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Rainbow Crystal  作者: らぷた
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第1話 冒険者を誕生日から始めるふたりの話(1)

  本当の自分って何だろう?

  素直な心って何だろう?

  望ましい生き方って何だろう?


  自分の身体に眠るという力に素直に従うこと?

  あるいは、その力をあくまで否定し続けること?

  それとも――そんな自分自体の存在をも否定してしまうこと?


  逃げろと言う言葉に、素直に従ってはいけなかったの?

  それが何を意味するか、自分でもはっきり分かっていたはずなのに……


  本当の自分って何だろう?

  素直な心って何だろう?

  本当の私は――それでも、もっと生きたがっている。




「まさか失敗したからって、もう一度やり直すわけにもいかないよね。……もう、いい加減、諦めなきゃなぁ」


 ちらちらと光が入る新緑の森の中、失敗だったなぁと昨日の晩から繰り返し繰り返し呟いていたマランは、ついにはそんな言葉を吐き出すと、ようやっと諦めの溜息を吐いて、少しだけ自嘲の笑みを浮かべて、そしてそのまま、今来た道をぼんやりとした目で振り返っていた。

 前も後ろも同じように見える森の中。見慣れているはずのマランでさえ、ちょっと油断をすると、どちらから来てどちらへ行くのかうっかり分からなくなりそう。

 それが何だか、これから先進んでも戻っても、どちらにしても結局後悔するんじゃないかと思っている今の自分の気持ちそのもののようにも見えてきて――却ってマランは気分が暗くなってしまったのであった。


(あ~あ、出発の直前までこんな風になんて思ってなかったのになぁ……)


 出だしが思い通りに行かないと、どうもこの先もずっと悪い方へと進むみたいで何だか調子が出なかった。もっとも、そうは言っても、もはや出発をやり直すわけにもいかないのだけれども。

 後悔なんてしたって仕方がない。実際にもう出発してしまったのだから、何を今更――とはいえそれでもやはり、マランの心の何処かには、まだわずかながらも、なかなか吹っ切れないものが残っていたのだった。

 ぼんやりとした後悔を引きずりながら、足を止めて今来た道をまた振り返る。ただ、まだまだここは森が深くて道も曲がりくねっていたりするから、残念ながら、それほど先も見えずに道は視界から消えていた。


(見慣れた道だけど、何度も通ってきた道だけど……でも、良く良く考えれば、丸一日掛けてやっとここまでやってきたんだから、もう簡単には戻れるわけがないんだよな……)


 一体、距離にしてどのくらいを歩いてきたんだろう。

 出発してすぐ森に入ってから一昼夜、見えるのはただひたすらの緑と茶色と――そして青と白と黒。

 そんな偏った色ばかりのけもの道を、マランはただただひたすらひたすら道なりに歩いてきた。このまま急げば、今日の日暮れまでにはどうにか森を抜けて、当座の目的地である港町レノへと辿り着くはず。

 辺りはその間ずっと、見慣れていると言えば見慣れているし、見飽きたと言えばとっくの昔に見飽きてしまった光景ばかり。

 これでもう少し時期が早ければ、まだ色とりどりの花をあちこちで見掛けて心和む事が出来たのかもしれないけれど――残念ながら、ちょっともうその時期は過ぎてしまっていた。

 今はちょうどこの辺りも新緑の時期で、ついこの間までの「花畑」は、今やすっかり生い茂った葉っぱと所々にある剥き出しの地面に変わってしまっている。そして見上げれば、あとはひたすら樹木ばかり。

 ただその代わり、時々吹く風が心地よかった。これはこの時期ならではのものだろう。

 ぱっと見た感じでは、確かに同じ景色が延々と続いているようにも見えるこの森の街道。ただ、森育ちのマランにとっては、今まで何度となく荷物運びとして通った道なので、特徴のある木々くらいはもうある程度憶えていた。

 例えばこの先の崖みたいな坂から見える、『ラナの大樹』と呼ばれる巨大な緑の樹木などは、その中でも一番目立つものだろう。

 村の特産品の木工細工や炭なんかを台車に乗せて昼夜掛けて運んでいった時などは、そのとてつもない大樹を見つけた瞬間、ああもうすぐ港町、あと少しなんだと、また元気が湧いてきたものだった。

