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俺と彼女のウラ事情

作者: 九透マリコ



 彼女がそうなってしまったのには、理由があった。



 それは、バイト先の社長が軟弱過ぎてだとか、見た目で判断される職場に嫌気がさしたからだとか。後はそう、面倒くさいから、というのが主な理由だ。

 そんな独壇場で決めた外見が、今まさに役に立っているのはとても幸いな事である。

 栄養の野郎、どうして違う場所も補ってくれなかったんだ! と罵ってやりたいほどすらりと伸びた背丈。おかげで、もう使わないからと言われて貰った型落ちの某ブランドショップのお高いスーツをぴしりと着こなせており。

 美容室? ナニソレ美味しいの? と、自分で無造作に短く切った後に、社長が女々しく泣きながら整えてくれた髪は、職業上、清潔感を出すためにムースで軽く撫でつけて。それでも、まだ歳若い青臭さを象徴したような少し垂れ目がちな目許を隠すため、スタイリッシュに伊達眼鏡をアクセントに使う。

 幸いな事に、元々中性的な顔立ちをしていたからか、女っぽい男にしか見えないようで、今のところ仕事上の差支えは一切無い。

 そんな男装スタイルが、今まさに口から叫び声を出してしまいそうだった己の心情を上手く誤魔化せる材料となっていたりする。

 当然、よくやった! と、自画自賛したのはいうまでもない。そんな頭の中では、カラフルな衣装を着た怪しげなおっさんがフィーバーしまくり、胸をボインボインと揺らした美女がサンバを踊りまくっているのだが、彼女はそんな素振りは露ほど見せず、自分でも気持ち悪いと思う作り笑いを浮かべて相対している相手へと話しかけた。

「ですから、私どもの事務所で是非ともMEGUMIさんのお世話をさせて頂きたいなと思いまして」

 と、言いながらも。


 本当は、すごく嫌だ。今すぐ断って! というか、断れ! うさん臭そうな目で見てくるんなら、それを正直に言ってくれ!!


 そんな事を心の中では叫びながら、彼女、萌木志音は目の前にいる、先程差し出した事務所名と電話番号に、『シオン』と書かれたただの名刺と志音の顔とを眉を顰めながら交互に見つめる相手に微笑んだ。

「……はぁ」

 と、そんな生返事にもめげない風を装ってはいるが、内心では苛ついている志音も相手の顔を観察してしまう。


 やっぱり、合ってるんだよなぁ。


 MEGUMI。本名は不明で、ここ数年ほどインターネットの住民を騒がしているネット上のアイドルだ。月に一度、動画を流してはあっという間に再生回数が何万にもなるという。彼女の熱狂的ファンは多く、ネット上ではもはや大手芸能事務所が売り出すのも時間の問題かとまで言われているほどである。

 そんなMEGUMIを前に、志音は昨日、社長に言われて事務所で事前に確認した通りの容姿だと改めて思った。見間違いではないほどの美人、もし自分がプロのカメラマンだったとしたら腕が鳴るほど撮りがいのある美女である。

 無造作にパーマを当てた髪のハーフトップの両サイドをねじって後ろでバレッタで留めているだけのシンプルな髪型だが、まるで西洋の美の化身ヴィーナスのように美しい。

 志音の名刺を見ている際に伏せられる睫毛は毛先までもが神が創造したと謳われるほどの長くて綺麗で、困惑しつつも悩ましげな表情は端正な顔を更に引き立たせて多くの人を惹きつける。化粧は薄く、透明感のある肌にうっすらと映える程度で、チークを塗らなくても自然と赤い頬は、彼女が生身の人間である印のようだ。

 現に、人通りの多い喫茶店を選んだのも悪かっただろう、先程から何人もの視線が突き刺さってくるほどである。


 慣れてるけどな。


 芸能事務所のマネージャーという特殊な職業上、タレントを守る志音はよくファンたちからやっかまれる事が多い。だからこその男装で、実際これが意外と威嚇にもなっているのだ。やはり、女だと舐めてかかられることも多いので、この業界に入って彼女は三日で男装する事を決意したほどだ。

