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Ⅲ たぶん、彼女向き

 駅前のゲーセンを出ると、太陽はもう、一番高いところを通り過ぎていた。わたしは、ひそかにこの時間を楽しみにしていた。なんと言っても、瑞葉とごはんを食べられるのだ。瑞葉と食べるお昼より美味しいごはんがこの世にあろうか。無い。断言できる。


 ゲーセンデート自体はお互いにあまり上手くいかなかったが、デートはこれから。本心半分、取り繕い半分の軽いスキップで一歩踏み込み、瑞葉の腕に絡みついた。


「お腹空いてない? わたしはぺこぺこなんだけど」


「……私はそんなに。食べる方ではないから」


「あんだけ身体動かす音ゲー満喫した後だけど、大丈夫? 時間も時間だしさ、どっか入ろうよ」


 絡みついた勢い、喋りながら瑞葉の頬をつついてみると、驚くほど張りがあった。急に心臓が早鳴りしだす。ちょ、ちょっとだけ踏み込み過ぎただろうか。


 恥ずかしさを誤魔化すため、瑞葉の腕を引きながら、数歩前へ出た。


「こうしてわたしが引っ張ってくのさ、なんだか昔みたいじゃない?」


 振り返って、二歩後ろの瑞葉に聞いてみる。瑞葉の顔も赤くなってくれていたりしないかな、なんて期待してみたが、むしろ瑞葉の顔にはしらけの色が宿っていたので、ちょっとがっかり。


「ん~。瑞葉さ、やっぱりなんかあった? いつにもまして……いつにもっていうか、昔に比べてだけど、曖昧な返事、多くない?」


「……昔から、喋るのはあまり得意では無かったと思うのだけれど」


「そうだけど。そういうことじゃなくって」


「……『そう』だけでは、ちょっと」


 昨日は「あれ」で通じた割に、なかなか冷たい幼馴染みだ。いや、わたしが瑞葉に甘えてしまっているのだろう、これは。わたしは日本語が得意じゃないし。


 しかし、結局この会話が全てを表している気もする。なんとなく、今日は歩調が合わない。ここまで目を背けて来たが、そろそろ向き合う必要があるのだろう。悔しいことに、こんな気持ちばかり言葉にしなくても伝わったのか、瑞葉はそっとわたしの腕を振りほどき、あらぬ方向へと歩き始めた。なぜか一瞬、瑞葉の傍へ駆け寄ることができなかった。


 ゆっくり遠ざかる瑞葉の背中が目に映る。小学校の頃は、わたしが瑞葉の腕を引っ張り、瑞葉はわたしの三歩後ろを付いてきていた。いつの間にか、わたしばかりが瑞葉の姿を目で追うようになり、今日に至っては、瑞葉の背中にすがっている。


 わたしの憧れた大和撫子はどこへ行ったのか。わたしだけが憧れを追い続けているようで、お腹がぐっと重たくなった。鈍い気分の悪さを振り払いたくて、もう一度駆け寄って、瑞葉の腕に絡む。


「瑞葉がお腹減ってなくてもさ、やっぱりわたしは、瑞葉とごはんが食べたいなって」


 今この瞬間は食べ物なんて胃に詰められる気がしないけど。強がりを隠しながら瑞葉の腕をひときわ強く抱いた。瑞葉は、照れもしなかった。


「……なずなは、何か食べたいものがある?」


「無い。強いて言えば、瑞葉の食べたいものが食べたい」


「だったら、このまま何も食べないことになると思うのだけれど」


 それからしばらく、瑞葉は駅の周りをひたすらふらついた。初夏の土曜日、駅前のビルには気取ったイタリアンも手軽なハンバーガーショップも、あるいは立ち食い蕎麦だろうとなんでも揃っているのに、わたしたちには何も無かった。


