五・馬車内の問答/前
ゲネシス公爵の乱入後、国王夫妻は彼を咎めるでもなく話し合いの場を設けた。そうする以外の道はなかった。その話し合いには、途中からほかの公爵や侯爵、大臣たち、そしてクニクルス伯爵が参加し、夜を越して明け方まで続いた。
その間、王太子妃候補として王城にやって来ていたほとんどの令嬢は自領に戻り、しかしアリシアとニアだけは残され、王太子エドガーは自室待機を命じられた。自室待機という言葉を使ったもののその実、軟禁だ。
そして夜が明け、今後の説明を受けたアリシアは父を残し自領に戻ることとなった。ダリルを伴って。
「素晴らしい手腕でございました」
「わたくしのではなく、父のですけれどね」
馬車の中、アリシアはダリルと向かい合って座りながら窓の外を眺めた。揺れが激しくならないようにゆっくりと走らせているとはいえ、歩くよりは流れていく景色はずっと速い。
「わたくしは父を呼んだだけにすぎません。ああなることは理解していましたから、それはいいんです。ですが、あの、ダリル?」
「はい」
「ちょっと現在の状況を整理して、いくつか聞きたいことがあるのですけれどよろしくて?」
「はい、何なりと」
「ありがとうございます」
アリシアは彼女にしては珍しく、慎重に言葉を選びながら話を進めていた。目の前にいる若い騎士があまりにも予測の範疇を越えてきたからだ。他人の考えていることが分からないなど、アリシアには何の問題にもならない。むしろそれを楽しむのが本来のアリシアだ。けれど、今回に関しては楽しむことができていない。
「あの騒動後に取り決められたのは、王太子の称号のはく奪と王女の立太子。そして、集まった令嬢たちへの謝礼の上乗せと、わたくしとニア様へは個別に賠償金が出されることになりました。陛下たちは引き続き話し合いをするとのことでしたが、とりあえず決定したのはこの二つですね」
「はい」
「それで、その慰謝料の中に、あの、どうして貴方が含まれることになったんです?」
そう、ダリルがアリシアと同じ馬車に乗っているのは、何も護衛の延長というわけではない。ダリルは、王室から支払われた賠償金のうちの一つとして、アリシアのものとなったのだ。
「私が近衛長へ直訴し、承認いただきました。魔法剣を所持する騎士であれば、賠償金の一部として相応しいと」
「うううううん?」
アリシアはやはり彼女にしては珍しく、頭を抱えた。このような感情を分かりやすく表現するような行動は、貴族としては好ましくはない。子どもの頃から貴族としての何たるかを聞いて育ったアリシアは、普段であれば頭を抱えるなんてことを軽率にはしない。そうであるのに、してしまったのだ。あまりにも、ダリルが分からなすぎて。
「どうして、いえ、それよりも、いつ? いつそんな時間がおありで?」
「私の心を貴女に預けた日の夜に。賠償の中に含まれることになったのは、殿下の暴走のおかげですが」
「……あれ、やはり軽々しくしてはいけない誓いでしたよね?」
「ええ、ですが私は軽い気持ちで誓っておりませんので、問題はありません」
ダリルがそう平然と言ってのけるので、アリシアは絶句した。様々なことを考えて、けれどそのどれもを放棄したくなるくらいにはこの状況が理解できなかった。しかし、やはり徐々にこの状況に面白味を感じだしてきてもいる。わけが分からなすぎるのだ。
たった一ヶ月程度、警護しただけの娘に“心を預ける”と誓いを立て、王宮の近衛騎士という安定と地位を捨てて付いてくるだなんて。どう考えてもおかしい。アリシアが跡取り娘であるならば、まだ納得はいくがそうではない。
アリシアは現在は公爵令嬢であるが、嫁入り先によっては爵位が下がることもあるし嫁ぎ先が護衛騎士は連れてくるなと言うのならば、ダリルはアリシアには付いて来れない。ゲネシス公爵領は広大な為、アリシアが婿を取ってそのまま領地経営を手伝ってもいいのだが、その場合は子どもが生まれてもその子は爵位を持たない。貴族の縁者ではあるが、貴族としては生きていけないのだ。
