史上最低のフリ
「……なあ、なんか面白い話して」
「は?」
バイトの休憩中に、先輩に史上最低のフリをされた。
「いや、だから、なんか面白い話をしてくれっつってんの」
「そんな振り方あります? ……困るなあ」
「もう退屈で退屈で死にそうなんだよ。あ〜、もうむしろ死にてー……は〜ぁ」
そう言うと、先輩は巨大な胸を張り出すように、伸びをした。
この先輩の口癖は、『ヒマ or ツマラナイ』と、『殺したい or 死にたい』なのだ。
言葉遣いだけだとマイナスの塊のような人なのだが、案外 面倒見が良かったりするお姉さんなので、バイト仲間からは嫌われてはいない。
社員さんとは仲が悪いけど。
とにかく、金髪で、胸が巨大な先輩に、史上最低のフリをされたので、ボクは困った。すごく困った。
「うーん……」
「あー、店長は使えねえしよー。マジ殺してえ〜。なんか面白い話きかせてよ」
「困ったなあ……」
バイト中だというのにピアスを外さない先輩に、ボクが出来る面白い話はあるのだろうか。
家に帰ったら、真っ先にマリモに話しかけるこのボクに。
「早くしろって。はーやーくー」
「ちょ……やめてくださいって」
いま、大学に通っているボクが、高校生だった頃からこの先輩にはお世話になっている。
弟分……むしろ、子分のような扱いで、平気でボクをヘッドロックしてくる。
「ウメボシだ。ぐりぐり」
「いたっ、いたいですって……もうっ」
ヘッドロックから抜け出して、ため息を一つ。
「……じゃあ、このあいだ見た夢の話なんですけど」
「夢? はぁ〜? ……あのさ、時々あるんだよそれ。昨日こんな面白いユメを見たんだーみたいな。話してる本人は面白いらしいんだけど、聞いてるこっちは、クッッソつまんねえの」
「しょうがないですよ。フリがメチャクチャなんですもん」
「『夢の話』で面白い話なんて存在しねーんだよ。夢オチってはじめっから分かってんだぞ? 面白いワケがない。ムリムリ……」
「じゃあ話しません」
「いいよ。聞いてやるから話してみろよ」
本当に、史上最低のフリだ。
「……上からですねえ」
「上だろ」
ヘッドロックしてくる先輩。
そのたびに、ボクの頭に当たる、先輩の巨大な胸。
子分であるボクは、とりあえず夢の話をする事にした。
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夢の話
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明晰夢って知ってますか?
……知らない?
あ、先輩はボキャブラリー少なさそうですからね。
いえいえ、冗談ですよ。
夢の中で、「あ、これ夢だ」って気付く事があるじゃないですか。
あれを、明晰夢って呼ぶんですが、ボクはそれを自分で意識して見ることが出来る……出来たんですよ。
見る……見るでいいのかな?
まあ、夢を見るって言うんで、そう呼びますね。
ボクがこの言葉を知ったのは、中学生の時でした。たまたま、親が見てたNHKの番組で、そんなのをやってたんですよ。
……ちょっとうろ覚えなんですけど、アフリカのどこかに、『夢を操る部族』っていうのが居て、その人たちを訪ねる企画だったんです。
自分で、自分の見たい夢を見れる人たち。
……もう、その番組の内容も全然覚えてません。
ただ、その時に、ボクは自分がやってる事が、相当めずらしい事なんだなって自覚しました。
自分の意思で、明晰夢を見るっていうのが。
……ボクが明晰夢を見ることに目覚めた……。
夢を見ることに目覚めた……おかしい言葉ですけど、まあそんな感じで。
ボクがそうなったのは、偶然の事でした。
小学生の頃、中学受験を目指してたボクは、寝る間も惜しんで勉強してました。……させられてました。
学校に行って、塾に行って、宿題やって、お風呂に入って、ご飯を食べて、さあゲームをやろうと思ったら寝る時間なんです。
特に、体を鍛えるためだなんていって、水泳とかもやらされてたんで、プールに入った日は本当に大変でした。疲れちゃって。
それに、それとは別に、親から出された宿題もありました。
情操教育なのかよくわかりませんが、いわゆる『芸術』です。
小学校四年生の時に、母親から出された課題を今でも覚えてます。
小林多喜二の『蟹工船』。
あれを渡されて、『資本主義と社会主義を対比し、優れている部分と問題点を述べよ』
メチャクチャですよ。
読みましたよ。読みましたけどね。
その頃は全く理解できませんでした。