 炎天下、三十分ほど歩いても、未だどこか建物に入る気配すらない。わたしは言うまでもなく、瑞葉の薄い化粧ですら既に溶け始めていた。流石にこのままではいけない。


「あのさ、ごはんじゃなくてもいいから、とりあえずその辺のカフェでも入ろう? 疲れたし、何かするにしても一回座りたい」


「……と言われても、時間帯的にどこもいっぱい」


 瑞葉は一体何が理由で渋っているのか。それが見えなくて、ちょっとイライラする。今日はデートだから。そう言い聞かせていたが、そろそろ限界だった。


「あのさ、じゃあそこまで言うなら、絶対空いてて、絶対座れて、絶対何か食べられる場所、教えてあげよっか?」


「……なずながそこまで自信を持っているのなら」


「わたしの家」


 若干怒気を込めて言い放ってみた。


「わたしね、今日は駅前に集合って言われたから、できるだけ外で全部やるんだろうなって思ってたの。外で、いつもとは違う雰囲気で、いつもと違う……」


 そこで瑞葉がわたしの唇に向けて人差し指を立てた。


「怒らなくてもいいと思うのだけれど。最初からノープランだとは伝えたのだし」


「人の話遮って言う言葉がそれかい! なんなのほんとに……」


 イライラしているとはいえ、デートはデート。怒りを込めるのは一瞬だけにして、ひとまず軽い調子で受け答えしてみた。が、瑞葉はそこで会話のキャッチボールを打ち切り、また勝手に歩き始めた。


 怒るというか、流石に半分呆れてしまう。棒立ちしながら瑞葉の背中を見ていると、瑞葉が朝のように声を掛けてきた。


「……なずな、そこで立ち尽くしていないで、早く行きましょう」


「いやだから、何かあったのはどう考えてもそっちでしょ! ほんとどうしたの、これまでの瑞葉とは全然違うっていうか……」


「なずなの家、行くのでしょう?」


「……はい?」


 それでわたしはようやく理解した。なるほど、瑞葉の中ではもう話が付いたことになっていたのか。


「えっいやわたしは構わないけど、瑞葉はそれでいいの? さっきも言ったとおり、わたしは今日、全部外で済ませたいから駅前集合なんだなって思ってたんだけど」


「ノープランは、ノープラン」


 そう言うと、瑞葉は今日はじめてはにかんだ。


「……なずなの家、久しぶり」


「あーもう完全に行く気なのね分かった」


 その不器用な微笑みに参ってしまうあたり、わたしのゾッコン度合いも相当だな、なんて一人苦笑した。


***


 ラッキーなことに、ずぼらなお母さんは家のクーラーをつけっぱなしにしたままどこか外へ出ていたので、玄関をくぐると冷気が全身を包み込んできた。


「あー……疲れ取れる……」


「最初からこうしていれば良かった気もするのだけれど」


 プラン一つも立ててこなかったのはどこのどいつじゃい、などと内心悪態をついているうちに、瑞葉は慣れた足取りでわたしの部屋へ一直線。慌てて瑞葉の一歩前へと急いだ。


「こらこら、一応わたしの家なんだから、ここから先はわたしがお世話する側。瑞葉がお客様」


「お客様なんて、ずいぶん大層な身分になったものね、私も」


「大層でもなんでもないでしょ、連れ込んだのはわたしだけど」


「なら、お客様らしく、くつろがせてもらおうかしら」


 瑞葉の部屋に比べれば格段に狭いであろうわたしの部屋へ入ると、瑞葉はその言葉どおり、ローテーブルの片側に陣取ってのんびりタブレット端末を弄り出した。わたしは、「飲み物を取ってくる」なんて安い言い訳を付けて、一旦部屋の外へ。


「あ~~~~~ダメ、ほんとダメ」


 わたしの部屋に、瑞葉がいる。少し前までそれは当たり前のことだった。ちょっと歯車が狂って、わずかにいない時間があっただけなのに。


「あ~ほんと無理、無理無理、瑞葉……」


 そこまで一人愚痴ったところで、わたしの部屋の方から物音が聞こえたので口をつぐんだ。そういえば、昨日部屋で大声を出して怒られたのだった。この家は狭い上に壁が薄いから、とにかく声が筒抜けなのだ。こんなため息が瑞葉に聞かれては顔も合わせられない。


 気を取り直し、麦茶を抱えて部屋に戻ってみれば、瑞葉は相変わらずタブレットとにらめっこしていた。まったく、人の気も知らないで。わたしは今日、この部屋に残った瑞葉の残り香を抱きしめながら布団に入らなきゃいけないというのに。


