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ドローン宅配便

作者: 紅苑しおん

バルコニーの欄干から見下ろした都心の街並みは思った通りの美しさで、日常の疲れを忘れた俺はしばしその絶景に見とれ、またその絶景を我が物とした自分に自惚れた。

いつもは無機質なばかりの鉄骨のジャングルが、こうしてここに立っている瞬間は自分の為だけに存在しているかのように思える。

それは何物にも変えがたい全能感だった。


深呼吸をしてみる。

淀んだ都会の空気さえ美味に感じる。

高層ビルの織り成す起伏の波が、太陽の光に照らされて万華鏡のようにきらめく様は正に壮観だった。

これが摩天楼というものか…


やっぱり、ここに決めてよかった!

この為に日夜、額に汗しながら仕事をしてきた苦労がようやく偲ばれたというものだ。


都内の一等地に立てられたこの臨海副都心ヒルズは築20年を迎えた今でも庶民の憧れの的で、こうしてここに居を構えているという事実はそれだけで一流の人間であるという証明でもある。


しかも賃貸ではなく、分譲だ。

長年、空室は全くない状態だったのだが先日、退去者が出たということでついに念願のヒルズ族となることができた。もはや、時代は高級マンションに住まい、高級車を乗り回し、高級クラブで高級酒を飲むような生活を賛美することはなくなったが、それでも男として生まれてきた以上、一度くらいはこの世の春を謳歌したいものである。

これはその為の第一歩だった。


地上40階の高さから都心を見下ろし、再び全能感に浸る。

たまらん…

大卒で銀行員になって働き始めたばかりの頃はこんな日が来るとは思わなかった。

厳しい規則と、ひたすら金を数えて貸し付ける仕事に嫌気がさした俺が起業を志したのは5年前。

小規模なネットビジネスから始まった我が社の業績は今では右肩上がりだった。


若干32歳。

人生はまだまだこれからだ。


肌寒さを感じてバルコニーを離れると真っ昼間から酒瓶とグラスの置かれたテーブルを前にソファに腰かける。


ヴェルサーチホームで購入したばかりのお気に入りだ。ベルベットに似たレザーの柔らかな質感を指でなぞって楽しみつつ、リーデル製のオールド・ファッションド・グラスにウイスキーを注ぎ入れて口に含んだ。


臨海副都心ヒルズに相応しい磯の香りが口中に広がり、ほのかな甘味を引き立てる。薬品めいた芳香が鼻筋を抜けると俺の心は遠く離れたアイラの地へ誘われた。


シングルモルト ラフロイグ18年。

至高の味わいは俺を捕らえて離さない。


優雅だ…

何て優雅な休日のヒトコマなのだろうか…

もう、会社になんて戻りたくない。

このまま酒を飲んで眠りこけるだけの人生でありたい。

そんな束の間の妄想に耽りながら壁に目をやれば、武骨な散弾銃が額の中で輝いている。


光輝く装飾に彩られたベレッタASE90は学生時代、クレー射撃の強化選手になったこともある俺にとってかけがえのない相棒であり、宝物だ。

最近はすっかり趣味に打ち込むこともなくなってしまった。

来年のゴールデンウィークにはしっかりと休みを取って久しぶりにどっぷりと競技に浸るのも悪くはないかな。


休日でも忙しなく稼働する首都の街並みに想いを馳せつつ、ラフロイグを飲み干すと、部屋の片隅にあるガラス張りの水槽に近づいた。

若干の酩酊感を噛み締め、水槽が置かれた台の下に取り付けられた収納から細長い筒状の容器をつかんで蓋を開ける。中に収まった細かい顆粒を水槽の中へぶちまけると大きな身体をくねらせながらアロワナさんが餌に喰らいついた。

まったく、いつ見てもカワイイやつだ。


32歳、独身。

結婚の予定はなし。

相手もなし。

そんな俺にとって癒しの時間を与えてくれるのは長年、寄り添った熱帯魚のアロワナさんだけだった。

広い部屋に引っ越した事もあって、心なしかアロワナさんもご機嫌なように見える。

しきりに尾を振っている様が実に愛らしい。犬なんかは嬉しいときには尻尾を振るという癖もあるとはよく聞くけれども、熱帯魚にもそういった感情表現はあったりするもんなんだろうか。

口をぱくつかせながら必死に餌を運びいれるとアロワナさんは水草の影に身体を隠してしまった。


充電中のスマホが鳴動する音に振り返る。床下には仕事を終えてひとやすみをしているルンバの隣にiPhone7が転がっていた。

顔をしかめながらそれを取り上げるとメールの受信を確認した。

新着メールが1件。

仕事だろうか?

