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主婦の育毛トニック

☆本話の作業用BGMは、『翔べ!ガンダム』(池田鴻)でした。



 開店後間もなく、お客さんがやってきました。

 今日も「ツイて」ますよ、お母さま。「ツイてない」の墓場なのに、申し訳ないことでございます。


 入ってきたのは若いお母さんと思しき女性と、四~五歳(正確にはわかりません)くらいの男の子です。一見すると親子に思えます。


 お母さんは黄色い半袖のシャツに青いスリムジーンズ姿で、肩にエコバッグを掛け、右手でもう一つバッグをぶら下げています。

 ヤ●キースのロゴが入った野球帽を被る男の子は、店内に入るや繋いでいたお母さんの手を(ほど)き、突然床にズサーっとダイブしました。

 壁際で止まった彼は半身のまま寝そべり、何も言わず目を閉じて固まります。

 Tシャツ短パンからはみ出た腕や足も、瞑目した顔も日に焼けて真っ黒。

 片腕を投げ出し、どこぞの舞踊家のように、しな垂れた姿勢で力尽きているようです。


 お母さんは男の子に目もくれず、ギシギシという音が聞こえそうな硬い動きで椅子に腰を下ろすと、首筋を揉みながら虚ろな目で説明を眺めます。


 手元に目を落とすと硬貨を投入し、『ボウヤだからさ(赤いチョメチョメ)』というボタンを押下しました。迷いがありません。


 おやおや、オ●クの一丁あがりでしょうか。お若いのに……伝説級のアニメ、パネェです、お母さま。

 

 お客さんが受話器を手にします。

 

 さあ、お仕事開始ですよ。張り切ってまいりましょうか。



☆☆☆


【もしもし……】

「こんにちは。ようこそ「ツイてない御苑」へ。今日は――」

【ツイてないことを聞いていただけるんですよね?】


 被せ気味。

 気が急いていらっしゃるのでしょうか。


「そうです。お気が済むまで存分に――」

【ちょっと聞いてくださいよ先生!】

「――先生ではないのですが。どうされました」

【あは、ほんとだ。先生イイ声してる。ちょっとくすぐったいかも】

「あなたが先ほど押したボタンの通りです。「彼」の声で聞こえるようになっているのです」



 モニタのお母さんは、うっとりと目を細めて気持ち良さそうでございます。


【ふーん……】

「今日は一日歩き回っていたのですか?」


 寝そべって動かない男の子をちらと見て尋ねると、


【ええ……そうそう、今朝の折込チラシ見て、もう朝一からスーパーやらドラッグストアやら】

「お目当ての品が」

【主人が愛用している育毛トニックが安くて! 嬉々として二本購入したんですけど、その後にふらっと寄った別のドラッグストアで、事件が……】

「……ああ、刃傷(にんじょう)沙汰ですか」

【いえいえ、そんな大事件じゃ……そこで売っていたモノの方が、百円安かったんです! ツイてないでしょう? 二本購入済だから、二百円損した気分!】


「それは……ツイてないですね」



 私は、「赤いチョメチョメ」の凛々しいお姿を脳裏に浮かべ、いつもより心を込めて言葉を送り出しました。

 なにしろ、二百円損した気分のうえに、ここで五百円散財したわけですから。

 合計七百円飛んだようなものでしょう。右手がきっちり数えました。間違いありません。

 さすがの私も、そこに触れる気にはなりませんでした。



【主人に言ったらどやされそう】

「ご主人の日常的なDVに怯えていると」

【ちょ、そんなことありませんよ! 人聞きの悪い】

「もし、いつものようにご主人が手を出しそうになりましたら、『オヤジにもぶたれたことないのに!』と言ってあげてください」

【だから、ありませんて。手を出したことなんて一度もないです!】


 お母さんは少しだけ前のめりになると、目を吊り上げてこちらを睨みました。

 男の子は相変わらず、(くずお)れて動かない山●塾の人みたいです。この子自身は真っ黒ですが。



 話題を変えましょうか。お客さんを怒らせるのは本意ではありません。


「ご主人、『ハゲ』かかっているんですか」

【ま?! へっ? ちょ……い、いえいえ、ハ、ハゲては……ないですよ? 断じて……ハタチの頃から愛用しているっていうから、なんとか保ってるんじゃないかしら……】

「愛用歴はいかほど」

【……三年……半、くらいかなあ……】


 わずかの期間で、そのような曖昧な状況に……。

 なるほど、これは別件で「ツイてない」かもしれません。


「心配はご無用です。(あね)さん女房の深い愛情で、ご主人を癒してあげてください。日々気持ちが満たされれば、髪もストレスフリーでしっかり根を張ることでしょう」

【……はあ、そう、でしょうか……って、姉さん女房確定なんですか?】

「二十三歳と仮定してあの男の子――十代でお産みになったのですか?」

【いえ……そうです、あたしが姉さん女房です……】


 お母さんはもそもそ呟きつつ、ゆっくりと俯いていきます。


 ずっと寝そべっていた男の子が、がばっと体を起こしました。


(ママー、もー帰ろうーよー)

(もうちょっとだから、もう少し待ってて!)


 ……ぐずり出したら面倒ですね。


「そういえば、そのドラッグストア。本日はポイント何倍デーでした?」


 こちらへババッと向き直ったお母さんは、瞬きをやめ、目を見開いて固まりました。

 なにか地雷を踏んでしまったのでしょうか。あんぐりと口も開いています。



【…………十五倍……でした……】

「十五倍! それは……大盤振る舞いですね。『ツイて』ましたね」


 お忘れだったのでしょうか。二百円の損失がよほど衝撃だったのかもしれませんね。 

 お母さんの目、暫く瞳孔も開いていたようでした。春日部あたり(しんちゃんのホームタウンとされる)までトリップしているのかもしれません。

 



 ――やがて(恐らく春日部から)戻って来たお母さんは、


【……そう、そうですよね……まあ、ラッキーですけど……】



 頃合いでしょう。


「――お話は以上でよろしいですか」

【……あ、へ? そ、そうですね……ありがとうございました……】

「お疲れ様でした。ゴッド・ブレス・ユー(神のご加護を)」



☆☆☆


 

 ここを訪れた方は皆さん、誰一人として、胸を張って出ていったためしが無いのですよ、お母さま。

 こんな調子でよろしいのでしょうか。


 私自身は、少し楽しくなってきたところなのですけど……。

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