 元々、ファッションやおしゃれ、化粧品、髪の手入れなどに興味はなく女の子らしくなかった為か直ぐに馴染んだ。後は、性格上の問題もあるだろう。要するに、女として振る舞うのが面倒だったのだ。面倒くさい。この一言に尽きている。

 そんな面倒事が嫌いな志音でも、仕事とプライベートは別のつもりだ。ただ、目の前の美人が元同級生で元いじめっ子だという点を気にしなければ。



 そして、一番ここが重要ポイントとなるだろう、まぎれもなくこの美人は、男であったりする。



 生物学的には。繰り返し言うが、彼女の記憶に残る彼の姿は正真正銘、男なのだ。そう、彼は何を血迷っているのか志音とは真逆に、今現在女装をしている。

いや、これはある意味一種似た者同士といえるのかもしれないが。そこに、何故? とか、一体どうして? という疑問はあるが、聞きたくもない。否、聞けるはずもない。

 そうする事で、昔の顔なじみだという事がバレてしまうし、必然的にいじめの記憶も思い出されてしまうからだ。そうなっては、この先顔を合わせづらい。

 なので、実はそんな精神的大ダメージをくらわされてまで、彼と仕事はしたくないというのが彼女の本音で。そもそも、女装男をアイドルとして売り込む自信が彼女にはなかった。外見上でなら必ず売れると分かっているが。

それでも、どうにかこうにかこうして彼に契約の話を持ち込んだのは、彼女にとって絶対の支配者、すなわち雇い主である社長からの指令が下ったからである。

 ならば、事務所を辞めるという選択肢もあっただろう。しかしそこはよくある話で、彼女は社長に大変大きな恩があり、辞めるなどもってのほかなのだから仕方ない。


 辞めたらきっと泣くだろうしなぁ。


 という事は、やはりここは相手から断っていただくしかないという結果に至ったのは言うまでもない。成り行き上、それは仕方ない事だと彼女は心の内で大きく強く頷いた。


 ここは一つ!思いきり怪しく振る舞って、ばっさりと断られよう!


 結果、良からぬ方へと意気込みをつけたのも自然の流れなのである。

「テレビに出れば、めちゃくちゃ有名になれますよ。私どもにあなたの夢を叶えさせていただけませんか?」

 本来ならば言ってはならない言葉ばかりを敢えて告げる。

 有名になるにはまず、下積みを経験してからの本人の努力次第だし、何より彼女の所属している事務所は弱小なのでまだまだ各放送局内でのコネが少ない。何かしらの奇跡でも起きない限り茶の間をにぎわす売れっ子になどなれるはずもないだろう。そんな簡単な事は誰にでも分かるはずだ。

 それに、相手がどのような夢を持っているかなど彼女には全く知る由もなく、口から出まかせもいいところであった。


 これで終われ。ついでにキレてくれたら万々歳だ。


 志音の言葉に、相手はやはり俯いた。よし、良い結果になりそうだ! と思ってガッツポーズに入る瞬間、机に一滴の雫が落ちてそれは宝石のようにきらきらと光った。

「……っ」

「は?えっ?あ、えっ?」

 驚いて、何度も瞬きをしながら涙と相手を交互に見れば泣き顔がそこにあった。


 いや、待って! え? 何で? 何で?? 何でなんだよ!?


 とにかく放っておく事は出来ないので、慌てて志音はハンカチを取り出すとすぐさま手渡す。

「ごっ、ごめん。なんか、気に障ったかな?」

 過去、彼にいじめられていたとはいえ、今の彼は見た目が美女になっているのだ。

 これは、絵面として大変よろしくない。

 第三者からすれば、怪しい男がか弱い女の子をいじめているようにしか見えないではないか。


 それって、やばいだろうが!


 背中に汗が流れていくのが分かる。先程よりも更に険しい視線が幾重にも突き刺さり、志音の笑顔が凍りついた。


 もうだめ。やばい。逃げたい。逃げよう!


 と思わず腰を浮かせた、そんな志音の腕に、何を察したのか目の前の美人がそっと白い手で触れてきたのである。

 普通に男ならば、ここでドキリとしてしまう所だろう。だが、いかんせんただ精神的に追い詰められて逃げ出したい男装女子にとっては、恐怖しか感じないわけで。


 ひぃ! に、逃げ道塞がれた!!