仕事だろうな…


プライベートなやり取りはすっかりSNSが主流となった現代において電子メールの役割はほとんどビジネス専用になったと言って過言ではないだろう。

ITに限らず、あらゆる分野で細分化が進む昨今ではどれだけ職種の幅が広がったのだろうかと思えば、実のところ人間の仕事は機械に奪われて、さほど変化はしていないようにも思える。


社を預かる立場となった以上、休日でも休ませては貰えないらしい。

行員時代には考えられなかった悩みだが、仕事が絶えないなどという悩みはこのご時世、嬉しい悲鳴というヤツなのだろう。


"新着メール1件"のタスクをタッチするとEメールが立ち上がり、頭の中には疑問符が浮かぶ。

普段、仕事用のメールはGメールで受けているからだ。

取引先にプライベート用のアドレスは教えていないはずだし、ここにビジネスの話が送られてくるはずはなかった。


しかし、件名を見ても疑問は深まるばかりだった。

"商品発送のお知らせ"と題されたメールの内容は以下の通り。


"この度は弊社のドローン空輸サービスをご利用頂きまして誠にありがとうございます。商品を搭載したドローンが間もなくご自宅に到着致します。窓側に面したお部屋でお待ち頂きますよう宜しくお願い申し上げます"


何だ、これは?

全く身に覚えのないメールだ。

ドローンが商品を持ってくるというサービスは微かに耳にした事もあったが、そんなものを利用したつもりはない。

メールの送り主は"トレーガリン運送"

どこかで聞いたことのある社名だった。

取引先にいただろうか?

まあ、いずれにせよ間違いか迷惑メールの類いだろう。

よくある事だ。

これを機に我が社との繋がりを持とうとのもくろみがあって送られた確信犯かもしれないし、社長である以上、こういった事には細心の注意を払わなくては。


思い耽っている内に、それは、突然、何の気なしに、まるで当然の如く、俺の目の前に現れた。


先程まで街を見下ろしていたバルコニーの欄干からバリバリと音を立てて飛翔する物体が姿を表す。

黒塗りの飛行物体はプロペラを旋回させ、本体の下についた四本のアームでダンボール箱を抱えながらふらふらと宙を漂い続ける。


唖然として口を開けたまま立ち尽くす俺へ向けて飛行物体は合成音声で案内を開始した。


「商品ノ配達ニ参リマシタ。イイノ ケンタロウ様デ、オ間違イ アリマセンデショウカ?」


無機質な音声で飛行物体、ドローンは告げる。

突然の事態に俺の身体は硬直してしまって質問に答えるところではないのだが、それ以上に驚愕させられたのはドローンが両翼に備えた装備を見た事にあった。


7.62ミリ ガトリング砲が二門。

最新式の武装ドローンSky Shark Mk.2の見た目に合致する。

何で運送会社が軍用のドローンを所持してるんだよ!


「あの、そのぉ…」


重武装のドローンを前にまだ身体はかちこちだったが、とりあえず主張しておきたい事だけは言っておこう。


「私はイイノ ケンタロウではないのですが」


「データベース ニ アクセス致シマス。臨海副都心ヒルズ、4005号室。イイノ ケンタロウ様。間違イ ゴザイマセン」


"間違いない"って俺が違うって言ってんだよ!誰なんだよ、そのイイノってのは!

これだから機械は融通が利かない。

いや、待てよ。

このドローンは俺がメールを受け取った直後に現れた。

つまり、始めからここに来る目的だったと言うわけだ。

いったい、何の間違いがあってこのドローンは俺の部屋に派遣されてきたんだ。

下手な事は言えん。なにしろ、相手は武器を持ってるんだ。


「それで、今日はどのような用件で?」


我ながら間の抜けた質問だ。

しかし、今はまだ事態が把握できていない。何とかして少しでも情報を引き出さねば。

と言っても相手はプログラムされた言語を喋るだけの人工無能なのだけれども。


「ゴ指定ノオ荷物ヲ配達ニ参リマシタ。ドウゾ オ受ケ取リ下サイマセ」


「ちなみに荷物ってのはそのダンボールでいいのか?」


「ハイ。ゴ注文ノオ品物。"ホシガメ" デ 御座イマス」


ホシガメねえ。

俺にはアロワナさんがいるし、今さら亀なんて飼う気はさらさらない。

だが、何かが引っ掛かる。

何だ?

