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Rainy friends

作者: 歩く楽しみ

 もうすっかり灰黒く染まってしまったアスファルトの道路に、まだまだ雨粒が叩き付けられていた。その勢いは、どうやら今なお強まり続けているらしい。

 忘れてしまいそうなBGMだった雨音は、今や一つの楽曲のようで。

それでも、気まずい静寂に由来する胸元の落ち着かなさはちっとも誤魔化されてくれない。

他人の家の玄関で、傘の先から滴る雫をただ私は見つめ続ける。誰のものとも知らない靴までも濡らしてしまわないように。


 『気を遣わないでいいのに』――呟いても仕方ないそんな言葉を、私は雫と一緒に滴らせた。

 じわり、と染み込んでくれることもなく。私のいたいけな不満は、クラスメイトの自宅の三和土に残り続けていく。

「ごめんねー。あの子、今まで寝てたみたいで! 今すぐ来させるから、もう少しだけ待っててね?」

 軽やかなスリッパの音と一緒に、まるで世界中に向けて放たれた言い訳のような言葉が届く。

「大丈夫です、お気になさらず」

 姿を見せた女性に、にっこりと私は朗らかな笑顔を見せた。今私の足元に広がる水たまりには、その女性に対する不満が混じり込んでしまっているのにも関わらず。

 クラスメイトの保護者には、笑顔で。凡そのどんな状況であろうと、当たり前のことだ。


 私は、優等生なのだから。




「ごめんねー、その辺座ってー」

 普段は比較的テキパキと短く喋る筈の彼女の、何でもない言葉尻が――不自然に間延びした口調がやけに気になった。

 たった今聞いてきた彼女の母親のそれとそっくりだったからだろうか。

 雨の中、やや遠回りしてまで同級生の家までプリントを届けるという任務の途中で、私自身がやや疲れてしまっているからだろうか。

 誰のせいでこんな苦労を、と思わないこともない。

 しかし勿論、彼女を本気で責める気もない。

 彼女の依頼によって私が今こうしている訳ではないし、彼女が『雨の降る日は学校を休む』と宣言し実行に至っていること――その堂々たる態度と行動力は、寧ろ私にとって尊敬の対象なのだから。

「ありがとう。こんな雨の中……ちゃんと傘持っていけたんだ?」

「いつものことでしょ。あと、今日のは置き傘なんだ……ねぇ、ミカは雨降るの知ってたんだ?」

 ちらり、とミカの部屋を見渡す。兄と共用の私のそれとは違って、女の子らしさだけに溢れた可愛らしい部屋だった。

勉強机の上には、学校で使う教材ではなくて、何に使うのかも私にはわからないような化粧品が散らばっている。

「もちろん。雨の中で学校行くの、嫌だもの」

 ……つまり、雨の日に登校したくないという気持ちの余り、精度の高い天気予報までも身に着けてしまったということだろうか。

 朝の天気予報では、雨が降るなんて言っていなかったのに。

「ほんと、凄いよね。朝ミカが教室に居ないからさ、『雨降るんだな』って解っちゃった」

「今度は先に、ユウにだけ教えておいてあげよっか?」

 ミカは、眼鏡の奥の瞳を狐のように細める。

 私は、困ったように口端を吊り上げて、物語のような皮肉を紡ぐ。

「よろしく、雨限定の天気予報士さん」

 ――どちらともなく、けたけたと私達は笑った。

 もう何度目かも思い出せない程、私とミカの間で交わしてきたやり取りだ。

 結局、一度だってミカが私に雨を報せてくれたことはないけれど。

「あ、でねでね。プリントと、これが明後日までの宿題ね。今日習ったトコ入ってるけど、大丈夫?」

 私がミカ……『仲の良い同級生の家』に寄ったその理由、本題である本日の学校での配布物をスクールバッグから取り出す。

 ミカはそれら一枚一枚をそれぞれ一瞥しては、可愛らしいカーペットの敷かれた床に積み重ねていく。

「ここなら予習終わってるから、大丈夫」

 事もなげに、ミカは随分と頼もしいことを言った。

言葉だけ、その場のノリとか、そういうものじゃない。実際、ミカの成績は学年でも間違いなくトップと言えるものなのだから。

 だからこそ――その誰にも明確な”凄さ”があるからこそ。雨の日は学校を休むなんて行動に対して誰も申し訳程度の正論以外を述べない。そして、それでもトップの座に座り続けているからこそ、”凄い”と誰もが認めるのだろう。