 もっとも、今回ばかりは何人も連れ立って荷物運びをしているわけではないのだが。

 今は、ひとり。

 しかも、村の仕事とはまるで無関係。ただ純粋に、自分の意志だけで村を出て、そしてここまで延々と歩いてきたのだ。


 ――冒険者になりたい。


 そんな、ちょっと時代錯誤だけれど、それでも一世一代とも言うべき決意を込めて。

 ひょっとしたら、この道を戻る事などもうないのではないか――自分でも大袈裟だとは思うけれど、そこまでの決意も一応固めてはいる。

 改めてそう思うと、自分が今まで歩いてきた道程の長さが何だか感慨深い。

 ただ――ただである。

 「冒険者になる」だの、「一世一代の大決意」だのなんて、ともすればとても恥ずかしく聞こえる言葉は、出来れば心で思っているだけにしたかった。

 もし仮に人に言うにしても、少なくともそれは、「両親」や長老様といった、詳しい事情を知るごく親しい人達だけにしたかった。

 まさか、この事が直前になって、村民みんなに知れ渡る事になってしまうとは。それどころか、その後みんなして――


(……あうぅ……)


 マランはそこまで思い出した所で、ほんのり顔を赤らめつつ、ぶるぶると首を振った。

 そしてまた、少しだけひとりごちてしまう。


「大体冒険者ってのは、夜明けなんかに、誰にも知られないように置き手紙ひとつで突然いなくなるって所に風情があるはずなんだよな。……それをあんな堂々と……」


 ――やめた。

 いい加減未練がましいし、今更過ぎてしまったのは、やはりもうどうしようもないのだ。

 自分なりの周到な準備を整えて、しかも冒険に出るんだってみんなの前で堂々と言ってしまった以上、もう戻れるわけがないじゃないか。


(でも、本当にもう「戻れない」のかな……?)


 今にして思えば、村の人達は、ずっと温かくマランを受け入れてくれていた。だからきっと、早々に諦めて戻ってきた所で、何だかんだとはやし立てられたりはしても、結局はまた元の生活にすんなり戻れると思う。

 でも、村に戻ったらそれで全て。「夢」はそこでお仕舞いのような気がする。


 ――二度と冒険したいだなんて言い出せなくなる気がする。


 元々切っ掛けが降って湧いたようなものなのだから、立ち消えるのも簡単だろう。

 だけど、そうなってしまうともう、自分の本当の「望み」は決して叶わなくなるように思えてならなかったのだ。

 それともうひとつ――ただ単純に、一度決意をした事をすぐ止める事自体がマランは嫌だった。

 「プライド」というと大袈裟だと思う。強いて言うなら男の意地か――あるいはただ単に気恥ずかしさなのかもしれない。

 それにそもそも、あれだけ大っぴらにされた以上、ちょっとやそっとですぐ戻るわけにもいかないというのもまた、本音というか、事実だったりするのである。


 ただそう思うと、それはそれで何だか勢いだけで飛び出したような気がして、マランは少し溜息が出た。

 そして更には、旅立ち早々こんな事ばかり考えて弱気になっている自分自身に、彼はいい加減、嫌気が差してしまったのであった。

 ――と、そこでふと気付く。


(あれ? そう言えば何時の間に……)


 話がすり替わっていないか?

 どうしてこんな所で「もう後戻り出来ないんだ」なんて事を考えなきゃいけないんだろう。

 確かさっきまでは、出だしでつまずいたからやり直したいなと思っていただけだったはずなのに。

 何だ何だ? 俺は出だしに失敗しただけで、何時の間にか旅そのものを諦めようと思うようになっていたわけなのか?