ホシガメ…

そう、ホシガメという単語だ。

ホシガメ。

ホシガメ。

ホシガメ…

ホシガメって言ったらワシントン条約に指定された絶滅危惧動物じゃねえか!

俺に密輸の片棒を担がせようってのか、このドローンは!

それに、どうでもいいけどダンボールの中に生き物いれて運んでるのか!?

なんてずさんな運送会社なんだ。

それ、中身大丈夫なのか?


「ダンボールなんかで運んで問題ないんですかね?」


「氷漬ケ ニ シテオリマス。ゴ心配ニハ及ビマセン」


死んでるな。中にいるホシガメは確実に死んでいる。


ヤバいぞ。

何かがおかしいと感じてはいたが何かどころではない。これは非常事態だ。

しかも、今になって気づいた。

聞き覚えがあると思っていたトレーガリン運送という社名。

取引先なんかじゃない。

トレーガリン運送は広域指定暴力団・銀正会のフロントオフィスだ。

くそっ。

Sky Shark Mk. 2なんて一介の企業が持ってるはずがないんだ。

何でヤクザの裏取引に俺が巻き込まれてる?

これは何の冗談なんだ、おい!


こうなってしまってはイイノとやらのふりをして荷物を受け取り、穏便にお帰り頂くという手段は使えそうにない。

このままでは平穏な休日がぶち壊しである。

ここは時間をかけてでもこの人工無能に俺がイイノではないことを理解させるしかない。

間違いに気づいた銀正会の連中がここに駆けつけようと臨海副都心ヒルズのセキュリティが破られる事はまずないはずだ。

時間だけはたっぷりある。

焦らず、ゆっくり、行動するんだ。

機械だって話せばわかる。


「せっかく来てもらったところ悪いんだが、イイノさんは不在でね。出直してくれると助かるよ」


これはファインプレーだろ。

あくまでも相手の間違いではなく、イイノは居ないから荷物は受け取れないという主張だ。

一度、この場を納めることが出来ればむこうだって間違いに気づいて本当のイイノさんが居る場所にこの物騒な飛行物体を派遣し直すに違いない。


「データベース ニ アクセス致シマス」


またかよ…


「臨海副都心ヒルズ4005号室。イイノ ケンタロウ様。間違イゴザイマセン」


人工無能が!

そこは否定してないだろうが!

俺がイイノではないから荷物は受け取れないと言ってるんだ!


困った。

打つ手なしだ。

このままこいつと問答を続けていたところで、俺がイイノでないと納得させる事は出来ないだろう。

どうする?

仮にイイノである旨を認めてみたとしよう。

荷物を受け取って…だが、その後の対応はどうする?

もし密輸への関与を疑われでもしたら、それだけで俺の社会的信用は失墜する。ネットビジネスは顔が見えないからこそ、信用問題には敏感にならなければいけないのだ。


しかし、俺が悠長に考えをまとめている時間など武装ドローンは与えてはくれなかった。


「商品ノ オ受ケ取リヲ オ願イ致シマス。コレヨリ 5秒以内ニ ゴ署名ヲ 頂ケナイ場合、強制配達モード ニ 突入致シマス」


強制配達?

何だ、それは。

何か不穏な単語だぞ。

どういう機能を搭載しているんだ、このドローンは。


「5…」


焦る俺をよそ目にドローンは無情にもカウントダウンを開始する。

考える暇すら与えてくれないのかよ。

俺は視線を左右に走らせてペンを探した。とにかくこの場を切り抜けなければならない。とりあえず荷物を受け取って、後の事はそれから考えるんだ。


「3…」


まずい。

ペンが見当たらない!

どこだ!?

どこにあるんだ、ペンは!


