001 スズキ・クロキのプロローグ
9/24 AM2 24
丑三つ時。
それは、世の中のニートや引きこもり達が最も活動的になると言われている時間帯。
しかし、それは人だけの話であって、
現に、鈴虫はこんな夜中でもうるさく鳴いているのだ。
そんなに鳴きっぱなしで、喉を壊してしまわないのだろうか。
悪夢から目覚めた後、そんなことを何と無く考えながら部屋中の電気を付けて回っていた。
と言っても、ここは安いアパート。
風呂とトイレと台所と玄関、後は寝室ぐらい。
そこの電気を付けた後、俺はニート服を着たまま布団へと再び潜り込む。
電気代の無駄かもしれないが、こうでもしないと再び安眠することが出来ない。
そして、ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、自分の好きな曲である『きらきら星』を流そうとミュージックアプリを開く。
ちょうどそれくらいだっただろうか。
──ドンドン!
突然に、ドアを叩く音がしたのだ。
布団に潜っていたのにも関わらず、その音ははっきりと耳に届いた。
……?
……え? え?
今の音って、俺の部屋を叩く音か?
宅配便か?
なんでチャイムを鳴らさない?
いや、冷静になって考えてみよう。
こんな時間にくると言えば、酒に酔った中年とか、そんなもんだろう。
泥棒にしても、こんな堂々とする訳がない。
無視すれば、きっと立ち去るだろう。
そんな都合の良いことを考えながら布団の中で丸まる。
──ドンドン! ドンドンドン!
さらに激しくドアが叩かれる。
無視だ。無視。
こんな時間に帰ってくる酔っ払いなんて、ろくでもない奴だろう。
うん。無視。……無視。…………無視。
──ドンドン! ドンドン!
……とは思っていたが、こんなにも激しく叩かれたら確認だけでもしたくなる。
人の性と言うべきか。
俺は、音を立てずにベッドから起き上がり、インターホンのモニターで、ドアの前にいる人物を確認する。
インターホンの子機のぼんやりとした光で、その人物の輪郭が照らされる。
……小柄な身体、長めの髪。
えーっと。……あれ? 女の子?
顔こそはっきり見えないが、そこには女の子がいたのだ。
……ドンドンとドアを叩きまくっている女の子が。
迷子だろうか?
それにしては、肝が座りすぎているような。
……警察に電話するか。
これが妥当だよな。
そう思い、布団にあるスマホの手を伸ばしキーパッドを画面に表示させる。
警察はヒャクトウバンだから、えっと……10010だっけか。
覚えててよかった。
ピポパ……っと。
『お掛けになった電話番号への通話は、現在お取り扱いしておりません』
コールボタンを押した刹那、無機質な女性の声がそう言った。
ありり?
……警察って、社会からリストラされたのだろうか。
それか警察も定時で帰る様になったのか。
何故に繋がらない?
──ドンドン! ──ドンドン!
もうそろそろ、ドアが壊れるのでは無いだろうか。
近所から苦情が来てないのが不幸中の幸いと言うべきか。
何と無くだが、俺が出るまで叩きやまない様な気がする。
だが。
先程とは打って変わり、心は少し穏やかになっていた。
外にいるのが少女だったからだ。
少し余裕が生まれた。それと少しの好奇心が。
だから、こんな考えに至ったのだ。
──話すだけならいいのではないか……と。
自分でも少し恐ろしいことを考えついたなと、そう思う。
だが、俺の足は止められず、ドアの前まで足を向けていた。
ドアの前に立ったと同時に、叩く音は鳴り止んだ。
どうやら、俺がドアを開けると察したらしい。
一つ呼吸をする。
チェーンロックをかけ、恐る恐る開く。
そして──
少女と目が合う。
インターホンで見た時は薄暗くて分からなかったが、可愛らしい少女がそこにいた。
俺より少し背は低く、中学生くらいの背丈。
肩まで伸ばした茶色の髪は艶やかで、俺を見つめる小さくて丸い目は、黒い真珠の様に輝いて見える。
