第二話.少女
「ついたぞ、お前ら降りろ!」
停車するや開口一番に隊長が荒々しく皆へ命令する。
自分は安全を確認できたら悠々自適に下車する魂胆であろう。
乾いた大地に地を着き、クウェンは周辺を見回した。
土煙が舞うも遠くまで見通せる。
まるでまだ書きかけのキャンパスのように、色は空の青と大地の茶――あまりにも寂しい光景が広がる。
今のところ魔物はいない、が油断はできない。
地中にもぐって息を潜める魔物もいるという。
そのために周辺を見回して異常が無ければ地面の凹凸を調べる、これはクウェンが第一師団にいた頃でも学んできた基本的な行為。
であるにも関わらず、他の者達は警戒心をゴミ箱にでも捨ててきたのか遠慮なく広がって銃や剣を持ち出して前へ出て行った。
「さーて魔物はどこだあ?」
「今日は誰が多く倒せるか勝負しようぜ」
「いいねえ!」
既にお遊び感覚の彼らにクウェンは益々気分を悪くした。
早くも班から距離を離して単独行動へと移る。
周りからすればクウェンが乗り気だと盛り上がっていたが、内心では彼らへ愚痴をこぼしているなど知る由も無い。
「ようしお前ら、行ってこい!」
隊長は相変わらず威張るだけ、各自その場を離れれば車に戻って煙草をふかし始めるだろう。
「一番多く魔物を狩った奴には俺から酒と飯ご馳走してやる! 最近はクウェンばかりが活躍してる、お前ら気合入れやがれ! クウェンより多く狩った奴にも酒を飲ませてやるぞ!」
しかし彼らにやる気を出させる術は持っている、働いた奴には酒を奢る――この部隊ではそれが普通で、仕事の後の一杯を美酒へと昇華すべく各々の表情は笑み。
酒には興味は無いが、さっさと仕事を終わらせたいクウェンは足早に目的地へと足を進めた。
「よう、今日も一人でやつるもりかい?」
「まあな」
各自支給されている領力によって動く小型の機械――マップコアを取り出し、周辺の地図を確認する。
便利な道具だがこの地区はネフォルティアの領土ではない、つまり領力は得られずマップコアに内蔵されている領力を性質を持つ物質、領力石に蓄えられている分しか使えない。
小石程度の大きさで数時間、領力石は貴重で機械に使用する分しか所有が認められていない。
ちなみに隊長となると話は別だ。
二回りほど大きい領力石が所有できる、魔物が出没する危険地帯であれ余裕でいられるのはそれが大きい。
「奥は深い崖があるらしいな、その付近で魔物の目撃情報が多いって話だぜ」
「その話がきてから三日経っている、今はどうなっているか分からないんだ。もう警戒しておいたほうがいい」
「助言ありがとよー」
男の表情を見る限り助言をまったく受け取っていない様子だったが、聞き入れてくれないのならばいたし方が無い。それ以上に言葉を重ねはしなかった。
マップコアから浮き上がった画面に指を当て、目的地をマーキングする。
到着まで約十三分、さっきから後ろをついてくるあの男は漁夫の利でも得ようとしているのか、クウェンはうっとおしく思うも集中力を高めるべく前方へ意識を向ける。
「おーい、ちょいと早くないか? もっとゆっくり行こうぜ」
「……」
無視を決め込む。
歩きながら銃弾を確認、とはいえクウェンは剣で切り込むタイプ。
もしも弾詰まりや故障が起きれば命を失いかねないために武器として確実性のある剣を選んでいる。
そういう人間は多い、上に立つ者ならば尚更。
なので銃は早々にホルスターへと収めて剣を取り出す。
「またそれかよ、もっと効率の良い武器を使おうぜ。無駄な体力は消費しないに限る」
「銃に頼りすぎても良い事なんてない」
「そりゃあそうかもしんねえけどよ、どうせ俺達が相手する魔物は雑魚だぜ。楽に処理できるなら楽なほうを選ぶべきだ」
楽に身を任せて自らを堕落させたくはない。
いつか第一師団に戻る頃には今以上に腕を上げておく必要がある。