 などと思っている志音をよそに、彼は上目づかいで彼女を見てきた。

「……今まで、そんなこと言われたことなんてなかった」

「えっ?」

「本当に、わたしの夢を叶えてくれるんですか?」

 涙で濡れた美人の顔は実に扇情的で、男だと知っていながらもドキリとする。絡みつく手に力が加わり、彼の真剣さが窺えた。

「え……ええ。まだまだ小さな事務所ですが……努力は惜しみません」

 内心では早く帰りたくて仕方ないはずなのに、変に高鳴る心臓に手を当てて座り直す。照れというよりも、どちらかといえば逃避に近い形で逸らした視線を、再び彼へと戻して軽く咳払いをしてみた。

「あなただけです。そう言ってくれたのは」

 彼女の心情など知る由もなく、彼は真摯な眼差しで吐息を吐くようにそう言った。

「そう、なんですか」


 あー、何だかなぁ。


 どうしてこうなった。と言わざるを得ない状況に、彼女はもう苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

 ここまで話が纏まると、もう結果は見えているのだから。


「よろしくお願いします」



 そう言って、彼が行儀の良いお辞儀をしてきたので、彼女もそれに倣って頭を下げた。




***




 雑居ビルが立ち並ぶ市街地を歩く。後ろに誰もが目を見張るほどの美女を連れて。

 とりあえず、合意を得たので事務所へと社長に挨拶がてら書類を取りに行くことにしたのだ。


 それから、未成年だから自宅へ送って親御さんにも同意してもらわないとなぁ……つーか、女装って知ってんのかな?


 これからのことを考えれば考えるほど、頭がどんどん痛くなる。しかし、一人悶々と悩む訳にはいかないので、後ろの彼の緊張をほぐしてやるために、所属タレントがどういう活動をしているのか、実はうちの社長は昔俳優業をしていたとか、色んな話題を提供しながら会話を弾ませていた。

 そうしながら歩いていると、ようやく己がホームベースとして通う事務所のビルに到着する。事務所のあるビルは様々な店舗が入っているのだが、余所のビルよりも少し特殊過ぎて入りづらいという。まさに、デメリット万歳である。

「……あの、本当にここなんですか?」

 そのあまりにも不安な声を聞いて、彼女は今断ってくれても構わないんだけどなぁとさえ考えてしまうあたり、彼女自身も更に精神的に追い詰められているのだろう。

「ええ、まだまだ小さな事務所なので。……女性には、入りづらいでしょうが」

 と、言葉に悩みながら志音が見上げる先には、他社には負けぬとど派手な看板群が並ぶ端に、シンプルな文字で『八重樫芸能事務所』という小ぶりの看板があった。

 さて、奴はどうするかな? と彼に視線を移す。それは、個人的な興味と芸能プロダクションのマネージャーとしての探りの一環だ。これでもし、辞退するようならその程度の小物だと見きりをつけられるし、過去の自分への精算にもなるだろう。

 だが、その逆であるならば彼は……と、思いを飲み込んだところで、彼が意を決して志音をじっと見つめ返した。

「大丈夫です、よろしくお願いします」

 そう言った彼の表情は、とても穏やかで綺麗だった。今まで何人もスカウトをしてきたが、大抵は泣きながら逃げられたものだ。しかも、酷い場合平手打ちをされる時もあるくらい。それなのに、彼はきっと内心穏やかではないはずなのに、微笑んで先を促したのである。


 こいつは。



 ――本物だ、と芸能界を知るマネージャーとしての志音が喉を鳴らす。


「分かりました。事務所は、このビルの二階になります」

 入口にあるエレベーターには乗らず、その向かいの階段を登って行く。これは、このビルの特殊性に対してタレントが密閉した空間で襲われないようにするための対処法である。そういう事を彼にも伝えて、何があっても必ず階段を使うように念を押しておく。