 我ながら理不尽な怒りを込めつつ、グラスを二つ、丁寧に並べた。


「瑞葉、それで、何する?」


「ノープラン」


「いやいや、ちょっとは考えようね!? 今日それしか聞いてない気がするよ!?」


「とは言うものの、今回ばかりは私のせいではないと思うの。私がお客様で、なずながもてなす側なのでしょう?」


「そうだね! まさかそれをここまで引っ張るとは想定外だったけどね!」


「それで、なずなは何をしたいの?」


「今考える……」


 これは半分からかわれているのだろう。瑞葉はわたしがデート経験値ゼロだと知っているのだろうか……って、そういえば、ゲーセンに行く前後で自分から暴露した気がする。なるほど、全部わたしのせいか。


 しかし、いくら嘆いても、今ここで何をすべきかなんてさっぱり分からない。「カレシ」と彼女って、何をするものなんだっけ?


 迷いながら戸棚のトランプを取り出すと、瑞葉はそれに一回だけ目線をよこした。


「ババ抜きかしら」


 そう言う瑞葉の横顔が笑っている気がして、わたしとしてはなんでもよかったのだけど、ババ抜き以外の選択肢が無くなってしまった。いや、ひょっとしたら、瑞葉は相変わらずわたしをからかっているだけなのかもしれない。


「いいよ、絶対負けないから」


「……ごめんなさい、突然ゲームセンターでのやり取りを思い出したのだけれど、理由が分からないの」


「あーもうわたしに負ける未来が見えないってことね! 分かった、目にもの見せてみせる」


 勢い中学時代にカッコつけて練習した見せシャッフルを披露して山札を半分に分ける。瑞葉は見てなかったけど。いいよ、勝てばいいんだから、勝てば。


ぱっと手札を眺め、もう揃っているカードを切っていく。一方、さっさと準備を済ませた瑞葉は、なぜか自分の手札を裏側のまま机に並べていた。いや、なんじゃそりゃ。


「お~い瑞葉、聞こえてる? 今からするのは神経衰弱じゃないぞ~? もうババ抜きは諦めちゃった~?」


「こちらの方がなずなもやりやすいかと思ったのだけれど」


「は? まあとりあえずじゃんけん……」


「私の側にジョーカーがあるから、なずなが先でいいと思うの」


「いやそうだけどさあ! そっちにジョーカーあるの知ってるけど! それ言うもんじゃないよね!?」


 二人ババ抜きは、どっちにジョーカーがあるか勝手に分かる。当たり前なんだけど、いやそういう問題じゃなくて……。もっとこう、ババ抜きっていうか、じゃんけんみたいなことを通じて、雰囲気作ったり、会話したり……そういうものじゃなかったっけ、デートって。そんなわたしの疑問に、裏返しのカード達は何も答えてくれない。わたしは観念した。


「じゃあわたしから引くけど……これ、適当に選べってことでいいの?」


 瑞葉はタブレットから目を離さずにうなずいた。机の上から一枚めくる。スペードのジャック。わたしが二枚組で捨てるなり、瑞葉がわたしの札を抜き取っていく。一瞬だけタブレットから意識を逸らすと、瑞葉は何一つ迷わず、机に裏向きで載せられたカードの一枚、その上に今引いたダイヤのエースを重ねた。