彼の見据えているのは遥か先、阿呆な犬のように後ろをついてくる奴とは違うのだ。
「音がした」
「音?」
遠くで何かが駆ける音。
強風によって砂嵐に近い荒野は視界不良、今ここで魔物に襲われたらひとたまりもない。
だからこそ耳が頼りなのだが、今のところ冷静に状況判断をしようとしているのはクウェンただ一人。
ゴーグルを装着して剣を抜き、ゆっくりと前へ進む。
いつどこから襲われてもいいように、身構えだけはしておいている。
「もう少し先か」
「そうなのか?」
駄目だこいつ、なんともならん。
呆れて何も言えず、少しでも警戒心を抱いてくれると期待した自分が馬鹿だったとクウェンは小さな後悔を抱いた。
「ちっ、風が益々強くなってきたな」
剣を握る拳に力が入る。
「――っ」
「女の子の、声……?」
一瞬。
一瞬だが、少女の声が耳に入った。
聞き間違いでもない、確かに少女の声。
それも若々しい、十代……前半ほどの。
こんな荒野に少女が一人いるのもおかしいが、疑問を抱くよりもこの目で確かめるのが一番だ。
「おい、人が――」
さきほどまであの鬱陶しい男がいたはずなのだが、振り返るとそこには誰もいなかった。
この強風と砂嵐、はぐれても仕方がない。
男を捜すよりも少女を探すのが優先だ、クウェンは構わず前進する。
ようやく人影が見えた、果たしてそれが人なのか魔物なのかは定かではないが。
近づくにつれて、体躯がはっきりとしてからようやく判断できた。
禍々しさを伝える輪郭――前進に棘のようなものがついた人間などいるはずがない。
他には何体いる? 数次第では仲間を待つか退避せざるを得ない。
向かい風なのは幸運、魔物はこちらには気づいていない、クウェンは意を決してその一体の懐へと飛び込んだ。
腕の太い魔物は近接に弱い上に身を低くして飛び込めば反応が遅れて先制を取りやすい。
先ずは一太刀浴びせ、
「よし」
遅れてやってくる一振りをかわして首へ剣を深く刺した。
まるで魚を捌くかのように手馴れた一連の動きは彼のこれまでの経験あってこそ。
他の者ではこうもうまくはいくまい。
「ちょろいな」
一体ならば、と付け加えておく。
足跡は多数ある、他にも何体かいるのは確実。
ここは各個撃破をしておきたい。
「――ねっ、さす――」
奥から少女の声が聞こえてくる、近くにいるのは間違いない。
駆け足で声のするほうへ進んでいくと、治まりつつあった砂嵐から魔物が飛び出してきた。
「くっ、おおぉ!」
間一髪、魔物の攻撃をかわし、その後ろにも一体を目視して事前に跳躍する。
二体はかわした、他に何体いる?
視界が良くなりクウェンは周り見回すや、できる事ならば見て見ぬふりでその場を離れたい衝動に駆られた。
その数は十体を越えている、少女も目視できたが魔物に囲まれており助けるにも自分の命と天秤にかけてしまうほどの状況が待っていた。
少女と目が合う。
「おい、大丈夫か!」
……このような状況で、命を失いかねない状況なのに、その双眸には取り乱してもなく冷静さが宿っていた。
「大丈夫です、どうぞ私にはお構いなくお帰りください」
一体何の冗談なのか、頭上にクエスチョンマークを浮かべるクウェン。
ああそうか、この少女は一見冷静のように見えるが混乱を通り越してわけがわからなくなっているのだ。
……と、判断する。
この光景を見て助けずにいたら兵士として、いや人として恥。
彼女の言葉は忘れてクウェンは魔物達へと飛び込んだ。
「じっとしていろ!」
「助けようとしています? 助けようとしていますよね、別に私は助けていただく必要など無いのです。同じ言葉を二度も言わせるつもりなんです?」
よくこのような緊迫とした状況で饒舌に語っていられるなと、若干呆れながらも魔物の頭を踏みつけながら少女のもとへとたどり着く。
一斉に魔物達が動き出し、攻撃を繰り出すまで約二秒。
それだけあれば十分。
