◆ツカンぽ神幸◆⑫
★本話の作業用BGMは、『Woman(「Wの悲劇」より)』(薬師丸ひろ子)。
なんか圧倒されます。
歌詞の冒頭が……え。ナニ? …………。
〆は、『車線変更25時』(キンモクセイ)。
「らしい」曲かと。
昭和を感じさせます。
PVで踊りまくる伊藤氏(VO)がなんかカワイイ。
(本文とBGMはリンクしておりません)
★ ★
霜月。
十一月の、珍しく寒い朝。
コンビニ帰り、離れの表口で親父殿と遭遇いたしました。
ハゲは私に気付くと、気持ち良さげに吹かしていた煙草を携帯灰皿に仕舞い、細めていた目を限界までオープンいたしました。
「おはよう! 早いね」
「……おはよ」
「神幸ちゃん、大学行かないんだって?」
朝一で囁く言葉がそれですか。
「……まあ、行っても行かなくても、ツイてない人生に変わりないでしょうし」
キョトン顔で静止画像になる親父。
何故だか照れたように、
「祝福を受けた名前なのに」
「は? 坊様が言う台詞ですか」
親父は懐に手を突っ込むと、
「『神様』から『幸』を授かる――縁起のイイ名前でしょ?」
どこぞをポリポリ掻きながら、ドヤ顔で微笑んだのでございます。
――これが。
親父殿と交わした、最後の会話になりました。
◆◆◆
乾いた一日がとっぷり暮れて、喉が潤いを求めたから。
裏口からひょいと抜け出し、自販機で冷たいお茶を手にいたしました。
浮いた満月が、私だけを見下ろしてらっしゃいます。
推しと目が合ったよな錯覚に満足し、ふと店先に視線を向けると。
引き戸の前で、小さなお人が、おなしように月を見詰めておりました。
★
音も無く椅子に腰を下ろしたのは、人間の男性ぽいです。
「ぽい」というのは、存在が疑わしく思えるほどに、霞んで見えるから。
薄青い作務衣(のようなモノ)を着込み、眼鏡と思しき灰色の輪郭が滲んで見えますが、ツルツルの頭頂部だけは、澱んだ店内を照らさんばかりに光り輝いております。
懐から煙草を取り出し、徐に火を点けると、
『ツイてない御苑は(多分)永久に不滅です』
というボタンを押下しました。
(ここ禁煙ですよミスター――)
やんわり咎めようとした台詞は喉奥につっかえ、不快に感じたと同時――男性の眼前に透明なガラスの灰皿が現れました。
仕様がないか、出ちゃったんなら……。
諦めの吐息が溢れ、頬杖をつくと、
【来ちゃった♥】
確かに聞こえました。
はっきりと、男性の嗄れた声で。
「……幕間版へようこそ。これ、誰の声です?」
男性の顔がへにゃりと歪み、
【貴女の声でしょ?】
どこか嬉しげな響きがあります。
★
「なんぞ、ツイてないことが――」
【僕の人生――どうだったかな、と思って】
にちゃにちゃ音が聞こえてきそうな身の捩り方がとても気持ち悪い。
彼は――生い立ちをすっ飛ばし、成人後から晩年までの自身の半生を、ぼんやり赤や青に明滅しながら……さらっと語って聞かせました。
善意の第三者(?)として聞く分には、なるほど読ませる私小説と言えないこともなく。
「まあまあ面白いですね」
【そう?】
「フィクションとして芥●賞に応募されてみては?」
男性は考え込む素振り(フリ)を見せて、
【芥●賞かー】
「そうそう」
【……ごくり。】
「……ごくり。じゃなくて」
【貴女が纏めて、出してみてよ】
「マジですか?」
【著作権者は君だ!】
「でも出版権設定されますよね」
【賞獲ったらのハナシだね】
「夢がモ●モリ……」
私は、手にするであろう印税を右手で必死に計算し。
抑える気もない、邪気に満ち満ちた顔を男性に向けると。
呼吸があったように、二人爆笑いたしました。
ひとしきりウケたのち。
