怖いはなし
「……なあ。怖い話して」
「は?」
バイトの休憩中に、先輩に史上最低のフリをされたんです。……あ〜、ヤダな〜。怖いなーって。
「なあ。怖い話してくれよ」
「もう、先輩と休憩かぶるの嫌なんですけど」
「ンだとこらぁ〜」
ぐりぐり。
痛い。
「……ヒドイですよ。無理です。不可能ですよ」
「大丈夫だって。お前はやれば出来るヤツだ」
「そりゃまあ、日本の最高学府に受かり、なんだったら在学中に法曹資格も取っちゃおうかなーと考えているボクですが……いた、イタタタタタタタタ」
「うるせーなー。早く怖い話をしろって」
「メチャクチャじゃないですか。だいたい、こんな所で無理ですよ」
「なにが無理なんだよ?」
休憩室には、店内の有線放送が流れている。
「……有線で、頭パッカーン、海もパッカーンとか言ってるじゃないですか。ぜったいに怖い気持ちにならないです」
「あはは。面白いよなコレ。そんなこといいから早くやれよ」
彼女は言った。
この世界には必ず親分と子分が存在すると。
「無理です。アウェーすぎますよ。せめて環境を整えてくれる事を要求します」
「はいはい」
先輩が、休憩室のスピーカーのボリュームを絞る。
休憩室は静かになり、外の廊下から、小さく音楽が聞こえた。
「ほらほら、早く早くっ」
「いつも、話し終わったあとにぜったいに文句つけるくせに……」
「あと十分しかないぞー」
先輩が部屋の電気を消すと、休憩室に置いてある社員用パソコンのディスプレイの中で、スクリーンセーバーが動いている。
先輩はボクの隣に座ると、ボクの方を向いた。
……薄暗がりの中で、スクリーンセーバーの光に照らされて、先輩の服の隙間から白い肌が見えた。
この人は、本当にこういう所に無頓着だ。
「はやくっ!」
「分かりました、では。…………………………これね、小学校の時の話なんだけどさ……」
しっかりと怖い話モードに入り、口調も変える。
小学生の頃に体験した、近隣で起きた殺人事件に関する実話を話そうとしたら、先輩が突然、口を挟んできた。
「あ、ちょっと待って ちょっと待って」
「……む。なんでしょうか。もうモードに入ってたんですが」
「ほんとに怖いのナシな」
「は?」
「お前さ、なんか、今回はいつもと違って、変化球じゃなくて、ど真ん中にどストレートを投げようとしてない?」
「なにか問題が?」
「やめろって。ほんのり怖いのがいいよ。まじで呪われそうな話とか怖いんだもん。……面白コワイみたいなのあるじゃん。あれにして」
ボクが、この先輩に対して腹が立ったのは、なんだかんだとこの時が初めてだったかもしれない。
「先輩……。いくらなんでもナシですよ。それはナイ。……そんなの無理です」
「ほんとにヒマなんだよぉ。頼むよお〜」
頼むと言いながらヘッドロック。
服の隙間から肌。
むぅ。
「分かった、分かりましたから。がんばりますから」
「よしっ。それでこそアタシの見込んだ男だ。ほんのりだからな。頼むぞ」
「ふぅ……。じゃあ話しますよ」
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マリモの話
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少し前から……今でも続いてるお話なんですけどね。
最近、ペットの様子が変なんですよ。
……大学生になってから、ボクはひとり暮らしを始めました。実は、親には反対されてたんですけどね。
それでも、ボクはひとり暮らしがしたかった。理由もあったんです。その理由はあとでお話したいと思います。
その為に、高校の時からバイトをしてお金を貯めていたわけだし、……先輩に初めて会ったのも、貯金をすると決めたあの頃ですね。本当に先輩には感謝してるんですよ。
……ん、照れてるんですか?
いた、いたたたた。
まあ、親の反対とかもあったんですが、仕送りも要らないし、絶対に学業を優先させると言って、真剣に訴えました。
ボクが絶対に折れないと知ると、両親は根負けしたのかしぶしぶと認めてくれました。ただ、条件として、両親からの仕送りは受け取れと。
ボクはそれも断固拒否したので、母親とは少し折り合いが悪いです。
なんで仕送りを拒否したのか?