 まあ、女装男だから最悪な事にはならないだろうけど。


 と、思いながらも二階に上がれば、向かい合うように二つの扉が目の前に見えた。

「よく間違われるのですが、うちはこっちの右の部屋ですので」

 特に、右という言葉を強調してドアノブに手をかけた。

「右のお部屋ですね。じゃあ、こちらのお部屋は?」

 そんなもん聞くなよとは言えず、ややうんざりげに扉を開く。

「ですからね、金額は問いませんの。息子が、どれだけあの女に貢いでいるのか知りたくって!!」

「ははは。それは困りましたね」

 そこには、この部屋の半端ない狭さにはそぐわない豪華なソファに身を沈めて憤る妙齢の婦人と、本当に困っているのか、というようなにこにこ顔で一人掛けの椅子に座る優男がいた。


 ああ、待って。頭痛い。


 その光景に、思わず頭を抱えそうになって志音は額に手をやる。

「うーん、どうしたら……あ、おかえりなさい」

 二人の内、志音と彼の存在に男が先に気が付いたようで、優しげな微笑みと共に彼が立ち上がった。

「ただいま戻りました、じゃねぇ!!おい、あんた!探偵事務所はうちの向かいの部屋だよ!!」

 と、軽やかに男を無視して志音は何故かムスッとした表情の妙齢の婦人に間違いを教える。この場合、素が出てしまったのは仕方がない。今まで何度も何度も同じ間違いをされ続けてきているのだから、志音とて堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。

 しかも今は、新人を連れてきているというのに。

「まあ、そうでしたの?」

 妙齢の夫人は、志音の口の汚さに眉を顰めるも綺麗に折りたたんだジャケットを手に取って席を立った。

「こら、ご婦人に向かって!もっと言葉を慎みなさい。ええ、実はそうだったんです。申し訳ありませんが、向かいの探偵さんの方でまた改めてお話下さい。ご依頼の内容は私の胸の内に秘めておきますので。」

 さしも探偵と言われてもおかしくないような微笑みを浮かべて、男は人差し指を口元に当てる。実年齢は四十代後半であるというのに、青年と言われてもおかしくないような見た目だ。それに、元俳優だけあって端正な顔立ちは、サングラスをしていても隠しきれていない。

 時折、向かいの探偵事務所と間違って訪れる女性客は、大抵この顔にうっとりするせいか、なかなか出て行こうとはしない。なので、毎回志音が苛つきながら向かいの事務所へと案内するのだ。今回もそうなるか――と思いきや、妙齢の婦人はすんなりと出て行ったので、志音は拍子抜けしてめずらしく頭を下げていた。

「向かいのお部屋は、探偵事務所だったんですね」

 後ろで似たように頭を下げていた彼が、興味をそそられたのか後ろを見ながら呟く。

「ろくでもない奴なので、挨拶は不要ですよ」

 探偵、という単語だけで興味本位に動けば馬鹿を見る。それは、志音も経験したからこそ言える言葉であった。

「っと、あんな変態で性格の歪んだ奴には会わない方が身のためです!」

「……シオンさんはお会いした事が?」

「何度もありますよ!あのセクハラっ、あ、すいません。面白い話ではないので、もうあの馬鹿の話はここいらで止めておきましょう」

 本当にやめておかないと何だか出てきそうで恐いというのが本音だが。

何度か深呼吸を繰り返し、待たせてしまった男と目が合う。決して蔑ろにしていい人間ではないので、申し訳なく思って見上げたのを分かっていたようだ。その余裕を持った微笑みに、志音は苦虫を噛んでしまったような気になった。

「ええっと、先程の一件でグダグダになってしまいましたが。紹介致します、こちらが我が事務所の社長である八重が」

八重樫右京やえがし うきょう!?」


 今度は何なんだ!


 やっと気を取り直しての紹介だっただけに、出鼻を挫かれたようで眉根が自然と寄った。だが、次の瞬間、志音が今度は驚かずにはいられなくなる。

「うっそ、マジで!?俺、好きだったんだよなぁ!あんたの作品。特に、十三の頃に出た映画『花の掟』!任侠物って苦手だったけど、あれがすっげぇ好きで。あれで芝居に興味が湧いたんだ。それに、芸能界を引退する前に出たドラマも……やべ」

 如何に自分が失言したのか、やっと気が付いたのだろう。今の今までずっとしおらしくしていたのが嘘だったかのように、意気揚々と話す様は憧れの人を前に興奮を隠せない男の子そのものだった。