「1…」


「ちょっと待ってくれ!署名する!署名するから!」


「強制配達モード、突入」


唸りをあげた二門のガトリングガンが回転しながら火を吹くと、バルコニーのガラス窓を撃ち抜いた。

防災に配慮して飛び散らない仕様になっているガラスは部屋の中に散らばることはなく、そのままバルコニーの上に折り重なるように降り積もった。


「な、何をするんだぁっ!」


激昂した俺に対して無機質な機械はさも当然のようにダンボール箱を投げてよこした。雑な野郎だ。中にはホシガメが入ってるんじゃないのかよ。


「ゴ署名ヲ オ願イ致シマス」


ようやくペンを見つけた俺は右手に握ったままのペンを今にも握りつぶしそうだった。

この期に及んで事務的なセリフを繰り返すとは。

訴えてやりたいが、相手はヤクザだ。

泣き寝入りとはこういう事かと俺は涙をこらえて、穏便にドローンへお帰り願うしかない。


"飯野堅太郎様"と書かれた書面の宛名は確かに臨海副都心ヒルズのもので、俺は辟易しながらペンを走らせた。

これで全て終わりだ。

まあ、ガラス代くらいなんとかなるだろう。このホシガメを売った金で充当することにでもしようか。

いや、それでは俺も本当に密輸の片棒を担いだ事になってしまう。

くそ、どうすんだよ、このホシガメ…


「データベース ニ アクセス致シマス」


今度は何だ?


「只今、筆跡鑑定中」


背筋が凍る気がした。

筆跡鑑定?

それはどういう意味だ。

お前は商品を引き渡したんだ。

もう役目を果たしたはずじゃないか。

帰れよ。

さっさと帰れよ。

頼む!早く帰って下さい!


「同一ト 認メラレマセン」


けたたましくアラームが鳴り響き、黒色のドローンが赤いランプを点灯させる。

これは、まずいのではないだろうか。

うん、非常にまずいぞ。


「アナタ ハ イイノ様デハ ゴザイマセン。私ヲ タバカッテ オラレタノデスネ」


たばかってねーよ!

話聞かなかったのお前じゃん!

俺、イイノだなんて一言も言ってねーし!


「緊急事態発生。殲滅モード ニ 移行シテオリマス。目標ガ沈黙スルマデ無制限ニ武器ノ使用ヲ許可」


何て事だ。

奴は本気だ。

たかがダンボール箱に詰まったホシガメ一匹程度の事で、本気で俺を殺そうとしてやがる。

しかも、手段を問う気はないらしい。

両翼のガトリングに弾が装填される音が聞こえてくる。

適当な高度まで飛翔を開始したドローンが俺の頭上を確保すると銃口を下に向けた。


回転しながら弾を吐き出すガトリングガンの射線を外しながら俺は何とかソファの後ろに滑り込むと身を隠した。

無数の弾丸がヴェルサーチのソファを直撃し、レザーを破って中まで貫通していく。ソファにつまったウレタンがまるで鮮血の如くに俺の前で飛び散り、風に乗って外へ運ばれていった。


