90 「誰にも邪魔はさせない」
あまねを救出することに成功した翠蓮は、今や悪意が交わる場所となってしまった王宮内をあまねと共に歩いていた。
翠蓮の容姿が変わったのは、神として覚醒が近いのだろうと言うあまねの言葉通り、翠蓮の力は急成長を見せている。
四龍院家が魔王の力と朱雀あまねが力を封じられていることを盾に力を振りかざしている影響は未だ王宮内を混乱させていた。
恐らく原因はやはりあまねでさえ思考を鈍らされた"香"
そして魔法を封じる厄介な力。
京月はなぜか翠蓮の元に飛ばされて王宮内から地下の隠し通路へ飛ばされたが、まだ王宮内には楪、宇佐の二人が残っているはず。二人がいてまだ騒ぎが収まっていないということは何か問題が起きているということだ。
解放されたあまねを見た傭兵たちはすぐさま逃亡を図るが、そこでそれを許すほど朱雀あまねは優しい男ではない。反逆者には彼の手により直々に鉄槌が下されるのだ。
✻✻✻
翠蓮の歩調は一定だが、心の奥は波立っていた。
自分の力の変化に戸惑いながらも、隣を歩くあまねの冷静な眼差しが、不思議な安堵をもたらしている。
あまねがいたからこそ、今こうして王宮の闇を踏みしめていられるのだと、翠蓮は思う。
「随分顔つきが変わったね。翠蓮」
王宮内に響くあまねの声は、まるで全てを見透かすように静かだった。
翠蓮は一瞬、返す言葉に迷う。
「エセルヴァイト様と会って、自分が神として生まれたことを思い出しました。全部じゃなくて、きっと記憶はまだおかしいままで、家族のこともあやふやです。でもきっと、これは私にとって何か成長している気がします……。まだ、私はこの力で何ができるのか、役に立てるのかも不安は残りますけど……」
「そうだったんだね。そうやって、悩めるのは良いことだよ」
あまねは立ち止まり、静かに翠蓮を振り返った。
「でも、翠蓮は一人じゃないよ。亜良也も深月も、僕もいる。エセルヴァイトや桜に花も。皆が翠蓮を信じているんだ。それだけは忘れてはいけないよ」
翠蓮は小さく頷いた。
決して大きな声や派手な仕草ではない。でも、あまねの一言が、今の翠蓮にとっては強い力になる。
王宮ではまだ、魔王の力を盾にする四龍院家当主の崇景と次期当主である鷹翁と、思考を鈍らせる香の影響が渦巻いている。
それでも、翠蓮の体の奥底で神に近づく何かが、はっきりと目覚めようとしていた。
そのとき、奥の回廊から甲高い悲鳴と多数の気配がする。
二人は視線を交わし、自然に歩みを速めた。
翠蓮の力は熱を増し、あまねもまた、冷徹な表情の裏で揺るぎない意思を宿している。
たとえ、王宮がいくつもの悪意に呑まれても。
「僕は、まだ復讐の途中なんだ。誰にも邪魔はさせない」
あまねの言葉を背に、翠蓮はその一歩を、確かに踏みしめた。
✻✻✻
王宮内の大理石で飾られたホールは、崩れそうなほどの緊張に包まれていた。
「やめてくれぇ!殺さないでくれぇ!!」
「京月亜良也はどこにいるんだ!?儂らは死ぬのか!?」
楪と宇佐が魔法の力を封じられた中で、それでも民や王宮内にいた貴族、従者たちの盾となり、必死に立ち塞がる後ろで人々は叫ぶ。
四龍院家の兵と手先たちがじりじりと間合いを詰め、その中心には冷ややかな笑みを浮かべる四龍院家当主である崇景の姿があった。その後ろには次期当主・鷹翁。
「これ以上、抗おうとしても無駄だぞ。魔法が使えないお前たちに何ができると言うんだ。それに、こちらにはお前たちなど簡単に殺せる力があるのだ」
その崇景の声音には拭い切れぬ悪意が滲む。
楪と宇佐の表情には冷や汗が流れていた。この場に充満させられた香は、人々の意思を鈍らせる。貴族や従者たちは誰も立ちあがろうとせず、その場で戦う意思もなく死を待つだけ。
息を切らせつつ、楪が吐き捨てるように答える。
「……そんな言葉で引いたりしないわ。こんな非道な真似が出来る貴方達とは違うの」
宇佐も、握りしめた拳に力を込めていた。
「たとえ魔法が使えなくても、守るべきものは譲れねぇなァ!!それに新しく出来た競馬場まだ行けてねぇし」
その言葉に一瞬崇景が面食らうが、そんな宇佐の足を楪が踏みつける。
「いって!いでででッ!すまん楪!!冗談だよ冗談!」