剣を鞘に収めて少女を抱きかかえ、最初に攻撃をしてきた魔物の腕に飛び乗る。
腕を伝って最も危険であった場所からの離脱には成功した。
「余計なことをしますね」
「余計かどうかは知らねえが、とりあえず助けさせろ」
安全な場所へと運んだらゆっくりと話は聞いてやる、と。
危地に面しているにも拘わらず、助かる希望を垣間見たにも拘わらず、お帰りくださいや助ける必要など無いと言い出す少女など初めてだ。
もしかしたら自殺願望でもあったのかもしれない、だとしたら悪いことをした――のかもしれないが話をして考え直してもらいたいものである。
言葉も通じるし瞳、髪、肌の色からして同国の者。
それに若い、クウェンよりも年下のようではあるが十五歳前後。
何が何でも助けるべきであると、クウェンの本心が体を動かさせた。
「ここで生存率の話になりますが、魔物の数は十三体。私を助けて危地は突破したつもりでしょうが後ろは崖、状況は変わっておりません」
何を言い出したかと思いきや分析ときた。
「貴方が助かる確率は100%でしたが私を助けたことによってその生存率は大幅に減少しました。しかも私の生存率は1%すら上昇しません」
「何が言いたいか、はっきりと言ってくれ!」
いくら体を鍛えているとはいえ、少女を抱えて走りながら、時には後方の魔物の攻撃をかわしながら喋るのはクウェンでさえ負担は大きい。
「ここで私を捨てて逃げるのが生存する上で最も正しい選択と言えます」
「何言いやがる!」
益々自殺願望を抱いているのではと疑いたくなってしまう。
だがこの状況、彼女の言葉は正しい。
クウェンが生存するにはこの少女という荷物を捨てるのが一番であろう。
しかしながらその行為は人としてどうなのだろうか、時と場合によるかもしれないが少なくとも今は、そうするべきではない状況だと言えよう。
「さあ、私を――」
その時。
地面がひび割れていった。
不安定になる足元、崩れていく――それも崖のほうへと。
崖から乱暴に上ってきた魔物と、後方の魔物が暴れるだけ暴れたために崖崩れが生じたのだ。
領土の機能が停止している――大地も脆くなっているのだから崖端から少し離れた程度では駄目だった、クウェンは咄嗟に剣を突き刺して落下を防ぐも。
「生存率が大幅に減少しましたね」
「生存率生存率とうるさい奴だな……」
彼女を片手で支えるハメになった。
魔物は崖下へと消えていったのは救いではあるが、危機は未だに居座っている。
しかも、だ。
「おい、その本を放して俺に掴まれ」
まるで思い入れのある抱き枕のように書物を抱える少女。
古い書物なのか、普通の書物と比べて大きめのもので少女にとってはそれなりに重いのではないだろうか。
両手で抱えている時点でそうなのだが、一先ずその本を手放すのが彼女が口うるさく言う生存率というものの変動に大きくかかわるであろう。
「お断りします、大事な本なので」
「自分の命と本、どっちが大事なんだよ!」
「本です」
まさかの即答に言葉を失うクウェン。
益々変な奴だと、印象を深めさせる。
「貴方はご自身のお命を大事になさってください、服を掴んでいるとはいえ少しずつずり落ちているのがわかります。落下に巻き込まれる前にその手を放すことをお勧めします」
「馬鹿野郎が……!」
剣だっていつまでも刺さってくれているわけではない。
宙で刺したのだ、体重も乗らず突き刺さったとはいえ深くはない。このままでは剣が抜けて崖下へ落下も考えられる。
時間の問題だ。
「魔物がまだ一体残っているようです、どうぞそちらの討伐を」
「あぁ?」
見上げてみるや、目に入ったのは崖端から顔を覗かせている魔物。
「では、さようなら」
すると少女は、一瞬気が逸れたのを利用してか、体を捻ってクウェンの手を払って落下した。
「て、てめえ!」
最後に彼女と目が合った――微笑みを浮かべていた、自分が落下するのはクウェンのせいではないと言いたげに。