うわっつらだけをなんとか読み込んで、一応、答えらしきものは書きましたけどね。
それでですね、ウチの母親は、資本主義と社会主義の利点と問題点を子供に学習させたがるくらい『帝王』の人なんで、他人の使い方が上手かった。
ボクは、課題さえこなしてしまえば遊んでても一切怒られませんでした。
自分のやる事さえやっていれば。
『やるべき事を終わらせろ。その後は何をしてもよい』
これは、本当でした。
ただ、終わらないんですよ。
自由な時間なんてめったに作れないんです。
……学校の帰り道に、友達の家に寄ったこともない。
……塾でたまたま席が隣だった女の子と一緒に帰っても、ハンバーガーを食べる時間もなかった。
そんな奴に友達なんて出来る訳もなくて、彼女みたいなのも出来なかった。
……あ、けど、モテなかった訳じゃないんですよ。
ボクは、女の子から見ると綺麗な顔をしているらしいし、バレンタインなんかには結構……。
それでも性格がつまらないんでしょうね。それ以上となると、
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「……やっぱりね、告白みたいなのをされても、結局それでおしまいなんですよねー。その後に遊びに行ったりとか、」
「待て」
「はい?」
「お前の生い立ちエピソード、興味ねえんだけど」
この人は、なんて失礼な人なんだ。
「ちょいちょい自慢みたいなのも入れてくるしよー。……小林ゆめじ? 知らねーよそんなの」
「竹久夢二の事を言ってるんですか? それは画家です。ボクが言っているのは小林多喜二、」
「だから、ちょこちょこそーゆーの入れてくんじゃねえよ!!」
この先輩にはこういう所がある。
ボクは事実を述べているだけなのに、おかしな言いがかりをつけてくるのだ。
「家がお金持ちで頭が良くて、外見もお綺麗だと? 普通そんなの自分で言うか? テメー、あんま調子んのンな。ボコされてーか」
「空手もやってましたが」
「アタシは喧嘩百段だ。やンのかコラ」
「やりませんよ……。なんなんですか」
ぐりぐりとウメボシをされる。
眼鏡の位置がズレるからやめて欲しい。
なんなんだ。
この人は、いったいなんなんだ。
「面白い部分だけ、パッと言えって!!」
「本当に、史上最低のフリだなあ……。物事にはプロセスというものがあり、背景を語らなくてはゴールにたどり着けないじゃないですか」
「やーだー!! アタシそういうのやーだー!! ……休憩時間もあと十分しかないじゃねーかよお!!」
「困ったなあ……」
なんてワガママな人なんだ。
こんな人は初めてだ。
「わかったな! なんか、興味引きそうな部分だけを、パパッとやれって!!」
「屈辱です」
しかし、ボクは子分なので、親分の言う事は絶対だ。
なので、期待に添えるようにがんばるしかなかった。
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……まあ、親の目論見通りに日本でも有数の進学校に合格して、人生のエリートコースに乗り、社会の勝ち組の予備軍となったボクなんですが、……痛っ、やめてくださいって。
そんなボクは、寝る前にする空想だけを楽しみにしていたんです。
ボクは、ゲームが好きで、漫画が好きで、ケイドロも好きだったし誕生日会も行きたかった。
けれどもそれが出来なかったボクは、寝る前に、入眠してしまうのを恐れるように、ひたすら空想をしていました。
では、興味を惹きそうな部分をパッと。
……誰でも明晰夢を見れる方法。
それは、寝る前に、自分が見たい夢の事だけを、ずっと考えてるんです。
すると、夢か現か、空想なのか現実なのか、そういう状態に入り込む。
その頃のボクは、人生で一番 肉体と精神を酷使していた時期だったと思います。
その後も、超有名高校に入り、大学も日本の最高学府に受かり、いよいよ勝ち組確定のボクは……いたっ、痛いですって。
とにかく、その後も辛い時期はあったんですが、小学生の頃は『やり方』みたいなものが全く分かってなかったんで、本当に、とにかく辛かった。
中学から先の受験になると、やり方がだいぶ分かってくるんです。先生が教えてくれる事も理解できますし。
そういう、他人から教えられたり、自分で組み立てたメソッドがなんにもない小学生のボクは、一言で表すと、やられていました。
半覚醒状態の金縛りなんて珍しくなかったし、金縛り状態での幻聴や幻覚まで体験していた。
そういう時期とあいまって、その、『夢の中に入り込む』という現象が、日常化していったんです。