結論から言って、現在のアリシアは魔法剣を持つような価値ある騎士の就職先としてはかなり劣悪だといえるだろう。そんな、馬鹿じゃないのかと罵り嘲られても仕方がないような決定を、ダリルは平然としかもあっさりと決めてしまったのだ。なんて変な人なんだろう。笑い出しそうな頬にぎゅうと力を込めると、アリシアは高貴な令嬢ぶってできる限りのすまし顔を作った。
「魔法剣の騎士にそこまで言っていただけるのは光栄ですね。まあ、慰謝料という形ではありますが貴方は王家からの賜りものでもありますので、何か希望などあれば考慮しますよ?」
「アリシア様のお傍にいることをお許しいただけるのでしたら、どのような仕事でもいたします」
「ん?」
アリシアはさっそくすまし顔を崩して首を傾げた。何か変なことが聞こえた気がする。いや、気のせいだろう。気を取り直して、アリシアは少し意地悪に笑って見せた。
「あら、でしたら我がゲネシス公爵領の鉱山の最奥に住みついているというダイヤモンドドラゴンでも倒してきてもらおうかしら、一人で」
ゲネシス公爵領にはいくつかの鉱山があるが、その中の一つである魔法石を発掘する用の鉱山にダイヤモンドドラゴンが住みついている。と、いう昔話があるのだ。実際にドラゴンを見た者はおらず、大体、ダイヤモンドが採れる場所でもないのにダイヤモンドドラゴンがいるはずもない。
ダイヤモンドドラゴンとは、ダイヤモンドを主食にしているドラゴンだ。食べたダイヤモンドの数だけ硬く大きくなっていくというが、ほかのほとんどのドラゴンと同じく人間に興味がないので基本的には害がない。
倒せば大量のダイヤモンドが手に入るが、当たり前のように危険だ。自重が重たいからか飛べはしないが、小さいものでも熊の三倍はある体躯に外皮はダイヤモンドと同等ほどの硬さで、更に炎を吐く。いくら魔法剣を持っていようとも、騎士が一人で倒しに行くようなモンスターではない。しかし、ダリルは何でもないかのようにこくりと頷いた。
「承知しました。必ずやご期待に応えてみせます」
「違います!」
アリシアはほぼ反射的にそう叫んだ。ダイヤモンドドラゴンを一人で討伐するなんて現実的ではない。アリシアはダリルが、「さすがにそれはできません」と言うとばかり思っていたのだ。そして「では、どんな仕事もするなんて滅多なことは言ってはいけませんよ」と返すつもりだった。けれどダリルのこの調子では、本当にいるはずのないダイヤモンドドラゴンを探し出かけて行ってしまいそうだ。
「何がでしょう?」
「そこは承知してはいけません!」
「アリシア様、走行中の車内で立ち上がっては――っ」
「きゃ」
馬車の車内であるのに、アリシアは思わず立ち上がってしまった。なにせあまりにも会話が思った方向にいかないのだ。興奮してしまうのは無理もなかった。
けれど当然に揺れる車内で運動の得意でないアリシアはバランスを崩し、それをダリルがさっと抱き留めた。しっかりとした太い腕は、びくともせずにアリシアを支えている。思わぬ接触には多少のときめきがあるのが定番かもしれないが、アリシアの胸は鼓動を速めるどころかすんと静かになった。あまりにも子どもっぽかった自身の行動に頭が冷えたのだ。
「……お手数を、おかけしました」
「いえ、お怪我は?」
「ありません。本当に、はしたないところをお見せしてしまい、えっと……」
「役得でしたので、お気になさらず」
「ヤクトク……?」
丁寧にそっと座席に戻されたアリシアは、ダリルの言葉をオウム返しして反芻した。役得とは、ある役目に従事することによって得られる特別な利益や恩恵のことである。この場合、ダリルの言っているそれが、自身との接触のことを指しているのだろうことはアリシアにも分かる。分かるが、しかし。眉の一つも動かさず、いつもどおりの生真面目そうな表情でそう言ってのけるダリルの真意は推測ができなかった。
「えっと、ダリルも冗談を言うのですね……?」
「本心です」
「本心」
「昔から表情筋があまり動かないので勘違いをされることも多いのですが、喜怒哀楽は人並みにございますし、むしろ俗な人間だと自負しております」
