第十話.理
怒気を背中に感じ、ぴったりと保護された子犬のように後ろをついてくるセルベの気配を感じながら、歩くこと数分。
「ついたぜ、喋れるかはどうか分からんが、面会の時間はそうだな……十五分くらいで頼む」
「分かった」
「あんたらが入ったら扉は閉めておく、小窓も閉めておくぜ、好きにやってくれ。中に領力通話機があるから出たい時はそれで呼びかけてくれ」
F-14と書かれたプレート。
厚い鉄製の扉は、職員の手のひらを読み取り、領力を流し込むと開く仕組みとなっている。
中に入るや肌寒い空気が二人を迎える。
「起きてますかね?」
「寝てるかもな、起こしてみるか?」
奥には分厚い強化ガラス、領力も流し込まれて耐久性は向上している。
この強化ガラスはどれくらいの厚さだろうか、後ろの扉の軽く二倍はあるような、二倍以上か、どうであれ銃火器だろうが領力武器だろうが亀裂すら入れるのは容易ではない。
台にはボタンがあり、押せばガラスの奥との会話ができるようだ。
「ルゾン」
奥にはルゾンと思しき人物が後ろを向いて椅子に座っていた。
見た目は……さほど魔物化は進んではいないように見える。
こちら側からでは見えない両手や顔はどうなっているかは分からないが。
「久しぶりだな」
ボタンを押して、呼びかけてみる。
恐る恐る、だが。
「……反応が、ないですね」
「ああ……」
もう少し声を大きくして呼びかけるか――と、肺に空気を入れるやその時――
「うわっ!?」
ガラスに勢いよく手が張り付いた。
手――というのも人間のものではなく、魔物の手。
そしてルゾンの顔は――右目は赤く、ひび割れたような肌が右半分を占めていた。
右側から徐々に奇病に冒されている、進行具合は思った以上。
右手から肩にかけては赤黒く肥大し顔と同じくひび割れていた。
「よお……」
なんと声を掛ければいいのか、分からずに言葉を失ってしまった。
自我を保てているのかも分からない、一言も発せずただただこちらを睨みつけてくるだけなのだから。
「初めまして、私はセルベ・エリオリと申します」
ルゾンはセルベのほうを向いたまま、顔は固定された。
音にただ反応しているだけに過ぎないのかもしれない。
「駄目か……」
自我があるとは思えない。
呼吸も荒く、破壊衝動に身を任せようとしているこの人物を、人と呼ぶよりももはや魔物と呼ぶほうが正しい。
「脳が侵食されてる、手遅れだ」
半分だけ人の形を保ってはいても脳が先にやられてしまえば既に魔物。
近々処分されるか、それとも奇病解明のために実験体にでもされるか。
「いえ」
セルベは、小さく呟くや本を開いた。
白紙の本を、だ。
「大丈夫です、まだ人の心は……残されています」
本に青白い光が宿った。
彼女が触れずともページがめくられていき、半分あたりでそれは止まる。
ページを覗いてみても白紙、一体何なのだと問いたくなったその時。
「今、そちらに」
セルベは歩き始めた。
ガラスに向かって。
「お、おいっ!」
何をするつもりなのか、検討もつかない。
彼女はガラスに手をつくや、深呼吸をする。
ガラスに本の発光が移る、この時点でただならぬ事態が目の前で起きていると察したクウェン、だが彼女を止めるにも――その光に触れるのは勇気がいり、伸びた手は空で止まる。
邪魔をしてはいけない、気もして。
目に見えて分かる異変は、ガラスの変動だった。
まるで液体にでもなったかのように揺らぐ、彼女の手から水の雫が垂らされているかのように。
「なっ……」
領力?