 シーンと部屋が静まりかえって志音もどう言葉をかけて良いのか悩んでいると、突然今度は社長が声を出して笑い出した。

「くっ、あっはっはっはっはっ!!」


 この人がここまで笑うのなんて、何年ぶりだろう。


 今度はその笑い声に、志音は驚きを隠せない。目を丸くして社長を見れば、涙目になりながらも何か納得したのかうんうんと頷きながら目元を拭っていた。

 これはしばらく様子を見るしかなさそうだ、と判断する志音とは逆に申し訳なさそうな顔で声をかけたのはMEGUMIだった。

「あのぅ」

「いやぁ、面白い。私はてっきりMEGUMIさんは女性の方だとばかり思っていたのですが、それは誤解だったようですね」

「あっ、いえ!違うんです、お、いえ、わたしがこんな格好をしてわざと性別を偽っているので。本当に、すいません!!」

 にこやかに話す八重樫に対して、彼が慌てて謝罪の言葉を口にしているのを見て、志音は少しだけ肩の荷が下りた。昨日の社長からの依頼では、MEGUMIは女というのが当然だったので志音は内心悩んでいたのだ。

 もし、彼が自分の性別を偽ったまま事務所入りすると、心労がいっきに溜まることになるだろうというのは明らかでもあったからだ。だから、ここで暴露されたのは志音にとってラッキーだったとしか言いようがない。

「シオンさんも、申し訳ありませんでした!」

「えっ、あ、いえ!少し驚きましたが、怒ってはいません。何か事情があるのでしょうし、アポイントメントなどもネットでのやり取りだけでしたので、こちらにも非がありますから」

 そう、性別を確認していないという点ではこちらにも非がある。そこを突かれると痛いので、先にこうして述べておく。それでも彼は相当申し訳なく思っているのか、頭をなかなか上げなかった。

「事情ねぇ。あるのかな?謝罪の代わりと言ってはなんだけど、それならわたしたち二人にだけ教えてくれるというのはどうですか?」

 妥協点というわけではない。多分、いやおそらく社長の好奇心が大半だろう。彼がこういった秘密を好むということを、志音は出会った当初から知っている。


 やっぱりなぁ。俺抜きで、とかいうのは無理なんだろうな。まあ、いいけどさ。


 この元同級生の過去になど興味はないのだが、今後売っていく内での重要ポイントになるのならば、自分も聞かざるを得ないのだろう。半ばそれで納得して、志音はとりあえずお茶を用意するために準備に取りかかった。




「それで、男の子の君がどうして女装してまでネットアイドルを?」

 ネットアイドルになりたければ、別に男のままでも構わないはずである。しかも、イケメンであるのだからなおさらの事だろう。志音も初めて元同級生だと気付いた時に、同じ事を思っていた。

「どう話せば良いのか分からないんですけど。その、これは償いのようなもので。実は、わたしがまだ小学生だった時のことなんですけど、その、いじめをしてたんです。同じクラスの女の子に。彼女は、ちょっと体型がぽっちゃりでこんな髪型をよくしてて、けどとても可愛い女の子でした」


 って、それって!?


 もしかしなくても自分のことだと確信する。まさか、そんな話が出るとは思わず、後一歩早ければ淹れたてのコーヒーを確実に噴いていたので胸を撫で下ろした――のだが。

「好きだったんですか?」

「はい」

「ぶふっ!!」

「わっ!大丈夫ですか!?」

「す、すいません。大丈夫です、ちょっと拭く物持ってきます」

「気をつけて」

「すいません」

 まさか、社長が爆弾を投下してくるとは思わなかった。

 普段から変なタイミングで物事を動かすというのは分かっていたのだが、不意打ち過ぎた。慌ててタオルで零したところをふき取って、再び席についたところで話が再開する。

「思えば、あの子がわたしにとっての初恋でした」

「ああ、だから『恋はじめ』なんですね」

「ええ」

 『恋はじめ』というのは、MEGUMIが初めてネットに流した動画の歌のタイトルだ。志音もマネージメントするにあたって学習のためにその歌を聴いていた。

 恋を知らない女の子が、恋を知って変化していく。最後は失恋してしまうのだが、前向きな歌詞が印象的だった。切なさを含んだ甘い歌詞、歌のトーン、MEGUMIのどこか物憂げな悲しみを含む笑顔がとても魅力的で、その動画がきっかけでMEGUMIはネット界で有名になったのだ。