そのままタブレットに視線を戻してしまったので、場がフリーズ。


「いやいや、ダイヤのエースの下にあるカードが何か、わたしに分かんないじゃん」


「心配しなくてもこれは同じ札のペアだから、なずなはそれ以外を引いてくれれば大丈夫」


「……はい?」


「不安なら、めくって確認してみればいいだけ」


 言われるまま二枚組の札をひっくり返すと、確かにダイヤのエースの片割れが現れた。


「大丈夫だったでしょう?」


 相変わらずタブレットに目を向けたまま、瑞葉は素っ気なく言い放った。


 ということは、瑞葉は今、自分が裏側で並べたカードの順番を全て暗記しているのだろうか。


「ババ抜きってこういうゲームだったっけ……?」


「最後にババを持っていた方が負け。シンプルでいいルールだと思うのだけれど」


「いや、そうなんだけど。なんかしっくり来なくて。っていうかそのやり方、わたしからジョーカー引いた時にどうすればいいか分かんなくない?」


「まだジョーカーは私の手元にあるのだし、なずなからジョーカーを引き当てることは万に一も無いから、それも杞憂」


「今言ったね!? 絶対引き当てさせてみせるからね!? その時はわたしの言うこと何か一つ聞いてよね!?」


 なぜこういうことを言ってしまうのか自分でもよく分からない。案の定、わたしは序盤でジョーカーを引き、瑞葉は以降、ただの一度もジョーカーを手元に置かなかった。


 そして何より、瑞葉はその間、ただの一言も喋らなかった。


 瑞葉といえば、ゲームの終盤からプレイの終わった今まで、涼しい顔をしながらずっとタブレットに視線を落としている。わたしたちがプレイしたのは、やっぱりババ抜きに似た別の何かだったんじゃないだろうか。


「なんか、一人でババ抜きしてるみたい」


「そうかしら? 私はなずなとババ抜きをしていたと、ずっと思っていたのだけれど」


「上手く言えないけど、答えを全部知ってるコンピュータとババ抜きしてるみたいっていうか。そっちは何も喋らないし、自分の手持ち札全部暗記してるし、何よりジョーカー引かないし」


「なずなはジョーカーを並べる位置に周期性があるから、最初にどこへジョーカーをしまったかさえ確認しておけば絶対に引かないで済むだけ」


「はあ!? えっウソ!?」


「本当。何年幼馴染みをやっていると思っているの?」


「こんなことで幼馴染みを感じたくなかった……」


 本当なら、もっとこう、会話の弾み方とか、二人の距離感とか、そういうところで幼馴染みパワーを発揮したかったんだけど。なずなは相変わらず、わたしの方を向いてくれない。これはわたしから動くしかないのだろうか。恋するわたしはそれすら迷いながら、ゆっくりと、瑞葉の横へと座る位置をずらした。


「さっきからタブレットで何見てるの? 全自動ババ抜きをセッティングしてまで見たいものなんでしょ?」


「この間買った、十九世紀の……」


「うん、そこは瑞葉で安心した」


 甘えるように瑞葉の肩へ顎を預ける。タブレットを見下ろすと、そこにはよく分からない英文がずらっと並んでいた。瑞葉にとって、わたしとこの英語、どっちが大切なんだろうか。そんな疑問が頭にちらついて、ふっと背中がむずむずし始めた。


「瑞葉さ、今日わたしとデートして楽しかった?」


「ええ」


「愛の無い即答をありがと」


「そんなにぶっきらぼうな返事だったかしら」


「ううん。ただ、せめてこっちを向いて言って欲しかったなって」


「……『カレシ』って、こういうものだった気がするのだけれど」


 そう呟いた瑞葉の肩が強張った。わたしはどうやら、どうしたって、瑞葉の元カレと向き合わなければいけないようだ。せっかくのデートなんだけど。


「瑞葉さ、元カレとどういう別れ方したか、やっぱり聞いていい?」


「……断ったら、どうなるのかしら」


「もう一度聞く」


 瑞葉はふうっと長いため息をついた。これは、瑞葉が何かを諦めた時にするため息だと、わたしは知っていた。


「喧嘩して別れたわけではなくて、自然に消滅しただけ。デートをして、私には『カレシ』役の方が似合うと気付いたら、そのままフェードアウト」


「敢えて分かりきったこと聞くけどさ、瑞葉にとって『カレシ』って何?」


「今日は質問が多いように感じるのだけれど」


「これも、答えなかったらもう一度聞く」


「……『カノジョ』を自由に呼び出しては目的も無いのに連れ回す人」


「感覚が三十年くらい古くない?」


 笑いながら、わたしは瑞葉の肩をひときわ強く抱いた。


「なんかさ、瑞葉の話、全部その辺に転がってそうな恋バナに聞こえるんだけど。優等生だったいいとこの女の子が、勘違いした自由に憧れて、適当な『カレシ』にあしらわれるって。要はそういうことでしょ? 小説サイト覗いたら、十個に一個くらいはそんな物語あるんじゃない?」