相反する様に、身に纏った白色の服。
可愛くも美しく見えたのは、彼女を月が照らしているからだろうか。
ほんの数秒の沈黙の後、彼女の口が開く。
「はぁ。やっと顔見せた。もう、どれだけ待たせるの?」
「す、すみません」
ほぼ反射的に謝ったが、俺別に悪く無いよね。
少しの気分の悪さを抱えながら、少女に問う。
「ご、御用はなんでしょう?」
「とりあえず開けて」
少女はぶっきらぼうにそう答える。
「泥棒かなんかですか?」
「違うわよ」
即答だった。
確かに泥棒では無さそうではある。
しかし、怪しさは満点だ。
「じゃ、じゃあ一体?」
俺がそう問うと、少女は大袈裟な動きで一つ咳払いをし、
「あたしは天使よ」
平然とそう言ってのけた。
……そんな頭のおかしな事を。
うん。おかしい。
ごっこ遊びとかならまだ分かるのだが、流石にそういう事をする歳には見え難い。
ましてや深夜だ。尚更変である。
取り敢えず、適当にあしらうか。
本当は警察に渡したかったとこだが、仕事放棄をしているみたいだったしな。
「て、天使の証拠とかあれば信じますが?」
「天使の証拠ですか……」
そういうと、少女は「うーん」と唸り、やがて、ハッと何かに気付いた様に、手をポンと叩いた。
「えっと、あなたの過去とか?」
「じゃあ、それで」
「これ、合ってたら信じてくれる?」
「あーはい」
正直、自分でも今何をしているのか分かっていない。
最早、自分はまた悪夢を見ているのかと思い始めたくらいだ。
自称天使の中高生。
そんなの、どう考えたって現実的では無い。
俺は、少女のゆっくり動く綺麗な口を見ながら、夢見心地な気分で返答した。
だからこそ、
「あなたは、鈴木黒黄。過去に両親と姉をなくしている。そして、その後──」
「えっ……」
そんな夢の様な気分から、現実に勢いよく引き戻された。
思わず。本当に思わず声が漏れ、絶句した。
「ふふ。アタリでしょ?」
少女はドアの隙間に顔を近づけ、俺の顔を覗き込む。
俺は、二回首を縦に振る。
どうして知っているんだ?
それの答えはもう出ている筈なのに、別の可能性を考えようとしてしまう。
一番単純な理由は、目の前の少女が天使だからなのだ。
しかし、どうも府に落ちない。
「本当にどうして?」
これしか俺に出せる言葉は無かった。
この問いに対し、少女は無邪気な笑顔を浮かべて、
「あたし、天使ですから!」
明るい声でそう言い放つ。
俺が心の中で導き出した答えと一緒だ。
だがしかし、
「ここじゃ近所迷惑なんで、場所移しません?」
彼女の声は、本当にうるさかった。
チェーンロックを外し、少女の手をとり、半ば早足でその場を後にした。
いつの間にやら、俺の彼女に対する警戒心は消えていた。
※※※※※※
『ミンミーン』と、セミだか鈴虫だか分からないが、その声が余計に身体を暑くする。
雨上がりのコンクリから発せられる、独特な匂いを気にしつつ、公園へと歩みを進めていた。
「未だに半信半疑なんですけど、本当に天使なんですか?」
「えぇ! 天使よ。天使!」
先ほどから、そこの自称天使はぺちゃくちゃと喋りまくっていた。
そんなに口を動かして、口が筋肉痛にならないのだろうか……。
……と、そんなことを思っている内に目的地の公園へとやってきていた。
滑り台や、ブランコなどがあり、ベンチがいくつかある簡素な公園。
地味に公園にくるのは子供の時以来だ。
子供時代の匂いがする。
少し、ぐちょっとなった地面。
自称天使がブランコまで走って行き、濡れてないのを確認するとちょこんとそこに座る。
なぜそこに座る。
そう思いつつ、もう一つのブランコに腰をかける。
ぐらっと揺れたが、足を踏ん張って持ち堪えた。
「まぁ、ここなら近所迷惑にはならないでしょうね」
「分かったわ。……というか、自己紹介がまだだったわね」
あぁ、そうか。
? でも、こいつ俺の名前知ってた筈だよな?
