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Rainbow Crystal  作者: らぷた
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第3話 ふたつの過去からのひとつの希望を紡ぎ出す話(2)

(う~ん、軽はずみだったかなぁ)


 とっさのこととはいえ、つい自分から「私も全部話す」と口に出してしまった事に、イリスは次の瞬間、何やらとてつもない恥ずかしさと後悔を感じてしまっていた。

 もちろんマランはもう見も知らない人間というわけではないし、それに少なからぬ決意を、かの「ばっちゃんの屋敷」で固めたわけなのだから、本来そんなに気にする必要なんてないはずなのだけど。

 ただ、ふと自分で言ったはずの「全部」という言葉で、ラナとの話だけでなく、その前の――例えば、彼と出会う直前の事とか、それよりもっともっと前の事とか――まだマランに話してないはずの、そういうものを全部ひっくるめた「自分自身全ての事」も全部教えてあげると言ってしまったような、ついそんな気がしてしまったのだ。


(う~ん、別にそんなことないと思うし、それに、全部話しちゃうの、別に嫌なわけじゃないんだけど……)


 それでも、何だかためらってしまうものがある。

 それは何故だろうと思い巡らせてみると――ふと、こちらだけ一方的に自分の事を話すのが嫌なんじゃないかという事に、イリスは思い当たった。

 確かに、マランが今一緒にいるのは、あくまでイリスの付き添いのためのはずなのだから、マランがイリスの事をより詳しく知ろうとするのは、ある意味当然なのかもしれない。

 だけど、それはそれとして、何故だかイリスの乙女心は、自分の事だけを話さねばならないと言う事を、素直に認めようとはしなかったのである。

 私の事を知りたいんだったら、せめて交換条件としてあなたの事も教えてくれても良いじゃない――と、要はそういう訳なのだ。

 無論、一方の心で「そんなの私の勝手な考えだよね」と気持ちを押さえつけようとはしたのだが。


 でも――だからなのだろうか。


 その次の瞬間には、逆に「何故そこまで今の一言を気にしているんだろう?」と思って正気に戻った自分がいて、そしてマランの方からも同じく「もちろん全部話す」と言った時にはほっとした自分になり、更には「俺の事、全部」とまで彼が口にした途端、今度は嬉しさと共に一瞬の胸の高鳴りを感じてしまった自分に気が付いてしまったのは。

 何故だか、彼の話した「全部」という言葉の意味が、自分がつい口にしてしまった「全部」の意味と同じような気がして――


(じゃあ私、なんでそれを、「嬉しい」って思ったのかな?)


 少し考えるのに躊躇ちゅうちょした。

 ラナがマランに話した事について聞きたいと思っているのはもちろん。

 だって、わざわざ会いに来てと、人の夢の中にまで押しかけて頼んで来たにも関わらず、ラナは実際にはイリスだけでなく、マランまで誘ってきたのだから。その上一緒に話を聞くどころか、わざわざマランとは「別室」で、こちらには教えられないらしい「何か」を吹き込んでいたらしいのだから――そんなじらされ方をしたら、当然その話の内容が気にならない訳がないのである。


 あの時――マランがラナを見つけるべく目を閉じて、それを確認したイリスもまた目を閉じ、再びラナを探そうとした直後――それまで彼女と共に見えていたはずの森の背景がイリスの前から消え、聞こえていたはずの森のざわめきが消え、隣で手を繋いでいたはずのマランさえも、左手の中の彼の少し荒れた手の感触を残して消えてしまったのであった。

 そして目の前には、さっきよりも遥かに薄い姿と、薄い笑顔と、そして薄い生気のラナ。

 どうしたの? と聞いたら、『ナンデモナイノ』と言い、マランと何を話してるの? と聞いたら、


『ナイショナノ』


 彼女はそう答えた。

 その後告げられた、父を無事送り届けたという知らせ。

 涙ながらに「ありがとう」と答えた自分。

 しかし樹の精霊の少女は、最後までイリスにマランに何を話したかだけは教えてくれずに、結局そのまま消えてしまった。

 消える前に、こちらの心を焚き付けるような一言を遺して。

 ――思うにそれが、イリスの先の「全部」発言に繋がってしまったのかもしれない。


(でも、なんでわざわざラナはそんなことを……)


