13 嘘
桐人と朝葵が一緒に帰りながら話します。
曽我は、最初に大学の研究室に来た時よりは、いくぶん顔色も良くなったようだった。
明日にでも実家に戻って、まずは父の供養を続けます、と言い、3人に深々と頭を下げた。
桐人と朝葵と佐々山の3人が曽我の部屋を出ると、もうすっかり暗くなっていた。
「先輩方、今日はありがとうございました。」
朝葵は桐人と佐々山に、改めて頭を下げた。
「いや、俺自身が首をつっこんだわけだから。」
「俺も興味深い話が聞けてよかったよ~。それに、後輩ちゃんの役に立つなら別にいいよ。」
桐人も佐々山も、基本的には親切な良い先輩なのだ。佐々山先輩は、これで余計なことを言わなければもっといいのに、と朝葵は思った。
「しかし、桐人は優しいねえ。」
佐々山はニコニコとしながら、桐人の肩を叩いた。その手を桐人がうっとうしそうに払う。
「そうそう、僕は明日早いから先に帰るけど、桐人は、吉良ちゃんを家まで送って行ってあげてねえ。」
佐々山は朝葵に目配せすると、速足で駅の方に向かってしまった。
佐々山の妙な気遣いは困るが、確かに夜道は暗く、独り歩きするよりは、桐人についてきてもらう方が安心だった。
「すみません、よろしくお願いします。」
「ああ。」
2人で歩いていると、自然と先程の話になった。
「……さっきも言ったように、俺は怨霊自体が強い力をもっているとは思っていない。その前提で話をするが……。」
「曽我くんみたいに、振り切れば大丈夫ということですか。」
「まあ、それはそうだが……。」
「大丈夫じゃないってこともあるんですか。」
「……さっきは一応、七人ミサキ自体が人を取り殺したという形で話をしたが……。」
その桐人の言葉を聞き、朝葵は気持ちがざわりとするのを感じた。
「……違うパターンも、ありうるということですか。」
「怨霊自体に、直接人間に強い影響を及ぼす力などないと考えたらどうだ。」
「……どういう、ことでしょうか。」
「……直接手を下したのは、人間かもしれないということだ。」
「えっ……。」
「さっき、暁人が『誰かが都合のいい毒でも持ち込んだら別だけどね。』と言っていただろ。もし、その『都合のいい毒』が存在したとしたらどうだろうか。」
そうしたら、前提は崩れる。
「でも、当時健一さんは7歳ですよ。毒なんて手に入れられませんし、使えませんよ。」
「この話には、みんな『恨み』が絡んでいる。そこから考えてみるんだ。」
「恨み……。」
「最初のとき、健一さんは確かに亡くなった3人を恨んでいた。しかし、もう一人強く恨んでいた人がいるはずだ。しかも大人だ。」
「それって……。」
健一の母親。
「健一さんのお母さんなら、3人の食事にピンポイントに『毒』を入れることが出来る。」
「そんな……。」
≪ばあさんも、今日は食事がまずかったのなんだのと言いながら……≫
「お母さんは、健一さんから蔵の出来事を聞いている。信じたかどうか分からないが、息子を助ける、と言う大義名分ができて、普段から抱いていた殺意を実行に移したかもしれない。」
自分を虐げ、愛する息子を虐げる者たちに対する恨み。
健一は言った。『それからの生活は順調だった。』と。
「でも、2回目は、健一さんのお母さんは亡くなられて……。」
「このとき、『恨み』を抱いていたのは誰だ?」
「まさか……。」
亡くなった2人にいびられていた人物。
「……曽我くんのお母さんだ。」
「陽子さんが……。」
「覚えているか? 2回目のとき、健一さんは名前を指定していないんだ。」
≪俺は、いつの間にか意識を失った。≫
「陽子さんは強い恨みを抱いた状態だったのは間違いないだろう。一方、健一さんの方は、妻と親の仲がうまくいかないことに苛立っていただろうが、元々関係は良好だったようだし、殺意までは至っていなかったと思う。」
≪二人が陽子に辛く当たることが、俺にはなかなか受け入れられなかったんだ。≫
「陽子さんも、『毒』を使ったんでしょうか?」