「ダリルに喜怒哀楽があるというのは分かりましたが、俗、とはその……。あの、わたくしのことにつまり、そういう好意を持っているということで合っています?」
「はい」
「……そういうのって、隠すものではなくて?」
「いずれバレることですから、始めに知っていていただけるほうがよいかと。ご不快でしたら申し訳なく存じます」
「不快とまではいきませんが……」
アリシアは、少しだけ眉間に皺を寄せて考えた。確かに婉曲な表現を好む貴族文化の中では、かなり直接的な物言いだけれど不快を覚える程ではない。けれどやはりダリルの表情は変わらない。茶化しやからかいは感じないが、かといって真摯な気持ちの吐露には思えない。しかし、嘘と断定もできない。ううん、と唸ってからアリシアは口を開いた。
「なんというか、意外です。わたくし、そういう対象になったことがあまりないので」
「それはアリシア様がご存知ないだけかと」
「その可能性はゼロではありませんが、限りなく少ないと思いますよ。わたくしが話しだすと、大抵の男性は愛想笑いで二、三歩下がりますから」
社交界で、アリシアの地位に吸い寄せられる人間は多い。それはアリシア自身も知っているし、口酸っぱく教えられたことでもあった。けれど、アリシアが話し始めるとそういう人々は大抵苦笑いをして去っていく。つまらない話を延々聞かされ続けるよりもずっと快適だった。
「見る目のない男ばかりですね」
「ふふっ、言い切りますね。ダリルのほうが間違いなく少数派ですよ」
思いのほか、ダリルという男はこんな顔をして口が回るらしい。笑いを漏らしたアリシアは僅かに肩の力を抜いた。
「でも、わたくしはそういう人気はなくていいんです。下手に興味を持たれると、それを楽しめる才能のある方以外は大変そうですから。まあでは、ダリルにとってわたくしがそういう対象であるということは分かりました。ですが結局のところ、貴方は何故わたくしに付いて来たんです?」
この際だから聞いてしまおうと、アリシアは背筋を伸ばした。いつまでもくよくよと考えているのはアリシアの性に合わないのだ。そんな決意を知ってか知らずか、ダリルは特に気負っている様子もなく彼女に向き直った。
「アリシア様にお仕えしたいと思ったからです」
「わたくしは公爵令嬢ですが、跡取り娘ではありません。旨味のある主人とは言い難いのでは?」
「主人に求めるものの基準は、人によって違うでしょう。アリシア様は頭の回転が速く、知的好奇心が旺盛でそれを満たす為の努力を惜しまない。まだお仕えして一ヶ月程度ですが、貴女を見ていると飽きないのです」
「主人に愉快さを求めているんです?」
「私には必要なことです。私の基準でつまらない人間には仕えたくはない。貴族としての立ち居振る舞いも手本どおりで、下位とはいえ同じく貴族に生まれた者として尊敬いたします。そして何より、愛らしい」
「……重要なんですか」
「重要です」
ダリルの語気がほんの僅かに強まった。おそらく、彼の中で愉快さとは本当に大事な基準だったのだろう。しかしそれを聞いてもなお、アリシアの頭はこんがらがったままだ。やはりいまいち理解ができない。
「ええと、まとめると、貴方は面白くて見目のいい主人を探していて、それにわたくしが合致したと」
「語弊はありますが、近しいものはあります」
「わたくしの外見が好ましく感じられたのでしたらそれはいいのですが、外見って変わるものだわ。年をとったら皺ができたりやふくよかになったり逆に瘦せこけたりすると聞きますし」
「不変なものなど存在しません。若い瑞々しさは確かに魅力的ですが、経験を積んだ美しさもあるでしょう」
「……」
「何か?」
「いえ、今更ですが、よく喋るな、と」
王太子妃候補として護衛をしてもらっていたこの一ヶ月弱、ダリルは「はい」「いいえ」「承知しました」などの返事以外をあまり話さなかった。まったく何も話さなかったわけではないが、それでもきちんと話をしたのはエドガーが無茶苦茶を宣ったあのあとくらいだ。そんな人がこんなにたくさんを話してくれるなんてと、アリシアは純粋に驚いていた。