「ヴェ…ヴェルサーチっ!くそっ!」


歯噛みしてももう遅い。

全体を無数の穴で貫かれたヴェルサーチはもはやソファとして機能していなかった。

俺を守る盾として完全に最後の役割を本来の目的とは違う形で果たし終えていた。


ヴェルサーチの無惨な姿を目にして沸々と怒りが込み上げてくる。

俺がこの生活を手にするためにどれだけの時間を費やし、どれだけの金を使ったと思っているんだ。

それをぶち壊しやがって。

ホシガメの野郎、許せねえ…

いや、違う。

許せんのは武装ドローンだ。


再びガトリングガンが動き出す音が耳に飛び込む。

俺はもはや用済みになったヴェルサーチの影でただ震えている事しか出来なかった。

騒ぎを聞き付けた誰かが警察に通報してくれるのを待つしかない。

下手に動けば次に蜂の巣にされるのは俺自身だ。


銃口が左右に揺れながら照準を定めている。俺のことを探しているのだろうか。

ドローンは動くものを見つけては機械音を立てながら様子を伺っていた。

しばらくは膠着状態。

このまま時を稼ぐしかない。


そう思った矢先だった。

ドローンが銃口を部屋の右隅に向けたのは。ガラス張りの水槽に向けられた銃口に弾が込められる音が響いた。

水草の影から躍り出たアロワナさんが悠然と泳いでいる。

身に迫る危機に気づくこともなく身体をくねらせている。

ガトリングガンの先端部分が半回転した。弾が完全に充填されている。


よせ。

俺は唾を飲んだ。

止めるんだ…


しかし、祈りは無意味に終わった。

火花を散らした7.62ミリの一撃は水槽の薄いガラスなど簡単に粉砕し、臆する事なく遊泳を続けていたアロワナさんの身体に弾痕を刻み込んだ。


「アロワナさああああああんっ!」


びくりと一、二度身体を震わせるとアロワナさんがそれから動くことはもうなかった。

思わずソファの影から飛び出す。

ガトリングの銃口が俺を捉えて方向を変え始めたが構ってはいられない。

血に染まったアロワナさんを抱き抱えると弾が装填される前にヴェルサーチの背後に戻った。


再びの銃撃。

ヴェルサーチの皮が弾けとんで中のパイプが剥き出しになった。

くっ、許せヴェルサーチ…


両腕の中でぬらぬらと輝くアロワナさんのえらに耳を当てた。

呼吸が感じられない。

いや、こうするのが正しいのかは知らないが。

完全に息絶えたアロワナさんを、行員時代から苦楽を共にした友を、床に横たえると俺は決意を固めた。


「お前は俺を怒らせた。もう許さねえ」


低く呟いた。

アロワナさんの死に精神が昂っている。

武装ドローンに襲われているという不条理も、飛び交う弾丸の恐怖も今は感じない。

ヤツを倒す。

俺の心は固まった。


額に飾られたベレッタを横目で確認した。競技用の散弾銃とはいえ、クレー射撃で使う装弾は実弾である。

この至近距離で上下ニ連銃に込められた二発の散弾を喰らわせれば軍用のドローンだって確実に破壊できるはずだった。


フローリングを撃ち抜く銃弾が粉塵を巻き上げ、視界を奪う。

硝煙が室内を満たし、白けた部屋の中をハウスダストが舞い散った。


ヴェルサーチはもうもたない。

無差別に銃弾をばらまくヤツの行動は賢いとは言えないが実に効果的だった。

隙があるとすれば次の装填時。

それまでヴェルサーチは耐えられるか?

考えるまでもない。

無理だ…

次にヤツの銃口が火を吹いた時、それが俺の最後のチャンスになる。


ガトリングガンがきりりと音を立てて、穴だらけになったヴェルサーチの隙間から俺を狙った。

発射のタイミングを待つ。

同時に駆け出してベレッタを掴んだら素早く照準を合わせてドローンのプロペラを撃ち抜く。

大丈夫だ。

やれる。

秒速30メートルで飛翔するわずか直径11センチの素焼き板に弾を命中させる事に比べたら何てことはない。

俺はできる。

平穏な日常を取り戻す。


火花が散った。

駆け出す。

ベレッタの掛けられた壁まではあとわずか。

不意に足をとられた。

何かに蹴つまずいて床に転がる。

何だ?

何が起こったんだ?


視線をあげると充電器に鎮座していたはずのお掃除マシーンがいなくなっていた。否、ルンバは俺の足元で木屑をしきりに吸っていたのだ。

な…何て間の悪いヤツなんだ!

千載一遇のチャンスだったというのに!


ソファから身を翻した俺にドローンが照準を定める。

終わった。

こんな訳のわからない形で俺の人生は終わるのか。

まさか、最後はルンバに足元をすくわれるなんて思いもしなかった。

彼が俺の足元ではなく、ヤツの足元を掃除してくれていたなら、今ごろ俺はベレッタを手にして武装ドローンへ散弾を叩き込んでいただろう。


機銃が俺を捉える。

眼を伏せようとしてふと頭によぎるものがあった。

馬鹿な可能性。

いや、状況が変わったからこそ生まれた可能性が。

ルンバは今、俺の周りをくるくると回りながら埃だらけになった部屋を掃除している。

そうだ、ルンバは継続的に移動をしながら掃除するマシーンじゃないか!

目には目を。

ドローンにはドローンを。

たったひとつの勝機。

俺はルンバを掴むと可能性に賭けて思いきり、武装ドローンへ向けて放り投げた。


「お掃除開始」


ドローンの目の前に不時着したルンバはそのままお掃除を再開する。

眼前に目標が現れたドローンが動き回るルンバに反応して銃弾を吐き出し始めた。


予想通り!