 ああ、バカバカしい。

 やっぱり、弱気にすっかり毒されてしまっているんだな――


 そうと分かると、何だか急に気分が軽くなって、また意気込んで歩き始めたのだが――それでも直後、マランは眉間にしわを寄せると、またその場に立ち止まってしまったのであった。

 前々から、どうも物事を悪い方悪い方に考えてしまうのは、自分の悪い癖なのではないかとは思っている。今のもきっとそのせいなのだろう。

 そもそも今回の旅だって、本当はまだまだ不安を必死に希望が押さえ付けているのに等しい状態なのだから、いつショックのあまり打ちひしがれて、「お家に帰る」とみっともなく泣き叫びだすか、分かったものではなかったりもするのだ――そうなったらもう、男としては身の破滅なのではあるけれど、とはいえ絶対にそうならないと断言出来ないのもまた、悲しいかな、正直な所だったりするのであった。

 ただ反面、この旅がうまくいけば、この心配性な性格も多少は直るかもしれないという計算も、実は若干はあったりもする――それはこれから先、旅先で色々な事をやっていく内に、もう少しは明るい性格になれればいいのになという、ささやかながらも、少年らしい前向きな希望だった。

 手っ取り早い方法としては、旅先で明るい人と友達になる。出来れば、同い年くらいがいい。何せ村には同い年どころか、近い年齢の子供すらいなかったのだから。


(……うん、もうひとつ目標が出来たな)


 マランはどうにも希薄な「旅立ちの意義」を何とか少しでも確立させようと、こんな風に考えを発展させ、また気を楽にさせて歩き出した。

 ともあれ、もっと自分に自信を持たなくちゃいけない気がするのは確かだ。少なくともこれからしばらくはひとりぼっちなんだから、もっとしっかりしないと、さっきみたいにすぐ気が滅入ってしまう。そんなの、たまらない。

 大仰な目標なぞ立てずとも、これから先、何とかやっていけばそれで良いじゃないか――まぁ、具体的に何をどうやればいいのかなんて、さっぱり見当もつかないけど。

 確かに旅のノッケから躓いてはしまったけれど、それでも「終わり良ければ全て良し」とも言うし。これから先、手柄を立てて有名な冒険者になる事だって、ひょっとしたらあるかもしれないじゃないか。


(手柄、かぁ……まぁ、手に入れば嬉しいって程度だよな。無理に狙う事でもないのだろうし……)


 自分で言うのも何だけど、大体こんな大した事のない人間が、そう易々(やすやす)と手柄なんて立てられるものじゃないだろうし。

 確かに「森の民」としての色々な技術なら、自分でもそれなりに身に付いているとは思うのだが――それでもそれがこの先何の役に立つのかなんてさっぱり分からないし、そもそも別に腕力が人並み外れて強いわけでもないし、他に何か特別な能力があるわけでもないし。


(弓を射たり薬を調合したりなんて、ちょっと「特別な能力」とまでは言えないだろうしなぁ……そうだなぁ、例えば……)


 例えば、魔法を使えるとか。


 ――魔法。

 今となっては幾つかの「過去に存在していた」という証拠以外、まったくこの世にはのこっていないもの。

 昔はありふれていた存在だったはずなのに、今はすっかり消えてしまったもの――もっとも、それは何も魔法だけではないらしいのだけど。

 ただ、魔法の力以外は、人間が全て「消して」しまったのだという。

 そして人間が魔法の力を失ったのは、そのために神の怒りを買ったからだという。


 そんな、昔話。本が人が語る「事実」――だけど同時に、いくら「そうだ」と教えられても、自分の心の奥底では納得のいかないこと。

 それは本当に間違いのない話なのだろうか? もしかして全部ただの作り話だったりしないのか? ――そう、マランは魔法を夢のような存在と思っていた幼少時から、内心でずっとそんな疑問を持ち続けていたのだ。

 そしてその疑念は、今現在でも払拭出来ないままであったりする――というよりもむしろ、調べれば調べるほど、そして考えれば考えるほどに、やはり本当は未だに何処かに「ある」のではないかと思えてならないのだ。


(まぁでも確かに、実際に魔法なんてものにお目に掛かった事はないけどね……だけどやっぱり、世界は広いはずなんだから、本に書いてある事が全て真実だなんて、きっと限らないさ)


 果たして、何処まで本で読んだ事を信じて良いものだろうか。本に書いてある事を、何でもかんでも信じればいいってものでもないだろうし――まぁ、それを確かめるのも、旅の目的のひとつではあるつもりだけれども。