 そんな必要があったのかなぁとは漠然と。

 でも、精霊のあの子の気持ちは確かに良く分からなかったけれど――それでもどう考えても、あの時のあの子は命を削るほどの無茶をしたようにしか見えなかった。

 そんなにまでしてラナは、マランとイリスに「違うメッセージ」を遺し、そして消えていったのだ。


 ――それは、何故?


(……うん、でも確かにそうなんだよね……)


 それでも、彼女のその気持ちを無駄にしたくなくて、自分に素直になってみる。

 本当は、マランの事をもっと色々と知りたいと思い始めている自分の気持ち。

 それはつまり、「まだマランとは別れたくない」と自分が思っているという事。

 たった二日弱の、それでも極端に濃密な日々の中で、何時そんな事を思い始めたのかは自分でも良く分からない。

 ただ、直接の引き金になったのは――多分、何度か見せたマランのあの「得意げな表情」ではないのだろうかとは、自分でもなんとなく自覚している。

 彼のあの表情が頼もしく見えた半面、何だか彼にばかり頼っている気のする自分が申し訳なくて。

 でも――反面、どっか悔しくて。

 そして気が付いたら、彼のあの表情の「正体」を知りたくて堪らなくなっていたのだ。


 だけど――本当に、それだけ、なの?


『ネエ、いりす。「ホンキ」ナラ、ジブンノゼンブヲ、ブツケテミナキャ、ダメダヨ……』


 あの子の言った、最期の一言。


(「本気」かぁ……私、今何かに本気になってるかな?)


 あるいは、本気にしなくちゃいけない何かが、目の前にあったりするのかな。

 あの子の言いたかった事は、何となく分かっているし、それでなくてもぼんやり自覚はしていた。

 母親から断片的に知らされただけだった、王家の血の事、ブレスレットの事、そして「三年後」の事。

 何よりも、至近の未来ですら良く分からない今の自分。

 諦めるのは簡単だろうけど、それでも悲しみに暮れて立ち止まってもどうしようもないからと、今は無理して走ってる。

 方向なんか気にしないで――

 それは、イリスの「方向」を代わりに決めてくれた人が、すぐ目の前にいたから。

 彼は「何かを求めてあちこちを旅するのであれば、それは『流浪の民』ではなくて『冒険者』だよ」と言った。

 そしてその彼は、どうやらイリスを本気で「冒険者」にしたがっているらしい。

 そしてイリス自身が、だんだん自分も「冒険者」になりたいと思い始めている――ただ、それには彼の言う「何か」というものが足りない気がするのだ。

 もちろん『虹水晶』をその「何か」にしてもいいけれど、それはイリスにとってもまだ、あまりにも漠然とし過ぎているものだった。もっとはっきりとした「何か」――「目的」が欲しい。

 だから、彼の期待に答えるには――そう、「目的」を「別のモノ」にするしかないのだろう。

 ひとつだけ、そのアテがあった。極めて独善的で、強引で、駄目だったら仕方ないけど、それでも賭けてみる価値は十分にありそうなこと。


(ふふ、それで良いのかな? じゃあ私、思い切ってぶつかってみようかな……?)