「分からない。このときは熱中症を引き起こしたのかもしれない。健一さんが意識を失った後、寝たふりをしていた陽子さんはそっと起きて階下に降り、エアコンをつけていないご両親の部屋をしっかりと閉め切る……。」
『普通は、2階の方が暑いんだけど。』と言った、佐々山の言葉が思い出される。
「陽子さんに明確な殺意があったかどうかわからない。単なる悪意だったかもしれない。しかし、結果ご両親は亡くなられた。」
「身代わりを受け取った七人ミサキは、それで帰っていった……と、いうことですか……。」
親を犠牲にしてしまったと考えた健一は、強く自分を責めただろう。
それとともに、家族の命を奪った『声』が再び訪れることを、ひどく恐れたのも不思議ではない。
「3回目は……どうだったんでしょうか。」
さっき桐人は、「陽子自身が志願した」と言ったが……。
「……健一さんの様子からは、7年前に、陽子さんが身代わりになったのは間違いないだろう。」
「陽子さんに恨みのある人がいたんでしょうか。」
「……曽我くんが、陽子さんが亡くなる前日、ご両親が口論をしていたと言っていただろう。」
≪子供がいるのに、どうして言ってくれなかったの≫
「あれは、もしかして、七人ミサキの話じゃなくて……。」
「健一さんの義父とお母さんが亡くなった日のことだったかもしれない。」
≪子供が(お腹に)いるのに、どうして(あなたはご両親に)言ってくれなかったの。(だから私は……)≫
「……健一さんは、陽子さんのしたことを知ってしまったということですか。」
「実際どのタイミングで知ったのかはわからない。ただ、その日、健一さんが強い恨みを抱いた状態だったとしたら。」
自分の親を殺した人間に、息子を託して逝けるだろうか。
もしそのときに、かつて母親が使った『毒』を、健一さんが持っていたとしたら。
「……今回については、健一さんに恨みはなかったんでしょうね。」
「そうだな。もし恨んでいるとしたら、今の事態を引き起こした『自分自身』だっただろう。」
だから、最期は自分が死ぬことを選んだ。
親孝行な息子に対する恨みなどなかったのだから。
「健一さんは、死ぬことが分かっていたから、少しずつ距離を取っておられたんですかね……。」
「そうかもしれないな。」
「陽子さんも、曽我くんを七人ミサキに入れたくはなかったんでしょうね……。曽我くんは、本当にいい人なんです。バイト先でも評判が良くて……。」
「そうだろうな。彼の人格が、彼を救った。」
桐人は一つ、大きく息を吐いた。
「七人ミサキ自体に人を取り殺すほどの力はないが、人の心を狂わす能力はあるのかもしれないな。」
条件が揃った人間の前に現れ、人の心を唆す。
それは十分に恐ろしい怨霊の仕業だと朝葵は思う。
「ただ、これも一つの可能性というだけだ。事実はどうせ分からないし、『都合のいい毒』なんて、俺のただの妄想だ。だから、曽我くんが、ご両親や親族の供養をするのに何も問題はない。」
「それは、そうですね……。」
「曽我くんが幸せなら、実際のところ何があったかなんて、どうでもいいことなんだ。」
佐々山が、『桐人は優しいねえ。』と言った意味が分かる気がした。
真面目に考え、真面目に結論を出し、真面目に嘘を言う。
朝葵にこの話をしたのも、知った上で曽我を見守ってやってくれということだろう。
「……先輩は、やっぱり優しい人です。」
「なんだ。気持ち悪いな。」
「そんなこと言います?」
「大したことはしてない。」
朝葵はにっこりと笑う。
「……みんな、もっと平気で嘘をつくんですよ。」
「そうかねえ。」
桐人は納得のいかない様子であったが、そうしているうちに、2人は朝葵のアパートの前に着いた。
「送っていただいて、ありがとうございました。先輩もお気をつけて。」
「ああ。」
「……これからも、相談させてもらっていいですか?」
「別に構わない。」
じゃあ、俺も帰ると言い、桐人は駅の方に向かって歩いて行った。
部屋に入る前に朝葵が振り返ると、桐人のシャツが街灯の明かりに照らされてぼんやりと光っているのが見えた。
それが段々と小さくなっていく様子を、朝葵はいつまでも眺めていた。
最後まで読んでいただいてありがとうございました!