 とはいえ、その「本」というものが自分の旅立ちの決意を固める切っ掛けになったりもしたのだから、あまり本の事を悪くも言えないのかもしれない。

 そう、あの「本」さえ見つけていなければ――長老も両親も誰も何も言わなかったろうし、自分自身もきっと、頭の隅でくすぶるものを感じながらも、これからも元気で「村人」をやっていくはずだったんだろう。

 村人。村のみんな――


「みんな、元気かな……」


 村の事を考えただけで、今更ながらにそんな言葉が口をいて出た。

 何でみんなは、ああも自分を気前良く送り出してくれたんだろう。

 ――本当に、みんな、何も知らないんだろうか。

 そんな事を少しだけ思いつつ、とはいえ何となく深く考えるのをやめにすると、マランはおもむろに、カバンの中から、やや小振りでそこそこ分厚い茶色の本を取り出した。


(この「本」の事を知る人は、俺の他は長老様と両親だけ……)


 そして、この「本」のことで、自分がなさねばならない、ある目的のことも。

 あとのみんなは、きっと自分の出発を、冒険好きが高じた、ただの小旅行だとしか思っていないはずだ。ごっこ遊び程度で、きっとすぐ帰ってくるだろうとしか。

 何しろマラン自身だって、本当はまだ半分そう思っているのだから。


 ――十七歳。


 余所の村ではともかく、マランの故郷、ナロ村ではもう大人の仲間入りと見なされてもおかしくない時。

 それでも、やっぱりまだまだ「少年」でいられる時。

 少年の冒険心と大人の実行力がちょうど噛み合う、そんな時。

 そんな時に彼は、当て所の無い冒険の旅へと出る決心をしたのであった。




 幼い頃から、いわゆる「冒険心」は旺盛だった。

 長老に聞かされた昔の冒険者の英雄伝説、長老の家に転がっている伝説の魔法について記述された本。身の毛もよだつ禍々(まがまが)しき怪物に、人と似て非なる亜人種の記録――

 彼は片っ端から、それらを全て自分の知識として取り込んでいった。

 当然、勇者になるべく剣のマネゴトなぞをやってみたりもした。魔法や古代の宝物に、憧れたりもした。

 しかし――いや、「だから」かもしれないが――彼が「歴史」を、そして「事実」を理解するのに、さして時間は掛からなかったのであった。

 それらの存在の、そのほとんどが今や過去のものになってしまった事を。

 どんなに世界中探そうとも、それらに出会う事はまず叶わないであろう事を。

 だけど、それでも彼は諦めなかった。たとえそれらの話のほとんどが真実であろうとも、何も全てが綺麗さっぱり失われたわけではないだろうと考えたから。

 だから彼は、たとえ「冒険」が出来なくても、それを確かめるために、いつか旅をしたい、全国をあちこち歩き回りたいと、今度はそう思い続けるようになっていった。

 そしてその想いは、結局消えるどころか――成長して徐々に遠出が出来るようになるにつれ、ますます募るばかりになっていったのだった。

 だがその一方で、何時しか少年の心の中では、外に出たいと言う好奇心と共に、将来的に村の養い手にならなくてはならないという責任感や義務感も芽生え始め――それらが心中で絶えず激しい葛藤を続けるようにもなっていた。

 そんな十六歳のある日、微妙なバランスを保ったままだった彼の心の天秤の針は、もうあらかた読み漁ったはずの長老の家の本棚の、その更に奥の方に隠されていた本により、大きく傾き始める。

 それは、もう誰にも読まれる事のないはずだった「本」。

 だけどそれが、最終的に彼の冒険の「理由」と「切っ掛け」になった。

 ――いや、やはり「理由」とまでは言えないのかもしれない。「目的」――精々、「目標」か「憧れ」程度のものでしかなかったのかもしれなかった。


(それともやっぱり……「偶然」かな?)