 それが、自分自身を何とか納得させる「答え」。

 よぉし、マランが冒険マニアだというならば、その意気を見せてもらおうじゃないの――

 そう考えながらマランの顔を見ていたら――自然、イリスは笑顔になっていたのだ。


 そしてイリスはその時、ラナとの別れの時に自分が泣かなかったのは、きっと姿はなくなっても、何処かでずっとその「成果」を見守ってくれていると信じていたからであった事に、ようやく気が付いたのだった――




「……ヨーベル、さん?」


 マランは昨日会った時と同じ言葉を、同じような響きでその人に言った。

 でもそれは、あくまで表面的に似ているだけの言葉。

 そう、何となくではあるものの――それでも昨日とは明らかに語の含みに違うものがある事を、イリスは分かってしまった。

 昨日彼がその人に出会った時は、本当に思いがけずといった感じだった。

 だけど今日は――何だか、現れるのが予め分かっていたという感じで。


「やっぱり、付いて来てたんだね」


 それでもイリスにとっては、何故この人がここにいるんだろうという気持ちで。


「ふ~ん、僕が後を付けていたのに気付いているとは、しばらく会わない内に随分と『森の民』っぽくなってきたんだね。……それとも、冒険者っぽく、かな?」


 その人の言葉は、あくまで爽やかで、されど、何処か押し潰すような威圧感があって。


「『冒険者っぽく』の方が、嬉しいな。……まぁ、まだ名乗り始めて四日目だけどね」


 そして、マランの言葉には昨日とは打って変わって、その圧力を真正面からがっちりと受け止めるような凛としたものがあって。


「見張りの自警団の人達をうまく捲いたからっていって、それだけですんなりうまくいくとは元から思ってなかったから。……だから、きっと誰かが来るんじゃないかなって思って」


 そうやってヨーベルに向けたマランの笑みには、やはり余裕というか、何処か吹っ切れた感じがあった。


「もしそうだとすると……それはきっと、ヨーベルさんじゃないかなって思ったんだ」


「……そうか」


 ヨーベルはそう答えただけで、じっと視線をイリスの方へと移した。

 昨日と同じ目。

 マランに向ける目には、今もまだ既知の友人への「優しさ」があったというのに、イリスへのそれには相変わらずその欠片すらない。それどころか、凍り付くような憎しみが昨日よりも一層強くなったような気さえする。


 きゅっ。


 思わず後じさろうとしたイリスは、左手の微かな痛みとぬくもりで、その足を止めた。

 顔はイリスに向けてはいなかったが、既にまるで繋ぎ慣れたかのように、マランの右手はあやまたずイリスの左手をしっかり掴んでいた。


「まだ、その子と一緒にいるんだね、君は」


 淡々と喋るヨーベルは表情までもが淡々としている。昨日のような爽やかさは少なくともその顔からは消えて、やや無表情といった印象。そこから彼の感情を読み取るのは、容易ではなさそうだった。


「まぁ、ちょっとした訳があってね。……自警団に見つかるのを承知でここにわざわざ来たのも、イリスのために急がなきゃって思ったからなんだ」


 もちろんヨーベルが自警団員である事は百も承知のはずだが、双方とも特に気にする様子はない。もっとも、ヨーベルがマランの台詞に特に疑う素振りを見せなかった所が、昨日とは若干様子が違う事を物語っているのだが。


「訳?」


「うん、そうだよ。何とか間に合ってね……で、今さっき、大火傷を負った友達の女の子の、最期を看取ったばっかりなんだ」


「……女の子?」


「そう、『ラナ』って名前のね」


 そう言ってマランは、すっと半身だけ振り返り、既に消えてしまった『ラナ』のいた位置を見詰めていた。

 マラン達が今いる付近はもとより、少し離れてヨーベルが立っている地点よりも更にずっと向こうまで、つい二日前までは広大な囲いの中の領域だった所だ。無論それは樹の向こう側も同様であったため、その跡に残った彼が見詰めたものは、あらかた焼き尽くされたかなり広い平原だけだった。


