漏らすまでが友達です
うんこで笑ってしまう。
幼少期からアホみたいな下ネタで笑ってしまう。
ディープな下ネタでは笑えない。それは夜飲み屋のねーちゃんとか、"そういうの大丈夫です"系女子としっぽりやってくれ。
私はうんこを求めている。うんこ make me happyだ。
なぜこんなことを書くのかというと深夜だからで、なぜ深夜になるとこんなことを書くのかというと、それはわからない。
排泄物。これは笑えない。
尿。これも笑えない。
大便。このあたりからクスクスしだす。
うんち!!! 大爆笑である。
私の笑いのツボはでんじゃらすじーさんが決めた。
クソッタレ幼少期のお陰でこの浅いツボが育った。
この文章を打ちながら私はニヤニヤしている。
傑作だ!という一文が書けたわけじゃない。
うんちという字面だけで、とぐろを巻いた茶色の物体が脳内に浮かび上がる。
それがおかしくておかしくて仕方ない。
勘違いしないでほしい。私はトイレという空間が好きなわけではない。
基本的に息を止めたままか口呼吸でしかトイレには居られない。ましてやトイレのドアを開けるのも結構苦痛だ。誰が触ったか分からない。間接うんこになってしまうじゃないか。それと臭いにはとても敏感なのだ。
つまり、私が好きなのは漫画うんこであり、それが実写になり外の世界に出てくるのは勘弁願いたいということである。
なぜか人々はうんこの存在を隠す。
『今…すごいうんこしたいんだよね…。』
と言ってくれたら誰とでも友達になれる。新明な面持ちでも、滑稽な面持ちでも、嘘ついてますの面持ちでも、面白いじゃないか。
おいおいマジかよ、いつからしたいの?てかトイレまで耐えれる?
ところがどっこい、漏らされてでもみなさい。
決裂ですね。友達にはなれませんね。てか2秒で着替えてください。
そう、境目は漏らす漏らさないにある。
今うんこをしたいしたくないは関係ないのだ。
だからむしろうんこをしたいときは声高に宣言してほしい。
『うんこしたいですよー!!』ってね。
ビックボイスで頼みますよ。大便だけにね、ふふ。
漏らすまでが友達です。