「それで?」

「あ、それで、結局彼女はしばらく引きこもりをした後にどこかへ転校してしまって。中学に入ってから探したんですけど、ご両親が事故で亡くなったとかでどこに行ってしまったのか分からないんです」

「そうなんですか」

 世間話、と思えば多少は気がまぎれる。それでも、口を開けば変なことを口走りそうで、志音は社長を真似て頷くしか出来なかった。もちろん、心臓は爆音並にこだましているし、表情だって作れないので俯くのみだ。

 そのあなたがお探しの女の子は、あなたをここへ連れてきた人ですよ、などと言えるはずもない。

 彼の言うように、志音は小学校を転校して、それでもトラウマがあって結局引きこもったまま卒業したが、中学へ入学してからしばらくして両親が事故で死んだ。

 それから彼女は親戚中をたらい回しされて、八重樫右京に出会った。

 どちらかといえば、胸糞が悪くなる話に近いので、志音は過去をあまり話したがらない。話したくもない。

 それに、と志音はカップの揺らめきを見つめながら心の内で呟く。

 彼が探し求めている少女は、もういないのだ、と。

 あの頃の、何も知らず純粋で人の悪意を受け止めてただ泣くだけの弱虫には戻れない。というよりも、戻りたくないというのが本音だろう。


 ああ、何か気分が滅入ってきたな。


 根暗になったのは、引きこもりを続けてきたからか。気持ちまで重たくなってきた志音を置いて、二人はいつの間にか話を続けていたようで、結局彼の親への挨拶はまた後日となった。

「それに、女装でという話もありますし。いつもはシオンに任せていましたが、今回は私がきちんとお伺いさせて頂いた方が良さそうですね」

「八重樫さんなら絶対にオッケーだと思います!お、いや、わたしが八重樫さんのファンになったのって、親の影響なんで」

「そう言って頂けると、嬉しいですね」

 どうやら今回は、自分の出番はないようだ。若い、というだけで何かと疑われやすい志音より八重樫が直に会ってくれる方が早いだろう。志音は、ホッとしながら二人のやり取りを聞いていた。

「それじゃあ、また連絡ください」

「分かりました」

「では、行きましょうか。最寄りの駅までお送りします」

 志音は、いつものように守るべきタレントを送ろうと扉を開ける。と、目の前で少女が小さな悲鳴をあってぎょっとする。

「きゃっ!」

「えっ!?あっ、優璃ちゃん?ごめん、気が付かなかった」

「ひどぉい!!でも、シオンだから特別に許してあげる!」

 そう言って、志音にぎゅっと抱きついてきたのは、八重樫芸能事務所の看板ユニットアイドル『YURI‐YURA』の片割れ、優璃ゆうりという少女で。

 十六歳という現役高校生の優璃は、小顔でスタイルも良く、己が可愛いという事を知っている自信過剰な女の子で、初めはモデル志願でこの事務所に入ったのだが紆余曲折を得て今ではアイドル活動を主体としている。

 そんな優璃が、気が強いというのが一目で分かる勝気そうな目元を今は緩めて、上目遣いに志音を見つめた。

「今日は会えないって思ってたから、なんかすごく嬉しいな!」

「俺だってそうですよ」

「ふふっ」

 志音にしてみれば、天涯孤独の身の自分に懐いてくれる少女は、まるで妹のような存在で可愛く思える。


 優璃だって、よく本当のお兄ちゃんみたいで好きだって言ってくれるしな。


 中途半端な天然パーマ、と本人が気に入らない髪にパーマをかけて、両サイドにウサギの飾りが付いたリボンで緩く結んでいるのが何とも可愛いらしくて、彼女のトレードマークになっている。とにかく、目に映る全てのものに興味があって、色んな表情を浮かべる少女特有の無邪気さが魅力的で、若い男性ファンが増えている。