ヤツのプログラムは動いているものから先に攻撃するように出来ている。

許せ、ルンバ。

お前の犠牲は無駄にはしない。

素早く立ち上がるとベレッタASE90を掴んでセーフティを外し、 撃鉄を起こした。


煙を上げたルンバが動かなくなるとドローンは再度、俺に向かって銃口を向けた。加熱した銃身を冷やそうとしているのか冷気がかすかに足元へ流れ込んでいた。

機銃が回転を始めようとする。


「遅せえよ」


引き金に置いた人差し指を屈伸させると真っ直ぐに飛んだ12ゲージの散弾は正確にドローンの上部を貫き、プロペラの連結部へ突き刺さった。


「これはお前にズタボロにされたヴェルサーチの痛みだ。そして!」


上体を傾けたドローンへ止めの一撃を放つ。


「これは大切なアロワナさんを殺された俺の怒りだ!」


既に活動を停止しかけていたドローンは二発目の弾丸をまともに喰らった衝撃で機体の中央部に亀裂を走らせた。

ぱっくりと口を開けた黒い空洞から吹き上がった炎がドローンを包み込んで燃え盛る。プロペラが崩れると、機体を傾けたドローンはテラスの外から落下して姿を消した。


「終わった。これですべて終わったよ、アロワナさん」


ガラスの割れた窓から冷気が吹き込んでくる。冬が近づいている。

少しだけ寂しさが募るのは寒さのせいだろう。

すっかり部屋が汚れてしまった。

まずは掃除から始めなくては。

フローリングに積もった塵と木屑を取り除こうと床に眼を向ける。

無惨にも黒煙を上げたルンバが横たわっている。

そっか、ルンバはもういないんだな。


寂寥感に浸っている暇はない。

この汚い部屋を何とかしなければ日常生活すらままならない。

手早く掃除をして、すぐにガラス窓を嵌める手配をしなければ。

床掃除はルンバに任せきりだったため他に掃除機はない。

俺は物置の奥にしまいこんだ箒とちり取りを探しにリビングを離れた。


そんな折りだった。

間延びしたチャイムを伴ってインターホンが鳴ったのは。

防犯用のモニターに写し出されたのは二人の男の姿。

制服姿から近くの交番から派遣されてきた巡査である事は一目瞭然だった。

どうやら一足遅かったようだ。

全ては俺がひとりで片をつけた。

今さら警察の出る幕はない。


扉を開けると色素が薄い長めの髪を帽子の中に無理矢理押し込んだ感じの巡査は気怠そうに手帳を開いて挨拶した。

もうひとりの警官はいかつい顔をしかめながら押し黙ったままこちらに視線を注いでいる。

何か、感じ悪いな。


「ちょっと家宅捜索に協力頂きたいんですがねー。どうも怪しい宅配物がここ最近、出回ってるって話なんでー」


見た目同様の怠そうな話し方をする巡査だ。道案内を求めてくる市民たちと会話するにはこんな調子のほうが上手くいくのだろうか?

効率重視で仕事をしてきた俺にとっては中々に苛立たされるテンポだ。


「ああ、どうぞ。ちょっと散らかってますけど」


思わず警官二人を無警戒に家に招き入れてしまった。

本来ならTVドラマよろしく"令状を取ってからにして下さい"とかいう場面だったのかもしれないが、どうにも緊張感の続く展開の連続に思考が着いていっていない。


まあ、構わんさ。

見られて困るものなんてないのだから。


「お、タレ込み通りッス。ありましたよー、宅配便」


「よし、開けろ」


二人は一目散にリビングまで進むと無造作に放り出されたダンボール箱に近づいた。

しまった!忘れていた!

あの中にはホシガメが入っているんだった。まずいぞ。見られるのはひじょうにまずい。


「ちょっと!なに勝手な事しようとしてるんですか!困りますよ!」


いかつい顔の警官が振り返る。


「何が困るので?私らに隠し事でもしているので?」


表情を変えずに警官は俺に詰め寄ってくる。何が困るのかってそういう問題ではないと思うのだが。

家宅捜索ってのはこういうもんなのか?

まるで山賊じゃないかよ。


「"飯野堅太郎"ですってー。偽名まで使ってるなんて気合い入ってるッスねー」


長髪の巡査はダンボールの梱包をほどきにかかる。

さあ、どうすればいい?

