第三話.死なない少女
「くそっ、畜生が!」
考えも無しに飛び掛ってくる魔物は、負担の無くなったクウェンにとって捌くのは容易い。
この状況であれ、僅かな窪みに足を掛けて軽く跳躍し、剣を抜いて一閃。
腕を切り離して怯む魔物の頭に蹴りを入れて更に跳躍して危機を脱した。
脱したものの、喜びや安堵はない。
浮かぶは少女の最後に見せた微笑み。
もしかしたら落下中に、何かに引っかかって助かっているかも。
しかし、そうじゃなかったら?
無残な死体がそこにあったら、どうする?
どちらであれ、行かなくてはならない――クウェンは崖を下れる場所を探しに行くとした。
どれくらいの深さなのか、底は光が届かずまるで虚のようだった。
ここを下る、それ自体勇気のいる行動である。
「こいつを使うか」
ロープを取り出す、細い故に長い巻き数でも邪魔にならずそして軽く丈夫な地区再生組織では重宝されているものである。
アンカーを地面に打ち込むが脆い地面が多いのだ、外れてしまわないか心配だ。
自分の身を任せるには十分な道具、しかし身を任せるには不十分な環境。
アンカーが外れて落下しても何かしら掴まれそうな場所を選んで降下を挑んだ。
「……なんなんだうおあいつは」
不思議な少女だった。
どうしても気になってしまう、こんな荒野に一人でいたのは何故? 大事に持っていた本は何かあるのか? 魔物達はあの少女を狙っていなかったか?
溢れるように出てくる疑問――少女が死んでいればその疑問も意味をなさなくなるがだがしかし――好奇心が彼を突き動かす。
「なんなんだっつうんだ!」
誰かに聞かせるわけでもない、少女の生死を確認するためにこうも危険な行動をしている自分へ叫んでいるのだ。
降下も順調、底の深さはざっと見て二百メートルほどはあるか。
ロープの限界距離は百八十メートルだ、限界まで降りてそれでも距離が足りなかったら壁を伝って降りるしかなかろう。
降下するほど崖の幅は歪で狭くなっていく。光が届かないのはそのためだ。
「なんとか、だな」
数メートル足りない程度、それならば問題は無い。
底にはぴくりとも動かない魔物達がいくつもいた。
血生臭さが鼻腔を嫌に刺激する。
魔物の生命力は強い、中には運よくまだ生きている奴もいるかもしれない。
クウェンは慎重に足を進め、少女を探す。
魔物の死体が多い、少女がいるとすればこの近く。
「あ……」
思わず足を止める。
見つけたのだ、彼女を。
それも、無残な姿となってしまった彼女を。
首の骨が折れ、普通ならば曲がらない角度へと曲がってしまったその頭部。
だが本だけは大切に抱えている。
死しても尚、肌身離さず持っていることには驚愕せざるを得ない。
……この高さだ、もしかしたら――などという希望を抱くだけ無駄だったのだ。
それに歪な崖とあればいくつか体をぶつけながらの落下。
生きているはずもない。
死体とはいえ、回収はしておかなくてはならない。魔物が寄り付いてしまう。
彼女のもとへと歩み寄る。
一体この本はなんだったのか。
命を賭してまでも大切なものだったのだろうか。
好奇心がクウェンの手を伸ばさせた。
「おやめください、これは私のものです」
「なっ!?」
ぎょっとして体を突き放した。
死体が喋った? いや、そんな馬鹿な。空耳か何かか。
すると。
すると、だ。
ゴキンと、不気味に骨が鳴る音。
折れていたのは首の骨だけではない、足や背骨もだったがその部分から主に音が鳴っていた。
「な、なんだ……?」
「軽い複雑骨折だったので助かりました」
複雑骨折に軽いも糞もなかろうに。
別の方向を向いていた首は元通り、飛び出していた骨などなかったと言わんばかりに体のどこを見ようと怪我は一つも見当たらず完治してしまった。
「い、いや……死んでただろお前!」
「死んだように見えて実は生きていました、奇跡ですね、やったー」
何がやったーだと。
クウェンは怪訝に表情を歪めた。
ひしっと大事な本を抱えて少女は上体を起こし、周囲を見回した。
「どこか登れるところは?」
「……ロープで降りてきた、ここから出たいならつれてってやる」
「それは助かります」
すっと腰を上げて、彼女は立った。
二百メートル近くを落下したにも拘らず今は無傷。
領力を使った回復能力? とは思ったがここは領域外、よほど領力を蓄えられる性質でもないかぎり大きな領力を使った力――領法は使えない。
「ぺっ、うぇ」
口から血を吐き出し、後味を十分に堪能したようで少女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です。私は元気ですが何か?」