「優璃、ずるい」

 そんな優璃に驚いて、引き離そうとした志音より先に非難する声がその後ろから上がり、彼女の後ろを覗いてみると。

「あんたもひっつけば良いでしょ」

「え?葉くんもいたんですかって、ちょっ!?」

 あたふたする志音をよそに優璃が横にずれたかと思うと、そのスペースを埋めるかのように、今度は男の子がひっついてきてしまった。


 葉くんは、少しお疲れ気味みたいだな。


 優璃の相棒のようは、やや垂れ目が特徴のベビーフェイスが特徴である。優璃より一歳下の十五歳で、同じくこの芸能事務所の看板を背負っている彼は、優璃と同じ背丈で少年のあどけなさが世の女性たちにうけていた。

 歌手としてユニットを組んで活動している二人は、最近ようやく名が売れてきて、雑誌やテレビでも取り上げられる事が多くなってきたので、ようやく波に乗りだしたので志音としても一安心していた所なのである。

 だから、いつもは志音がマネージャーとして付き添っているのだが、今日はMEGUMIとの交渉があった為、別のマネージャーに仕事の付添いを頼んでいたのだが。

「今日は、朝から会ってなかったから寂しかった」

 そんな少年の悲壮な声に、思わず抱きしめ返したくなったが、後ろから服を引っ張られて強制的に剥がされてしまう。

「こら、いい加減にしなさい。ふたりとも」

 それは、誰だと言わずもがなの八重樫右京その人で。

二人の勢いにすっかり驚いてしまっているMEGUMIの横を抜けて、二人に貼りつかれていた志音を助けに入ってくれたのだった。

「そ、そうですよ。今日は、お客様が来るってお伝えしたはずです」

「わぁかってるわよっ!でも、寂しかったんだもの!」

 と言う優璃の横で、葉もウンウンと頷いている。

「そりゃあ悪うございましたね。こんなお婆がマネージャーで」

「わ、湧井さん……」

 そこへ、のそりと音もなく現れたのは、湧井という五十代の女性だった。彼女は、数少ない『八重樫芸能事務所』のマネージャーで、志音の先輩にあたるのだ。

 詳しい経緯は知らないのだが、何でも八重樫がどこからか引き抜いてきた人材であるらしく、外見だけを見れば、どこにでもいる目つきの悪いただのおばさん(ちょっと機嫌が悪そう)という感じの人だった。

 だが、その手腕はマネージャーとして素晴らしく、『YURI‐YURA』が注目を浴びるきっかけになった深夜番組も、彼女がコネクションを使って出演までこぎつけたおかげでもあるのだ。

「あ、今日はありがとうございました。湧井さんがいて下さると、二人とも身が引き締まるようなので、本当に感謝しています」

 志音は、内心慌てて彼女に頭を下げたが、湧井は鼻で笑ってそれを流した。

「ふん。あんまり甘やかすんじゃないよ」

「わ、分かりました」

 かなりきつい一言であるのだが、これは彼女なりの応援の仕方で。皮肉を述べながらも目元が優しさを含んでいる事を志音は既に知っている。

 というのも湧井という人物が、情熱があって本心では事務所の皆をとても大切に想っているにも関わらず、そんな冷たい言い方しか出来ないというのは『八重樫芸能事務所』では誰もが知っている事実だった。


 さすがは湧井さん!っぱねぇなぁ!


 内心で師匠と崇めている彼女の一言に感動していた志音だったが。

「あ。そこ、悪いんだけどね、これからしばらく優璃と葉の付添いは湧井さんにまかせたいんだけれども」

「え?」

「うそ」

「マジで」

「……」

 まさに三人三様といった表情を浮かべて、全員の視線が八重樫へと向けられる。

それを当然というように受け入れることが出来るのは、やはり以前に俳優業を生業としていたからか。八重樫は、たっぷりと全員の視線を確認した後で、まるで状況が理解出来ておらずキョトンとしているMEGUMIの背中を優しく押して、彼らの正面へと立たせてそれはとても楽しそうに微笑んだ。

「えっ?えっ?あの?」

 当然、戸惑うMEGUMIだったが、それに軽く、憐れ犠牲者!と思った志音だけが、探る目つきで八重樫を見つめたのは誰にも気付かれた様子はない。


 なに、考えてんだ?


