002 サラスウェルのプロローグ
天国は楽しい場所だと誰もが言う。
しかし、この場所には何もなく、見渡す限り無の空間しかない。
はぁ。憂鬱だ。
どうしてあたしが、女神様のお世話係をしないといけないのだろうか。
毎度毎度こんなことをやらされてる、あたしの身にもなって欲しいよ。
何をしているかというと、肩揉みである。
何度、『治癒魔法を使えよ』ってツッコミそうになったことか……
「あのー女神様。 いつまで続ければよろしいのですか?」
「えーっと、あと1時間くらいかな?」
「はい。分かりました」
は? 1時間も?
昨日30分だったじゃん!
平然を装って返事したけど、思わず叫びたい気分だよ。
「なら叫んでいいよ」
心の声に女神様が返答する。
あれ? もしかして声に出てた?
「き、急にどうしたんですか?」
「どうしたって言われても」
女神様は『うーん』と考えるように唸り、
はっと何かに気づいたように手を叩いた。
「そっか、サラスウェルは私が人の心を読めるってこと知らないんだ」
あたし、人じゃ無いんですけど。
「え、そうなんですね。じゃあ、あたしがさっき考えてたこと聞こえてたんですね。あはは、お恥ずかしい限りです」
ま、別にそんな失礼なこと考えて無いと思うし、それくらい良いんだけどね。
……と女神様が。
「ほんとに失礼なこと考えてないと思ってる?」
「思ってますよ」
「いいや、昨日君は失礼なことを考えてたね」
え、マジ?
「マジだよ」
「じゃあ、昨日あたしが何を考えてたか教えて貰えますか?」
「ええ、いいよ」
ゴクリと生唾を飲み、女神様の言葉に耳を傾ける。
「昨日私がサラスウェルに肩を揉んでと頼んだ時、『え、肩揉み? だる』とか、『女神様って美しいみてくれなのに、ババアなのかな?』とか考えてたじゃない。こう見えて、結構傷付いたんだよ」
あたしは、即座に肩を揉む手を止め、女神様の正面に回り込み、全力で土下座した。
「すみませんでしたああぁぁ」
……とても、物凄く、殺されそうなくらい、冷たい視線を感じる。
一分程、冷たい視線に刺されながら耐え続け、ようやく女神様が口を開く。
「……はぁ。そのことは、もう気にしてないからいいんだけど。サラスウェルさ、昨日そのこと以外にも、『女神様って普段だらだらしてるし、羨ましい』って思ってたじゃない」
「そ、そうですけど。馬鹿にした訳じゃないんです。ごめんなさい。ほんとに。ごめんなさい。いや、本当に」
割と本気で謝ってると、女神様が思いもよらない事を言ってきた。
「そんなに羨ましいなら、私みたいに女神になってみる?」
願ってもないことだった。
何故急にこのような提案をしてきたかとかはどうでも良い。
女神になれるのならなってみたい。
「はい。女神になりたいです」
「いいよ」
あっさりしていた。
普通に断られると思ってたんだけど。
「ただし条件がある」
なるほど。
条件があるのね。
まあ、そりゃそうだよね。
そんな簡単に女神になれたら、女神人口が半端じゃないだろうし。
女神人口? なんだそれ。
「その、条件ってどのようなものなんですか?」
「それはね、私って仮にも音楽の女神じゃない?」
「まあ、そうですね」
「私の後継ぎが欲しいと思ってね。ある試練をして、その試練で私を認めさせたら、私の後継ぎの女神にしてもいいかなって」
「そんな軽いノリで女神にしてもいいんですか? だって神ですよ? そんなのしたら普通────」
「いいのよ。だって──────いや、なんでもない」
一瞬、女神様の表情が暗くなった。
「それよりその試練っていうのが、音楽の無い世界に行って音楽を広めるってものなの。やってみる?」
「はい。それで女神になれるなら、その試練やってみたいです」
試練って言うくらいだから、もっと過酷なものだと思ってたけど、これくらいなら何とかなるかも。
「乗り気みたいね。あ、でも結構大変になると思うから、あなたには人間のパートナーを作って貰うわ。その人間は私が勝手に決めるけどね。……でも安心して。音楽経験のある人を選ぶから。……あとニートの人ね。で、もう選んだのだけれど、なんだか面白そうな事になる気がするの」
その人間と共に試練を乗り越えろって感じかな。
……ってか、勝手にパートナーを決めないで欲しいんだけど。
ニートって人間的に終わってる人のことだよね。
少し不安が募る。
でも、この試練を乗り越えたら女神になれるんだから、我がままは言っちゃいけないな。
「分かりました」
「よし。あと、万一死んじゃうかもしれないから、ちょっとした能力を与えるわね。使い勝手が悪い能力だから使うことはないと思うけどね」
え、死んじゃうかもしれないの?
今からそんな危ない世界に行くことになるの?
やっぱりその試練怖くなってきたな。
「そんなに怖がらなくて大丈夫よ。そもそもあなたは魔法が得意だし、今から授ける能力でその心配は無くなるから。えっとね。その能力はね『ダ・カーポ』っていうの。この能力を使うと時を試練が始まるとこまで戻すことができるの」
魔法が得意……ね。
まぁしかし。
その能力が、『試練の始まりまで戻す』って事は、
「じゃあ死ぬことはないってことですね」
「確かにそうね。でも、『ダ・カーポ』使った後、『ダ・カーポ』を使う前の記憶は一時的に無くなってしまうの。これが使い勝手が悪い理由ね。それでもいい?」
なんかややこし。
その能力を使うとあたしの記憶も試練が始まる時の状態に戻ってしまうってことかな?
確かに使い勝手は悪いかもしれないけど、ないよりは断然いい。
「はい。全然いいですよ。……あ、でもあたし異世界語とか喋れないです……」
「それに関しては、私が『全言語理解』を与えとくわ。もちろん地球人にもね。……じゃあ、人間のところに送るわね」
「え。地球から異世界に行くんですよね? その時はどうすれば……」
「『テレポート』しなさい。大丈夫。最初の『テレポート』の場所は固定だから」
そう言った瞬間、身体が光に包まれる。
もう飛ばされるの?
早くない?
少し準備してから行きたいんだけど。
女神様が何かを呟いた。
「反省してきなさい」
そう女神様がはっきりと口にする。
でも、あたしにはその言葉が聞き取れなかった。
より厳密に言えば、聞き取れた筈なのにあたしはそれを聞き逃した。
※※※※※※
あたしは今、女神様が勝手にパートナーとして選んだ人間の家の前にいる。
正確に言えば、家ではなくアパートなのだけれど。
深呼吸をし、インターホンを鳴らした。