「……顔がこうですので、無口だと誤解されやすいのですが決してそうではありません。護衛期間中は、護衛対象であるご令嬢とあまり親密にしないようにと命令を受けておりましたので」
「ああ、それはそうでしょうね」
護衛騎士と王太子妃候補は、実をいうと恋仲になりやすいのだ。多感で常に緊張状態にあるうら若き乙女と、それを付きっきりで守護する護衛騎士。禁断の愛というものは今も昔も刺激的で、文学にもなりやすい。護衛騎士は近衛から選ばれることもあり身元も確かであるので、選ばれなかった王太子妃候補と当時の護衛騎士が結ばれることも珍しくはなかった。
そして、それも選考基準である。身近にいる人間に簡単に心を奪われてしまうような者が、王太子妃に相応しいはずもないのだ。けれど、騎士にだって忠誠心が問われる期間でもある。王太子妃候補である令嬢にむやみやたらに声をかけ、わざわざ惑わすような騎士は王城には相応しくない。だからこそ、親密にしてはいけないという決まりなのだろう。
「ですが貴方は公爵家ではなく、わたくし個人に仕えたいということでしたね。わたくしが今後嫁入りするとして、その家に付いて来れない可能性は考えなかったんですか?」
「その件ですが、アリシア様はご実家に留まる選択はなさらないのですか?」
「選択肢としてはありますが、父次第ですね。……婿入りを希望するのなら、もっといいご令嬢がいるでしょうに。伯爵家の出身で魔法剣を持つ騎士なら婿として欲しがる家も多いでしょう」
「アリシア様以上の方などいらっしゃいません」
「いますよ、いっぱい。ふふ、変な人」
お世辞で使い古された言い回しを、ダリルが言うのが面白くてアリシアはまた笑ってしまった。やはり意図の全容は見えないが、それでも全てが嘘というわけでもなさそうだ。今はそれだけ分かればいいだろうとアリシアは頷いた。
「まあ、貴方の意図は分かりました。父にも話しておきますが、希望どおりになるかは保証はできませんよ?」
「アリシア様はそれでよろしいのですか」
「え?」
「やりたいことが多くあると仰っていましたが、結婚相手に対しての要望などはないのですか?」
「はあ、まあ、結婚に関してはなるようになるとしか考えていなかったですね。母にも理想を持つと面倒だから、婚約する相手が決まるまでは深く考えないほうがいいと言われていました。幸いにも我が家は公爵位を賜っておりますので、わたくしを蔑ろにするような家に嫁ぐことはそうそうないでしょう。嫁ぐにしても婿を貰うにしても、わたくしがやりたいことと、結婚はまた違う話ですので」
「しかし、婚家によっては制限がかけられる場合もあるでしょう」
「では、その範囲内でやりたいことややるべきことを見出せばいいのです。現在が恵まれすぎている自覚はありますからね、郷に入っては郷に従えと言うでしょう。別の家に行くとはそういうことで、実家と同等に扱えというのは我儘ではないかしら」
「……やはり、貴女の考え方には驚かされます」
「貴族としては普通では?」
「いえ、そのお年でここまでしっかりとしたお考えの方はそういらっしゃいません」
「そうかしら、ダリルが知らないだけだと思うのだけれど」
ダリルは何か、貴族に対してあまりよくないイメージばかりを持っているように感じる。アリシアとて、自身とまったく同じ考えの人と出会ったことなどないが、それでも貴族の何たるかを教えられて育った友人知人を知っている。ニアの世間知らずな言動には驚いたけれど、ほかの令嬢たちだってあれには戸惑っていた。つまり、ニアが少数派だ。……まあ、エドガーの件もあるが。
しかし、ここまできっぱりと言い切るのであれば、この話はもう平行線をたどるしかないだろう。諦めてアリシアが話題を変えようとしたその時、ダリルがさっと立ち上がり彼女の肩を掴んだ。
「っ、アリシア様!」
「え、きゃあ! 何事です!?」
アリシアがダリルに反応する前に、馬が嘶き馬車が急停車をしたのだ。アリシアはダリルが支えてくれたおかげで、椅子から転がり落ちずにすんだ。
「……外にモンスターが」
「っ!」
読んでいただき、ありがとうございます。