「……つまり君は『ラナの大樹』は女の子だったと、そう言いたいわけなのかい?」


 ヨーベルはしばし考えた後に、やや訝しがるような様子ながらもこう言った。


「うん、そうだよ。流石察しが良いね、ヨーベルさん」


「昔から君が空想好きな事は知っていたつもりだったけど……また突然とんでもない事を言い出すなぁ。……マラン、君はそんな話を僕に信じろというのかい?」


「まぁ、でも、実際その通りだから」


 薄い笑みを浮かべながら話すヨーベルと、自信の笑みと共に頷くマランをよそに、イリスはただただ不安な心持ちで、その場に立ち尽くすしかなかった。

 確かに突然そのような話を切り出されても、信じられないのが普通である。見ず知らずのイリスのことを信用し、かつ今まで色々手助けをしてくれたマランですら、初めてその話を聞いた時には少なからず疑ったものなのだ。

 ましてや相手は幾らマランの知り合いとはいえ、どう見てもこちらに好意的とは思えない人物である。たとえ昨日のように仲間の自警団員が出てこなかったとしても、彼自身がどう動くのかを思うと嫌でも恐怖が先に立ってしまうのだ。

 今逃げ出さないでいられるのは、まさに繋がれた左手のためだと言っていい。だからイリスは今は「彼なら何とかしてくれる」と思っている自分の存在を認めざるを得なかった。

 ……そして、


「……なるほど。確かににわかには信じがたい話だねぇ。……でもま、君の言う事だから、少なくとも嘘じゃあないんだろうね」


「ヨーベルさんに嘘を付いても仕方ないからね、でも、それでも信じてもらえてよかった」


「まぁ、君の事は幼い時から、よ~く見知っているつもりだからな……こんな時に嘘を付けるほど器用な子じゃない事くらい分かってるよ」


「……あはは、それ誉められてるのかな? ……でも、俺だって、こんなおとぎ話みたいな話でも、ヨーベルさんなら信じてくれるって思ってたから」


 それは、その時のイリスにはとても想像も出来なかったような光景だった。

 まだ何処かぎこちなさを感じるものの、それでも本当に仲がよさそうに、笑いながら会話をしているのだ。

 まず普通ならとても信じられないような話を「君の言う事だから」と信じてしまう……何となくだけど、これはいわゆる「友人同士の信頼関係」というものなのではないだろうか?

 だいたいイリスは、マランとヨーベルがどういう関係だかを、良くは知らない。

 ばっちゃん――いや、賢者で長老のマァヌはもとより、今自分が来ている服を「出世払い」とかで提供してくれた洋服商のコノントとマランが昔馴染みで仲が良いのはなんとなく分かるし、それに雰囲気的にも温かいものを持った「好きになれる」性格の持ち主であるとは、イリスも感じていた事だ。

 だけど、この人だけは――

 マランはこの人にも、彼らと同じような信頼を置いていたりするのだろうか?


「だから、信じるついでにもうひとついいかな。……出来たらイリスが犯人じゃないってことも信じて欲しいんだけどな」


 すがるような目ではなく、微笑みさえ浮かべながら、それでも目は真剣にマランは言った。

 その途端、笑みを浮かべていたヨーベルの表情が一瞬にして強張った。

 その目はイリスに向けていたものと少し近いか。


「……理由は?」


 凍り付くような声でヨーベルは言う。


「この森に火が点く前から、イリスは俺のすぐ側にいたからさ。……すぐ側で、『ラナ』が燃えるのをじっと見ているしかなかったんだ」


 マランはそう言った。

 最初の出会い。直後の炎。

 彼はその時に何を思い、考えて、私に関わってきたのだろう――不意にイリスはそんな事を思った。


「ほら、昨日の俺達、特に彼女の格好はちょっと煤けてたでしょ? それは森のあの炎の中を必死になって逃げてきたからなんだよ。紛らわしいだろうけど、だから……」


「犯人は別にいる、というわけだね」


「うん」


「そしてそれを君達はすぐ側で見た、そういうわけだ」


 誘導尋問のようなヨーベルの言葉がマランに突き刺さった。

 その時のマランの少なからぬ狼狽が、ヨーベルに隙を与えてしまったのか。


「ううん、残念ながら火がきる瞬間は見ていないよ。……側にいたとしたら、どんなにかマシだったかしれないけどね……」


(……マラン……)


