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◆道場とTバック◆

 ついに土曜日がやって来てしまいましたよ、お母さま。



★★★


 昨夜バイトを終えた私はふわふわした足取りで離れに帰り着き、間食(かんじき)もとらずにシャワーを浴びると、すぐさま床についたのであります。

 かつて、「渡●篤史の建もの探訪」放送前夜、楽しみでなかなか寝付けなかったように、今回はもうひとつ浅い眠りを繰り返すだけで――とうとう朝になってしまい……。

 普段なら昼前まで惰眠を貪る私ですが、頭も体も最早寝る体勢にはなってくれません。



☆☆☆



 また軽くシャワーの後、洗面台の前でしばしボーッとしております。

 まっぱの自分を鏡に見ながら、そっとお胸を下から持ち上げてみたり。

 いつの間にか、少し重量が増した気がいたします。

 美冬ちゃんに唯一勝てるカテゴリであるカップも、多分また差がついたようです。華菜ちゃんとも五分かもしれません。


 夕べ用意した黒のTバックを手に取り、まじまじと見つめてみます。

 後ろはなるほど寒そうな塩梅ですが、前は割と広めで、意外とお腹周りをカバーしてくれて温かいのです。決してなにかしらの言い訳ではありません。

 こちらを咎めるような自分の目を見ないように、ささっと装着。ふう、とひと息つきます。


 今日は午前中に、爽太くんが道場の見学にいらっしゃるのです。


 ……ご安心くださいお母さま。

 明確な目的があって実装したわけでは……なんとなく、そう、なんとなくなんです……。


 

☆☆



 お茶漬けをさらさらと流し込み、特に化粧もしないまま、上下ねずみ色のスウェット(普段着)に着替え、そっと表戸を出ます。



 そろそろと忍び足で敷地を出る寸前、


「お嬢、お出掛けで? まだ九時前ですよ?」


 振り返り見ると、集めた落ち葉の前に佇む、竹箒(たけぼうき)を手にした増夫さんが不思議そうな顔をしていました。


「え、ええ、ちょっと、そこのコンビニに……」

「左様で。買い物程度でも、若い娘がそんな野暮ったい恰好を……もう少しその辺お気を遣いになったほうが」

「そ、そう? ですね、善処します」


 余計なお世話じゃ。

 呆れ顔の増夫さんから逃れるように、そそくさと通りへ走りました。



 色づく樹々に覆われた矢先稲荷の塀に寄り添うように歩を進め、かっぱ橋道具街へ。

 通り沿いにある無人のバス停前へ辿り着くと、ほっと溜息が漏れます。

 爽太くんは、自宅近くの鳥越明神前から「めぐ●ん(百円の循環バス)」でやって来ます。おおよそ十~十五分程度の道行きでしょう。

 さほど待つこともないでしょうが、それでも手持無沙汰でエアたばこを吸う真似をしてしまいます。こんな時スマホでもあれば間が持つのでしょうか。


「フーッ」と強めに煙を吐いていると(フリ)、緑色の可愛らしい小型のバスがゆっくりと前に停まります。

 降りて来る爽太くんの姿を見つけ、声を掛けようとして体が硬直いたしました。

 彼の肩を抱くように、妙齢の女性が一緒に降りてきたのです。

 私の姿をとらえた爽太くんが、


「おはようございます! 神幸さん」

「お、おはようございます……」


 後ろをちらり見やった彼が、


「あ、母です」


 ――その女性は無言でぺこり頭を下げたのでございます。

 瞬間、私の脳内では――もすこしヨソ行きの、「小ぎれいなスウェットにすりゃよかったな」という評議員たちの声が響きました。

 増夫さんのツッコミもすぐさま思い出し、自然と眉間に皺が寄ったのでございます……。



☆☆



 迂闊でした。考えてみれば、親御さんがご一緒でも何の不思議もありません。むしろ当然のことでしょう。


 母屋へ二人を案内し、道場へ兄様を呼びに行き、私はというと、一度離れへ戻って「少しヨソ行きの」小ぎれいなスウェットへと着替えました。どこまでいってもスウェットです。



