもガラの悪そうな男たちに追いかけられているみたい。私たちは代金を給仕の娘に渡してそちらの方へ向かった。
「このクソガキ待ちやがれ!」
などとこの手の悪人がよく口にする言葉を吐きながら少年を追い回している。少年は木の根に足を引っかけて派手に転んでしまった。そこをガラの悪そうな男たちが取り囲む。
「痛ぇ……くっそぉ!」
少年は転んだ時に怪我をした様で膝を押さえていた。
「手こずらせやがって、もう逃がしゃしねぇぜ」
「俺らのシマで勝手に薬草を取るとは、ガキでも容赦しねぇぞゴルア!」
(大人がこんな子供に何人も寄ってたかって、見ていて気持ちのいい物ではないわね……)
「失礼しますわ。貴方たち、こんな年端も行かぬ子供に大人が大勢で追い回して取り囲むなんて恥ずかしくないのですか?」
ガラの悪い男たちが一斉に振り返ってこちらを見た。
「ああん? なんだ姉ちゃんたち、文句あんのか?」
(いや、文句あるかも何も今、文句言ったんだけど? 認識力が不自由なの?)
「子供を寄ってたかって虐めるのはおよしなさいと申し上げています」
男たちは顔を見合わせて大爆笑した。
「どこの嬢ちゃんか知らんが余計な事はしねぇこったな」
「そのガキは悪さをしやがったからお仕置きしてやるんだよ」
そう男たちが言うので少年の方を見ると――
「お前らが勝手に言い出したんだろ? 今まであそこの薬草は誰のものでも無かったじゃないか!」
「ああん? あそこはあるお方が買い取ったんだよ。だからあそこの薬草はてめえのような孤児が勝手に取ったらそりゃ盗人なんだよ!」
リーダー格の太った大男はそういうと少年の襟首を片手でつかんで目の高さまで持ち上げて睨みつけた。
「セッテ!」
私がそう言うとセッテは素早く前に出て、太った大男の少年の襟首をつかんでいる手首をひねった。
「あだだだ!?」
太った大男は苦痛に顔を歪めて少年の襟首から手を離した。少年は素早く私とユイの後ろに転がり込んできた。セッテは太った大男を突き放す。男はひねられていた手首をさすっていた。
「おいこのクソアマどもも、ガキと一緒にをやっちまうぞ!」
男たちは私たちを取り囲むと殴りかかって来た。
「セッテ、ユイ、少し懲らしめてやりなさい」
「承知しました」
「わっかりましたぁ!」
セッテとユイは私と少年を護るように前に立ちはだかった。
セッテに殴りかかった男は拳を左手で払うように避けられ、そのままの流れでセッテの右手の掌打が顎に命中して糸が切れた様に白目を剥いて崩れ落ちた。
ユイに掴みかかった男はユイの襟首を掴んだまでは良かったけど、その掴んだ手をユイが掴み返して腕を巻き込みながら勢いよく放り投げ、投げられた男は後ろに居た仲間を巻き込んで派手に転倒した。
「お前ら、まだやるなら手加減できなくなるがいいのか?」
セッテは男たちに鋭い眼光を向けていた。ユイは鼻息荒く腕を回している。
「クソ……覚えてやがれ!」
太った大男が逃げ出すと他の男たちも気を失った仲間をつれて一目散に逃げて行った。
「すっげぇな姉ちゃんたち、ありがとう! 助かったよ……痛ててて」
少年は転んでケガをした膝を押さえてうずくまった。
「ちょっとお見せなさい」
大きな擦り傷があるけど骨折とかは無いみたい。私は少年の脚に軽く手を触れて治癒魔法を発動した。
『……癒し』
少年の膝の傷はみるみるうちに消えて、少年はそれを見て驚いていた。
「ね、姉ちゃんも治癒魔法使えんのか?!」
「治癒魔法は初めてじゃないのかしら?」
「あ……うん。治癒魔術師の知り合い……いたからさ」
少年は膝をさすって治り具合を確かめていた。
「成り行きで助けたけど、事情を聞かせて貰いたいわね」
「……うん、いいぜ!」
私はこっそりとセッテに周囲の警戒した後に男たちの後を追跡するように指示した。あいつらの裏に何か居そうだなって、これは私の勘ね。
「あの手の輩はきっと仕返しに来ますから、とりあえず移動しましょう」
私がそう言うと、少年は「へへん」と人差し指で鼻の下をこすると手招きをしました。
「それなら、オイラたちの家においでよ。オイラはタムって言うんだ」
私たちはタムの提案で、その「オイラたちの家」に行ってみることにした。