この状況を回避するに俺は何をするのが正しいのでしょうか?


ひとつ、とにかくごまかす。


これは却下だ。

警察の追及を逃れられるわけがないし、嘘がばれた時の分が悪すぎる。


ひとつ、俺は大の亀好きなのだと主張する。


ホシガメは大型の動物などと違って禁止されているのはあくまでも違法な取引のみであり、家庭での飼育までが処罰の対象となるわけではない。知人から譲ってもらったと言えば辻褄は合う。

だが、これも却下。

偽名の理由がつかない。


と、いうわけで結論はひとつに落ち着く。


「いや、これは何かの間違いなんですよ。この部屋、見てください。さっきまで私はこれを持ってきた銀正会のドローンと戦ってたんですから」


正直に打ち明ける。

これが一番だ。

国家権力相手に言い訳が通じるなんてのは幻想だ。

素直に協力している限りにおいて決して警察は市民の敵ではない。


「なるほど、銀正会と。そんな名前が出てくる以上、あなたもカタギの商売をしているわけではなさそうですな。今日も違法取引をしていたので?」


前言撤回。

めちゃめちゃ敵意剥き出しですやん、この人ら。


「お、出てきた出てきた」


そうこうしている内に長髪は荷物をあらためにかかっている。

もう、ホシガメが見つかるのは時間の問題だ。

言い訳は通じない。

かといって真実を話しても相手にされない。

おかしい。

こいつらはドローンでもないのに話が噛み合わなさすぎる。

もう、勘弁してくれ。


覚醒剤(シャブ)のパケっすねー。やっぱありましたよー」


「よし、よくやった。これより確保に移る」


「ちょっと、待ってください…覚醒剤(シャブ)って何の話ですか?ホシガメの間違いじゃ」


「カメ?何の話をしているので?」


くそっ。

ドローンのヤツ、カメの密輸にかこつけて薬物まで持ち込もうとするなんて。

たばかってたのはどっちだよ!


いかつい方の警官が手錠を手ににじり寄る。俺はじりじりと後ろにさがると両手を胸の高さまであげて抵抗の意を示した。


「ほぅ。私らに逆らうので?そうするとなると裁判で不利になるのはあなたのほうですが、それはおわかりになっているので?」


いちいち、疑問系で話しやがって。

むかつくヤツだな。

何なんだ、いったい。

これは間違いなんだ。

それを証明する手段がどこかにあるはずだ。

まず、初めの間違いはそもそもこの荷物がここにあるということだ。

この荷物さえちゃんとイイノのところに届いていればこんなことにはならなかったんだ。

俺の話を裏付ける証拠。

そうだ!

送られてきたメールを見せれば、少なくともトレーガリン運送という実態不明の会社へ捜査の目を向けさせる事ができるはずだ。


俺は素早くスマホの所在を確かめる。

戦闘中にソファの近くにあったのは確認したのだが…

床に転がるそれを見て俺はため息を吐く。

蜂の巣ですがな。


警官が手錠をかけようと俺に組み付いた。


「やめろーっ!ドローンだ!全部、ドローンが悪いんだ!これは俺のせいじゃない!」


実際に拘束具を眼にするといよいよ冷静ではいられなくなってきた。


「銀正会とか、ドローンとか、ずいぶんと錯乱してますねー」


「ジャンキー特有の妄想だな」


「ですねー」


警官二人が勝手に納得している。

違う!

俺は薬物なんてやってないんだ!


「部屋の中もずいぶん荒れてますねー。暴れまわったんでしょうか?」


「ジャンキー特有の異常行動だな」


「ですねー」


やめろ!

そのジャンキー特有って単語をやめろ!


警官は何かに納得した様子で頷くと俺の腕に手錠をかけた。

これにて終了!

俺の優雅な休日生活が完全に失われた瞬間であった。


まあ、ちゃんと捜査が進めば全てが間違いだったということはわかるだろう。

ほんのわずかな辛抱だ。

今は留置所暮らしを楽しむこととしよう。


色々言いたいことや突っ込みたいことはあるがとりあえずひとつだけ最後に言っておきたい。


結局、イイノって誰なの!?


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。特にルンバのくだりが可笑しくて思わず笑ってしまいました。楽しめました。ありがとうございました。続編はありますか?
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