 だが、マランはこの「偶然」を、最大限に前向きに受け止めた。そして、冒険者の旅立ちなんて昔も今もそんなものかもしれないだろうからちょうどいいか、と最後には思うようになっていた。やっぱりこのくらい運に恵まれていた方が、何だかそれらしくて格好良いよな、と。

 ただ、昔の意味で言う「冒険」を叶えるのは、現実には少々難しいだろうとは、マランとて十分に感じていた。

 というのも、もはやこの世には冒険者が活躍出来るような「危険」などほとんどないのだし、冒険に見合う「報酬」というものも同様に、何処の遺跡を探した所でそうそう出てくるはずがないと思われたからだった。

 それにもし万一、昔の冒険者が発見し損ねた宝物があったとしても――それらももうきっと全て、今の「冒険者」が持ち去ってしまったことであろう。今の冒険者は俗に言う「遺跡荒らし」と大して違いはないのだから。

 彼らにはもう、いにしえの冒険者達の持っていた好奇心も探究心も良識もなく、ただあるのは粗暴さと打算と欲。一行の規模も数人から数十人になり、もはや山賊も同然だった。

 もちろん、マランが目指すのは「古の冒険者」の方である。

 ただ彼は、幾ら冒険者気取りとはいっても、別に戦士の如く鎧をまとい、立派な大剣を振りかざしたりなど出来るわけではなかった。かといって、魔術師の如くローブを着て杖を持つわけでも、ましてや盗賊用の七つ道具や暗器を懐に忍ばせているわけでもなく――やはり傍目からでは、古の冒険者と同じように見るのは少々苦しい所であった。

 それでも彼の格好は、一応「着の身着のまま」というわけではなかったりする。

 一見普段着に見えるグレーの服とブラウンのズボンはそれなりに丈夫に作ってあるはずだし、肩から提げたやや大き目のカバンには、今後何処を「冒険」しても良いように色々な道具が詰め込んである。そして腰には武器――といってもやや大き目の短刀程度のものなのであるが――を身に付けているし、カバンの中には「森の民」御用達の特製の弓だってある。もちろん、お金だって今までコツコツ貯めた分をまとめて持ってきた。

 そう、これでも自分としては準備は万端のつもりなのである――とはいえ、やはりこの程度の装備では、「冒険者」じゃなくて「旅人」に見えるのが精々だろうというのは、自分でも分かってはいるのだが。


(まぁ、それでもいいじゃない。諦めちゃいけないよ)


 何をどう諦めちゃいけないのか自分でもよく分からなかったけれど、結局マランはこの事についても、そんな感じで細かい事をテキトウに片づけることにしてしまっていた。

 そんな感じの何かにつけテキトウさの漂う、放浪も同然の「冒険の旅」――傍から見たらそうとしか思えないものであっても、彼にしてみれは、一応幾つかは「目的」「目標」のようなものがあった。そして最終的に「目指す場所」も。

 目指す場所――それは遥かなる大海原、そしてその先にある「大陸」。そして更にはその大陸の奥にある、かつてはこのバグアレッグ全土を支配下に収めたという「ハーバル王国」であった。

 もっとも王国に関しては、ちらっと話に聞いたことがあるだけで、それが何処にあるのか、どのくらい時間が掛かるのか、そもそもどういう「存在」なのかすら全然分からないので、本当にとりあえず「ただ目指しているだけ」なのだが――ともあれマランは、まず行き慣れた港町に行ってみて、そこから大陸に渡るだけ渡ってみて――そして更にその先は、実はその時に改めて決める事にしていたのであった。

 というのも、港町自体はまぁ、確かに行き慣れた場所なのだが――実は彼、生まれてこの方、港町から船には乗った事が無かったからなのだった。


 ――とまぁ、こんなにも何かと踏ん切りがつかない旅だから、せめて出発くらいは踏ん切りをつけたくて、彼はとある「記念日」に旅立つ事にしたのであった。

 それは、彼が十七歳になった最初の日。

 そして、それが昨日、春終わりの七日。

 そんな彼が手にしているのは、彼の冒険の切っ掛けになった、そして未だに誰も読んだ事のないらしい、彼のための「本」――




「ふぅ、ようやく坂だ……」


 森の密度が、少しずつ薄れてきた。

 視界上方に青い部分が、森の木々に緑の明るさがはっきりと増してきた。

 それと共に前方に、ぼんやりと光が見えてきた。その光は数時前に比べ幾分弱まってはいたけれど、それでも久々にまともな光を見た気がしたマランには、十分にまぶしく感じられた。