 イリスは悔しそうに呟くマランのその言葉で、彼の方を向いた。

 少しうつむいて、無念そうな表情のようにも見えた。


「なるほど、マランは直接犯行現場は見ていない、と。でも……君の言い方からすると、犯人の察しはだいたい付いていそうだね」


 そのマランの姿をどのように受け止めたのか。

 ヨーベルは更に彼を追い詰めるように、そう問う。


「一応……ね」


 それが分かっているはずなのに、マランはそう言うと、


「でも、その人達はもうここにはいないんだよ。誰が『犯人』にせよね。その人達はみんな……みんなもう、遠い所に行っちゃったんだから。……彼女を置いてね」


 焼け野原が虚無感をより一層かき立たせる。

 遠い所――それはラナが死力を尽くして運んでくれた、遥か西方のハーバル城の事を指すのか、それとも生者が決して辿り着けぬ所なのか。


「……なるほどね」


 それだけ言って、ヨーベルもしばし考えるかのように少しうつむいた。


「仮に、それを真実としようか」


 「仮に」を敢えて強調してヨーベルは言った。


「だけど、そんな言い訳がうちの自警団には通用しないとは思わなかったのかい?」


「……通用しない?」


「……それに今、君は一言余計な事を言ったね。……『彼女を置いて』と。それはつまり、昨日僕が言った通り、彼女が犯人の関係者だって事を君の口から漏らした事になるんだよ。……自警団としてはやはり関係者として、彼女を捕らえなくてはならないな」


 そう言って、ヨーベルは静かに視線を落とす。

 それは昨日とまったく同じような「連行通告」だった。


「それで、捕らえてどうするの?」


 だが、マランは少しも臆せずにそう聞き返した。


「事情をしっかりと聞くさ」


「で、聞いた後は?」


「自警団の……いや、街の住人の判断を仰いで処罰されるだろうね」


「それは……処刑されるって言う事?」


「……多分な」


「何故?」


 突然そう言われ、一瞬だけヨーベルは動揺したように見えた。


「……それは……」


「彼女がやったんじゃなくても、身内だから? それだけで? 連帯責任ってわけ? ……俺のさっき言った事、信じてくれるんじゃなかったの?」


 素朴にして率直な問い。

 素直だからこそ、率直だからこそ、「何故?」という問いの力は、時に相手の思考と行動を一瞬にして止めてしまうほどの威力がある。

 そして、その力を同じように素直に撥ね返せない時――それは自分の行いが誤りである事を、自ら認めてしまうことになってしまうのだ。


「言いづらい事、言ってあげようか?」


 双方しばし無言の時があって、口を開いたのはマランの方だった。

 その顔は、イリスのやっかみ心を掻き立てるような、あの得意げな顔ではなかった。

 言いたくはなかったけれども、それでもいつかは言わねば、今言わねばという、そんな悲壮な決意をした時のような顔だったのだ。

 ヨーベルは無表情のまま、じっと目をマランに向けていた。


「本当はイリスを犯人に仕立てて片付けたいんでしょ、この事件を」


 マランのその目は、今まで見た中で一番厳しいものだったかもしれない。

 ヨーベルがぴくりと反応したような気がした。


「言っとくけど俺、今ここにヨーベルさんしかいないから、敢えて本当の事を色々と言ってるんだよ」


 初めてマランが優位に立った瞬間。が、マランの顔からはより一層の真剣さしか感じ取れない。

 それは、しいて言えば、昨日ヨーベルがマランを説得していた時の表情に似ていた。


「だから、犯人がもういなくなっちゃって捕まえられないのは本当。どうしてそうなっちゃったかまでは、俺も知らないんだけど……きっと俺達の誰も分からないような、よその世界の話なんじゃないかと思う」