 客間へ戻ると、すでに和やかに談笑する声が聞こえます。

 へこへこしながら兄様の後方へと正座すると、お手伝いの雅子さんが熱いお茶を置いて入れ違いに客間を出て行きます。



 一口お茶を啜ったお母様が、


「あの、お月謝はいかほどでしょうか」

「ほとんど趣味でやっとりますので、月二千円です。一日あたり五百円ですね」


 兄様、五百円にそんな思い入れがあるのでしょうか。


「いいですよね、五百円玉! 存在感あって」


 ハゲ、いい笑顔です。

 きっと箪笥の奥で、五百円玉貯金が唸りを上げていることでしょう。


 親子は軽く引き気味。

 五百円玉愛をつらつら語られてもねえ。



 ちなみに、兄様が子供らに教えているのは「念流」という流派(兄様曰く)です。

 室町期、念阿弥慈恩というお方が始められた流派だそうで、やがてここから愛洲移香斎って人が「(かげの)流」、またまたそのお弟子の上泉伊勢守信綱って人が「新陰(しんかげ)流(後、柳生家が道統を継ぐ)」てのを創始したっつー、「日本最古の流儀」――と、いつか兄様がドヤ顔で、まるで興味のない私へ向け、無駄に熱く語っていらっしゃいました。



「こう言っちゃなんだけど、マッチョにはならないよ? 筋トレもしないし。ごつごつした体になると、スムーズに剣を振るえないからね。体の芯を鍛えたり、『体の使い方』を学ぶって言った方がピッタリくるかな」


 三人がざっくばらんに語り合うのを、私はやや遠間から伏し目がちに眺めておりました。お母様とは目を合せないようにして。

 時折、チラチラこちらを見やる爽太くんと目が合います。そのたびに不思議と顔が熱くなったり。

 いい歳こいて、乙女のような反応をみせる我が身が少し情けなくもあり。



 歓談が落ち着くと兄様がひと言、


「――では、道場に行ってみようか、爽太!」


 いきなりの呼び捨てに慌てる私をよそに、


「は、はい!」


 爽太くんは、なぜか嬉しそうな顔で元気よく返事をしたのでございます。



☆☆



 母屋からさして離れていない道場では、すでに二組の子が組み手の稽古をしております。

 狭い板の間の隅で、少年が二人、黙々と素振りを繰り返しているのが見えます。


 短い挨拶ののち、爽太くんはスケッチブックを手にすると、稽古を再開した子らの姿を見つつ、何やら描き始めました。


「? デッサンですか?」

「お父さんに見せようと思って」


 炭を手繰(たぐ)る爽太くんの右手は(とど)まることなく、一心不乱といった感じです。



 ひとしきり兄様と語り合ったお母様が、寄るところがあるからと一人辞去されることになり、


「では神幸、バス停までご案内差し上げて」


 ちらとこちらを見やって声をかけた兄様の目に、何故か楽し気な色が浮かんでいました。



☆☆



 気まずい空気を背負ったまま、お母様をバス停まで(いざな)います。

 

 突然、


「手を繋いでもいいですか?」

「え? は、はひっ?」


 お母様はひとつ発すると、嬉し気に私の手をきゅっと握りました。……なぜ?



 ほんの数分の道行き、ポツリポツリ、ぎこちなく言葉を交わします。

 オイル切れのロボットのように歩をすすめ、再びバス停へ。

 タイミングよく現れたバスに乗り込み、お母様が軽く会釈されました。

 私は今日初めてまじまじとそのご尊顔を拝し、深く腰を折ったのでございます。


 遠ざかるバスをぼうと見送り、我知らず、体の奥から深いため息がもれました。



☆☆☆



 結局、この日――。


 何気に気合を込めた私の「Tバック」は、ついに日の目を見ることなく(当たり前)矛を収めた(?)のでございます。……まあこんな感じですよ、お母さま。

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