元気なのがそもそもおかしいのだ。
普通に歩いて、普通に喋れて、普通にしている時点で。
「お前、何者だ」
「私はセルベ・エリオリ。綺麗な赤髪で綺麗な赤い瞳で綺麗な肌を持つただの少女です」
聞きたいのはそういういものではなく。
「ナイスバディです」
別にそのすらりとした手足や腰のくびれなど女性の魅力についても聞きたいのではなく。
だがナイスバディと言われてクウェンは思わず彼女の、セルベの胸を見た。
「はんっ」
そして鼻で笑う。
「貴様、何を笑ってやがりますか」
「悪い、確かにナイスバディだなって」
「何が言いたいのかはっきりしてもらいたいものですね、さもなくば打ち殺しますよ?」
「ふぅん、どうやって?」
「この本で撲殺」
「普通に止めろ」
たとえ本であれ分厚ければそれは十分な凶器となる。
「撲殺は今度にするとして」
彼女は微笑みかけて、間を置くや、
「……貴方のお名前を聞かせてもらっても?」
「クウェン、クウェン・アルトバスだ――って、話を有耶無耶にしようとするな! お前さっき確実に死んでただろ!」
「いいえ生きてました」
「首の向いている方向だっておかしかった! 足だって骨が出てたぞ! それなのになんで普通に歩けてるんだよ!」
ここで一気に追求するクウェン。
少女はというと、視線を逸らしてあからさまに答えたくないといった様子を見せ付けてくる。
「……ちっ、話は上に行ってからじっくり聞くとするぜ」
あんなものを見せ付けられたらどうして生き返ったのか何が何でも喋ってもらうまで引き下がりはしない。
とことん問い詰めるつもりだ、それに対してセルベはとことん口を割らずにいるかは定かではないが。
アンカーが二人分を支えられるか心配だが、先ず少女が本を持って両手をふさいでいるというのが一番の問題だった。
「おい、本を貸せ。持っててやる」
「お断りします。手放すつもりは毛頭もございません」
だったらどうやってロープを掴むつもりなのだと。
「貴方の背中に我が身を預けます」
「……背負っていけとな」
「私は軽いですよ」
「軽い女か」
「おい言い方」
仕方なく彼女を背負う、確かに体重は軽いようだが手を回した先には分厚い書物、これが邪魔で上り辛さを与えた。
クウェンにとっては然程のことでもないが。
「はは、高いですね」
「普通の人間はな、この高さから落下したら死ぬんだぜ?」
「奇跡でも起こらない限り、死にますね。舞い降りた奇跡に私は喜びで満ち溢れております」
減らず口とはこのことか。
もはや呆れて追求する気も起きず黙々と登る。
「喋るのは嫌いです?」
暫しの沈黙を嫌がるかのように、彼女から口を開けてきた。
そういう性質なのだろうか、どうであれ付き合っていても自分の体力を削るだけ。
クウェンは無視を決め込み只管よじ登る。
「歳はいくつです? ポケットに飴入ってますけど食べます? ネフォルティアの方から頂いたものなので食料の共有権は問題ないですよ」
お前はおばあじゃんか。
心の中でツッコミを入れる。
「何か言ってくれないと寂しいです」
半分を過ぎた、会話に付き合わないおかげで集中できて効率よく動けている。
「お腹が空きましたね、飴では腹が膨れません、食べ物持ってませんか?」
「少しは静かにしてくれ」
我慢はしたがこのままでは上にたどり着くまで彼女は饒舌をふるい、耳元でそれを長らく聞く羽目になる。
「会話というのは大切ですよ」
「そうだな、大切だな。分かったから静かにしろ」
「暇です」
「お前はそうだろうがこっちは、大変なんだよ!」
上へ登れば登るほど強風に煽られるのも屡。
降りるのは一人だったのもあって苦はなかったが登るとなると話は違う。
セルベが落ちないように気遣いもしなければいけないしアンカーに負担をかけないようなるべく揺れないように登らなくてはいけない。
万が一アンカーが耐えられずに落下した際には緊急時用のアンカーを速やかに壁へ突き刺す等の心構えと準備もしておいている。
彼の苦労をセルベは理解していないであろうが。
にしても、だ。
セルベのような年頃の少女ならばこのような高所、臆しても仕方がないが彼女はそのような様子を一片たりとも見せてはいない。
それどころかまるでごく普通の、平坦な道のりを二人して平行しているかのように、平気な様子。
先ほどの、アレを見て一つ推測する。
自分はどうせ死なないから大丈夫だと、そういう安心感が彼女の心に平穏をもたらしているのではないかと。
対して、クウェンはそうじゃない。
落下したら当然大怪我若しくは死亡する。
互いの心の温度差が実に分かりやすく観察できる状況であった。




