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◆ツカンぽ神幸①◆

☆本話の作業用BGMは『愛のコリーダ』(クインシー・ジョーンズ)でした。

 深い意味はありません。



★★★



 物心ついた頃には、私はすでに「お寺の子」だった。

 しばれる境内を鼻水垂らして駆け回っていたのは(かす)かに記憶に残っている。


 四六時中鼻をつくよな辛気臭い香り――。

 リズム隊の木魚が小気味よい音を響かせ、この世のものとは思えぬ、どこか秘境の楽器のような読経がぬらぬらと流れるのが一日の始まりだった。

 子供心に、あれはつくづく気味の悪い声に思われた。



 産声を上げたのは同じ区内の少し離れた家だったそうで、母は住職の「お(めかけ)」だった。こういうの(父)を、巷では「破戒僧」と言うそうな。

 飲む・打つ・買うもほどほどに(たしな)み、当時から複数の不動産を所有して小金を持っていたらしい。


 兄・光生(みつお)(※得度後は「こうせい」)の母である正妻さんは、妹の綾女(あやめ)を生んだのち体調を崩し、自身の実家で養生を続けていたそうな。

 兄と妹は、ひと回り離れている。

 父が年甲斐もなく張り切った所為で、正妻さんは高齢出産の憂き目(?)にあってしまったわけだ。


 長患いになり回復の目途が立たず、父は正妻さんの許から綾女を引き取り、母と私も呼び寄せた。

 綾女の面倒を母に託したのだ。随分と都合の良い話ではある。


 二つ下の綾女は、「人間」として動けるようになると、常に私の後を付いて回った。

「刷り込み」でもあったものか、多少邪険に扱っても懲りずにくっついてくる。

 たまに鬱陶しく思う事もあったが、息を弾ませ「ねーね」と言いながら嬉しそうにちょろちょろする彼女は可愛い存在ではあった。

 だが当時の私にしてみれば姉妹という繋がりよりも、犬や猫を愛でる感覚に近かったろう。



 当時すでに道場があった。

 活発を通り越して「暴君の片鱗があった(光生:談)」私は、近所の(わっぱ)どもに傍若無人の限りを尽くしていたらしい。

 将来を危惧した兄は、ちょいちょい私を道場に連れて行き、矯正と称して稽古をつけた。それすらも私にとっては「チャンバラ」に過ぎず、持て余し気味の活力を兄にぶつけるのが楽しくてたまらなかった――ような記憶はある。こてんぱんに叩き伏せられても一向に凹むことが無かったらしい。

 今でも、「相手するのがほとほと嫌になったぜ」と兄は述懐する。



☆☆



 幼稚園の卒園を控えた一月中旬。

 いつものように園内で好き勝手暴れていた私に、ある男の子が意を決したように叫んだ。


「やめろよ! 妾の子のくせに!」


 当時「妾」の意味は知らなかったが、なんとなく侮辱されているという事だけは感じた私が、


「うるさいよ。お前の母ちゃんだって男作ってどっか行ったんダロ?」


 深く考えずに罵倒した。正確には意味を知らない。誰もが知りながら、敢えてつつかなかった事実(らしい)。

 幼稚園児の台詞じゃない。

 ()()()()()()()()をそのまま披露したに過ぎない。


 その男の子は真っ青になり、わなわなと小刻みに震え出した。

 間を置かず、私に掴みかかったその子と激しい取っ組み合いが始まった。


 駆け付けた園長に引き剥がされるまで存分に暴力を働いた私は、周りのチクリもあってしこたま叱られた。

 ムッとして(あお)ったのは間違いないが、私は耳にした事を口にしただけなのだ。

「自分だけ叱られる」意味が、まるで分からなかった。間違った事は言っていないハズなのに。


 執拗に促されても、私は頑として頭を垂れることはなかった――らしい。



 翌日から――園内で私に声をかける人間は、ひとりもいなくなった。



☆☆



 卒園式を終えるや否や、母は私を連れて逃げるように寺を出た。このまま小学校に持ち上がっても、状況が好転する事は無いと踏んだらしい。

 どうも以前から、母は度々幼稚園に呼び出されて指導(?)されていたようだ。

 父は傍目(はため)にもかなりガッカリしていたらしいが、出て行くのを止めることはなかった。


 