「よその世界……?」


 そう不思議そうに呟いたヨーベルは、ちらっとだけイリスを見た。

 イリスの表情が、知れずこわばる。


「だからきっと、『ラナの大樹』を燃やして逃げた犯人だって、そもそもこの火事がどうして起こってしまったかなんてことだって、少なくともその場にいなくて、理由すら推測出来ない俺達にはきっと分からないと思う。残念だけどね……」


 イリスはまた、堪え切れない思いを必死に耐えるような心持ちになった。


「それにイリスだって『何でこうなってしまったかよく分からない』って言ってるんだ。だから……だから、彼女も訳が分からない内にこの事件に巻き込まれてしまった『被害者』なんだよ」


「……」


 ヨーベルが、そしてイリスが黙り込んだ。

 ふたりとも、何かを叫びたい思いを必死に耐えているように。


「だけど、ヨーベルさんから見れば、幾ら彼女が違うからと言っても、『黄髪の民』っていう同じ括りで見てしまうんだろうね。それで、犯人が誰か分からないのは自警団の威信に関わるっていうことで、イリスを無理矢理犯人にしようとするつもりなんだ」


「……違うよ」


「違うの? そうすればレノの人達の気が晴れるとか思っているんじゃないの? ……いや、それともヨーベルさん自身のかな、だってヨーベルさんは昔、両親を黄髪の民に……」


「違うって言ってるだろっ!!」


 そう叫ぶと、ヨーベルの顔が一転して形相になり、そのまま全速力でマランに近づいてきた。

 マランの言葉に逆上して殴り倒すのでは――と思ったイリスは、それどころか、その右手が腰に据えられるのを見て目を見張った。


「マランっ……!!」


 気が付いたらイリスは、マランと繋いでいた左手を払いのけて、バッとマランの前に手を広げて立ち尽くしていた。


「……イリス!?」


「……っ!!」


 目をつぶったまま、頭の中を一瞬真っ白にしていたイリスは、その後自分が何をやっているのか、どうなってしまうのかを最悪のシナリオとして頭に描き、そのままそれを甘受する自分の姿を想像していた。

 ――のだが、その内にあまりに自分が無痛覚なままでいる事にふと疑問を抱くと、イリスはそのまま恐る恐るその目で現状を確認してみた。


(……)


 まず飛び込んできたのは、ヨーベルの視線だった。

 ただ、その視線に冷たさはさほどなく――やや呆然としながらも、それでも冷静な表情のままイリスの顔を見詰めている、という感じであった。

 そして、一瞬の後、イリスは気付く――ヨーベルの右手が別に剣など握っていない事を。

 それも、どうやら剣を鞘に戻したのではなく、そもそも剣を抜いてすらいなかったらしい事を。

 彼は呆れたような軽い笑みを浮かべると、


「……まだ出会って何日もしてないんだろう? そのわりには随分仲が良いじゃないか」


 そう言って一息ついて、イリスを今までになく柔らかい視線でヨーベルは見詰めた。

 そして、その場の状況を良く飲み込めていなかったのか、背後からマランが、


「……大丈夫? イリス」


 そう言って両肩に手を優しくポンと置いた瞬間、イリスの身体から緊張感が一気に抜け、そのまま力無く崩れ落ちてしまった。


「おっと」


 膝が地面に落ちなかったのは、背後からマランが支えてくれたからだろう。


「……まったく、勝手に考えを飛躍させるんじゃないよ」


 溜息を吐き、呆れた表情でヨーベルが言う。


「処刑ったって、誰がこの子を死刑にするって言ったんだよ。……まぁ、勘違いしたとは言え、今みたいに自分の身を省みないで彼氏を庇おうとするような、そんな良い子の命を奪うような真似はしないさ」