これは、特別な技術ではないと思うので、おそらく誰にでも出来ます。
ただ、オススメはしません。
その頃のボクは不眠症にも悩まされました。
……金縛りの時に襲ってくる、幻聴が怖くて眠りたくない。
……怖い夢を見ないように、楽しい空想を続ける。
いつしか明晰夢は始まり、自分の描いた空想の中で遊ぶ。
絶好調の時には、五日間 連続で同じ夢の続きを見たことがあるんです。
ただ、体調は最悪でしたね。
そりゃそうです。
寝てる間も休んでないんですから。
疲れが取れず、一日のスケジュールをこなし、不眠と金縛りに悩まされる悪循環。
これが、オススメしない理由です。
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「それでね、ボクがよく見る夢があって、」
「……おい」
「はい?」
「お前、ハナシなっっげええええええええっ!!」
む。
精一杯、誠心誠意、省略して話しているというのに。
「いや、さすがにこれ以上は省略できないですよ」
「休憩あと五分しかねえよ。なんなんだよ……」
「先輩が言ったのではないですか。面白い話をしろと」
「なんか、そういうのじゃねーんだよ。楽しい気持ちになりてーんだよ!! ……あと、なんか、ジメッとしてんだよ。雰囲気が!! ホラー始まりそうなんだよ!!」
「ホラーにはなりません」
「楽しい結末になる気配が微塵もねーよ……」
巨大な胸をぶら下げる為のヒモの位置を、先輩は無造作に直した。
この人は、こういう所がだらしない。
「……まあ聞いてください。ボクがその頃よく見ていた夢というのがあって、ありきたりなファンタジーですよ」
「はいはい……んで?」
「出来なかったゲームを、夢の中でやってたんです。ただね、登場人物の顔がおぼろげでした」
「どーゆーいみ?」
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訪れた町で人々を助けて、世界を救う旅に出る。
そんなのがボクの憧れだった。
ただ、夢の中で、モブキャラの顔って思い出せないじゃないですか。
ボクの場合は、それが、世界を救うパーティの、仲間とかもそうだった。顔がぼんやりとしてるんです。
まあ、そりゃそうですね。
だってボクには恋人なんて出来た事ないし、仲が良い友達もいなかった。
ヒロインや仲間の顔なんて、脳内……夢の中でも作りようがなかったんでしょう。
……進学校には入学できたのにね。
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あの頃の事を思い出して、形容しがたい気持ちになる。
すると、先輩のため息が聞こえた。
「……はぁ〜。暗い。やっぱり暗いわ。なんだその話。どこが面白いんだよ」
「そうですね。いつしかボクはその夢を見なくなった。中学受験もずっと前に終わりましたし。
……明晰夢を自分から見ようとする事もなくなりました。ときどき、夢を見た時に、「ああ、これは夢だ」と認識するくらいです」
「だから、……もういいわ。休憩終わっちゃったよ。出るぞー」
「もう少しで話は終わるんですが」
「勝手に話しててー」
「先輩でしたよ」
「……はァ?」
「この間、夢を見たんです」
……七つの海を股にかけて、大陸中を駆け回り、空を飛ぶ翼を手に入れて、ボクらは世界を救う旅に出る。
その夢を見た時に、ああ、久しぶりにこの夢かと思った。もう忘れかけていた夢だ。
「先輩と一緒に旅をしていました」
「…………」
「魔王を倒す所まではいけませんでした。けど、楽しい夢だった。……なんで、先輩が出てきたんだろう」
ボクがそう言うと、先輩は、何故か顔を赤くした。
「で?」
「はい?」
「……なにが言いてーの?」
「とは?」
「なんだ? ……その、仲間だかヒロインだかがアタシだったと」
「はい」
「で? なにが言いてーの?」
「別になにも。夢の話ですから」
そう言うと、先輩は更に顔を赤くした。
赤くしたあとに、額に血管を浮かべ、何かを言おうとして、なにも言わなかった。
「……はぁ。休憩時間、五分過ぎた」
「それは早く行った方がいいです。また店長さんと喧嘩しますよ」
「なんなんだ。なんなんだよ……」
「それはこっちの言葉です。どうでしたか?」
「なにが?」
「ボクが見た夢の話です」
先輩は大げさな音を立ててドアを開けると、呆れた顔でボクに言った。
「……やっぱり、他人が見た夢の話はつまんねーな」
バタン。
「……むむっ。先輩は難しい」