シン――ばかり見ている
☆本話の作業用BGMは、『Together Forever』(リック・アストリー)でした。ほんと、ユー●ューブごいすー。
なんか、どこぞのボンボンみたいな歌手がおるなー……と思ったのが彼でした。英国の方とは知らず。
しゅわしゅわするアレのCMにも出てらっしゃいましたので、ご存知の方も多いでしょ?(あれ?)
心地の良いお声です(個人の感想)。
先般、退勤直後にチュ♥ゲバラ豪雨――所謂ゲリラ豪雨に遭遇しまして。
油断して傘の用意を怠ったゆえに、当然のごとく大惨事です。
まあ、家も近いし、残暑だし、背も170モンド……まあ、いいんですけどね。
「折り畳み常備したら?」と偉そうにかましてしまった、「伝説の男」が脳裏に浮かんで、少しだけ口中に苦味が走りました。※1
未だ毎日、お約束のように「大気が不安定」、そこかしこで雨が降りますが、まさか冬もこんな感じじゃないでしょうね。
どうなの良純さん。
全て貴方(一介の気象予報士)に懸かっているのですよ。頼むよ。
今度ヒトカラで『ラストグッバイ』歌ってあげるから。ね♥ ※2
☆☆☆
事務所のソファに、部活帰りの爽太少年がぐったり沈み込んでおります。
軍服と見紛う青い制服に、苦々しく皺を起こして。
珍しく……部の先輩方による理不尽に対して愚痴を連ね……挙げ句、ばつが悪そうに「ごめんなさい」と細く呟くと、瞑目して仰け反ったまま……はや小半刻。
私はというと。
腰掛けた椅子を20度ほど回し、部活の不文律である丸刈りの生え際と、反った喉元を見詰めおります。
ずっと。黙ったまま。小半刻。
いつの間にか隆起した、白い魔石のような喉仏。
ぐっと逞しさを増した、首から僧帽筋に至る稜線……。
見飽きません。白飯二杯程度なら余裕で供養出来ます。
余力十分なエアコン(除湿)が抑え気味に仕事を続ける中。
恐らくはラスト・オーダーとなり得るお客さんが来店されました。
片手に12ロールのトイレット・ペーパーをぶら提げた、若い女性でした。
☆☆
肩までの黒髪は前髪パッつん、変哲の無い長袖の白いブラウスは心持ちヨレ気味、黒いタイトスカートには張りが感じられ……ません。
グレーのストッキングに伝線の跡。
「点が線」になった、ということで。松本清張御大もさぞご満悦……おっとと。
鞄を床へ下ろし、ロールペーパーを机上にそっと置きます。
普通は逆のような気もいたします。
「価値観の相違」とは面白いものですね。
これがどうして離婚などという事象を生み出すのか――おっとと。
眉間に深い皺を刻んで椅子へ腰掛けた女性は、即座に硬貨を投入、
『WBCの神様』
というボタンを押下しました。
どなたのお声でしょう。オオターニサーン?
【こんばんは】
「ツイてない御苑にようこそ」
【ここ、トイレありますか?】
「申し訳ございません。ここには……外へ出てエレベーター側に回ると、共用のトイレが――」
机上にそびえる、白い巨塔の存在感よ……。
そういえば、トイレ掃除なんて何年もしてない。
中学生以来……かな?