「……えぇ!?」


 マランとイリスがふたりして呆気に取られたような驚きの声を上げる。


「なに、君達を少々脅して掛かった方がより詳しい事の真相が聞き出せると思っただけさ。君達は妙に僕に対して疑心暗鬼だったからね。……だいたいレノに死刑なんてないぞ。精々流刑かなんかだからな」


「あ、はは、そう、だったんだ……やっぱ、ヨーベル兄ちゃん、人当たりが良いくせに冗談がきついよ……」


 ははは……とヨーベルは笑った。そう言えば、この人が心から笑ったように見えたのはこれが初めてだった気がする。


「ヨーベル兄ちゃんか、随分懐かしい呼び名だな……もう、何年前になるのかな。気が付いたら『ヨーベル兄ちゃん』じゃなくて、『ヨーベルさん』になってたんだもんなぁ」


「……だって、昔からずっと憧れていたから……」


 マランが照れくさそうに呟いた。


「だからヨーベル兄ちゃんって呼んでいると、本当に実の兄貴みたいな感じがしてきちゃって……ほら、俺、村じゃ年上の人ってみんな大人ばっかりだったし。……だけど、ずっとそう呼んでると、何だかずっとヨーベル兄ちゃんの背中が越せないような気がしてね……何か、それが嫌だって思うようになっちゃった」


「ふ~ん、そういうことだったのか。負けず嫌いだもんな、マランは」


 そういって頭をぽんぽん叩く様は、まさしく本当の兄と弟の会話のようだった。


「……でも、やっぱりまだまだだね。ヨーベルさんが何処までホンキだったのか、全然分からなかったから……」


「そっか。……でも、昨日僕が言わなかったかい? 君は僕なんかよりもずっと凄い子だよ。少なくとも、僕が君と同い年の時は君ほどしっかりしてなかったしね。それに……」


 と、イリスの顔をちらっと見た。もう、その目は恐くない。


「ここまで自分を信頼してくれる彼女なんかいなかったしね」


「べ、別に、イリスはそう言うわけじゃ……それに、ヨーベルさんには誰か彼女がいたんじゃなかったっけ?」


「……え? 知ってたのかい? まいったなぁ……ま、まぁ……あの人は、その、な」


「その、何?」


「いや、何でもないさ……ははは」


 ちょっと前までは想像も付かなかったヨーベルの照れ笑い。意地の悪そうな笑顔で、ここぞとばかりに逆襲に出るマラン。そしてふたりの談笑――イリスはようやく、その空気に違和感を覚えなくなっていた。さっきまでの「友人のような」というものではなく、それは何処からどう見ても立派な友人同士に見えたのだ。

 そう、今のヨーベルには洋服屋の店主や長老と同じ温かさを感じ取れたのだった。


「……ただね」


 しばらくの温和な空気の後、ヨーベルは一遍して、突然真面目な表情に戻った。


「君は物心付いてから、この島から出たことがなかったはずだし、これから船に乗って大陸に渡るとしても、何処に何があるのかとか、どんな恐怖があるのかなんて全然知らないだろうからね。……僕は何度か大陸に渡った経験があるし、少なからず君の今後を心配しているから、だから敢えて君に厳しく当たって、君自身がどれだけの判断力があるか見させてもらったんだよ」


「……そうだったんだ……」


「ま、気に病む事はないよ。君だったら何とかなりそうな事は、彼女が証明してくれたからね」


「あっ……」


 その時イリスは、改めて自分がとっさにやってしまった事を思い返し、自分でもはっきりと分かるくらいの照れを感じてしまった。


「だから……イリスは、その……」


「だけど、気を付けた方が良いな」


 ヨーベルはマランの照れた弁解を気に懸けずに、また真顔に戻った。


「え?」


「僕だって、芝居でもなんでもなく、れっきとした自警団員だ。君が言ったように、『ラナの大樹』が消えたという事件に対し、真相を究明して、何らかの判断を下さなきゃいけないだろうね。……そのための報告だけはさせてもらう」


