18.レールから抜けることを決めた日
家に帰っても、母の冷たい視線は、もう気にならなかった。
いつもの冷たい母が呟く。だが、母の視線はどこか遠くを見ている。
「その香り……王家のものね」
その声は何かに気がついたような、ただ、どこか懐かしさを帯びた声色をしていた。
私は母に背を向け、部屋に入り、ふぅ、と息をつく。
母は何か言おうとしていたが、その声はいつもより遠く聞こえた。
ただ、フレンの熱と香りが私の体に、残っていた。
彼の甘い香りがふわっと広がる。それは確かに私の決心を強くしてくれる。
ベッドに横たわっても、熱が残っていた。心臓の鼓動が早鐘を打ったまま、おさまらない。
私は息を整え、いつの間にか眠りに落ちていた。
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ルエリアが、掟を知った上で、それでも俺とともにいたいと話してくれた時――嬉しかった。
それは、彼女の母との対峙も意味する。おそらく彼女にとっては、辛いことだろう。
彼女の覚悟に、俺も応えなくてはならない。
「その様子だと、ちゃんと話ができたようね」
振り向くと、おふくろが立っていた。
俺は、静かに頷く。それを見ておふくろが安心した表情を見せるが、どこか哀しげだ。
「この国は……あなた達に任せてもよさそうね。ただ、ルエラの心は――なんでもないわ」
おふくろは一瞬俯く。おそらく、彼女の母とおふくろの間には――何かがある。そう感じさせる言葉だった。
俺は疑問に思っていたことを思い切っておふくろにぶつける。
「母上――前から感じていたのですが、彼女の母が、ルエリアに対してあれほどに頑ななのは、どうしてなのですか……?」
おふくろは一息つき、呟く。
「家柄の呪縛のようなものよ。ルエラも、かつてアマリア様からあのような態度をとられていた……」
「それなのに、どうして彼女にまで――」
おふくろは首を振る。
「……わからない。ルエラもどうしてあの時と同じような態度を、ルエリアちゃんに取るのか」
ルエリアの気持ちを考えると胸が締め付けられる。
俺にできることは、彼女のそばで何があっても守る――それだけだ。
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朝になり、身支度を整えた私は、城に向かった。
行き先は――騎士団長室。フレンと生きたいから辞退したいとは、言えないけど。
扉を叩こうとした時、中から母の声がした。
「あの子の入団試験を、辞退させる……? ありえない!」
――辞退? 私が告げようとしたことが、なぜ、父に知れているのか?
「ルエリアに、これ以上無理をさせたくない。……それだけだ。前回の試合で酷い怪我をしていた。それでも、あの子に無理をさせたいのか?」
その言葉を聞き、前回怪我をした鎖骨の辺りが、軋む。傷は父の回復呪文で塞がったが、体に負ったダメージは、なかなか引かない。
(……本当は騎士になりたくないって話したこと、母さんには言わないでくれてる)
私は父の話す表向きの理由に、安堵した。
父は、私から言い出すのを待っていてくれている。しかし、母の前では、言えない。
私は、そっと城を後にし、裏庭に向かった。フレンがいない時でも、私は、ここへ来るようになった。ここでは、季節を感じられる。ここでだけは翼が生えたように自由でいられる。
裏庭の噴水の縁に腰を下ろし、空を見上げる。夏の空は青が濃く、どこまでも高い。
(このまま、母さんも、あきらめてくれればいいのに。……まぁ、無理か)
母に対してはあきらめにも近い感情を抱く。それでもいつかは向き合わないといけない。
私は、正面を向き、ぎゅっと手を握りしめた。