「……自由に憧れるのは良くないことだと、そう言いたいのかしら」


「自由と適当を勘違いしてるのがダメってこと。まあ男子に引っかかった後『自分がカレシ役やってやる』なんて思うあたり、瑞葉は器が大きいなって思うけど」


「人生で一回も彼氏を作ったことのないなずなに言われるなんてね」


「わたし、多分これから先も作らないよ。わたしは本気で瑞葉の彼女になりたいと思ってるし、わたしが求めてるのは『カレシ』じゃない瑞葉だから」


 昨日あんなに緊張しながら告白したのはなんだったのだろう。それくらいすいすい言葉が出てくる。多分それは、言いたいことが文句という形で積もっている、今のわたしの感情の問題で。


「わたしね、実は今、結構怒ってる。朝から『カレシ』の瑞葉はわたしの着てきたもの一つ褒めてくれないし。瑞葉は元カレから服とかメイクとか褒められなかった? それとも元カレはデートだって呼び出しておきながらTシャツ着てくるような人だった?」


「…………」


「口にしなくていいよ、何があったかだいたい分かったから。どうせ、瑞葉が頑張って着飾ってきたら、相手はダサTだったんでしょ。それで、今日の瑞葉はその真似をした、と」


「私のTシャツはそこまでダサくないと思うのだけれど」


「それは本気だったんだ……」


「まあ、大方そんなところ」


 瑞葉はこの話題から逃げたいのだろう、頑張ってタブレット上の英文を読み進めようとしていたが、さっきから明らかに目が滑っている。一ページも進んでいない。もっとも、この期に及んでまだわたしの目を見ようとしない根性は凄いと思うけど。ここまで来たらもはや根競べ。もう一度、瑞葉の肩へ胸を押し当てた。


「瑞葉が『カレシ』になってみたかったっていうのはよく分かった。何も考えないまま『カノジョ』を呼び出して、困ったらとりあえず相手に投げつつ、自分は好きなように振る舞う。凄い楽しいと思う。でもね、一つだけ勘違いしてる」


「そんなダメ人間が許されるはずもないと、そう言いたいのかしら」


「ハズレ。瑞葉の勘違いはね、自分が『カレシ』役に向いてるって思いこんでるところ」


 瑞葉の動きが全て止まった。ただの一度でも『カレシ』に向いてると本気で思ったことがあるかなんて、わたしには分からない。けど、たぶん、瑞葉は頭がいいから、心のどこかで、向いてないという事実に勘付いてはいたんだろう。


「瑞葉は人を振り回すのに全然慣れてない。だって、たかがわたしに振り回される小学生だったんだよ?」


「……だったらなずなは、『カレシ』に向いていそう」


 その言葉は、わたしに向けてというより、瑞葉自身に向かって放ったものだったのかもしれない。遠回しに、自分は『カレシ』向きじゃないと認めている。でも残念、わたしもやっぱり『カレシ』には向いていないのだ。


「恋する乙女を舐めないでね? わたしはむしろ、好きな相手にはもじもじしながら尽くすタイプだよ。断然『カノジョ』向き」


「もじもじ……それは本気で言っているのかしら」


「あーもううるさい! わたしは瑞葉の『カノジョ』で、瑞葉はわたしの『カノジョ』! それでいいでしょ? もじもじだとかくよくよだとか、そこが大事なんじゃないの!」


「やっぱりもじもじなんてしていないじゃない」


 そう笑う瑞葉はまだタブレットとにらめっこしようと頑張っている。こうなっては実力行使しかあるまい。


「もー怒った。いやさっきから怒ってるけど、今度は本気。いつまで『カレシ』気取りで『カノジョ』の顔見ないつもり? そのまま現実から目を背けられるとでも思ってるの?」