――いや、近距離でなら領力の使用は感じ取れるはずだ、領力の気配はまったくない。
では領力以外の力となる。
それは何か。
クウェンには、知りえない力が、目の前で起きている。
それだけは確か……だが。
目の前にあったあの分厚い強化ガラスは、ゆっくりと本へ吸い込まれて消失した。
となれば、だ。
「おいおい……マジ、かよ」
強化ガラスを消失させた、それだけで驚きなのだが、しかしそれよりも何をしでかすか分からない半魔物化したルゾンが檻から放たれたこの事実。
咆哮を全身を駆け巡る、迫力だけで後ずさりしてしまう。
武器も持たぬクウェンはセルベをつれて即座に逃げるべく膝に力を入れるも、
「大丈夫、大丈夫です」
セルベは余裕の笑みを浮かべてクウェンを落ち着かせようとしていた。
「な、何が大丈夫だよ!?」
「心配しないでください」
ルゾンの目の前に立ち、また本のページが自動でめくられる。
「危ねえって!」
ルゾンは既に構えている、魔物化したその腕で彼女を攻撃するつもりだ。
駆けていた、攻撃が来る前にかわせる――も、途端にその足は止まった。
ルゾンは光に包み込まれ、動きが止まっていた。
時間が止まったかのように、微動だにしない。
ページが止まり、また光が吸い込まれていく。
「ルゾンさん、戻りましょう、人の世界に」
すると。
徐々に……徐々に、ルゾンの体が変化していく。
魔物化していたその体は元の――人間の体へと戻っていき、赤い目も青へと変わっていった。
「おかりなさい」
彼女がそう呟く頃、ルゾンは完全に人と呼べる姿へと戻っていた。
「……私は」
「魔物になりかけていたのですよ、貴方の魔物となりかけていた理だけを取り除いたのでもう大丈夫です」
「こ、理……?」
彼女の言っている意味は理解できぬものの、何が起きたかははっきりと理解できる。
奇病を治した、その事実だけは揺るぎはしない。
あのクウェンですら、いつも不機嫌そうで阿呆な表情などそうそうしないクウェンですら、口をぽっかりと開けて唖然としていた。
「あ、貴方の言っていることはよく分からない。けど、これは……」
「ええ、すっかり完治です。安心してください」
「……本当に?」
「本当に」
ルゾンは全身をくまなく見回す、魔物化を漂わせる症状は何一つとない。
心からの安堵か彼は涙を流し、セルベを見つめた。
「貴方、何者であります?」
「死なない十三人、とでも言っておきます」
「死なない十三人ですって? いえ、貴方が誰であれ構わないであります! 命の恩人、であります」
「場所を移してお話をいたしたいのですが」
「え、ええ! 勿論、勿論であります!」
嬉し泣きが止まらない模様。
それも無理はない、奇病にかかったら魔物になるのを隔離病棟で待つしかない。
それが今、覆された。
世界的に、奇跡と言っても過言ではないことが起きたのだ。
「けど、私が出て行ったら騒ぎになるのでは? ど、どうするでありますって君は!?」
涙で視界不良だったのか、ようやくクウェンに気付くルゾン。
「久しぶりだな。つーかお前が涙を流すな、妙に暑苦しいし見苦しい」
「少しは泣かせろであります! 私は今喜びで胸がいっぱいなの!」
「うるさっ」
ルゾンを放ってセルベへ。
「セルベ、俺は話を聞けたらいいなでここに来たが、奇病が治ったとはいえルゾンを連れ出すのは流石に金があっても無理だぜ」
「心配無用。ここには別の理を植えつけておきます」
彼女はクウェン達を退かせ、再び本を開いた。
開いた、というより手も使わず自動で、なのだが。
本の光はルゾンのいた場所へと移り、その光は広がっていくや強化ガラスがあった場所には同じものの輪郭が、ルゾンのいた場所には似たようなものの輪郭が浮かび上がる。
「ここには強化ガラスがあり、魔物が中にいた――わけです」
彼女の言葉は、すぐに現実になる。
「これは……」
「やはり、体力を、使いますね」
セルベは肩で呼吸していた、汗も額から噴き出しあからさまな疲労感、ふらついた状態をクウェンは支えてやる。
「どうした!?」
「暫し動けなくなるので、後は、よろしくお願い、します」
そのままぐったりとクウェンに身を預けてしまった。
誰が見ても分かる。
彼女の力には相当な体力を要するのだと。
それほどに強大な力を使ったのだ、奇病を治し、有を無に、無を有に。
もはや人間の成せる業ではない。
「……面倒な」
「何一つ理解できないのですが、とりあえずどうするのであります?」
「どうするってここを出るしかない。セルベを頼んだぜ」
「むっ……了解であります」
出るにも簡単にはいかない。
だが折角セルベがルゾンをここから出し、そして偽装までしてくれたのだ。
これを無碍にはできない、多少強引にでもここを出ていかなくては。
「隠れてろ」
クウェンは領力通話機で職員を呼び出す。
「話は終わったのか?」
小窓を閉めてくれていたのは幸運だった、職員はここで起きたことを何も把握していない。
「ああ、気になったんだが、後ろのそれ――」
職員が後方を振り向く、当然何もなくクウェンは無防備な職員の首に手刀で打撃を与えて気絶させた。
勿論、首裏に手刀で打撃を与えて気絶させるなんていうのは漫画ではないのだから実際には不可能。
クウェンは一瞬、領力を使って首から脳へと衝撃を与えて気絶させたのだ。
「お見事」
「まあな。練習した」
何に影響されて練習したのかは、クウェンの部屋の本棚を探せば答えが見つかるかもしれない。
「領力も戦闘技術も長けた猛犬は恐ろしいでありますな」
「その呼び名はやめろ」
「おっと、禁句でしたな。失礼」
師団の大抵の情報は彼の頭の中に詰め込まれている。
その情報量、今後死なない十三人に繋がるのならば、ここまでした甲斐があるというものだが。
職員は壁に凭れさせ、一応金をポケットへと入れておく。
目が覚めたら通報される可能性がある、しかし金が入っていることに気付いたら? もしかすれば怒りを鎮めてくれるかもしれない。
受付にいた女職員はクウェンが話をしている間にルゾンは裏を回って外へと出て事なきを得た。
セルベの不在に関しては一度話を逸らして、世間話などで時間を使い、話が終わったところで「あいつなら俺達が話してる間に出てったぜ」と言っておく。
ついでにここでも金を握らせる、金というのは人の心を溶かしてしまう。
つくづく金の力を思い知るクウェンであった。