 そしてついに森を抜ける頃――その先には空と、土くれが見えた。今までのうっそうとした緑や黒が不思議なくらいになくなっていて、目の前にはただ、赤茶色のまっ平らで横にだけ広い地面があった。

 海抜がほとんどない港町と、山奥というか、森の奥にあるナロ村とでは当然ながら高度が違う。それなのに、村から港町までは意外なほどに傾斜がなく、その代わり、たまにある傾斜といえばそのほとんどが急勾配という、随分と極端な地形になっていた。

 こんなデコボコな地形が形成されたのは、やはり島の中央の巨大な火山と、昔、大陸から島が分裂した時に盛んに起こったとされる地殻変動とやらのせいなのだろう。

 マランのこの知識も、仮説を立てた学者が書いたとかいう本で知ったに過ぎない。ただ、その本だってもう何十年も前に出たものなのだから、ひょっとしたら、実際とは違っている事が既に何処かで解明されているのかもしれなかった。

 とはいえ、森の土と坂の土とではまるで性質が違っているのは確かだったので、マランは一応、まだその説を信じてはいるのだが。


「ふえ~っ……」


 坂、というか、どちらかというと崖といった方がふさわしい高台から遠くを眺めると――目の前に広がっていたのは、またしても同じような一面の森だった。ただ、今までのものほど木々が密集してはおらず、うっそうとしてまではいない所が大きな違いではあった。

 道を歩くのですら困難な事もある坂上の森とは異なり、坂下の森ならば道を歩く事はもとより、森の中に踏み入る事さえも非常に容易で、更には所々にはぽっかりと小さな草原地帯まであるほどであった。

 また、大河こそないものの、小さな川が縦横に流れていて、そのため坂下の森は小さな単位で区切られているような感じになっていた。

 そして視界に殊の外雄大な姿で飛び込んでくる死火山が正面左。更にそのふもとには一面の緑の中、これまた特に際立った高さの緑があった。

 かの『ラナの大樹』である。

 葉も枝も幹も、光がかっているようにすら見える明るい緑色。まるで草が木の形にそのまま生長したかのようである。今は正面やや左に見えるのだが、坂を下りると道は大きく右に曲がるため、実際には途中で道をそれて森の奥深くに入らないと大樹の根元には辿り着けない。

 そう、そのことはマランも良く知っている。良く知ってはいるのだが、ただ実際にその大樹がどのようなものであるのかについてまでは、実はマランは良く知らなかった。何故なら、今までマランは『ラナの大樹』を、遠くから道すがらに眺めた事しかなかったからである。

 まず、一応は村の掟で無闇に近寄ってはいけない事になっていたのがあったし、それにそもそも村からはもとより、港町からも若干遠い所にあったので、今まであまり無理して寄る気にもなれなかったから――というのが、まぁ主な理由ではある。

 しかし身近にあるこんな不可思議な物に、今までまったく興味がなかったかと言えば――それはもちろん大嘘であった。

 そうだ、今は一応ながらも村を旅立った身であるのだし、もしこのまま船で島を離れてそのまま戻って来れない、なんて事になってしまったら、きっと悔いが残るだろう。ならば今この時こそが『ラナの大樹』を間近で見る事の出来る、最初で最後のチャンスなのではあるまいか?


(そうだな……でも日暮れまでには港町に着きたいから、それまでに立ち寄る事は……う~ん、ちょっともう無理かなぁ。昨日、早朝に出発してたら、それも出来たのかもしれないけど……)


 ――おっと。

 また先程の悪循環に陥りそうだったので、その事を考えるのはやめた。

 ここから港町までは歩いて行けないほど遠いわけではないので、まず港町で一晩明かしてから、明日ちょこっと行ってみれば良いだけの事だ。せっかくだもの、これを最初の「冒険」とするのも悪くはない。