……なんででしょうね。反抗したかったのかな。
まあとにかく、ボクは我を押し通して、念願のひとり暮らしを始める事が出来たんです。
一階が飲食店の、築三十年のアパート。
外付けの階段を上がるときにはぎしぎしと音がする。
それでも、初めて真っ暗な『自宅』に入った時の解放感は、とてもじゃないけど言葉に表せません。
大げさに言えば、生まれ変わったような……そんな気持ちでした。
自宅の最寄り駅、……ボクらが働いているこのお店もそうですが、この駅は大学のキャンパスからは、ずいぶんと離れた場所にあるんです。
ボクが住んでる部屋は、家賃も安くて部屋も広かった。二部屋ついててバストイレ別。これでだいたい三万円です。
ボクは、飲食店の二階だからうるさいんだろうし、築三十年という事もあってこんなに安いんだろうなと思ってました。相場にも詳しくなかったし。
ただ、最近。
……ひょっとしたら、家賃が安いのはこれが理由なのかな。
そんな風に思う出来事が続いているんです。
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「む?」
「…………」
喉を湿らせるために、ひとくちジュースを飲む。
すると、隣りあっている先輩が、ボクが着ているシャツの袖を握ってきた。
「先輩?」
「……どっちだかわかんねーんだけど。これ、ほんとにほんのり? それともすごい怖いほう? 三万は安いよな……」
「ほんのりのはずです。だって、ボクがいま住んでいる部屋の話ですからね」
「そっか」
先輩のこういう顔は珍しい。
もう少しだけ見ていたいような気もしたが、先輩が無言で続きを促すので、ボクは先輩から目をそらして話を続けた。
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……最近 起こり始めた異変の前に、マリモの話をしなくてはなりません。
マリモはボクが小学生の頃から世話してるんですが、やっぱり長生きなんですね。今でも元気です。すくすくと大きくなってきました。
両親が、ボクがひとり暮らしをするうえで心配だったのが、やはり、怠けてしまうんじゃないかという事だったみたいです。
大学生のひとり暮らし。
普通だったら、友達を呼んで、彼女を呼んで……、ボクの両親もそう考えたらしいんですが、それは全くの杞憂でした。ボクは、家に誰も呼ばなかった。
家に帰ると真っ先にマリモにただいまと言い、今日あったことを話しながら食事を作り、出来上がったそれを食べる。
……マリモとボクの二人分の野菜炒めはなかなか量がありましたが、マリモはいつもガツガツと食べてくれました。すごい食欲なんですよ。……ただ、雑食と言っても肉が好みみたいで、肉が食卓に上らない日が続くと、カリカリとボクの爪を齧ってました。……そういうところも可愛いんですけどね。
マリモが特に好きなのが、かさぶたです。転んだ時に出来るアレです。あれが好きなもんだから、ボクは料理で切り傷を作ったりするといつまで経っても治らなかった。……寝てる間にマリモが食べちゃうんで。
そんなひとり暮らし……いや、ふたり暮らしですかね。それが一年を過ぎた最近。
ここからが少しだけ怖い話なんですけど……、
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「待て」
「はい?」
「まてまて まてまて……」
「はいはいはいはい?」
「……おまえ、なんの話をしてんの?」
「マリモの話ですけど」
先輩は何を言っているんだろうか。
前置きはしたはずなのだが。
「マリモって……藻だろ? あの、緑色の玉みたいな藻の事だよな?」
「違いますよ。藻にマリモっていう名前は付けないでしょう。マリモはペットの名前です。……先輩は、飼い犬の事を『犬』って呼ぶんですか?」
「あ。……あー、なるほどね。名前ね!! あー、そっかそっか、ごめんごめん……。そりゃそうだよな。犬を犬とは名付けないよ」
「当たり前じゃないですか。おかしな人だなあ」
「わ、悪かったよ。ごめんごめん……」
いつの間にか、先輩は痛いくらいにボクの二の腕を掴んでいた。まったく……怖がりな人だ。