「あたしはサラスウェル。何回も言うけど天使よ。……名前は呼びにくいからサラスで!」
「よし。そう言うことにしましょう、サラスさん。……仮に天使だとして、俺のところに来る意味が分からないのですが」
「それはね、スズキ・クロキさん。あなたがあたしのパートナーだからよ! それ以上でもそれ以下でもないわ。これからよろしくね」
いや、俺にとったらそれ未満だ。
つーか何言ってんだこの人。
……パートナー?
なんで、これからよろしくされないといけないんだよ。
「んー。困惑が詰まった表情をしているわね」
「ちょっと整理させてください。天使って言うのは本当なんですよね?」
「また、それ? 本当よ。なんならまだ秘密知ってるけど」
「じゃあ、それを言ってもらえます? 家族の話は俺以外から聞いたって線も捨て切れないですし」
「えぇ」
と言うと、サラスは顔をニヤつかせながら、
「えっと、去年の夏。朝起きたら、布団がぐちょぐちょに──」
「よーーーーし! 信じる信じる。だからその話はやめてください」
……漏らしたやつですね。
これは、俺しか知らない秘密のはず。
高三の夏休み中に起こった事件。
ドライヤーで、一生懸命に乾かしたため誰にもバレることは無かった。
つまり、俺以外知っている人がいるはずがないのだ。
目の前の人物の言うことに真実味が増した……と言うか、真実なのだろう。
人物……否、天物とでも言うべきか。
天使……か。
いや、これは堕天使だろ。
「ふふ。今度こそ信じて貰えた?」
サラスは顔を横に向け、そう問うてくる。
赤面が暗闇に隠されていることを願いたい。
「まぁ。信じざるを得ないというか。……じゃあ、パートナーって言ってもどうして俺のところに?」
「まぁ、パートナーって言ったのはあたしの女神様なんだけど。ま、パートナーは女神様のきまぐれで選ばれたんだって。要は抽選みたいなもんよ。選ばれる条件は、ニートで、多少音楽好きだってこと。でも、クロキさんのこと面白そうな人って言ってたわよ。良かったわね」
「良くねーよ。その女神は、頭にあんこでも詰まってんのか」
反射的にツッコむ。
ニート…………。
いや、別に否定したいわけではない。
なんか、うん。
他の人に言われると、なんかショックだな……。
俺が悲しみを思案していると、サラスは呆れた様子で答える。
「はぁ。女神様は一応あたしの上司的存在なんだから侮辱しちゃダメ」
「『一応』とか言ってる時点で、お前も多少なりとも侮辱してるだろ」
「そんなことない。というか、あたしは天使。敬語を使いなさい」
「恥ずかしい秘密を暴露された時点で、敬語使う気は失せたよ。で、そろそろ本題だけど、その女神は俺をサラスのパートナーにして何がしたいんだ?」
サラスは俺の様子を一瞥し、「コホン」とわざとらしい咳をしてこう答える。
「えっとね。あたし、上の世界で女神様になりたいって頼んだの。まぁ、直接的に頼んだわけではないんだけど」
上の世界というのは、天界──まぁ、天国みたいな場所だろう。
でも、女神って頼んでなれる代物じゃあないだろ。普通に考えて。
サラスは続ける。
「そしたらね。女神様は、試練を乗り越えたら女神にしてくれるって言ったの。女神もそろそろ世代交代らしくてね。で、その試練っていうのが、『音楽のない世界で音楽を普及する』っていうものだったの」
なるほど?
その試練の内容からして、女神は『音楽を司る女神』といったところだろうか。
試練の難易度によるが、それだけで女神って変な話な気がする。
神の世界では普通の事なのであろうか。
パートナーの条件が、ニートであり、多少の音楽好きであるという事に合点がいった。
しかし、少し気になる点がある。
「音楽のない世界なんてあり得ないだろ?」
まぁ、まず気になる点だ。
音楽というのは、大昔から人々の生活に寄り添っているもの。
狩りの時は角笛で合図をし、祭の際は太鼓を叩き娯楽をする。
生活の中で自然と生まれ、育ってゆく。
音楽とはそういうものなのだ。
だから、音楽が無い世界だなんて──
「あぁ、それね。女神様が作った試練用の世界だから、何でもありなのよ」
「おい。それ、ご都合主義って言うんだぞ」
女神様チート過ぎるだろ。
いや、でも、この地球も神様が作り出したものだと考える人もいるし、変な事ではない……のか?