 ただ、肝心の港町の方はというと、残念ながら、まだまったく見えては来なかった。

 右手遥か遠くに水平線らしきものは見えるのだが、街の姿までは実際の所、森を抜けるギリギリまでは見えてこないようになっている。ここの坂と同様の段差のためであった。

 しばらくぼんやりと遠くを見渡していたマランは、ふと太陽の光がほんのりと赤みがかってきた事に気付く。いよいよ日が暮れるのも間近のようだ。少し急がないと。

 昨日みたいな森の中での野宿は、出来ればもうこれ以上はやりたくなかった。

 一応この間坂下の森をこっそり散策した際に、野宿のしやすそうな洞穴を見つけた事はあったのだが――それでもやはり、こんな所はとっとと通り抜けて、何とか今日中に急いで街に辿り着きたかった。今から全力で走れば、暗くなる前にまだどうにか森を抜けられるだろう。

 視線を更に真下付近に向けると、崖に近い急斜面を更に斜めに横切る坂が作られていた。

 坂を斜めに横切る坂を新たに作る事により、急斜面を楽に昇降出来るようにした配慮なのだろうが――そういえば前から思っていたのだが、こんな手間の掛かる事をわざわざしてくれたのは、一体何処の誰なのだろう?

 かつて道を切り開いたであろう人達と同じなんだろうか。その人達はやはり、うちの村の先祖だったりするのだろうか?

 マランがまたそんな事をぼぉっと考えていると――ふと日の光の更なる衰弱を感じ取ってしまった。流石に少し焦ってしまう。


(しまった、本当に急がなきゃマズいぞ!)


 そう思ったマランは、一気に坂を乗り越えて、斜めに走る坂の真ん中に直接飛び下りようと、その淵に足を掛けた。

 ――その時だった。


 ぱんっ……


 音に敏感な「森の民」が瞬時に察知する、木の葉のざわめき以外の音。

 だが、微かな音ではあったが、不思議と良く通る音でもあった。同じく音に敏感な森の動物達ならば皆、この不可思議な音を感じ取れたに違いない。

 ただ、彼の「森の民」ならではの聴覚をもってしても、その音が何の音であるかを聞き分ける事は出来なかった。

 ――というのも、それが今までに聞いた事のない類の音だったからである。

 破裂音のようなものだとは思う。

 乾燥した木の枝を弾いたような高く乾いた音と、重い、震えてくる音が合わさったような音だった。いしゆみか何かで古木を木っ端微塵にしたような音――いや、それともまた、少し違う気がした。

 その聞いた事のない不審な音は、間隔を空けて二、三回聞こえたと思ったら、そのままぱったりと止まってしまった。

 そしてその直後、今度は音のした方から緑の大地にうっすらと白く立ち昇るものが見えた。

 それは困惑していたマランの目にもすぐ、煙である事が認識出来た。

 場所は――ちょうど『ラナの大樹』のほど近くのようだ。


(……何だ? 何が、どうなっているんだ?)


 あの辺りで何かが起きたのだろうか? ――いや、起きているよな。絶対に。


 ――何だか、運が良いのかもしれないな。


 今までになかった、それも急激な状況の変化に対し、身体が突如として総毛立つような気分を感じながら、マランはふとそんな事を思ってしまった。直後、彼は無意識的に崖を飛び、降り立った斜めの坂を大急ぎで降りていき、そのまま道なりに全力で走り出していた。

 未知の危険への恐怖よりも遥かに強い「何かある」と感じる喜び。

 ようやっと、そして突然に始まった「冒険者らしい事」を、マランは今、全身で受け止めたいと強く思っていた。そしてその身体もまた、今まで感じた事のないような震えに、痺れるような感覚になっていた。


(……何かある、何かあるんだ、これは絶対っ!!)


 もうすぐ日が暮れようとしている事も既に忘れ、彼は道をそれ、『ラナの大樹』へと向かっていった。

 今のマランからは、まるでこれから人生で一番大事な事件が起こるかのような興奮が溢れ出していた。


 ――ただこの時は、この後に起こる出来事が、これからの彼の長い冒険の最初の出来事にして、本当に「人生で一番の大事な事件」にまでなろうとは、当の本人とて流石に思いも寄らなかったのであったが――



(つづく)


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