43.引っかかった心
一通り話をした兄は、疲れたのか、また眠ってしまった。すう、すうと兄の呼吸は安定しており、出入りしていた神官や医官も穏やかな表情のまま、足音を遠ざけていった。
兄が再び眠りについたことを確認し、私たちは治療室を後にした。扉を締めた後の廊下は、しんとしており、ただ窓から白金色の光が差し込んでいる。
私は兄が目覚めた安堵の奥に――何か黒く、胸の奥に引っかかったままのものを感じていた。胸の奥になにか沈んでいくもの。全て終わったはずなのに、私の心は追いついていない。
『名前を呼ばなかった相手』。彼女に向き合わなくてはならないと、わかってはいたが、彼女に対面することへどこか躊躇いも感じた。
「アミティエ嬢は、今は神殿の奥の静養区画にいるよ。魔力は封じられ、暴走することは、もうないだろう。ただ――情緒が不安定だね。会いに行くかい? 彼女に会うかどうかは……ルエリアが決めていい」
私の迷いを察したのか、後ろからセシリオ伯父様が声をかける。一瞬、私は俯き、治療室の扉を見る。胸が、ぎゅっと締め付けられる。
私の横で、フレンがそっと私の肩に手を置く。
「俺は立ち会わない。……君の時間だから」
彼は静かに頷く。
「危険はない。――彼女に会うかはルエリア次第だ」
私はどうしていいかわからなかった。ただ、アミティエに会わなければ、私の引っ掛かりがほどけることはないだろう――そう思った。
私の脳裏にアミティエの顔が浮かぶ、最後に見た彼女の顔は恐怖に怯え、子供のような泣き顔をしていた。くるくる笑顔が回る親友の『アミ』でも、鋭い言葉を冷徹に投げつける『アミティエ』でもなく。ただ、何かに怯えていた。
ただ、彼女のしたことを私の中で『なかったことにできない』のだ。私は、自身が壊れなかった理由を確かめたいと思った。
しんとした時間がただ、流れていく。
私は、伯父様とフレンを交互に見た。
「……行きます。アミティエのところへ」
神殿へ進む道は、以前来たときより静かだった。音も少なく、ただ、灯りが揺れているだけ。私と護衛の騎士の足音がコツ……コツ……と響いている。
私はゆっくりと、歩みを止めることなく神殿へ進んでいた。一言も話すことはなく、ただ、静けさだけがあたりを包んでいた。
神殿は、少しずつ修繕が始まっている。崩れた場所を見て、私はあの日をふと思い出すが、つい先日のことなのに遠い昔のように感じる。神殿に吹く風はあの日のように、私を揺らす。
「……ルエリア様、こちらから」
出迎えた神官が私たちを奥の療養区画に導く。神殿の裏口は薄ら寒い。この奥に、彼女はいる。
初めてくる療養区画は祈りの間と違い、白く、簡素で、ただ静かな空間だった。ほんのりと薄く香る香に、結界が静かに佇むよう、私たちを包み込む。
奥の扉の前に、神官が一人立っている。
「アミティエ嬢は、こちらにいらっしゃいます。ただ――」
神官の顔が、曇る。
私は首を振り、ゆっくりと扉を開ける。
心拍は早く、胸の奥が鈍く痛む。それでも私は正面を見据えた。
『彼女』に対面しないと、終わらないのだ。
扉の奥にいた彼女は、髪はほどかれたままで、艶がない。
目は光をなくし、虚ろな目でどこか遠くを見てい。これまであった彼女の魔力の気配は、完全になくなっていた。彼女の胸には魔力を封じた証が灯っている。
私は、少しずつ彼女に近づいた。重い沈黙が、私たちを包んでいた。