「あーん、ミカ凄いなぁ。今日の範囲、高村君も例題間違えてたのに。私もよくわからなかったし」

「この範囲で難しいっていうと、こことか?」

「それそれ! 先生の解説聞いたけど、数字変わっちゃったらわかんないよ。ねぇねぇミカ、折角届けてあげたんだから教えてよ、この問題!」

「じゃあー……私もちゃんと解いてから教えたいから、明日ね?」

「ありがとうミカ。これ、約束だから」

「わかってる、絶対教えてあげるって。雨が降らなければ」

「雨が降らなければ、ね」

 これもまた、私達の間で符牒のように交わされる決まり文句だった。私達の未来は、いつも雨が降るかどうかで変わってしまう。

「取り敢えず、今日はこれくらいかな。今日お母さんがパートだから、それまでに帰ってご飯食べないと」

「うん、ありがとうねユウ。雨の中」

 私の愛するべき同級生は、私に合わせるように女の子座りを崩して立ち上がる。

 にゅ、と既に立ち上がった私の眼前を、ミカの顔が通り過ぎていく。

「いいよ。ミカの顔見に来るついでだし」

 他の子に比べてほんの少し背の低い私と、それよりも頭一つ分背の高いミカ。その身長差に、何も思わないということはない。

 けれどそれは、無邪気な羨望の表現以外で形にしてはいけない感情だ。

「ばいばい。また明日ね」

「また明日、雨が降らなければ」

「うん。雨が降らなければ」

 今度は、私から符牒を口にした。不思議な程に、その送受信は気味の悪いものに感じられた。

 でも私は、そんなことを言葉になんてしない。

 成長期特有と言ってしまえばそれまでの、明らかな身長差も。噛み合っていないのに繰り返される符牒の気味の悪さも。


 小さく胸元で手を振り見送ってくれたミカを背にドアを閉じて、踏み外しそうな他人の家の階段を下りて、不味い毒混じりの水溜まりがすっかり乾いてしまった他人の家の玄関に立つ時まで。

胸の中ですら、何も思わないようにしていた。


 だって私は、優等生だから。





 立てさせてもらっていた傘を手に取り、『お邪魔しました』とミカの母親にもう一度微笑む、

 雨は、ほんの少し弱くなったらしい。空を見上げれば、相変わらずグレーのカーテンが広がっているけれど。

 玄関先で傘を開き、水たまりを踏まないように歩き出す。

何故だろう。つい先程、部屋の内外で別れた際のミカの姿が頭をよぎった。

それでも歩き続けると、心臓にできたかさぶたを剥がすような痛み――痒さが走った。

 別段、今日だけのものではない。珍しくはあるけれど――『私は何か、やり残したことでもあるのだろうか』中学生になってからずっと、こんな気持ちになる日は時折あった。

 今日が偶然そうだっただけだ、雨が偶然降るように。そんな言葉を支えにしながら、一歩一歩とミカの家から遠ざかる。

「ユウー!」

 そんな声が聞こえた。聞き間違える訳もなく、今の今まで話していた私のクラスメイト、ミカの声だった。

 振り返ってやや上を見上げる。ミカの家の二階の窓から、私服姿のミカがその高い背を乗り出してこちらに手を振っていた。

「いつもと違う傘だけど、そっちも可愛いねー!」


 ――『そんなどうでもいいことを、どうしてそんな大声で』『馬鹿なことを。頭、良い癖に』

 そんな言葉をいつも通り、私はやはり、口にはしなかった。

 私は優等生だから、ではない。


「……いつも、見てたんだ」


 私が、彼女の――ミカの、友達だからだ。


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