 寺を出る前日、母には「もう他人を攻撃しないで」と泣きながら懇願された。

 あんな弱々しい母の姿を見たのは初めてだった。

 くしゃくしゃの母の顔は(こた)えた。

 世の中で一番堪える顔だった。



 ——後で聞いた話では、姉である私と「綾女のお母さん」が突然姿を消したことに愕然とした妹は、数日の間、狂ったように泣き喚いていたらしい。



☆☆



 縁もゆかりも無い茨城県内で新生活が始まった。

 古河市内の小学校に入学したものの、当然知り合い一人いない中、友達など全く出来ない。

 幼稚園における私の蛮行など知る由もないハズなのに、誰からも声すら掛けられることがない。

 たまにこちらから声を掛けようにも、他人と関わる際は暴力がセットだった自分としては「おい!」となるのが常で、怯えた周囲から歩み寄ってくれることは皆無だった。

 だが暴力は自制した。母の涙は確かにブレーキになっていたのだと思う。


 その内、話しかける事そのものがしんどくなっていった。



 そんな状態が、恐ろしいことに――中学卒業までずっと続いたのだ。

 かくして私は「ソロプレイヤー」として大輪の花を咲かせることとなった。



☆☆



 自分を卑下し続けた小学校の不毛な六年間を終え、知らずの内に牙を抜かれた虎――どころか、総入れ歯の猫ぐらいに精神を削られた私は、ビクつきながらも中学生に。


 相変わらず周囲から浮いたまま、こちらから積極的に絡むこともなく。

 仕方ないので勉強に没頭した。他に楽しい事も無かったし。

 体育で二人一組のストレッチの際必ずあぶれ、修学旅行の小グループ分けで最後の奇数となり、文化祭の担当で余り、体育祭のフォークダンスは一人で踊り、と――ベタなぼっち生活を満喫した。

 ただ不思議なことに、いじめの対象になることが無かった。いじめられるのは大概別の子達だった。ので、担任が気に掛けてくれるということもなく。

 常に周りは無関心だった。いっそ、いじめられる方が都合よかったかもしれない。それなら誰かしら関心を持ってくれたろう。当事者のいじめっ子しかり、担任しかり……。

 

 母は市内のとあるクラブでチーママとして働いていた。東京にいた頃も、私を産む前は似たような仕事をしていたのだろう。父から援助もあったものか、家計は問題なかったようだ。

 私は学校で何か問題を起こすということもなく、一度も呼び出されたことのない母はその点は胸を撫で下ろしていたようだ。

 母は、私の中学校生活が平穏に続いていると信じていたのだと思う。

 


 中学三年の秋、十一月も半ばのこと。

 正妻が亡くなった、という(しら)せが茨城にも届いた。


 母は葬儀を手伝うべく上京し、十日後に帰って来た。

 そこで、「春にお寺へ戻る」ことを告げられた。特別、心が波打つことは無かった。



☆☆☆



 成績だけは良かったので、浅草橋にある私立の女子高を受験することになった。

 中・高・大学までのエスカレータ式で、そこそこエリート校らしい。合格したら、周囲が殆んど持ち上がりの中、途中参加の立場になるので、またしても知り合いはいない、というスタートになる。


 何処へ行っても外様(とざま)だ。


 出自からして外様だから仕様が無いものか、こればっかりは今更どうにもならない。

 


 

 首尾よく件の女子高に合格し、暗黒の九年間を一旦置き去りにして、再び私達親子は松が谷の寺へと戻ってきた。



 寺の面子はほぼ変わりなく、皆さん平穏無事に歳を重ねているようだった。

 そんな中で、久し振りに見る父は少し痩せて小さく見えた。

 


 どういうわけか、綾女だけは私達親子を熱烈に歓迎してくれたのだった。


 彼女は、春を迎えて中学二年生になろうとしていた。

 長い黒髪が良く似合い、清楚な見た目に愛嬌が浮かぶ、美しい少女に成長していたのだ。


 

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