「へぇ、一体どれくらいが冗談?」
「一割よりは少ないか」
ギロリと楪に睨まれた宇佐はスッと顔を逸らすが、崇景がぶわりと纏った魔力を感じ取ってすぐにその魔力の主のことを考えた。
崇景が纏った魔力は確かに、二番隊隊長である四龍院伊助のものだ。
この場にいない不自然を感じてはいたが、突然何かに引き寄せられるように姿を消した京月の様にこの王宮内のどこかで戦っているはずだと、彼の強さを知る二人は考えていた。
そうして二人は考えないようにしていた事実を目の当たりにした。
四龍院伊助が実家を嫌う事実。先に王宮入りしていたはずの彼が自分達と合流しないこと。
伊助なら大丈夫だろうと深く考えないようにしていたのだが、伊助の力を"奪って"いる目の前の男を見て二人は一気に怒りが湧き上がった。
だが、そんな怒りが飛んでいく程の轟音と共に壁が吹き飛び、その場に充満していた香の力が凄まじい魔力により掻き消される。
その魔力が大き過ぎるがあまり、魔力封じの魔法回路さえ破壊され、楪と宇佐の体に魔力が満ち満ちていく。
楪と宇佐はその場で感じられた魔力に安堵する。そして、崇景の終わりを悟った。
朱雀あまねが現れた。その隣には翠蓮の姿も。
ホールの空気が急激に変わる。
崇景、そして余裕の笑みを浮かべていた鷹翁は、あまねの出現に顔色を失った。
先程まで、配下にした黒魔道士の「香」と魔封じの力で彼の力を封じていたはずだった。だからこそ嘲り、侮辱もできた。
だが、目の前のあまねは、解き放たれた焔のごとき存在感を漂わせている。
その目が、崇景を真っ直ぐに捉えた。
一歩、あまねの足が床を踏みしめるたび、ホールにいる全ての者の息が詰まる。
柔和で穏やかな、いつものあまねとは明らかに違う。
静かな怒りが彼の全身から立ち昇っていた。
あまねはゆっくりとホール中央にいる四龍院の二人に歩み寄る。
その瞳は、感情の一切を吐き捨てたかのような鏡のような冷たさ。
微笑みも、優しげな色も、今はどこにもなかった。
「傭兵共!なにをしている!?さっさと反逆者を摘み出せ!朱雀あまねは帝を殺し国家転覆を図った大罪人だ!この場は四龍院家が頂点だぞ!」
鷹翁が叫ぶが、彼らが従えていた黒魔道士も、傭兵たちも最早「神」である朱雀あまねを前に戦う意思など残っていない。
「僕としたことが、不思議だな。君たちみたいな虫を相手に、ここまで手間をかけることになるとは思わなかったよ」
その声は柔らかさを装ってはいるが、逆に恐ろしさを煽る。
崇景は震え声で叫ぶ。「き、貴様。力は封じられていたはず……っ、一体何を……」
あまねは静かに笑った。その笑みは人を救うものではない。むしろ、心の臓を、鋭い爪で掴み潰すような冷ややかさ。
「気付かなかった?君がどれだけ賢いつもりでも、肝心なところが見えていない。僕の大切な子たちは優秀でね。それはもちろん、お前が散々傷付けてきた伊助もね」
一歩、二歩と間を詰めながら、あまねは容赦なく言葉を重ねていく。
「そうやって、君はいつも人の大事なものだけを玩具にして生きてきた。絶対に自分が“上”から動かされることはないと思っていただろう。哀れだなあ。君は精々、己の矮小さに酔っていれば良かったんだ」
あまねの瞳はすでに人間のものではない。
手にした神性の光、その奥には燃えるような復讐心。
「……僕が普段怒らないのは、誰も傷付けたくないだけ。でも、”大切な人間を侮辱された時だけは別だ”と本気で思い知るといいよ。命で払わせないほど僕は甘くない」
崇景はもう言葉を出せない。それほどの絶対的な“殺気”だった。
あまねは冷たい声で断ずる。
「お前達は今日、この場所で終わる。以前僕が伊助を引き取った時に言ったはずだよ。もしまた伊助に手を出せば、その時がお前達の破滅の時だと。僕がいないからと、ずいぶんと偉そうに振る舞ったものだね。今日ぐらいは、せめて真の地獄ってやつを楽しんでから逝くといいよ。お前を茉莉花と同じ場所には逝かせない。自分の罪を背負って堕ちろ」
そのあまりの冷徹さと、毒を含む言葉の鋭さに、その場に捕らわれていた貴族や従者たちも戦慄し、絶句して動けない。
誰よりも穏やかだった朱雀あまね。
その本当の怒りは、最も残酷な“神の裁き”そのものだった。