男性は穏やかに両手を組むと。
さざ波のような笑みを浮かべました。
【……僕ね……女の子に生まれて――】
「TS?」
【失礼。女の子が産まれた時、本当に嬉しくて……】
「その前に、ご長男も世に飛び出てますよね」
【長男のときは、当時のママが全部仕切ってて、あまり手を掛けられなくてさー】
「…………」
【僕、娘の爪と髪を切る係だったんだ。体育座りしてさ、腿の上に乗せて……乗るんだよ?! 頭の先から足まで、全身が……びっくりでしょ?】
「はあ……」
【ほんで、小ちゃい鋏で、鱗みたいな爪をしんちょーに切って】
「…………」
虹色に明滅する顔が、今にも溶け落ちそう……。
【髪は……自信無かったから、いつも前髪ぱっつんのおかっぱ】
なんとなく、覚えがあります。
座敷わらしみたいなやつ。
【可愛くて可愛くて仕様がなかった……でも、彼女が自我に目覚めた頃から、急に、どう接していいか分からなくなっちゃって……可笑しいでしょ? 自分の娘なのに】
「……ええ。そうですね。息子さんとはどうだったのです?」
【彼はほら、言うてもおなし「男」だからさ】
「んん?」
男性がのっそり顔を上げてこちらを見やると、すぐ様項垂れました。
【気が付いたら、彼女とは離ればなれになっちゃってた……随分と辛い思いをさせてしまった……】
結跏趺坐のままふいっと宙に浮くと、頼りなさげに漂います。
ぼうふらみたいに、上がったり下がったり……。
【ごめんなさい】
ふいに、ペコリ頭を垂れました。
【――座敷わらしみたいな頭にしちゃって】
「そっちかよ」
【いや、あの頃……人として大切なことを、教えてあげられなかったのが……】
面を下げたまま、力なく呟きます。
今更ですが。
私、父に叱られた記憶がありません。
綾女は案外、父に厳しく育てられたのかもしれませんね。
一緒に暮らしていたわけではないので、知る由もありませんが。
「まあ……当人(※自分)の資質にも問題はありましたからねえ」
【それな!】
「おいっ!」
意味もなく大爆笑。
――やがて。
【反省ばかりの人生だったけど】
「だろうな」
【……貴女にエロエロ突っ込んでもらえてよかった】
ふわりと立ち上がった男性の輪郭は、来店当初より確かなものに見えます。
眼鏡は黒縁だったのですね。真ん丸。
顔色、良いじゃないの。
最期に会った時より、ずっとずっと良いよ。
「ゴッド・ブレス・ユー」
【南無釈迦牟尼仏……一応、ね♥】
うーん……。
【沢山話ができてほっとした。また来るよ――】
私も……結構喋れるものなんですね。
マジックミラーひとつ隔てただけで――。
◆◆◆
………………目を覚ますと。
某かを求めるように、右手だけが空に突き出ておりました。
真上には、ぶら下がった電灯。
ゾッとするほど、静謐に佇んでいらっしゃる。
小玉が切れてるな……。
頼りない頭と脳内評議員をフル稼働して、たった今見たばかりの夢を反芻してみます。
見たばかりなのに………………。
フォルダに残されていたのは、「また来るよ」のひと言だけ。
ひと言だけでしたよ、お母さま。
◇ ◇
あの――十一月の寒い夜。
行き付けの赤提灯で昏倒し、救急車に担ぎ込まれた親父殿は。
ずっと、宙を掴もうとするよに右手を彷徨わせ――。
受け入れ先の病院へ向かう最中、瞑目したまま笑みをひとつ浮かべると。
ゆっくり右手を下ろし、静かに力尽きたのだそうです。
――親父殿。
どういうわけか、あなたが言った風に――。
「神の加護を受ける身になっちゃいましたよ……」
ひそーり呟きが漏れ。
唇が微かに震えました。
指先が冷えた目尻に触れると、呼応したよに喉が潤いを欲したのでございます。