うん。分からん。
「釈然としないが、一応納得しておく。……だけど、その世界に行って俺にメリットある? いや、ないだろ」
「自分で答えを出さないで頂戴。……あたしが女神になった暁には、願いを一つ叶えてあげるわ」
願いを一つ……か。
親に迷惑かけずに、死ぬまでニート生活とか、いいな。
「なるほど。確かに魅力的だ。でも、その世界の広さはどれくらいだ? 原始時代みいな世界という可能性もある。そんな世界でって言われてもな」
「いや、大丈夫。結構小さめらしいわよ。えっと世界観は……『剣と魔法の異世界!』って言えば聞こえはいいかしら?」
「聞こえ、とてもいいです」
要はゲームの中の世界ってことか。
ゲームは嫌いじゃない。寧ろ大好きだ。
あれ? これって、ちゃんと現実だよな?
「行く気になった?」
「…………あぁ」
俺は躊躇い混じりに肯定の返事をした。
「ほんと? なんか渋ってない?」
「大丈夫。親の心配をしてただけだ。知ってたみたいだが、今の両親は、俺が孤児院で暮らしていた時に拾ってくれた義理の両親でな。……俺がその世界に行けば、もう迷惑をかけずに済むかなって、今そう思った」
「そう。でも、あなた他にも家族いたはずでしょ?」
なんでそこまで知ってるのだろう。俺の資料でもあるのだろうか。
「まぁ。いるけど。10年前に15歳の姉は、当時の両親と共に自動車事故で死んでいる。……そしてその時に、五歳の妹は行方不明。一体どこをほっつき歩いてんだか……」
俺がそう言い終わると、隣からゴクリと生唾を飲む音が聞こえた。
サラスも、断片的情報は知っていても、事細かくは知らないらしい。
まぁ、俺はその時8歳。顔を合わせる機会が少なかった姉の顔なんてほとんど覚えてないがな。
──ザッ。
その時、再びサラスの方から音がした。
地面を蹴る様な音。
釣られる様に無意識に横を見れば、サラスがブランコを漕いでいた。
「んっしょ」とブランコを漕ぐたびに、ふわりとスカートが揺れた。
別にそれを見て、邪な気持ちになるわけでは無い。
まるで、天使の羽衣のようであったのだ。
まぁ、俺の話になんの返信もされてないのを見るに、ただブランコを漕ぎたかっただけだろうが。
聞いたのだろうが、なんでもいいから声掛けをして欲しいところだ。
「サラス? 無視してブランコ漕ぐのやめてもらえる?」
「やめなーい。楽しいねこれ!」
彼女は無邪気な笑顔をこちらに向ける。
遠くなり、近くなり、ぐわんぐわんと声が揺れる。
とりあえず、止まってから話をして欲しいものだ。
「でさ、クロキさん。つまり行くって事でいいだよね? あたしと一緒に」
「まぁ……いいかな」
うん。
これでいい。
終われば、この世界に戻って来れる。
チート能力でも授かって、ちゃちゃっと終わらそう。
「よし。決まりね」
サラスはそう言うと、
「……とうっ!」
ブランコから飛び降りた。
「しゅたっ! ……って、いった~い!」
でしょうねと言わざるを得ない展開だ。
なぜ飛び降りようと思ったのか。
しゃがみ込み、歯を食いしばって痛みを抑えているようだ。
そんな様子のサラスは、俺を右手をひょいひょいと俺の方へ動かす。
こっちへ来いということだろうか。
気怠げにブランコから立ち上がり、そこまで歩く。
「大丈夫かサラス?」
「大丈夫じゃないー。……えっと、今から行こっか?」
「お、おう」
「よーーし! ──『テレポート』!」
「ちょ、いきなりすぎじゃ──」
刹那、眩い光に包み込まれた。
親に対する罪悪感と、少しの後悔を感じながら。
俺の選んだ第一歩目が、奈落への入り口にならない事を願うばかりだ。