「あのう。こちら、どなたのお声ですかね」
【歌手? 昔、トイレがどーしたとかいう歌を――】
「ああ、いらっしゃいましたね。えーと……植村……(だった)かな?」
【そうそう、植●花菜さん】
偶然にも当たり出た。出ましたよ、お母さま。
というか、当たりにしてくださいました。
誤植ですね、本日のヴォイス。
『WCの神様』だろ。これ。
「ドラッグストアにお寄りに?」
【ええ。これは明日の仕事用】
「明日の仕事用?」
【あたし、外回りなんですけど――】
あちこち回るので、トイレの場所はこと細かに記憶しているそうです。
お腹も弛い体質で、しょっちゅうお世話になるものの、たどり着いたおトイレは、
【大概、「紙がきれてる」か「きれる寸前」】
なのだとか。
よって、
【自己防衛のために持ち歩いています】
「常に12ロール……」
ロールペーパーの営業でもないのに。
【例え一個でも、鞄に入ら……な……い……】
語尾が湿り気を帯び、溶けて無くなりそう。
(……ツイてない……)
今度は背後から、低く・重い呟きが漏れ聞こえました。
ちらと見やると、体を起こした眼鏡貴公子が、両手を組んで項垂れております。
どうしたの爽太くん。
罪の告白でも始まりそうなんですけど。
【外回りと共に、まるで「紙の補充」もあたしの仕事だって命令されている気分で……】
入った個室の紙は、漏れなくベージュ色の――。
【ペーパーの「芯」ばかり……もう見飽きました……】
「なんと過酷な……」
日々、東京砂漠を(WCを求めて)彷徨う女性の片目から、すみれ色のアレがポタり。
ベージュ(色)ではありません。
――これは、宿命なのでしょうか。
マイガッ……こんなにツイてないお客さん、小店始まって以来かもしれません。
文字通り、「トイレ(ットペーパー)の紙様」?
でも、紙はタダではありませんよね。
(……呪われてる……)
我は、不知・ベルゼバブ・爽太――そんな、地獄から届いた呟き其の二。
「お祓いを――」
【行きました。三ヶ所】
「絵っ?」
【変なモノは「憑いてない」そうです】
改めて、憑いてない御苑へようこそ――私ごときでも、まあ流石に空気は読みます。冗談として言っちゃいけません。
「ではやはり、『トイレの紙様』が後ろ楯に――」
【え。ヤダ。え?】
「『紙の使徒』として、補充に勤しみましょう」
【そんな! どうして私が――】
「会社に説明して、備品を回してもらいましょうよ」
【だ・か・ら。どうして私が】
「貴女は、『選ばれし者』です(多分)」
大真面目で言ったのに。
中二病罹患者を見るよな目付きはおやめください。
ワクチン接種済みですから。
「選ばれし者よ……」
【また言うし】
「私にも1ロールください!」
【おねだり知事かよ!】
「どうみても、貴女にしか出来ない役回りじゃないですか」
【…………】
頬を膨らませ、こちらをキッ! と睨みます。
「天に功徳を積むのです~」
【もうヤメテ……】
背後の貴公子が、ごふっと咳き込みました。
爽太くん、(多分)もう少しです。辛抱してください。
「入った先で、紙が十分にあって……」
【?】
「ほっとした経験も、勿論おありでしょう?」
【……そりゃあ、まあ……】
「ツイてない貴女なら、人一倍その幸運に感謝したことでしょう」
【……そう……ね……】
「迷える小鹿のために、その幸運を振り撒くのが貴女の使命なのではないでしょうか。いや、そうに違いない!」
視線を落として、爪を噛む女性。
焦点を揺らしつつ、ブツブツと何事か呟いています。
「因みに、御社では何をお売りに?」
【ティッシュです。硬い方の(?)】
惜しい。
「ロールペーパーを売る会社に転職するべきです!」
【…………あ】
「恐らく、そちらが『天職』です(よかた。整った)」
【…………】
女性は、分かり易く固まりました。
「それなら、堂々と自社製品をぶら提げて回れます。宣伝にもなるじゃないですか」
(なるほど)
爽太くんの呟きに、人の温もりが戻りつつあるようです。
【……考えた事なかった……】
「『私に出来る事なら何でもする!』と仰った以上、」
【紙に誓って言ってません】
「覚悟を決めて『天職に転職を!』」
【…………はあ】
「ゴッド・ブレス・ユーッ!」
勢いそのまま、力業で畳み掛けてしまいました。
☆☆☆
店の戸締まりを終えた直後、
「……自分の甘さを思い知りました」
淡い月明かりに照る相貌を向け、爽太くんが真っ直ぐにこちらを見詰めます。
「世の中には、あんな過酷な宿命を背負った人もいるのですね……くだらない事で愚痴った自分が情けないです」
照れたように微笑すると、私の手をきゅっと握りました。
爽太くん……あんな人、そうそう居ませんよ。
※1 本編十七話
※2 『LAST GOOD-BYE』(山本達彦)。石原良純氏のデビュー映画(主演!)『凶弾』の主題歌。