「ごめんな。話の腰を折っちゃって」
「先輩の休憩もあと五分しかないですね。続けますよ」
「うん。ごめん……」
しおらしい態度に、なんだかおかしな気持ちになるが、話を続けることにした。
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『ミュイギィィィイイエエェェッッ!!』
……ボクが玄関を開けると、マリモはいつも、あたたかな鳴き声で迎えてくれます。
『ふぐるるるるるる……そぉどほぉど……』
……おかえり、なんて言ってくれると心の中が満たされる。まるで、こころ休まる人と同居してるみたいな……ペット相手に何を言っているのか。けどね、こんな感じなのかなって思いました。
お腹が減ってると腕に齧り付いてきますが、可愛いもんですよ。
……大学に行ってる間にマリモが汚してしまった部屋を片付けます。もうなんか、粘液がすごいんで。
部屋の掃除は確かにめんどくさいし、友達を家に呼ぶことも出来ません。
けれど、大きくなりすぎたマリモを、実家で両親に隠し続ける事は無理だった。
ひとり暮らしをしたい理由があるって言ったでしょ? その一つがこれです。
……大変な事は確かにあるんですが、それでも充実した毎日を送っていたんです。……それに、バイトにくれば先輩もいます。昔よりもひとりじゃない。
……そういえば、マリモと、よく先輩の事を話しますよ。ボクがお世話になっている人だって教えたら、マリモも嬉しそうに笑ってくれました。
『……ふぶるふぶる……ヤワラカ……ニク……だごんだごん!!』
——今度 自分もあいさつをしたい……そんな言葉を聞くと、マリモも大人になったんだなあって思います。
『……アシ……ナマァ……ふっ、ふっ!! だごんだごん!!』
——ウチに連れてきてあげなよ……マリモがこんな事を言うのは先輩が初めてです。なぜだろう。
先輩の事を話す時のボクの口調が、いつもと違うのかもしれません。意識した事はないんですが……。
『だごんだごん!! ……だごんだごんっ!!』
——早くはやくっ!! ねえ、いつ連れてきてくれるのっ!? ……興奮気味にそんな事を言うマリモは、やっぱりまだ子供ですね。先輩にだって都合があるだろうし。けどね、よかったら今度あそびに来てくださいよ。
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「…………」
「あ……もう時間ですね。すいません長くなって。……で、最近なんかボクの部屋がおかしいんですが、夜中にマリモが窓に向かって鳴くんですよ。
……ほら、動物って、幽霊とか見えるらしいでしょ? 家賃も安かったし、ひょっとしたらなんかあるのかなあって……」
「…………」
「先輩?」
先輩は、握りしめた自分の手をじっと見ていた。
ボクの方を振り向くと、薄暗がりの中で、目尻に涙をためていた。
……いくらなんでも、家に幽霊が『いるかもしれない』くらいの話でそんなに怖いワケはない。
アクビでもしたのか、それとも、よほどの怖がりなのか。
「先輩?」
「な、なんだよ!?」
「どうしました? ……けど、やっぱりほんのりは難しいですよ。怖いのか怖くないのかよくわかんないです」
「なあ、マリモは、……犬なんだよな?」
「犬じゃないですよ。三万円の家賃で犬は飼えないでしょう」
「なあ、マリモって、」
「先輩に会いたがってますよ」
「…………」
先輩の手が、カタカタと震えている
柔らかそうな手だ。
マリモが好きそうな。
「じゃ、じゃあアタシは休憩終わりだからっ」
「はい、いってらっしゃい」
「いってくる!!」
「ああ、……先輩、今日はシフト22時までですよね? もし良かったら、ボクの家にきませんか?」
「いや、それは……」
「お話したい事があるんですよ」
「だ、だったらファミレスでもいいし、なんだったらアタシの家でもいいからさっ」
「いや、先輩の家にお邪魔するなんて……。いいんですか?」
「い、いいよいいよ。けど、今日はダメな。また今度な!!」
バタン。
「……むむ。先輩は難しい。……………だごんだごん」