 一方では瑞葉に抱きついたまま、もう片方の腕で瑞葉のタブレットを掴む。引っ張り上げようとしたら、瑞葉が逆方向に力を加えて抵抗してきた。


「人のものを勝手に取ってはダメ!」


「この分からず屋! いい加減その小難しい英語を読むの諦めたら? さっきから全然進んでないくせに!」


「それはなずなが喋ってくるから……!」


「うるさい! こっちはわたしと喋るのに集中しろって言ってんの!」


 もう一度強くタブレットを引っ張る。瑞葉がお返しに、上体全部を捻るようにしてぐいと引っ張り返してきた。グリップが利かなくなり、わたしの指からタブレットが離れていく。


 ……そう、つるっと。


「あれ?」


 どっちが気の抜けた声を上げたのか、わたしにもよく分からない。ひょっとしたら同時だったのかもしれない。タブレットのつるつるした表面からわたしの指が外れ、身体を捻ろうとしていた瑞葉は勢いそのままバランスを崩した。つられて、体重を預けていたわたしも。


 どさりと物音がする。気が付けば、わたしがマウンティングポジション。瑞葉はわたしの下敷き。


 お互い事態をよく呑み込めないまま目線が交差する。瑞葉の、驚いた瞳。こんな瞳は、小学校の頃だって見たことがない。


わたしは、その瞳を覗き込んで、全てを理解した気分になった。


マウントを取った側の特権として、ひょいとタブレットを取り上げる。瑞葉からの抵抗は皆無。まだ事態を呑み込めていなさそうだ。


これでもう、二人の間には何も無い。今日何度目かの沈黙が降りてくる。瑞葉の茶髪が目に入った。やんちゃをして染めた茶髪は、近くでみるとカラーが少し抜け始めている。耳の産毛。エクステをやったことも無さそうな睫毛。いろんなものに目移りして、結局最後に、その瞳へと戻ってくる。


瑞葉の瞳には、わたしの瞳。耳をすませば、瑞葉の早い鼓動。それが聞こえるくらいの静寂。そっか。こうなる運命だったんだ。


「うん、そっか、ごめん瑞葉、長々とめんどくさい話をして。ようやく分かった」


「なずな、いいから早くどいて……」


 ようやく正気を取り戻した瑞葉だったが、わたしが上から両腕を抑え込むと、また全身から力が抜けていったようだった。辛うじて、顔だけが強張っている。わたしはその強張った顔にもう少しだけ鼻先を近づけた。


「うん。やっと分かった。やっぱり、わたしは今日、瑞葉と決着をつけなきゃいけないんだって」


「な、なず、なずな……? 一体何を言って……?」


「小学の時に出会ってから色々あったけどさ。幼馴染みってことで、いつも一緒だったし。二人で一つって言えばいいのかな」


「こんな状態で今さら昔話なんてされても……その……そう、みら、未来の話をしましょう」


 瑞葉は動揺を隠せていない。対するわたしは、なぜか凪いだ海よりも穏やかな心。


「うん、そう。わたしは今日、幼馴染みって過去を乗り越えて、瑞葉との新しい未来を掴むの」


「え、ええ……? 私との、未来……?」


 目線が外れない。そもそも外せなかった。お互いが何も喋らないまま、額と額をくっつける。わたしの鼻の頭が、瑞葉の艶やかな鼻先へと向かっていく。瑞葉の目に、わずかな緊張が浮かんだ。


試すように、わたしは両腕の力をほどいた。瑞葉はそれでも、逃げ出そうとしない。きっと、瑞葉も分かったんだと思う。今日が決着の日なんだって。瑞葉の瞳に映るわたしの頬が緩んだ。


「行くよ、瑞葉……」


 瑞葉は、気持ちを落ち着けようとしたのだろうか、いつもとは違うため息を付いた。


「……こな、来ないでと言っても無駄? いっそ来てと言ってみようかし……」


「ごめん、もう待てない」


 瑞葉の言葉はそこで途切れた。というより、わたしが唇を塞いだ。瑞葉はもう一度目を見開き、やがて大きな呼吸を鼻から一つすると、ゆっくり目を瞑った。それを合図に、わたしの両腕が瑞葉の背中へと回っていく。


大丈夫、怖がらないで、瑞葉。本当の自由ならここにある。どこまでも凸凹らしいわたしたちの未来は、今から始まるんだから。



(了)


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