「……うん。でも、やっぱりイリスも連れて行くの? ……閉じ込められたり、とか?」


「どうだろうな……新入りの自警団員がどれほど信用されるかなぁ。とりあえず話だけはして見るけどね。正直どうなるか分からないよ。その前に……」


 と、ヨーベルはそこで話を切った。


「もし彼女が無罪だってことになったとして、それからどうするつもりな訳なんだい? 君はともかく、彼女は……」


「……」


 それに対して、マランは「あっ」という顔をした。

 長老宅で話した、自警団から逃げて彼の実家の村へ行く話や、海に送り出される話。

 もちろんそれらはこちらの決断を促すために即興で彼が語った事だろう。現に今も返事に窮している所から、本当の所はどうしたら良いのか、彼ですら具体的には考えていなかったに違いない。


(……って、私の事なんだから……)


 本来、自分で考えなければいけないのだ。この先何処へ行くのか、これからどうやって生きていくのか。

 もちろん元いたハーバル城へ帰るのが一番「分かり易い目標」ではある。

 だが、遥か西方にある事だけは何となく分かっていても、具体的に何処にあるのか、どのくらい遠いのか、だいたい、どうやって帰れば良いのかすら、まるで見当が付かない。いや、それどころか、そもそも帰るのが本当に正しいのか、帰ったら帰ったで自分がどうなってしまうのかさえ、まったくもってさっぱり分からないのだ。

 ――何より、本音を言えば、しばらくは帰ろうと思いたくもないのが胸の内である。

 とはいえ、だったらどうすればよいのか――確かに、ついさっき冒険者として生きる「目的」を考えはしたけれど、まさかいきなり実践する訳にもいかないだろうし。もちろん、他の手なんかもはや思い付きすらしない。

 イリスは頭を抱えたくなった。頭が回らない。先程とっさに飛び出した時とはまた違う意味で、頭の中に白い領域が増えていく。

 そして、それが眠気である事に、今、ようやく気が付いた――


「とりあえず、街に戻らなきゃな……」


 しばしの後、唐突かつぼんやりと、マランが呟いた。


「街か……」


「どうしたの? ヨーベルさん」


「いや……」


 そう言うと、ヨーベルは今にも眠りそうで舟をこぎかけている、ぼんやりイリスに近づいた。

 自然、びくっとイリスに緊張が走り、一時的にだが目が覚めた。


「やあ、イリスちゃんだったっけ? ……すまなかったね」


「……えっ?」


「ずっと君の事を冷たい視線で見ていたろう?」


「……あ、はい……」


「……マランが言った事は本当だよ」


 神妙な面持ちでヨーベルは言った。


「何年か前にちょっとした事件があってね。それで、黄髪の民に僕の両親は殺されてしまったんだ。……僕はその時すぐ近くにいたけど、結局何も出来なくてね……それで、黄髪の民の人間を見ると、時々自分でも抑え切れないくらいにあの時の憎しみが表に出る事があるんだ。自分でも分かってるから、普段は何とか耐えようとするんだけど、今回は、その、つい抑えが利かなくなっちゃってね……だから、僕もまだまだマランに尊敬されるような人間じゃあ、全然ないんだよ」


「……はぁ……」


 眠気と緊張感と恐怖で、イリスもどうしても曖昧な返事しか出来ない。


「ホント、こんなに可愛い女の子なのに、怯えさせるなんて、酷いことしちゃったな。……許してもらえるかな?」


 そして、間近で笑ってくれた。それが、彼本来の笑みで、きっと異性にモテそうだなという爽やかさがあって……イリスもちょっとだけときめきを感じてしまい、赤くなりながら、


「いえ……いいです、もう」


 そこまで言った。

 でも、それが最後。

 彼の腕に預けられるようにして、イリスは深い夢の底へと引きずり込まれていってしまった。



(つづく)


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