 その視線の意図を、八重樫は当然理解しているはずなのだが。

「この子、今度うちでデビューする事になったMEGUMIさん。シオンに担当してもらうことにしたから」

 彼女の視線をあっさりと無視して受け流しながら、彼はほがらかに微笑んで言ってのけた。

「なっ!!そ、そんなぁ!」

 当然、悲鳴にも近い嘆きを訴えたのは、優璃と葉である。

「まあ、社長が決められたのならしょうがないさね」

 半ば早々に諦めたのは湧井で、志音はそのまましばらく八重樫の顔をじっと見つめて返答を待ってみるが、彼の真意が微笑みで消されて分からない。長年共に居て、八重樫がたまにこうして本心を隠してしまうのはよくある事だ。家族のような存在であって家族ではない。

 志音とて、そこは理解しているつもりだが、たまに寂しさを感じずにはいられない。

 ただ、唯一彼女が知る事実は、いつも彼の選択は間違っていない――ということ。


 どうせ、俺が逆らえないって分かっていてこの人は。


 軽い脱力感を感じながら、はあっ、と微かに息を吐き出して志音は緊張を取り除くように肩の力を抜いていく。

「分かりました。湧井さんより経験不足ですが、頑張ってMEGUMIさんを支えていきたいと思います」

 これでいいんだろ? と、視線を飛ばせば、八重樫は正解と言いたげに満足そうに頷いた。

「さあ、MEGUMIさん。事務所の先輩にご挨拶を」

 八重樫から引き取る形で、志音はMEGUMIの肩に敢えて手をやって真横に立たせる。スキンシップをしながら促すのは、彼の緊張をほぐすためでもある。

 やや目線が高いMEGUMIと目が合い、志音は安心させるように笑って頷く。彼もそれで決意したのだろう、頷き返して三人を見渡した。

「MEGUMIと申します。これから、こちらの事務所でお世話になります。不束者ですが、よろしくお願いします」

 そして、彼はやはり行儀の良いお辞儀をしたのであった。





 ***





 満天の星が霞むほど鮮やかな看板の光が輝く雑居ビル。その一室で、女は豪奢な椅子に座る一人の男の膝に頭を置いて膝立ちしていた。男が優しく彼女の髪を指で梳き、女はされるがまま身を委ねている。つい先ほどまで結んでいたネクタイは外して、カッターシャツもズボンから出ており、しなやかな彼女の肌がちらりとのぞく。

 しかし、そんな扇情的な彼女にあおられもせず、男はただ優しく彼女の髪を梳いているばかりであった。

 それは、まるで歳の離れた兄妹のように。

 しばらく黙ったまま男のなすがままにされていた彼女が、不意に顔を上げて見上げる。

「なあ」

「ん?」

「あんた、全部知ってただろ」

 昼間とは違い、敬語は一切使わない。

 そこに、二人の関係性がどれほど深いのかというのが感じられる。

「しらをきってもバレてんだからな」

  ぶすっとした顔で見上げて来る女に、彼は思わず嬉しくなって頭を撫でた。

「そうですよ。僕は、とても悪い大人ですから」

 やっぱり、と呆れた口調で返されたが、男はそんな彼女の表情にすら愛を感じる。彼女、萌木志音を親戚中のたらい回しという泥沼の世界から救いだしたのは他でもない彼だった。だから、当然彼女が何故そうなってしまったのかも知っているし、MEGUMI、本名をめぐみ 彼方かなたという存在もとうの昔に調べ上げていたからだ。

「なんで、あんな奴を……」

 今日の出来事を思い浮かべて不機嫌な顔になる志音の頬に手をやって、八重樫右京は自分に向かせる。

「悪いようにはしませんよ」

「っちが、別にあの男のことなんて心配してないからな!」

 そう言いつつも、彼女がやはり心の内で彼のことを気にしているのには気づいているのだ。ただ、敢えてそれを彼女には知らせていないだけで。

 頬を染めて焦る志音の額に、右京はそっと口づけをした。

「なっ!!」

 驚いて、更に真っ赤になった志音に彼は愛おしさを含めて微笑んでみせる。

 甘く、そして中毒性のある麻薬のように。

 現役だった頃の八重樫右京を彷彿させるかのように。

「志音。これから、ゲームを始めようか」

 それは、まるで甘美な誘惑だった。

「ねえ、僕のシノン」

 だが、彼の勝敗は決定しているかのように彼はとても優しく囁いた。






読んでいただき、ありがとうございました!

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